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与謝野国務大臣 ただいまのバブルの発生と崩壊の
過程というのは大変大事なところでございまして、これには諸説がございますけれ
ども、やはりバブルの発生の最初のスタートとなったのは、プラザ合意でございます。
プラザ合意というのはなぜなされたかということですが、これは、
日本の国際的な競争力が大変強くて、
黒字が
日本に大変たまったわけでございます。
国際競争力を他国が是正することによって
黒字幅を縮小していくということが本来の筋でございますけれ
ども、そこで先進国が集まって相談したということは、円高誘導をしようということを合意したわけでございます。
円高誘導をした結果、恐らく先進諸国の大蔵
大臣が予想したよりもはるかに、協調介入をした結果、はるかに予想を超えて円高が進んだという現象が実は起きたわけでございます。あのときは、円のレートが多分一ドルに対して二百四十円ぐらいだった。プラザ合意の精神というのは、恐らく、これを二割とか、あるいは場合によっては三割というところの水準まで円高に誘導しようと思いましたのが、実は市場はもっと過敏に反応しまして、どんどん円高に進んだわけでございます。
そのときに何が起きたかといいますと、輸出に依存していた
企業を中心として大変な円高不況と呼ばれるものが実は発生をいたしました。これは国会でも大いに議論をされましたし、また実際に、輸出依存度の高い
企業を中心として大変な不況が来たということは事実でございます。
そのときに、円高
対策あるいは円高不況に対してどう
対応すべきかということは、大変難しい問題だったわけです。これを
財政政策で補うべきだ、いわば国内の有効
需要を喚起することによって内需中心の
経済対策をやるべきだという
財政出動論と、いやそうではなくて、やはり金融
政策、すなわち公定歩合を引き下げ、市中金利を引き下げることによって
経済再生を目指すべきだという両論があのときあったと私は思います。
そこで、実は何が起きたかと申しますと、
財政の出動ではなくて、やや日銀の金融
政策に頼り過ぎたという嫌いがあったのではないかと私は思っております。急激に公定歩合を下げていきまして、二・五%の水準まで実はあのとき下げました。しかし、それだけでは
景気が回復しなかったということで、その翌年ですか、六兆円という、後講釈になりますがツービッグ・ツーレートという
補正予算を組んだ。このあたりから実はバブルの引き金を引くことになったと私は思っております。低金利と同時に、遅過ぎ、なおかつ大き過ぎた
補正予算というものもバブル発生に寄与したという、
政策判断が、ミスとは申しませんけれ
ども、そのとき行ったベストの判断というものが結果的にバブル発生の契機となったと私は思っております。
ただ、先ほど
堺屋長官が申し上げましたように、そのとき既に
投資先のない過剰流動性が
日本の社会に存在していたということも事実でございまして、そういうものが株に向かう、土地に向かう。こういうことで、株に向かって、株が上がる。それを担保に土地を買う、土地の値段が上がる。土地を担保にお金を借りて、また株を買う。いわゆる資産インフレのスパイラルがそのとき発生をいたしました。
しかし、これはある特定の役所とかある特定の銀行とかがやったことではなくて、やはりあのときは、今反省してみれば、社会全体としてバブルに酔い、バブルに迷い、そして誤った方向に社会全体として進んでいってしまったと私は思っております。
そこで、それに気がついたときはやや遅かったわけでございますが、それは一つは、総量規制で銀行の不動産に対する貸し出しを抑制する、あるいは一方では、金利水準、公定歩合を徐々に上げていくということで、バブルをとどめるときのとめ方がやや過激過ぎたという批判は一部にあります。要するに、てっぺんからドスンと下まで落ちたということがございます。
もう一つは、バブルの後始末をもっと早くやりた方がいいという意見も今になってはありますが、実は、バブルの後始末というのは今でも続いておりまして、結局公的
資金を今回も導入するということに多分なると思いますけれ
ども、それも、バブルが破裂した後直ちに公的
資金を導入するという社会的な雰囲気、社会的背景ができていなかったことは大変残念だったと思っております。
それで、二年前に住専の
処理というのをやりました。実は、あれはバブルの
処理でございまして、公的
資金導入の第一号だったわけでございます。あれに対しても、公的
資金を導入するということについては大変な御批判がありましたし、国会でも、
国民もまた抵抗する気持ちは非常に強かったわけでございますが、今の金融のこの
状況を仮に救えるという賢人がいたとしたら、もう少し早く公的
資金を導入したということだったろうと思います。
公的
資金を導入するというのは、銀行を助けるということではなくて、銀行が持っている
機能、すなわち預金を集める、あるいは集めた預金を適正に融資をするという銀行の
機能を生き残らせるというための公的
資金であって、特定の名前のついた銀行を生き残らせるという思想であってはいけない。いわゆる銀行の本来持つべき
機能というものが社会的に維持をされる、そこに着目した国会の判断であるのだろう、私はそのように思っております。