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参考人(
堀野紀君) この問題、つまり
二つの
改正法案について、
平成九年度日弁連の担当副会長として対処する
立場にあった者といたしまして、日弁連がよって立った視点について申し述べさせていただきたいというふうに存じます。
まず、
結論といたしまして、本両議案につきましては賛成いたします。
そのことを申し上げた上で、私たちがこの
結論を得るまでの間
経験してきました非常な苦しみと決断の中身を御紹介することを通じて、この問題が持っている本来的な重要性について訴えさせていただきたいというふうに思っております。
御案内のとおり、
裁判所法の
改正案は、
司法試験合格者を現在の七百五十人
程度から一千人
程度に
増加することに伴って、
現行司法修習制度についてその
期間を二年から一年半に
短縮することを
内容とするものであります。
このことをめぐって日弁連は、会内世論を二分した形で激しい議論を展開し、昨年十月十五日の臨時総会におきまして、今後の
司法と
法曹の
あり方をめぐるさまざまな議論を収拾しながら、
修習期間の
短縮自体については一年半の
法務省の案を受け入れるという
結論を得たのであります。
修習期間を
短縮するという最高裁、
法務省の
理由とするところは、次の
二つの点でなかったかと思います。
第一は、
合格者が現在の七百五十人
程度から一千人
程度に
増加しますと、
現行の
実務修習方式、ある
意味ではマンツーマン的な
実務修習方式を
前提とする限り、
法曹三者とりわけ
裁判所、検察庁においてはその受容
能力がないということ、これが第一でございます。
第二は、従来行われていた
修習では、本来
資格取得後に教えればよいとされるような
専門的で高度な
内容に入り込み過ぎていたということで、もっと基本的で汎用的な技法とリーガルマインドの習得に集中すれば二年もの
修習は必要ないということ。そして、権限と責任を伴わない
修習を長く続けるよりは、早く
資格を取得させて、いわゆるオン・ザ・ジョブ・トレーニングに入る方がより効果的であるということで
短縮が必要であるという
理由づけを行ったように思います。
まず、後者について申し上げたいと存じます。
権限と責任が伴わない
司法修習という表現は、
司法修習の非本質的な側面だけを指摘しているにすぎないと思います。
法曹三者が一緒に、公平、平等で、かつ一定レベルの研修を受けるというこの戦後
司法改革の最大のすぐれた側面を軽視しているのではないかという批判を免れないというふうに考えます。
弁護士と
裁判官、
検察官を同列に養成するかどうかということは、一国の
司法の
あり方の基本にかかわる本質的な問題でありまして、一定
期間一定レベルの
統一修習の確保は、日弁連としては譲ることのできない一線であります。もし仮に戦後この
制度が実現していなかったとしましたら、官尊民卑の治安優先の
司法構造がそのまま維持され、
司法による民主主義は実現されることはなかったと思います。
また一方、
裁判官、
検察官になる者が、
弁護士の
実務あるいは
弁護士が接する庶民の生活、取引
社会の実態等に触れることもなく任官していったとしたら、民情に通じない権威に頼る
裁判官、
検察官が恐らく世の批判を浴びることとなっていたと思います。
私たちは、このことの重要性に関する認識の違いが三者協議での
一つの主要な論点だったというふうに理解しており、今回一年半での
合意が成立したとはいえ、この一年半という
期間は、これ以上は譲れない最低限の
期間であるということをこの際強調させていただきたいというふうに思います。
ちなみに、私たちは
資格取得後のオン・ザ・ジョブ・トレーニングの重要性について、これを否定するものではありません。問題は、
統一司法修習か
OJTかという選択の問題ではなくて、
統一司法修習も
OJTもという問題だと考えるものであります。そして、
司法修習の二
年間は実は決して長過ぎることはありません。長過ぎると感じる向きがあるとの報告もありますけれども、問題は中身が
充実しているかどうかで決まると思います。
そして、今後
法曹が担うべき課題がますます
専門化、多様化、複雑化している状況の中では、ますます量、質ともに
充実させるべきであります。実質問題としては
短縮すべきでないという考え方が妥当であり、
社会的な支持を得られるものと考えておりますし、長期的に見れば、その
程度の風家投資は
司法による正義を目指す国家としては当然の責務であるというふうに考えます。
以上述べました点におきましては、
弁護士会の内部においてさしたる大きな
意見の違いはなかったというふうに私どもは理解をしております。
それでは、なぜ日弁連は臨時総会を開催してまで
法曹三者協議で
期間短縮を認めて
合意する決断をしたのか、そこを御説明する必要があろうかと思います。
そこでまず、先ほどの
修習短縮の第一の
理由に立ち返りますけれども、一千人規模の
合格者を
現行の
修習期間で受け入れた場合に、
実務修習四カ月が重複して、この間
実務庁や
弁護士会が二期分の二千人の
修習生を受け入れることになりますけれども、これは事実上不可能であるということが問題の発端でありました。私どもも大変これは難しいことだろうという認識を持ちましたが、
弁護士会としましては、いや何とかできるはずだ、工夫すれば可能だというふうに主張し続けてきました。仮に
裁判所や検察庁において無理があるとするならば、その分を何とか
弁護士会で引き受けましょうという提案までしてまいりました。
しかし、この議論は膠着状態に陥りまして、この膠着状態が続く中で、昨年五月、
法務省はそれまでの最高裁の一年に
短縮するという案を事実上修正する形で全体で一年半という案を提示されたのであります。日弁連が主張している二年ということではどうしても協議は成立しないという状況が訪れたわけであります。
しかしながら、
法務省の一年半という案が提起される中で、私たちは選択を迫られたわけであります。私たちは、ここで
意見が違えば決裂だ、あるいは一年半で
合意することも屈服だという単純な論理はとることはいたしませんでした。私たちは、現在の時代を認識し、またどういう状況下で何を今論議しているんだということを冷静に考えました。
何よりも、九〇年の
司法試験改革の際に日弁連自身の提唱で設置されました
法曹養成制度等改革協議会、いわゆる
改革協での四年半にわたる
審議、しかも
法曹三者以外の協議メンバーの方が参加されたこの協議会の
意見書において、日弁連の協議員も含めて
合格者を一千人
程度にふやしましょうという
方向性が打ち出されたということ、そしてこの三者協議はその実施に向けての具体的方策を
検討するための場であって、一千人体制への円滑な移行を考えた場合には、今、日弁連は大局的な
立場から方針を立てるべきであるというふうに考えたのであります。
確かに、一年半への
短縮は不本意ではありましたけれども、三者協議におきましてこの
統一修習の原則は維持するんだということを三者で確認できましたし、また現実にも、一年半であるならば従前の量と質を維持した
修習は可能であるというぎりぎりの判断をしたことと、そして今、
司法が重大な曲がり角を迎えているこの時期に、
法曹三者が将来の
司法や
法曹の
あり方について真剣な論議を交わしたこの機会を将来に向けても大切にしたいというふうに考えたからであります。
一方、日弁連としましては、この機会に、
法曹養成制度等改革協議会での問題意識を踏まえながら、さらにそのもう一歩先、その延長線上に我が国の将来のあるべき
司法像を描きたいというふうに考えて、大変な臨時総会ではありましたけれども、その臨時総会において長年の懸案である
法曹一元
制度の実現に向けた決意を表明いたしました。
これから予測される
社会あるいは経済構造の変革に伴って
司法の果たすべき
役割と機能が拡大していくことは必然でありますけれども、この問題は、
修習期間を確保しさえすればいいとか、あるいは
短縮しなければならないといった次元だけの問題ではないというのはもちろんのこと、現在の
司法構造をただそのまま相似形的に拡大していけばいいといったようなことで済まされる問題でもないというふうに理解いたしました。
司法のあらゆる分野での体質改善と
制度改革を実現していくことが必要だ、そのことをこの機会に思い切り議論をし、深め、そして実現に向けて第一歩を踏み出していきたいというふうに考えたわけであります。
これからの
社会は、法律問題も昔のままでは済みません。国際的にも国内的にも激動の時代を迎え、ハイテク化は無論のこと、取引
社会は複雑化し、市民
社会もさまざまなひずみに直面するというふうに思います。この激しい変化と複雑化に対して有効に機能する
司法制度と、これを担うに足る広い
社会常識としなやかな心、すぐれた
実務能力を備えた
法律家をたくさん輩出することが必要であり、それを今から準備していくことが私たちの責任ではないかというふうに考えました。
その眼目は人の問題と
制度の問題であります。このような将来
社会に対応していくために、
社会の隅々にまでよい
弁護士を多数配置していくということとともに、
裁判官になるには一定年限の
弁護士経験を必要とするいわゆる
法曹一元
制度の導入を真剣に考えるべきだというところにあります。
この
法曹一元は、直ちに
裁判所も検察庁も受け入れるところではありません。また、
弁護士の世界の実情に照らしても、今そういう点での
社会的コンセンサスがあるというふうにも言い切れません。しかし、それが望ましい
制度であるということは、
政府のもとに設けられた一九六四年の臨時
司法制度調査会の
意見書も指摘しているところであります。
私たちは、その実現を展望しながら、今回の三者協議においても、そのような
観点から
法曹養成の段階においてその準備的取り組みをしようではないかという提言をいたしました。それは、
法曹養成を
司法研修所での二年とか一年半の
期間だけの問題でも、またそれぞれの
OJTという分野別の事後研修だけではなくて、
司法試験合格のときから始まって、
司法研修所を経て、そしてまた
資格を取得した後まで、
法曹三者共通の視点から一貫した
法曹養成過程としてとらえて、それらについて
弁護士会もあらゆる段階で
負担を負って主体的に研修の実施に参加する仕組みをつくりたいという提案をいたしました。これは三者協議で具体的に提案をいたしました。これは
法曹一元的な視点からの問題提起ではありますが、実は現状からいえばそれ以前の問題でもあります。
現代の青年たちの成育過程や
教育や受験戦争の現実からか、現在、
司法試験合格者の相当数は、実
社会に触れることなく、予備校で合格のテクニックを学んで
司法研修所に入ってまいります。このような
合格者たちに少しでもより深く広い学問的素養を身につけてもらうとともに、
社会の実相に触れる
経験を積んでもらうことが格段に重要になってきております。
このような要請にこたえるため、日弁連は総会において、
一つは、合格後、
司法研修所入所前までの数カ月の間を何とか活用した研修ができないだろうか、その点についての三者の
協力、それから
司法研修所の
教育を挟んだ
資格取得後の継続研修における
法曹三者の
協力についての具体的な提言をいたしました。これらの提案の中核は、
裁判官あるいは
検察官になる
方々も
司法修習を終了した後一定
期間、一定の権限制約のある
弁護士として弁護
実務を
経験することを義務づける、私どもはこれを研修
弁護士制度と呼んでおりますけれども、すべての人々に
弁護士としての
経験を一年でもあるいは半年でも持ってもらったらどうだろうかといったような
制度を提案いたしました。
この提案につきましては、その理念的なところはあるいはおわかりいただけたかもわかりませんけれども、現段階では
裁判所、
法務省とも提案についての合理的な根拠を見出しがたいということで同意されるには至っていませんが、過渡的にではありますけれども、三者共通の研修機会を今後創設し、あるいは拡大するということについては実現に向けて誠実に協議するということを三者で
合意いたしました。単に一年半の
司法修習にとどまらず、総合的でトータルな
法曹養成制度を実現することで、量質とも従前を上回る
法曹養成の
あり方を展望することができると考えて、私どもは
修習期間の
短縮を含めた三者間の全体の
合意を成立させたのであります。
次に、
司法試験法改正に関しての問題に触れておきたいと思います。
第一に、今次の改革は、
法曹として必ず身につけておかなければならない
民事訴訟法、
刑事訴訟法の両
科目を必須としたことに伴って、
受験生の
負担がふえる分、
労働法、
行政法などの
法律選択科目の
廃止によって
負担を軽減しようということ、それから
口述試験について
商法を
試験科目から除く等の
改正をしようというものでありますが、日弁連としては、詳しい議論は省きますけれども、全体として
受験生及び
試験委員の
負担が加重にならないよう配慮したものと理解して三者協議において賛成いたしました。
私どもは、これらの
法律選択科目の重要性を決して軽視するものではありませんけれども、実態に着目すれば、すべての
修習生がこれらの
選択科目すべてを学んできているわけではなくて、どれか受かりやすい
科目を選択してきている、受験技術の
一つに組み込まれているという一側面もございます。そういった実態に着目するならば、もっと実質的に幅広い教養と学問をやる
方向を
大学関係者とも協議しながら、あるいはまた先ほど申しましたような実践的な研修プログラムを利用しながら、実質的にそれを実現していく
方向を考えていくのが本筋ではなかろうか、
試験科目に入れるか入れないかの問題ではないんではないかと考えます。
第二に、もう一点だけ申し上げさせていただきたいんですが、現在、受験回数三回以内の
受験生については合格優遇枠をつくっております。この
制度によって、長
期間受験で滞留していた人たちを緊急避難的に合格させる、あるいは若い層の
合格者をふやしていくということが図られたわけでありますけれども、これについては、もともと
試験の平等性に反するということで日弁連はこれに対する批判を持っておりましたけれども、今回の三者協議の
合意の中で、そういった
廃止すべきだという提案も含めて、三者で
平成十三年度の
試験の
あり方について
結論が得られるように協議することを
合意いたしました。
いずれにしましても、今回の両法の
改正につきましては、それ自体の
意味はもちろんのことでありますけれども、その背景として、あるいはすそ野の問題として、二十一世紀の
司法制度の
あり方にかかわる大きな問題と
関係しているという認識を私どもは持っております。この決着については、私たちは
弁護士会の中に強力な
反対意見を抱えながら、しかしながら、時代の転換期に
弁護士会のとるべき
方向を虚心に考えて、そしてまた
法曹三者の間の基本的な信頼
関係を踏まえた現実的な、そして将来を展望した決断をしたのであります。
要は、これからの我が国が、
司法による正義の行き渡る道徳的な国家として国際的な信頼を得る必要があるということは、これは
法曹三者にとっても共通の問題意識であり、また立法府におかれても、
司法権の独立は尊重されつつも、
国民がより身近に利用でき、
国民の基本的
人権が確実に守られるような
司法をつくるために、その基盤整備その他に一層の御配慮を賜りたいということをお願い申し上げて、私の
意見陳述を終わりたいと思います。