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参考人(
明石康君) ありがとうございます。
ただいま御紹介にあずかりました
明石でございます。きょうは、非常に大きな
テーマについて、いかにも参議院らしい問題について御審議なさるのに
参考人として出席させていただいたことを光栄と感じております。
まず、一九九〇年代の
国連というものが、今までの
冷戦時代の
国連と違って、非常に新しい期待をかけられて登場したわけでございます。
冷戦時代には
自由主義世界と
共産圏の間の対立があり、米ソの間の
拒否権の応酬があったりして、
国連は思うように動かなかったわけであります。九〇年代になりましてから、
国連はもっと大きなことができるんじゃないかという夢と期待がありまして、それを背景として、九二年の
安保理サミットに当時の
宮澤総理が出席なさいましたし、その年にはまた、当時の
ブトロス・
ガリ事務総長による「平和への課題」という非常に野心的なレポートが発表されまして、
国連もまた、それと前後しまして
カンボジア、モザンビーク、
ナミビア等で
平和維持に関して大きな成果を上げました。ところが、その直後へ
ソマリアとかルワンダで
一連の挫折がございまして、
国連の一時的に大きく膨らんだ夢はやや小さくなったということがございました。
九〇年代になりましてから、御
承知のとおり、
国連は
一連の宗教的、人種的、
民族的紛争に直面させられまして、
国連そのものは創立以来、国と国との
紛争、
政府と
政府との
紛争を扱うためにつくられておりますけれども、九〇年代になって、本来
国内事項である内政問題に関係させられたということで、いろんな戸惑いと混乱もあったと思います。
そういうことで、
国連は、
平和維持に関しましては本来の
国連憲章第六章に基づく政治的な小規模な
平和維持、これを例の
国連PKO三
原則という形で、第一に
当事者全部の合意、第二に
国連そのものが第三者的な
中立性を守るという
原則、第三に武力の行使はこれを自衛のためのみの最小限にとどめるという三
原則に立っておったわけでありまして、
カンボジアにおきましては我々はそういう
原則に固執して問題の処理を行いました。
しかし、その後、
ソマリアなどでは
国連の側にもやや勇み足がありまして、より多くのことをやろうとして
国連の限界をちょっと超えたことをやったんじゃないかという反省が出てきました。旧
ユーゴスラビアにおいては、
人道援助において
国連は本当に具体的な立派な成果をおさめたと思いますけれども、戦争のたけなわに派遣されたものでありますから、いわゆる
PKOの
原則では処理し切れない状況に直面させられました。
国連のこういう活動が成功するための条件として、少なくとも二つあると思います。
一つには、
当事者が戦争とか
武力行使をやめて本当に平和のテーブルに着くという政治的な決意をしておるかどうかという問題であります。
カンボジアの場合はそういう決意がきちんとありましたし、旧
ユーゴでは戦争が始まって二年余りにしかなっていなかったのでそういう決意がありませんでした。
それから、第二の必要な要件としましては、
国際社会の主要な国の間に
国連活動を支える一致した
態度があるかどうかという問題でございます。
カンボジアでは、
安保理の五つの
常任理事国、それから
アジアの大国である
日本、オーストラリア、
インドネシアその他の国々の間の一致した支持がございました。ところが旧
ユーゴスラビアでは、
アメリカは
ムスリム勢力の側を向いておるし、ロシアは
セルビア人勢力に味方をするし、イギリスと
フランスはその中間、それから
ドイツは
アメリカと英仏の中間という非常に複雑な構図がございまして、
国際社会の
キープレーヤーの
態度がまちまちでありました。したがって、旧
ユーゴに関して採択された
国連決議、
安保理決議というものは、多くの場合、非常にあいまいもことし、玉虫色であり、内部的に矛盾していることも間々ありました。
それから、六つの
安全地域というものを
安保理決議でうたったわけでありますけれども、それを守るのに必要な兵力として、
国連事務総長は少なくとも三万五千人の兵力が必要であると
安保理に言ったのに対して、
安保理は約七千人の兵力しか認めてくれませんでしたし、その兵力が現地に到着したのは一年ほどたってからであるというような事情もございまして、
国連の掲げた目的とその
可能性というものの間に大きなギャップがありました。
そういうことで、これからの
国連の
PKOはどうなるのかという展望をしてみた場合に、幾つかの点が言えると思います。
時間がありませんのではしょりますけれども、在来型の
国連憲章六章に基づいた
PKOも一定の条件のもとでは役に立つこと。国境とか
停戦ラインがはっきりしている場合はそういう
PKOでよろしいと思います。
それから、これからは小規模な軍人とシビリアンをミックスした、
選挙監視とか民生の向上とか、
復興援助とか
人道援助、そういったようなものも
国連がやるというミックス型の小型の
PKOがふえていくんじゃないかと思います。実際の
戦闘行為が行われるようなところ、ないしは国境を越えた
侵略行為が行われるようなときには、
国連の
PKOではなくて、
アメリカのような腕力の強い国を中心にした多
国籍軍が
国連の
安保理のお
墨つきを得た上で派遣されるというケースがふえるんじゃないかと思います。
それから、西半球で起きる
紛争に関しては
米州機構というのがありますし、ヨーロッパにもOSCEというのがありますし、
アフリカには
アフリカ統一機構というのができておりますけれども、
国連とそういう地域における
地域政治機構が二人三脚で
紛争の処理に従事するという場合がふえると思います。残念なことに、
アジアではASEANその他の機構がございますけれども、
アジア全体を包含する包括的な
政治機構ができておらないので、
国連と組むような
地域機構をつくるということが
アジアでの
我が国その他にとってのこれからの大きな課題ではなかろうかと思います。
それから最後に、
武力制裁というのはやはりいろんなマイナスの効果もありますので、
国連は、これからは
経済制裁、
外交制裁その他の形でもって、
国際基準に反し
国際法にもとる行為を行った国ないしは
当事者に対して制裁を加える道をより具体的にこれからいろいろ考えていくという方向に動いていくんじゃないかと思います。
それから、
アメリカと
国連のことでございます。
クリントン政権は、初期の段階で新しい意欲的な
国連に非常に期待をかけておりました。それに積極的に参加する、支持するという
態度をとっておりました。しかし、さっき申し上げた
ソマリアの
PKOにおいて米兵が十八名、残酷な形で殺され、それがCNNその他のテレビに映される、
アメリカの茶の間にそれが映されるという状況になりまして、急に
アメリカの
国連に対する支持が冷えていきました。
そんなような事情がありまして、その後、旧ザイールにおいてやはり非常に悲惨な
人道危機がありまして、
カナダあたりを中心に
国連PKOないしは多
国籍軍を派遣しようという動きがあったのに、
アメリカは水をかけました。それから、その後、コンゴ・ブラザビルというところで現
大統領派と前
大統領派のこれまた悲惨な戦争がございましたけれども、
フランスを中心に
PKOを派遣しようという動きに対して、これまた
アメリカは消極的な、否定的な
態度をとったわけでございます。
そういうことで、
クリントン政権は基本的に
国連支持でありますし、
国連に対しても
分担金をきちんと払おうとしておりますけれども、
連邦議会の一部、特に共和党の
南部保守派の議員には非常に
国連に対してネガティブな
態度がありまして、そういうことで
アメリカは
国連分担金の
支払いも滞っておりまして、約十六億ドルの負債を負っておるわけです。このままで行きますと、来年の一月ぐらいに
アメリカは
国連憲章の十九条に抵触して
総会での
投票権を失うことになりかねないという状況に来ておるわけであります。しかしながら、米国の
世論調査におきましては、米国の国民の七割から六割が少なくとも
国連支持であるという資料が出ております。
そういう
意味で、基本的には
アメリカは
国連を支持し、また
アメリカほど
国連をある
意味で自国の
外交政策のためにうまく使ってきた国はないのでありまして、いずれは
国連に対する
中道政策というものが戻ると思いますけれども、当分の間は
アメリカに絡まる
一連の問題が
国連にとって頭の痛い問題である。
アメリカなしに
国連はやっていけないわけでありますけれども、そのような
態度があるということで
国連の足を引っ張る結果になっております。
御
承知のとおり、昨年初頭のイラクに関連する危機におきましても
アメリカは
こぶしを振り上げたわけですけれども、その
こぶしのやりどころに困っているときに
国連の
アナン事務総長が調停に乗り出して、
アメリカがほぼ望んでおるような
解決策をつくり上げるのに成功したわけであります。そういう
意味で、
国連は
アメリカに引き続き役立っておるんだと思います。
国連の改革のことに関しましては、昨年の一月からコフィー・アナンという
国連生え抜きの
ガーナ出身の男が
事務総長になりまして、
一連の
内部改革については効果を上げ、
行政改革、経費の節約その他をかなり積極的にやってきたと思います。
国連関連機関の間での調整という点に関しても成果はかなり上がっていると思います。その結果、やたらに
国連の
上層部の
人たちが会議に出る回数が多くて、自分で仕事ができなくなったというふうなことをぼやくのも耳にすることがございます。
国連改革は行われておりますけれども、それに脱落しておるのは
安保理改革であると言えると思います。
御
承知のとおり、九〇年代に入りましてから特に
安保理は活発になってきておりまして、
国連の
重役会議とも言えるものでありまして、毎日のように開かれております。
安保理の
正式会合がなくとも非公式の会合は毎日行われておるわけであります。
我が国とか
ドイツのような国は
安保理の新しい
常任理事国になるべきだという声は、
国連でほとんど全部に近い国の声であると思います。しかしながら、どこでその
線引きをすべきか、どれとどの国が新
常任理事国になりどの国がなれないかということに関する客観的な
基準というものは、御
承知のとおりないわけであります。
分担金で決めるのか人口で決めるのか、その他の
基準で決めるのか、いろんな
考え方があり得るわけです。
ラ米からブラジルがなるとしますと、今度はお隣のアルゼンチンとかメキシコは心穏やかならざるものがあるわけですし、
アフリカからナイジェリアがなると、南
アフリカとかエジプトが必ずしもおもしろくないということになるでしょうし、
アジアの
途上国側から例えば
インドがなるとすれば、パキスタンがもちろんおもしろくないわけでありますし、
ドイツに関してはイタリアが非常にこれをやっかむ傾向がございます。そんなことで、
線引きが非常に難しい。
それから、
工業先進国と
開発途上国との
バランスの問題があります。現在でも
常任理事国五つのうち四つが
先進国であり、ただ中国のみが
開発途上国であります。こういうことで、
ドイツと
日本が
常任に加わったら、
先進国と
途上国との
バランスがますます
先進国側に優位になるではないかという、
国連の多数を占める
途上国のもやもやした不満の中にそういう気持ちがあると思います。
それから問題は、
安保理は余り拡大してしまうと能率が悪くなり決定に手間取り
国連総会のようになりかねないということで、これを小規模な
理事会にしておこうという声は高いわけであります。
我が国を含む
ドイツその他、ほとんどの国は、
安保理を現在の十五カ国から二十四カ国か二十五カ国くらいまでふやすのはやむを得ないし、
安保理の効率を下げるものではないだろうと考えるのに対して、
アメリカは、
安保理は拡大するにしても二十一カ国くらいにとどめるべきだという強い立場をとっております。
それから、もう一つは
拒否権の問題であります。現在の五
常任理事国は
拒否権を持っておりますけれども、新しく四カ国ないしは五カ国が
常任として加わるとした場合に、
拒否権を持つ国を十カ国にしていいのかどうか。
拒否権を与えないとすれば、
安保理には現在、
拒否権を持つ
理事国と
拒否権を持たない
理事国の二つの
カテゴリーがあるのに対して、
拒否権を持った
常任理事国と持たない
常任理事国と非
常任理事国の三つの
カテゴリーを新しくつくるというのは問題でありますし、
拒否権を持たせるか持たせないか、また
拒否権の
適用範囲、そういったような問題が介在しております。
そういうことで、
安保理改革には時間がかかっておりますけれども、長期的に見れば、
日本とか
ドイツのような国をやはり
安保理の
常任理事国にしないと、
安保理そのものの権威、
影響力に影響するということで、
国連の多数の国は
安保理改革を希望していると思いますけれども、こういうことは一朝一夕では実現するものではありません。一部の国の考えで
国連が動くものでもありませんし、
国連憲章改正を伴うものでありますから、
拒否権が適用されますし
総会の三分の二の多数が必要であるということで、決定には時間がかかるだろうと思います。
最後に、
財政改革についてちょっと触れたいと思います。
さっき、
アメリカの
分担金未払い問題が深刻であるということを申し上げました。
国連は、前にも一九六四年に同じような危機がありまして、そのときの第十九回
国連総会というのは表決が一度も行われないままに終わったぶざまな
総会であったわけであります。そのときに
分担金の
支払いを拒否しておった旧ソ連と
フランスに対して批判する真っ先に立っておった
アメリカが、今や批判される立場に立っておると。国際司法裁判所の
勧告的意見も、そういう行為は違法であると言っておるわけであります。先回は
国連PKO予算が果たして
国連の
通常予算として義務的な拠出であるかどうかというのが問題であったのに対して、
アメリカの現在の滞納は
国連通常予算そのものに対する滞納も含んでおりますので、ある
意味では法的にはより深刻な
違反行為というふうにも考えられると思います。
そういう問題をどう解決するか。私は、
アメリカとか
日本が現在の
国連で必要以上に
分担金を払わされているというような感じは持っております。現在、
国連の
分担金というのは、いいかげんに決まっておるのではなくて、各国のGDPを中心にしたキャパシティー・ツー・ペイ、
支払い能力の
基準から計算されておるわけであります。しかしながら、
国連が国際的な
政治機関として成長するためには、やはり特定の国が突出した
分担金を払うというのは問題であろうかと思います。
それから、
安保理の
常任理事国は一般的な
国連の
加盟国と違った
基準で
分担金を払ってもいいじゃないかという
考え方を、かつて
国連事務総長だったペレス・デクエヤルという人が言ったことがございます。彼は、
安保理常任理事国というのは特権を享受しておるわけだから、ある程度
課徴金みたいなものを払ってもいいんじゃないかということを言いました。御
承知のとおり、中国なんかは現在
分担金を、
開発途上国には特別の
軽減措置がありますので、一%以下しか払っておらないわけでありますけれども、果たしてそういうのでいいのかという問題はあり得ると思います。
それから、これは夢のような話ですけれども、いつまでも
国連を
各国政府の
分担金に依存した
国際機関にしておくということが果たして国際平和のためにいいであろうかという見地からしますと、
国連予算のごく一部であっても直接課税の形をとることが望ましいのではないかという、非常に今では非現実的と思われておる提案もされることがあります。
例えば、皆さんが旅行されるときに、
国連の世話になっているんだからということで、国際的な運賃の〇・〇一%くらいを直接
国連ないしは関連の
専門機関に支払うのはどうであろうかとか、それから国際的な取引を行う場合に、その〇・〇〇〇一%でも特別の形で
国連とか
関連機関に支払うのはどうであろうかというふうな
考え方も、
NGOその他からも出されております。
NGOについては、御
承知のとおり、昨年オタワで採択されました
対人地雷禁止条約の採択の過程で、
NGOの
影響力が非常に大きなものがありました。
我が国は、軍縮、特に核軍縮に非常に深い関心を持っておりますけれども、そういう軍縮のプロセスを進行させるためには
各国政府の
態度が決定的に重要であります。同時に、
NGO、マスコミその他の
発言権も増大してきているということは指摘されるべきだと思います。
そういうことで、
国連におきましては加盟以来、過去四十数年にわたって、
日本の
役割、貢献というものは、地味でありますけれども非常にまじめな
態度でいろんな問題で
調停者として行動し、開発の問題、
アフリカの問題、軍縮の問題、環境、人口その他の問題で
日本の貢献は大きくなっておるのは事実でありますし、
加盟国によってそれが広く認められております。それがあって先回の
安保理の選挙のとき、
日本が
インドと争って大勝したわけでありますけれども、私はちょっと勝ち過ぎたんじゃないかと思います。
インドの今度の
核実験なんかにそういうこだわりがもしかしたらあったんじゃないかとも思われますけれども、これは全くの推測にすぎません。
特に
内向きになりがちな
先進国の中で、
日本の
ODAも最近は減少する傾向にあります。また、一人
当たりの
ODAというものをとってみますと、
日本は決して
世界第一でも第二でもありません。
アメリカに次ぐ、むしろ
最低位にあります。一人
当たりにしますと、
アメリカの場合は〇・二%、
日本が〇・二五%くらいで、御
承知のとおり
国連が目的としておりますのは〇・七%ないしはそれ以上でありまして、
オランダとかノルウェーとかスウェーデン、そういうふうな国々は〇・七%ないしは一%くらいまでいっております。
そういうことで、この十二月が過ぎればなくなるわけですけれども、
安保理常任ないしは非
常任で
カナダ、
オランダその他、
安保理の外でも活発に行動することは可能なわけで、過去にもまさるいろんな政治問題、経済問題、社会問題その他の面での
日本の大きな貢献と
役割が私は期待されておるというふうに感じております。
長くなりましてどうも失礼しました。