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国務大臣(
町村信孝君) 御
指摘あったような大変悲惨な事件等々が頻発しているということで、私ども緊急的には幾つかのことを既にやりましたし、これからもやっていかなきゃならないと思いますが、
委員今、より根本的なという御
指摘がありました。
私どもも、当面の対策だけではこれはどうにもならない問題があろうかと。もっとさかのぼって言うならば、戦後五十年の
日本の
教育のすばらしかった点もあるけれども、やっぱり反省をしなければならない点も多々ある。言うならば、これはお金のことばかりではなくて、
教育というものに対する
国民の、あるいは親の、保護者の
考え方という部分にかかわることも相当あるんだろうと思います。
よく
総理が言われますが、例えば形式的な平等主義から脱却、こういう話があります。これなんかも、みんなが高校に行くからうちの子も高校に入れようとか、例えばそういうような発想で
教育というものを
考えるのではなくて、うちの
子供にはうちの
子供なりの生き方、個性がある、それに基づいた
教育がどうやったらできるだろうかといったような、これは直接お金にかかわる話じゃありませんが、
教育というものに対する根本的な、戦後
教育の
一つのあり方というものを
考え直していくといったような発想をやっぱり変える
努力というのをやっていかなきゃならないことはきっと多々あると思います。
どうしても
学校の点数で、知識の記憶力だけで
子供の能力をはかるのではなくて、今言った多様な可能性を伸ばしていくとか、あるいは今まではとにかく一生懸命覚えて週六日間
学校へ行ってというのを、今度は週五日にして、そのかわり土曜日、日曜日は
家庭とかあるいは
青少年団体の活動で、より
子供数が少なくなったものですから年齢の違う人たちと交わる機会をふやそうとか、あるいは今まで余り政治なり行政なりが口を出してこなかった
家庭教育というものをいささかなおざりにしてきたのではなかろうか。その辺についても私どもはもう一度家族
教育、
家庭教育の重要性というものに着目をして、今の若いお父さん、お母さんたちにどういうことに心がけて
子供たちを育ててもらったらいいだろうか、そういったこともこの際根本的な問題として
考え直していただきたい。
ちょっと長くなって済みませんが、例えばこれだけ有害
情報がはんらんをしております。表現の自由、出版の自由ということで
皆さんある
意味では無制限にやっております。自主規制と言いつつ、全然自主規制が実行されておりません。本当にそういうことでいいんだろうか。
そうした幅広い問題を
一つずつ
一つずついい
方向に向けていくことが今のさまざまな現象的には見えております事件のより根本的な対処方針ではなかろうかな、こんなふうに私は受けとめている次第であります。