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佐藤(敬)
委員 私、ずっと初当選以来、
科学技術委員会というものに携わってきて、最初は、共産党の吉井さんや
皆さんがしゃべることに対して、実は何となく違和感を感じておりました。しかし、どうも
チェックシステムとかというものが、最初に
日本の
原子力政策というのは安全宣言ありきで、やはり具体的な問題をいろいろ詰めていけば不安を与えるから、まず安全なんだということを中心にすべてが整わされてきたのかな。ですから、
原子力安全委員会なんかについても、私はやはり独立行政体として
ダブルチェックできるような機構でいくことがいい、こう思ったのでありますが、きょうの御発言や、この後の何か
委員会をつくって、これから
調査してどうだ、こんなことをやるようだったら、やはりこれは抜本的に、行政の中で
推進官庁と
検査をする省庁とをきちっと分けるべきだ。
もっと具体的に言えば、
科学技術庁や
通産省から
原子力安全局を外して、
環境庁にきちんとこの
原子力安全局を移す。そして、それがお互いにしのぎ合って、きちんとこういう問題を基本から整えていくことをやらない限り、これから
原子力政策というものは、いつまでもどこまでもわけのわからぬ
状況になって、ただつじつま合わせのような
報告に終始してしまうのではないかという危機すら感じる。
当時から言わせれば私の方がもっと、今の発言でいえば、反原発と言われ続けてきた共産党の吉井さんなんかよりもっと左の意見なのかもしれません。しかし、それをしない限りこれはもう無理じゃないかな。今の
大臣の最初の
報告等々について、私はもう本当にがっかりしまして、もう
質問しなくていいのかな、これぐらい実は感じました。
私はこれ一本に絞りたいと
思いますが、もう時間がありませんし、私から一方的に問題点だけ指摘をさせていただきます。
今言ったように、やはりこの問題は、
原子力の日を決めてもう何十年もたって、まず最初に安全宣言ありきじゃなくて、何が問題なんだ、こういうことが
国民にきちんと知らされて、そしてそこが
一つの大きな判断というものを促していく、こういうことになっていかないと、今までの惰性の中で、若い科学者や開発者が物も言えない、そして本当に魅力のない分野になっている。学生たちだって、ほとんどこの分野に手を挙げず、進学の中でも、学校の中だって
原子力工学学科なんというものはほとんど生徒がいないと言われているじゃありませんか。ですから、ここは私どもは本当に
思い切って、抜本的な
原子力政策に対する改革の
検討を進める、こういうことじゃなきゃだめなんじゃないかと思うのですね。
大体、一九九五年の十二月に「もんじゅ」が起きているわけでしょう。その後この
事件が起きているわけですね。しかも、これは
検査の
過程の中であるいは
承認の
過程の中で、そういう中で知ったんじゃなくて、あくまでもこれは内部告発でしょう。内部告発じゃなければ全然こういうものが一切わからないという、こんな国家システムがあるのでしょうか。さっき辻さんに
間宮原子
力安全局長が答えていましたけれども、本当にがっかりしました、
局長。
局長のせいじゃないと
思いますよ。しかし、何の反省もない。
九五年の十二月四日に「もんじゅ」が、そして九七年の三月十一日には動燃の再
処理工場のアスファルトが。九七年四月十四日には「ふげん」の放射能汚染の物質漏れ。これは、
事件発生後三十時間になるまで
報告がおくれて、しかも同様の事故を十回も隠していたということがありましたね。九七年の八月二十六日には動燃の東海村の廃棄物貯蔵庫の放射能漏れ、これも全然ノータッチで隠している。隠してきたというよりも知らなかったという方が正しかった。九七年の八月には、これは放射能物質の超過使用というのですか、ラドンとかコバルトの。「もんじゅ」だから人形峠のところで起きた
事件で、これもそうだ。九七年の九月の十六日には稼働中の原発の配管
工事の中で虚偽
データ。
こういうことがさんざん続いて、そしてまだ、この
状況が起きたときに、やれ
調査検討委員会だなどと、こんなことって本当にあるんだろうか。もう
原電工事とかそういうところが
仕事できぬようにした方がいいのじゃないですか。
安全局長、どうですか。