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国務大臣(
野中広務君) お答えをいたします。
私のさきの記者会見におきます発言について御質問をいただいたわけでございますが、さきにも申し上げましたように、
平成八年の一月二十三日に大田知事と橋本前
総理はお会いをいたしまして、
委員御承知のとおりに、普天間の基地の返還を知事から要請を受けました。その一カ月後、クリントン大統領に会いまして、沖縄知事の切なる願いをクリントン大統領に橋本前
総理は話をいたしまして、二カ月後の四月十二日に、普天間の飛行場の返還が劇的な場面として我々に届けられたわけでございます。
その後、それぞれSACOの合意を含め、さらには沖縄の県道一〇四号の演習地を含めた基地の本土への移設を含め、それぞれ可能な限りの努力をしてまいり、私どももまた、
委員が御指摘になりましたように、党の中においてあるいは当時の与党プロジェクトの中において、沖縄振興のためにあるいは普天間の飛行場返還に伴うこの代替処置としての海上ヘリポートの問題等についてそれぞれお話をし、また私個人といたしましても大田知事さんとは個人的にいろんな話をして、沖縄振興や基地のために、将来のために、そして沖縄の長い犠牲になった歴史の一つ一つの痛みを解消するために、いささか努力をしてきたつもりでございました。その気持ちがあり過ぎたわけか、私自身、今、
委員が御指摘になりましたような発言を申し上げましたことは事実でございます。
また、その後、知事さんから私にも面会の要請が事務当局を通じてございました。しかし、過去の経過を振り返ってみると、ことしの二月六日、突然あの名護の市長選挙で知事さんが海上ヘリポートを拒否される発言をされました後、政府とは話し合いの糸口がないままに来ております。そして、今度会うときはお互いに建設的な場面づくりで会いましょうというのを双方、県当局も政府当局もまた合意をし、そのまま今日に至ってきたわけでございますから、私自身は、何らかの建設的な御意向があるとすれば、大田知事さんとは久しぶりでございますし、そしてじっくり時間をいただいて会いたい、そんな気持ちでおりましたけれども、県当局からは、今度は
予算の要望のみでございます、それ以上新たな提案はありません、こういうお話でございましたので、まことに残念に思いました。
私もいささか沖縄に四十年ほどかかわった人間として、この職についたときから何とか転換の道を求めて、そして沖縄の基地問題や、抱える振興策がお互いに相リンクしてやっていけるようにぜひ努力をしたいと思ってきた私だけに、非常に残念に思う気持ちが私の率直な言葉になって出てしまいました。そのことについて、いささか政府と県との間に距離があるような印象を与えたことは、私の至らなかったことだと思っております。
きょうまで沖縄にかけた私の情熱、そして橋本前内閣以来、当時の梶山
官房長官、その後の村岡
官房長官を初めとする沖縄にかかわった皆さん方の努力を引き継ぎながら、
小渕総理もまた沖縄のこれからの道筋に、長い歴史の痛みを修復するために一生懸命頑張りたい決意を申していらっしゃいます。
私もその意を受けて、これから、先ほど申し上げましたように、表現する言葉が政府と県との間の距離感になったり、あるいはそれが県民との対立になるようなことの結果にならないようにみずからに言い聞かせながら、
照屋委員のまた御指導をいただきながら、沖縄振興のために、また懸案する基地問題等の解決のために微力を尽くしてまいりたい決意でございます。