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国務大臣(野中広務君) お尋ねの件について御報告申し上げます。
私は、九〇年に金丸・田辺訪朝団の一員として
北朝鮮に初めて参りました。そして当時は、自由民主党と朝鮮労働党の話し合いの席で、だれも
北朝鮮の核疑惑について、IAEAの査察を受け入れろというテーマについて発言する人がない。したがって、ぜひ私にやれということになりまして、私が、IAEAの査察を受け入れるべきである、そうしない限り
世界に開かれたあなた方の国はできないということを強調いたしました。先方からは激しい応答が返ってまいりました。けれ
ども、常に私も負けないで鋭く対立をいたしました。
その後、この対立から非常にお互いの気持ちが通い合うようになって、私はこの国にいろんな思いを持つことになりました。
わけて、私のような、ある
意味において、あと戦争が一年も続いておればこの世に五十数年の生をいまだに受けることがなかった世代に生きた人間は、戦争中の一つのいわゆるみずからのけじめとして、一番近くて遠い国にあるこの国を何とか過去の歴史を知っておる我々世代が生きている間に近くて近い国にするべきでないか、このように
考えまして、今日までこの国と細いパイプを何とかたぐり寄せて、そしてできれば近くて近い国にしたいと思って
努力してきたことは事実であります。
だがしかし、その私が、あの
ミサイルの
発射によってみずから官房長官としてこの国の異常なやり方に抗議をし、そして対抗処置を講ぜざるを得なかったのはまことに残念であり、悔しい思いであります。
けれ
ども、何とか今もこの国が、この異常な軍備の増強と、そして
人工衛星と言おうが
弾道ミサイルと言おうが、非常に長距離を飛ぶいわゆる運搬装置を持った
ミサイルと言われるものの先に弾頭がついておったか、あるいは
人工衛星的なものがついておったかだけの違いでありまして、あれだけの距離を飛ばすものを持ったというその技術は大変恐ろしいものであります。
国民が今餓死しておる人が多いという中において、この国でこのような異常なことが行われていることに対して、私
どもはやはり自国の名誉とそして国民の安全と、この責任において重大な抗議をしていかなくてはならないし、対抗処置を講じていかなくてはならない。そのことと、この国が何とか近くて近い国になってほしいということとは別なことであります。
今後も、そういう気持ちで取り組んでまいりたいと
考えております。