○
石井参考人 御紹介をいただきました
石井でございます。
本日は、
首都機能と
情報通信並びに新
技術ということで
意見を述べさせていただきたいと思います。
初めに、二十一
世紀の
国民生活全般は
情報通信の
技術の飛躍的な進歩によりまして一変するという予想が最近ますます強くなっておりまして、これはいわゆる
産業革命、
西ヨーロッパに起こりました、現在の
工業化社会の起源でございますけれ
ども、それに次ぐ、あるいはそれをしのぐ、
情報革命とでもいうような大変革だろうというふうに予想されております。
ただ、これは第一波でございまして、第二波といいますか、続いて、二十一
世紀には
バイオテクノロジーなどを
中心にいたしましたいわゆる
バイオ革命が起こるであろうというふうにも予想されております。もちろんこれは非常に密接な
関係が両者にございまして、両方合わせて
バイオ・インフォメーション・エージというのがアルビン・トフラーなどが言っている二十一
世紀の
特色だというふうに
考えられます。ちょっと大げさでございますけれ
ども、多分、
人類史上空前の大変動がこの二十一
世紀に起こるだろう。
なぜかということを初めに少し触れておきます。
バイオ革命の方は、一九五三年に
DNAという分子の構造が発見されました。これによりまして、
人類を含めた生物の遺伝とか
生命現象のもろもろの基本的な
部分が初めて解明されたわけであります。最近でも、よく
クローン動物とか、あるいは
遺伝子治療とか、
遺伝子という字を見ない日がないぐらい出ておりますが、二十一
世紀でかなり重要な事件が起こりますのは二〇〇三年でございまして、これは初め二〇〇五年というふうに予測されておったのですが、最近繰り上がりまして二〇〇三年だと言われております。ヒトの全
遺伝子の解読ができる年だということでございます。
遺伝子はみんな持っているわけで、それが全部わかったからといって別にどうってことはないではないかとお
考えになるかもしれませんが、これはちょうど百年ぐらい前に、一八九五年でございますけれ
ども、
レントゲン線が発見されました。
人間の骨格、骨なんというのは昔からあったわけでありますから、別に
レントゲンが発見されたからといってどうってことでございませんが、しかし、やはり生きた
人間の内部が見えるということが約百年前に大変大きな
革命を起こしました。
この百年間で、いかに
レントゲンが
医学のみならずあらゆるところで重要な
役割を果たしているか、お気づきだと思いますが、それと同じようなことが、
DNAを一人一人、ちょうど身長、体重、血圧なんかと同じように
DNAの
遺伝子が全部わかります。これは
実用化には相当時間がかかると思います。ちょうど
レントゲンが発見されてから
実用化に
大分時間がかかりましたけれ
ども。
理論的には
人間の進化、つまり祖先のこととかそういうことが全部わかるとか、あるいはアルツハイマーの
遺伝子を持っているかどうかというようなことで将来もわかるとか、いろいろ深刻でございます上に、モラル、倫理なんかにも
関係するぐらいのもっと重要な
影響がありますので、この
バイオ革命が多分二十一
世紀に非常に深刻な問題を起こすということは確実でございますが、今回は、将来の
都市機能ということになりますと、特に新
首都機能を検討しようという場合には、
バイオまではちょっと除外いたしまして、当面の、少なくとも確実に
影響があると思われる
情報革命について初めに申し上げたいと思います。
情報通信分野というのは、もう既に現在の
日本の
産業の中でも、売り上げでも
設備投資でも一番大きな
部分になっております。昔、鉄は
国家なりと言ったときもございますが、今は
文字どおり産業の米は半導体のICであり、あるいは
産業の紙は液晶のディスプレーだと言われるように、非常に行き渡っております。あるいは
携帯電話とかそういう
移動体の
通信というようなことも完全に日常的な、特に若い
世代まで含めまして、それで
活性化が行われているわけでございます。この
特色は、極めて
技術革新の進展の
スピードが速くて、多分二十一
世紀の前の
部分ではまだまだこれが続きそうでございます。
二十一
世紀の
情報化された
都市を具体的に
考えようとしますと、この
技術革新で非常に予測が難しいという点が難点になります。
技術が成熟しておりますと、この
技術でこういうことができるとわかるのですが、これが本当に目まぐるしい変化でございまして、よく言われておりますのは、大体三カ月で一年ぐらいという、ウエブイヤーという
言葉がござい佳して、ウエブというのは網という
意味でございますが、
ネットワークの中の
スピードは大体三カ月で一年というぐらいの
スピードでございます。ですから、一年たちますと、随分新しいものが、しかも安く高性能になって出てくるわけでございます。したがって、急速な
陳腐化とか継続的に
電子機器などを更新していくということはもう避けられません。
こうなりますと、どうして将来のことを具体的にいろいろ対応していけばいいのかとなりますと、複数の、
競争状態の活動する母体がありまして、これが
試行錯誤を加速する。そうなりますと、結局優勝劣敗が市場で、マーケットで起こりますから、いわゆる
デファクトスタンダードという、淘汰された後に残ったものが
一つの回答だということになります。しかし、これは淘汰が行われた後でわかることでありまして、事前にはわかりません。したがって、いろいろな
試行錯誤ができるような、自由なというか
競争状態をつくってやらないと、じっと何もしないと、
考えておるだけでは出てこないという点が
一つの
特色でございます。
いわゆる
デファクトスタンダードというのは、現在
情報革命の真っただ中でその旗手をもって任じておる
アメリカの場合に、それが
国際競争力の
一つの
ベースになっております。
このような
状況でございますから、それを背景にして将来の
都市を
考えるというときには、論理的に非常に難しい点がございます。しかし、何もしないということはできませんので、少なくともこれが
国民生活全般に非常に
影響がある、つまり
都市の住民にしろ、そこの行政にしろ、
産業にしろ、全部
影響いたしますので、できるだけ、可能な限りこれを取り込んだ形にする、あるいは
技術革新が進んだときにそれに対応できるようにするということが
一つ重要であります。
それからもう
一つは、
アメリカが非常に圧倒的に強くなりますと、
世界じゅうがそれで
影響を受けるというか、
デファクトスタンダードが同時に
ワールドスタンダードになる。個々の例えば歴史的な
文化遺産とか伝統というのはどうなるのだろうかというような
文化的な
危機意識が、一方で出てくるわけであります。
例えば、
言語なんかが一番いい例でございまして、
インターネットなんかになりますと英語が圧倒的でございます。しかし、
日本語の
インターネットももちろん使われなければならない、あるいは
中国語ももちろん使われる。その間にどういうような問題が起こるか。例えば、
中国語でいいますと、
中国語は
表意文字でございますから、たくさん種類がございます。
日本語は、幸いにして
仮名文字がございました。これは、
平安時代に主として女性が発明しました大変な
文化遺産でございまして、
仮名文字があったおかげで、いわゆる
仮名漢字変換という形で、私
どもはいわゆる
ワープロで
コンピューターに入れたわけであります。
中国の場合は
仮名に当たるものがございませんので、つまり
表音文字がないという国ではどうしてそのハードルを越えるのだということは大問題だったわけであります。したがって、
文化と無
関係にできるわけではございません。
我が国でも、この
ワープロのバリアが、
ワープロの
障壁が越えられるという自信ができたのは一九八〇年代中ごろでございまして、それまでは極めて悲観的でございました。亡くなられました
大平総理のときに
研究会がございまして、そこで
大平総理が心配そうに、
我が国の国語が
コンピューターといかにうまくやっていけるのだろうか。当時は極めて悲観的な
状況でございました。それが、
技術革新によりまして、
文字どおりワープロなんて当たり前になってしまいましたが。
しかし、まだ
キーボードで使うというのが普通でございます。ところが、
キーボードはすべての人が自由に使えるかというと、そうではございませんで、さっき言いました
中国なんかは、
キーボードといったって、従来のタイプライター的なものでは非常にやりにくうございます。
この春ぐらいから、つまりことしに入りましてから
音声入力、つまり
言葉で、音でそのままタイプライターのかわりに
文字が入れられるということが
実用化してまいりました。この
研究等は、もう何十年も前からあったわけであります。私
自身も、
大阪万博のころにはそういう
研究をやって、
万博でもやっておりましたけれ
ども、しかし
実用化は非常に難しいと思っておりましたが、ついに今では非常にポピュラーになりそうになっております。
一例を言いますと、この間もある有名な
経済学者が、従来は二時間ぐらいかかって
一つの雑誌に出すような論文を書いておった、これが
音声入力で今は十分で入れておるということでございまして、これは
キーボードになれていない人ほど有効であります。なれている人でも、この夏ぐらいになりますと、十年ぐらい
ワープロを使っているベテランのような人でも、
音声でうまくやりますと大体二倍ぐらいの
スピードで、つまり二分の一の時間で入れられるというようなことも起こっております。
ですから、
先ほども
技術革新が非常に速いということを申し上げましたが、そういう
文化的な
意味のいろいろな
言語なんかの
障壁も乗り越えるというようなことも
技術革新で起こっている実例でございます。もちろん、そういうことによりまして、従来から持っている貴重な歴史的な
条件を生かしていくということは
我が国にとっても、つまり
日本語がなくなるとか、そういうことではございません。
二十一
世紀に初めて新
首都なんかを
考えるということになりますと、これが
情報化都市を形成するときの非常に先進的な事例になるだろうということは、今の
技術革新を一番早く取り入れますから当然
考えられるわけでございまして、成功すれば、
人類にとって非常に貴重な歴史的な
役割を果たすことになるだろうと思います。
一方、
首都だけで起こるとか
特定の
都市だけで起こるのではなくて、
インターネットのような
ネットワークというのは、決定的になっております。現在、例えばニュースなんかも、若い
世代は、特に
アメリカはそうでございますが、
テレビとか
新聞はもちろん、
新聞をとっていない人も随分ふえておりますし、
テレビも余り見なくなった。結局
インターネットが一番初めに出てくる
発表の
メディアだということは、今後ますます強くなるだろうと思います。したがいまして、
通信情報ネットワークの
相互依存性を十分配慮するということは、二十一
世紀の
首都なんかを
考えるときには絶対必要でございます。
要するに、グローバルに分散する全体の
相互の
影響というのがあるということは、ほかの
都市とかほかに住んでいる人とか、それと
通信が行われる。従来は、非常に遠くになりますとそれが非常に希薄になりますけれ
ども、
ネットワークになりますと、全くこれは同じでございます。
世界じゅう隅々、瞬時にして同じでございます。
例えば、
アメリカ政府がある
発表をする、そうすると、
東京で同時刻に
インターネットで全部受信できるわけでございまして、その点では
ネットワークによる
相互依存性、これを最も有効にどういうふうに
都市機能に入れていくかというような点が極めて重要であります。
インターネットのような
ネットワークが余り普及しておりませんと、それを余り考慮しなくてもよかったかもしれませんが、今や日常的に家庭の中にまで、
アメリカの場合大体四割入っておりますから、もう
インターネットを抜きにしてのことは
考えられないとなりますと、
全国の
都市とある
都市、例えば新
首都がどういうふうな
相互関係になるかということが問われるわけであります。
これは、対立的に
考えるのではなくて、全体の中の
部分ということで、ここにも
ホロニックという
言葉が書いてございますが、
情報革命によって全体と
部分というようなことが、対立的ではなくて同時に、
相互依存が協調的に働くということでございます。大体
ホロニックという
言葉自身も、一九八〇年に、これは
日本政府の公文書というか、
大平総理の
政策研究会の中で生まれた
言葉でございまして、
我が国の伝統的な
思考方法にも合致するものだと思います。
次に、
人口との
関係を申し上げたいと思います。
情報革命が進行すると同時に、
アメリカにおきましては、いわゆる
ネットジェネレーションと言われている一九七七年以後に生まれたような
世代が、もう既に
人口比率の中で最大となっております。それ以前がいわば
テレビジェネレーションであり、つまりベビーブーマーのころですね。その
子供が今、
ネットジェネレーション、生まれながらにして
ネットワークが存在する、デジタルな
情報をふんだんに使うという
ジェネレーションが出ております。私なんかはプリント
ジェネレーションという
テレビのもう
一つ前でございまして、
新聞が一番身近だという。三
世代が今回居しておるわけでございますが、
ネットジェネレーションを、将来新
首都を含めた新しい
世界で、これは
中心になることは明らかでございますので、いかに
考えていくか。これは、私
どもにとっては非常に
考えにくい
ジェネレーションでございます。例えば、
テレビゲームにしろ、あるいは非常に新しい
電子機器をそういう
子供たちに与えてみますと、これはもう
説明書なんか全然読まないで、あっという間にマスターしてしまいます。
私も、これは四年ばかり毎夏休みに、
全国から十数人の
子供を集めて、その
お母さん方と
一緒に、学生も数十人参加してキャンプをやっております。マルチ
メディアキャンプといってやっております。そのときに、一番新しい機材を与え、
インターネットを与えております。別に講義なんか一切しません、ただ遊ばせているだけなんですが、ほとんど一日ぐらいで最新のそういうものをマスターしてしまいます。これは本当に驚くばかりであります。かえって
一緒に協力している大学生だとかそちらの方が遅いわけでございまして、
子供に教わるというようなことが起こるわけでございます。
ですから、今のいわゆる
説明書を読んで
座学からいろいろそういう
インターネットのようなことをやるということは、
ネットジェネレーションではほとんどそこをジャンプしていくのじゃないかというようなこともございます。
日米で比べますと、これは明らかに
教育現場などでも、例えば小
学校とか中高にもう
日本とは比べ物にならぬくらい、たくさん
インターネットが入っております。各
教室に全部入っている。
政府も、
アメリカの少年が大体十二歳になれば、
インターネットの
活用能力、彼らは最近
テクノロジーリテラシーと言っておりますが、この
テクノロジーリテラシーを
アメリカ国民は
義務教育で全員持つ、そういう
社会にするのだということを言っております。
我が国ではちょっとおくれているのでございますが、しかし
文部省等も今頑張って、大体二〇〇三年ぐらいまでには何とか全
学校に、これはクラスではなくて
学校でございます。
アメリカの場合は二〇〇〇年までにすべての
教室に朝から晩までいっている。
大分差がございますが、それでも何とか
アメリカを追っている二番手の国としては
日本は非常に有力な国だと思います。
こういうところが、結局
都市機能を本当に担う。だから、今の
都市機能とは随分違う形の、
インターネットを
ベースにした
都市機能になります。もちろん、
世論形成なんかもそういうところでなされる。そういう
都市を
考えざるを得ない。そういう日が必ず来ることは確実でございます。
この場合も、さっき言いましたように、
世界に
ネットワークが広がっておりますから、
世界が共通の
ベースでいろいろすることが多くなりますが、同時に、その中でアイデンティティーというか、みずからの存在を主張するとか、お互いに評価し合うということが起こると思います。そういう
状況はいいこともたくさんございますが、例えば
経済の
活性化とかそういうことがございます。雇用ももちろんこれでふえるわけでございます。
最後に、これによる弊害というか、その
ネットワークを逆に使いまして外から中へ悪いことをするのに入ってくる。こういうのはサイバーテロリズムとも言われております。
安全保障上の問題も起こっておりまして、
アメリカの場合も、既に、例えば国防省が
不正アクセスを随分、何十万
アクセスとあるようでございますが、問題にしたり、
議会なんかでも、この点の
情報の
安全保障ということも問題になっているようでございます。もちろん、
我が国も、こういう問題は、災害時の問題も含めまして、対策を今後速やかに改善していくということが必要だと思います。
以上でございます。