○辻(一)
委員 では、原賠法の本体の論議はまた皆さんに
お願いしまして、先ほど言いましたように、
原子力防災のあり方について少しお尋ねしたいと思うのです。
初めに、私のこの辺についての過去の経緯がいろいろありますので、ちょっと御紹介して、その上で
大臣の所信を伺いたい、このように思います。
実は、私の出身は福井県の若狭湾でありまして、ここは今十五の
原子力発電所が集中しております。そういう
意味では、世界一の集中基地。そして、千二百万キロワット弱の電力を起こしておりますが、関西
経済圏の半分はここから起こった電力で賄っている。大阪府と京都府の電力は全部福井の方から
原子力発電で送っているという
状況になると思います。したがって、そういう中でありますので、
安全性と
万が一に備えた防災体制の確立ということは非常に大事なものであるということを、私の出発点、出身地からそういう感じを強く持っております。
また、今日、電力の三分の一、三四%が
原子力発電によって賄われているというのも事実でありますので、新しい
エネルギーを
開発して、世界の趨勢から見れば、これがだんだんと肩がわりをしていくのがいいと思うのでありますが、それは相当な時間をかけなくては現実的ではない。そういうことを考えますと、当分
原子力発電に依存する時間というものが相当期間あり得ると思うわけですね。これを見ますと、この安全、防災の必要は当然言えるのではないかと思います。
それから、実は、
チェルノブイリの
お話がきょうは冒頭からいろいろ出ておりましたが、私も昭和六十二年六月に、向こうの招請を受けて、西側の政治家としては初めて
チェルノブイリの現地に参りました。中にも入って、中といっても離れた一号炉でありますが、接近しておりますが、入っていろいろな
状況を聞きました。
チェルノブイリの
事故時の所長さんは逃亡しちゃったんですね、後で裁判にかかったのですが。副所長は出張でほかに行っておった。それがすぐ呼び戻されて、明くる日、その
事故の後に現地に立って、こういうことが起こり得るのかと自分の目を疑ったと言っていました。それは直接聞いたことです。
と同時に、この
原子力事故というものが現実に起きたらどういうことになるのかということを職員に徹底しておかないといけない、それから、
住民等にもそういうことがわかるようにしておかないといけない、そうでないと非常な混乱を起こす、そういう体験を述べて、目に涙を浮かべて当時の
状況を聞かせてくれたことがあります。
私は、実は、
チェルノブイリの
状況を見て、これはアメリカのスリーマイルを見る必要があるだろうということで、六十二年の九月にいろいろな用件を兼ねてスリーマイルへ行ってまいりました。現地を見、それから、NRC、アメリカの
原子力規制
委員会とも随分論議をしました。そのときにこう言っておるのです。そこの所長さんは、警告灯が中央制御室には四百五十ある、四百個からの警告灯が全部点滅してベルが鳴ると、もう一体どうしていいかわからなくなる、緊急というのはそういう
状況が起こり得るんだということを言って、そのために、やはりきちっとした職員に対する訓練と、
住民に対して知識をきちんと徹底して、訓練等もちゃんとやっておかないといけないということを聞かせてくれました。
そこで、
チェルノブイリは、原子炉も
我が国と
状況が違いますし、それから、これはちょっと乱暴な実験をやったと思うのですね。要するに、原子炉の制御棒を、安全弁を外して実験をやった。だから暴走して走るところまで走ってしまった。自動車でいえば、ブレーキを外してアクセルを踏んで暴走したと同じようなことですから、こういうことは、きちっとしたルールが守られればあり得ない、あってはならないことだと思います。
ところが、スリーマイルの方は、これは御承知のとおり、水を
供給する、それを示すところの機器が故障しておった。だから、給水が行われておったのですが、それがとまったために原子炉の空だきが起こった。原子炉の空だきが起こって、すぐその水が
供給されたのですが、ゲージ、この機器が故障して、満杯になった、こう表示されたものだから、手でポンプをとめた。ところが、事実は水が足りなかったために空だきが進行して、炉心の三分の二は溶融をして、もうちょっと水が来るのがおくれれば、まさに原子炉の底が抜けるところまで、前までいっておりますね。アメリカの大統領の直接の指命によってNRCの
委員が急派されて、そこで水素爆発をいかにしてとめるかに腐心をして、ついに食いとめたという経緯があるのです。
このスリーマイルは、百万キロワットの、そして、営業を始めて数年というアメリカの最新鋭の原子炉であったということを思うと、機器の故障、ヒューマンエラーというか、人間のエラー、こういうものが重なったときにやはり原子炉
事故というものはあり得るということを考えなくてはならない。
そうなると、安全こそ防災であるから、
安全性をきちっとやれば心配はないという論議もあるのですが、私は、
安全性は徹底して追求すべきだ、これは高いほどいいわけですから、と同時に、あり得るかもわからない万一に備えた防災体制を、
原子力の
安全性とあわせて力を入れておくということが不可欠の要件であるというように思いますが、これについてひとつ
大臣の所信をお伺いいたしたい。