○東(祥)
委員 それはまさにおっしゃるとおりで、そこが問題なんです。
条約局長いますから、世界の
外交史あるいはまた国際政治の歴史の中で宥和政策をとって成功した例というのは存在するのかどうなのか。これ、ぜひ
条約局長、調べておいていただきたいのですけれども。僕の知る限り、宥和政策をとって、そして問題解決できたというのはないんじゃないのか。
一九九三年あるいは一九九四年から、米朝間における協議、ある
意味で宥和政策をとろうとしたのですね。そして、核疑惑あるいはまた核開発、これを払拭させるという条件のもとに
KEDOというものができ上がった。まあまあ、何とかしょうと、これでいいと。もし
北朝鮮との間で戦争
状況になってしまえば、何百万という人々の犠牲が強いられると。したがって、中東地域と比べるならば、多くの人々がまさに地上戦で大変な犠牲を強いられるかわからない。
アメリカにとってみても、
アメリカの国民である兵士を無残に犠牲にさせることはできない、想像ですけれども、こういうものがあり、また
日本のよくわからない、国防意識が非常に欠如した国ですから、
政府指導者も含めた上でですけれども、そういう視点から考えると、あの米朝
枠組み合意というのは、それなりにやむを得ないこととして歴史的に僕は
理解することができます。
しかし、今日、ただその延長線上だけで考えているならば、
外務大臣の答弁で僕は納得するのかわかりませんけれども、事は、皆さん方もおっしゃっている
日本の
安全保障上新たな
脅威を惹起させている
弾道ミサイルが
発射された、それに対して、
北朝鮮が何も言っていない。前提として、国交も開かれていない、したがって直接聞きたくても聞けない、また、国交が断絶されていないがゆえに、
北朝鮮側にとってみれば
アメリカと何とかやって、うまくいけば、必ず
日本及び韓国はくっついてくる、こういう視点で、まさに彼らの戦術といいますか、それに乗っかった形で動いていってしまっているのではないのか。
そういうことを考えたときに、
高村外務大臣がおっしゃられるとおり、
KEDOの進行を凍結あるいはまた完全に見直して政策転換を図るということであるならば、対
北朝鮮対策の政策そのものが抜本的に変わるわけですから、したがって、九四年の米朝
枠組み合意とは違ったスタンスになる。そのときには
北朝鮮に対してまさに核開発の根拠を与えることになる。
しかし、私が今申し上げているのは、その前の問題であって、新たな現象として飛び出してきた問題が弾道
ミサイル発射だった。それに対して、何ら明確な、今後同じような行為を起こさないんだ、そういう確約なしに、あるいは国際法上極めて違反性が強い、そういう視点を持っている我々に対して何も謝罪もしてこない。そういう
状況の中で、果たして、九四年のあの米朝
枠組みの
条約の延長線上で、そのまま資金提供に応じていくことができるのかどうなのか。これがまさに本質的な問題なんだと思うのですが、いかがですか。