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公述人(宮健三君) 私は、東京大学工学系研究科
原子力工学研究
施設に所属しております。御紹介したいと思いますけれども、私ども、高速中性子源炉、通称東大炉と称しておりますけれども、所属しておりまして、それが
東海村に設置されております。ここから数キロメーター離れたところでございます。
きょうはこのような機会を与えていただきまして感謝しております。申し述べたいこと多々ございますが、それにつきましてはこの陳述
内容に少し細かく書かせていただいてあるわけですが、時間の
関係もございますのでこれにのっとって御説明きせていただきます。要点だけにさせていただきたいというふうに思います。
最初の一ページでございますけれども、その前に申し上げたいこと三点ございまして、一点は
動燃改革検討委員会レポートについてということでございます。二点目が
動燃法についてということ、三点目が将来への期待ということで、学術的な観点から所見を述べさせていただくということになります。
初めに、
事故についてということですが、
事故は、考えてみれば考えてみるほど不思議なところがございます。御説明の時間はございませんけれども、中ほどに書いてございますように、ちょっと象徴的な比喩的な言い方をさせていただくとするならば、失敗しないためには
技術の進歩が必要であるんだということであります。そして、その
技術の進歩をするためには失敗が必要なんだということがあります。そういう
状況の中で、この問題と失敗というか
事故ということと
一体どういうふうにつき合っていったらいいかということがあるかと思いますけれども、やはり結論的には、
事故から多くのことを学ぶことが一番重要ではないか、これが人類が数千年にわたって確立してきた知恵ではないかというふうに思います。
「
もんじゅ」について申し上げますと、例えばこういう言い方が可能かと思いますが、
技術的には九九%うまくいっていたんだ、たったわずか一%のことでしくじったんだ、
アスファルト固化処理施設の
火災爆発事件についても同様ではないか。
動燃のパンフレットを見ますと、もう二度と
事故を起こさないと明一言してありますけれども、このことは、二度と
事故を起こさぬよう最善の
努力をこれからするんだというふうに理解すべきではないかというふうに考えます。事実、
事故から多くのことを学んで最善の
努力をすれば二度と
事故は起きないのかもしれないからであります。
次のページになるんですけれども、改革のレポートは、読めば読むほど非常に体系的に筋道立って書かれております。その
内容についてここで紹介するあるいは分析をする時間はとてもございませんが、私はそれを読んで二点思います。その前に、あそこに書かれてあることが既に一〇〇%実施されたとすれば問題はすべて解決するんだろうか。解決するんだろうというふうに私は思いますけれども、それを検証しておく必要はあるのではないでしょうかということです。その点に関して二点ほど
指摘したい。
まず一点目は、理論的な説明でございますので実例が必要ではないんでしょうか。
事故を起こさなかった例としては、例えば「常陽」が現にあるわけです。私どもの先ほどの東大炉も二十七年間
運転を行って実施してきておりますけれども、全くの無
事故でございます。だから、「
もんじゅ」についてはああいうようなことがあった。あるいは、軽水炉についてどういうような
状況に置かれているのか、そういう
状況を正確に把握しておくということが重要ではないかと考える次第でございます。
もう一点はレポートについてでございますけれども、レポートは非常によくできていると思います。あれは新しい
原子力開発の方法を
我が国が世界に先駆けて実行するというふうに理解できるのではないでしょうかということです。このことをもう少し誇張して比喩的に言うことが許されるとするならば、これからこの法律にのっとってあるいは新
法人がやろうとしている
内容が実現されるとするならば、これは私どもから見て
原子力におけるフランス革命に相当するものではないか。相当するというのはちょっと言い過ぎなんですけれども、フランス革命では人権が確立されたわけです。
原子力における人権の確立に相当することがこの中に盛られているのではないでしょうかということでございます。そのことがもう少し明示されれば、我々国民にとってはもう少しはっきりわかりやすくなるというふうな印象を持ったわけでございます。
それから、
動燃改革のレポートについてでございますけれども、その問題あるいは
事故を起こした
内容等々について外的側面と内的側面から非常に徹底的に分析をしている、しかもわかりやすくということでございます。
先ほど申し上げましたように、このことが理論的に妥当だということは納得がいきますけれども、それをもうちょっと、実際に
事故を起こしていないものの中に含まれている実態と照合してみるということが必要じゃないかというふうに思います。
三ページでございますけれども、そのことを、私は東大炉でこの二十七年間何をどういうふうに
運転管理してきたのだろうかということで、項目を挙げて逐次レポートに盛られて記載されていることと照合してみました。照合の結果、かなり驚くほどよく
対応しているというか、レポートそのものの完備性に感服をいたしたわけでございます。
そういう観点からいうと、レポートに沿って事柄を進めていくということの妥当性が、理論的なことだけではなくて実証的なことからも検証されたのではないかというふうに思う次第でございます。その詳細については、時間の
関係もございますのでちょっと御説明できないんでございます。
一方、四ページでございますけれども、軽水炉について考えますと、これは外国の
技術を途中から導入したわけでございますので、「
もんじゅ」が最初から抱えていた困難な問題と直面をしていないということはございます。それでも、
動燃事故に比べれば小規模のトラブルは多々起こしてきております。しかしながら、そのたびごとに
事故から教訓を学んだということでございまして、そのたびごとに
技術的な成長を遂げてきたというふうに言うことができます。
そういう意味で、現在極めて安定した
状況で電力を国民に供給しているわけでございますけれども、それは偶然のたまものではなくて、たゆみない
関係者の
努力の結果であったんだというふうに理解すべきだと考えます。このことは何を私たちに伝えているかということでございますが、いかに
事故から多くのことを学ぶということが有用であるかということを、示唆どころではなくて明示的に示しているのではないかというふうに考えます。繰り返しになりますけれども、等々のことを考えますと、
動燃改革検討委員会のレポートなるものが非常に大変なすぐれたできばえのレポートであると言えるのかというふうに思います。
次が、
動燃改革についてでございますけれども、
動燃が解体的出直しをする、それから再生をするということでこれから歩もうとしているわけですけれども、それに際して、レポートの中核的な
内容が適切に法律に反映されているというふうに理解いたします。そして、これが忠実に新
法人の
運営に生かされていくとするならば、先ほど申し上げましたけれども、新しい
原子力開発が
推進されることになりますので、そのこと自体大変喜ばしいことではないかと思います。
もう少し具体的に申し上げますと、改革の結果、
地元に
本部を設置することになりますので、住民との意思の疎通が密に図られることになります。
運営審議会を活用することで独善性が排除されることになるでしょうし、
業務のスリム化を図ることで目標を明確に定義できているようでございます。安全の
確保を重視することで
事故の再発防止がこれまで以上に達成できるであろうし、
情報公開を徹底することで国民との
一体感が醸成されるというふうに理解できますので、そういう新しい
状態は、これまでの古い
状態と比べると著しく違っているのではないかというふうに思います。考えてみますと、このようなことはかつてなかったことではないかというふうに思います。
そのことに関して、まず二点
指摘したいと思います。
一点目は、高速炉の
開発とか
核燃料サイクル技術の確立とかいった
大型プロジェクトについては、
我が国は世界に先駆けて実施して成功したことは歴史上一度もないのではないでしょうかということがあります。そういう意味でいえば、このプロジェクトは
我が国の現在にとっても将来にとってもかけがえのない大事なプロジェクトではないでしょうかというのが第一点目でございます。
第二点目は、これもちょっと繰り返しになるんですが、これからの
我が国の
原子力開発にとって、今までと違って広く強く民意が反映されるということになるんでしょう。民意が反映されることによって、逆風の中で
原子力研究
開発を四十年間やってきたわけですけれども、初めてこれから
原子力は真に国民のものとなろうとしているのではないでしょうかということを申し上げたいわけでございます。
このことは、効果はこれからはかり知れないものがあるのではないでしょうか。
原子力の研究者が、
原子力の研究は
日本の将来に資することの意識を持って研究を行うということがどれほど重要なものであるか、あるいはどれだけ大きな
成果が上がるであろうかということに関して大きな期待が持てるのではないかと申し上げたいわけでございます。
さらに申し述べさせていただくとするならば、
地域社会との共生ということでございますけれども、これがもしうまく発展するならば、
茨城県や
東海村あるいは敦賀、福井等々ございますけれども、これらが世界の
原子力開発のメッカとなるんだと、世界の歴史に、あるいは世界の教科書の一ページを飾ることになるということを私個人的には
日本人の一人として期待したいというふうに思っているわけでございます。さらに、これが将来確実に実現されるということであれば、これは
原子力のフランス革命あるいは
原子力の人権宣言と呼んでも、比喩的ではありますけれどもいいのではないでしょうかというふうに思います。
翻って、二十一年前何が起きたかということを考えてみたいと思いますけれども、このとき
日本のメディアは「常陽」の臨界を祝福して特集を組みました。これによって
日本の将来は明るく大きな希望を持てるとしたわけであります。メディアはそれを
日本国民に力強くメッセージとして報道をしました。その結果、若き優秀な俊秀が高速増殖炉の実現という夢を抱きました。その実現に参画するため彼らをして
動燃へ赴かせた、そういう事実も首あったわけでございます。
しかし、
変化がありました。しかしながら、
変化したのは
体制の体質とそれを憂う国民の目であって、高速増殖炉の
開発と
核燃料サイクルの確立というこの二つの
意義はいささかも揺らいでいないのではないでしょうかということを強く申し上げたいわけでございます。もしそうだとするならば、再出発によって二十一年前と同じようにこれらの事柄は国民によって祝福されるべきものでなければならないでしょうというふうに思います。
現在、トーンダウンして、
原子力は
日本及び世界のエネルギー供給の有力な選択肢の一つだというふうにされておりますけれども、資源のない
日本、あるいは炭酸ガス放出による地球温暖化等々を考えると、
原子力の将来についてはもう少し大きなものを期待していいのではないかというふうに思います。
動燃改革レポートや新
法人の
基本構想を読みますとそれらのことがしっかり私たちに伝わってくるというふうに考えます。
最後に、私見でありますけれども、三点を申し述べさせていただきたいと思います。
一点は、これも繰り返しになりますけれども、失敗のない研究
開発はないんだということを我々は共通に認識しておきたいというふうに思います。失敗をゼロにすることは当然人知を超えておるわけでございまして、神でなければならないということだと思います。しかしながら、失敗を極少化して、放射能を周辺に漏らさないという、例えばそういうふうなことを実現するためには私たちの人知が及ぶんだということじゃないかというふうに思います。今回の出来事によって
動燃が再生できるとするならば、
事故はかえって幸せをもたらすものだというふうに言ってもいいのではないでしょうか。
二点目でございますけれども、
原子力の実態あるいは正しい姿は正しく国民に伝えられる必要があるのではないでしょうか。そのためにはもう少し
学校教育のあり方について、
学校教育の中で適切に取り扱われる必要があるのではないでしょうかというふうに思います。
第三点目ですけれども、先ほど申し述べましたように、比喩的にフランス革命と申し上げましたけれども、
原子力開発を
推進し、人類のために貢献することを意図して、この
東海村に、あるいは近隣に、あるいは福井県でも構わないと思いますが、
原子力推進国民
会議のような団体を設立することを提案したいというふうに思います。そこには、当然、
茨城県、
東海村などの
地方自治体のほかに新
法人とか原研とか大学などの研究
組織が参画をすることになります。それによって
原子力開発の新しい理念が国民各層へ浸透をしていくということに向けて
努力をするということでございます。
少し時間をオーバーいたしましたけれども、以上でございます。どうもありがとうございました。