○
戸井田委員 今、
大臣の答弁の中に
少子化という話が随分出てきたわけですけれ
ども、まさにそれを解決していくかぎは
少子化をどう解決するのかというところにあるのだろうというふうに思うわけであります。
この間、私の
選挙区のすぐ近くのある山奥に入っていったのですけれ
ども、そうしたらそこに
小学校があるのですね。その
小学校が、昔は一学年一クラスあったのですけれ
ども、最近一、二年、複式というのですかね、そういうふうに変わってきて、
全校生徒で四十人しかいない。そして同じ校区の
老人会の会員は三百人ということなのですね。まさに
少子化の
実態というか、これからの
日本の縮図がそこにあるのじゃないかなという気がするわけでありますけれ
ども、そういう
少子化の
決定打というのは何かないだろうか。
同時にそれは、今なぜ
子供を産まなくなってしまったのか、そういうことを考えていくと、私は、先ほど申し上げたように、人の
痛みのわかる
政治、相手の
立場に立って考えるということを考えてみましたとき、ある
一つの案が浮かんできまして、それを実際に試算をしてみました。
中堅所得層の
公租公課と
住宅費、
教育費についてということで
自分なりにいろいろ調べてみたのですね。そうすると、これは
国家公務員を
対象として、三十五歳の
国家公務員、それから五十歳の
国家公務員、それぞれがどういう
生活を
金銭面でしなきゃならないかということを考えてみますと、三十五歳の方、今、
年収七百七十八万円であります。
税率は
所得税と
住民税と合わせて三〇%、九十九万円、そして
健康保険六十五万円、
厚生年金の掛金が百三十三万円、
雇用保険が八万円、こういう
負担率に換算される
部分を引いて、
トータルが三百五万ですから、
手元に残るのは四百七十三万円であります。それから五十歳の方は、
年収一千百四十五万円、
税率が三五%で二百四十五万円ですね、そして健保が九十三万円、
厚生年金百九十万円、
雇用保険十二万円、これが五百四十万円になりますので、
手元に残るのが六百五万円であります。
これが
夫婦と
子供二人を想定した
金額でありますけれ
ども、それ以外に何で
お金が出ていくかということを考えていくと、
生活する
立場、
夫婦二人の
立場で考えてみますと、税金も何も、出ていく
お金と
手元に残る
お金と
二つしかないと思うんですね。出ていく
お金がそれ以外に何があるのかというと、先ほど申し上げた
子供の
教育費なんですね。それも、高校生ぐらいまではさほどかからない。しかし、
大学ということになってくると、その
金額は一気にふえていく。それも、私立の
大学に下宿してということになると、
年間の
学費と
生活費を合わせていくと、一千万は四
年間で出ていく。ということになると、このわずかな四
年間に一千万という
お金は、たった一人
子供を
大学にやるだけでそれくらいの
お金が出ていくということになると、非常に
負担が大きいんじゃないかな。同時に、その
世代というのは、みんな
住宅ローンを持っているわけであります。
そして、五十歳というと、場合によれば年寄りの
介護もしなきゃならない、そこに一気に集中してくる。一生の
所得の中で一番
所得の高い年代でありながら、一番ある
意味では惨めな
生活をしなきゃならないんじゃないかな。それをカバーするのに奥さんが働く、そういうものでカバーしていく、あとは貯蓄を取り崩していく、そういう方法しかないわけであります。
そういうのが若い
人たちがいずれ
自分たちの姿だと思ったときに、本当に夢を持って生きていけるんだろうかということを考えると、この一番の原因はどこにあるのかというと、私は、
厚生委員会の
質問じゃなしに何か
文教委員会の
質問に勘違いされるかもわかりませんけれ
ども、
子供が
大学に行くのに親が払わなきゃならない、そういう
社会通念が今でき上がってしまっている
部分がどこかあるんじゃないかな。
そのもとは何かというと、その親の
世代、
明治、
大正生まれの
人たちというのは、昔は、
高等教育を受けるのに、明らかに
お金がなかったら受けられなかったわけであります。その
世代の
人たちは、
自分たちがそういう苦しい目に遭ってきたからということでもって、
生活に
余裕が出てきたときに、
自分の
子供にはとにかく
教育だけは受けさせてやろう、何があっても、何を犠牲にしてでも
子供のために
学費は出してやろう、
生活費も出してやろう、そういう発想があったんじゃないかな。そして、それはだれからも非難されることじゃないし、美談として語られてきたかもわからない。それが今、
生活レベルが上がってきて、世間様と同じような
生活をしながら、なおかつ
子供にそれだけの
教育費を出していこうと思ったらどれだけの
負担がかかってくるか、ましてや世間的な見えもあるということを考えてみると、非常に苦しいんじゃないかな。
それを何で解決できるのかなと思って、私は最初、
文部省の方にいろいろかけ合いまして、
奨学金というのはどれくらいあるんだということをいろいろ尋ねました。そうすると、大ざっぱに言うと、
一般会計から二千億円ほどの
お金が出ている、そして
財投の
お金が六百億円ほど
有利子でもって
運用されている、それで
トータルで二千六百億円だ。
じゃ、
日本と並び称される
アメリカはどうなんだということになると、
アメリカは
日本円に換算して四兆円の
奨学金が準備されている。そして、
アメリカの
社会の中では、少なくともハイスクールを出たら、その後は
自分自身の力でもって
お金を借りて
高等教育を受けていく、そして
自分自身の夢を見て、
自分自身でその
人生を切り開いていく、そういう
自立心のある大人が生まれてくるわけであります。
日本の
社会の中ではそういう体制ができ上がっているかといったら、そうじゃない。
明治、
大正の
人たちが苦労したのと同じように、今もはっきり
お金がなければ
高等教育を受けられない、そういう
時代なのであります。本質的には何も変わらない。
阪神・
淡路大震災のときに、両親が一度に亡くなった
子供が八十四人いるわけであります。そして、その
子供たちが、一月ですから
受験間際の
子供たちもいただろう、その
子供たちが安心して、
自分の夢を見ながら、親を亡くした悲しみを胸に抱いて、
自分の将来を夢見ながら
進学ができたんだろうかということを考えたときに、非常に暗たんたる気持ちにならざるを得ない。そういうのが今の
日本の
制度なんだということを考えたら、これを何としても改めなきゃならない。
文部省の方は、その
奨学金の
有利子の
部分の六百億の
財投からの
運用を二千億にふやす、十万人を
対象にしたのを二十万人に、そして
金額もふやすということをしたわけです。だけれ
ども、これも根本的には親に一切
負担をかけずに
子供自身の力だけでもって
高等教育を受けるということにはならないということを考えていくと、あと何ができるのかというと、先ほど申し上げたように、
年金の
お金がたくさんあるわけであります。そしてそれを
運用しなきゃならない。
運用も、できれば
自分たちのためた
お金を
自分たちのため、
自分たちの次の
世代のために
運用していくということが非常に重要なことなんじゃないかな、それが
年金制度に対する
信頼感というのも増してくるんじゃないだろうか。
年金を掛け始める前から
年金の恩恵を受ける、その
年金の
お金の顔を見てさわる、そういうことが
年金制度に対する
信頼感が一層わいてくるものにつながっていくんじゃないかなと実は私思うわけであります。
だから、
一つの目標を――
高等教育を受けることについては
子供自身の
名義でもって
子供が借りて、
進学をしていく。そして、卒業して働くようになってから、長期の
返済にして、二十五年、三十年、もっと長くてもいいんだろうと思いますね、そういう
返済に置きかえることによって親の
負担も減って、なおかつ
子供もしっかり
自立心を持って勉学に励むことができる、そういうパターンができ上がってくるんじゃないかな。
何も親が裕福になって悪いというわけじゃありませんし、
子供が
大学に行かない、そういう
意味では、その
時代は割とそういう
教育費を使わずにゆったりとした
生活がしていけるということを考えると、次の
教育をさせなきゃならないその親が、
子供自身が
子供自身の
名義で借りていくということによってそこに
余裕が生まれていくということは、さらに
自分たちの
生活の質というものを豊かにできるんじゃないかな、そして、それがまた
年金制度に対する
信頼感というものにも変わっていくんじゃないかな、そういうふうに実は思うわけであります。
自分一人でしゃべってしまって申しわけないんですけれ
ども、そういう
実態というものを考えたときに、ぜひ
年金制度というものをそういう
方向に使っていく、そういう
自主運用の世界というものをもっと研究していただいて、考えていただきたい。特に
大臣はそういう方面には詳しい方でございますから、ぜひその辺のことを、もし御感想があればお聞かせいただきたいと思います。