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参考人(
角田道生君)
角田でございます。
私は、現在は非常勤で埼玉大学工学部で気象学の講義をやっておりますけれども、その前、約三十年間、東海村の
日本原子力研究所で環境安全の
研究に従事してまいりました。その間、
動燃とも身近な接触がございました。
今回、「もんじゅ」、それから再
処理と続いた
動燃の
事故とその際の
動燃の
対応は、
国民の間に
動燃に対してだけではなく
原子力開発に対する深い不信感を招いたというふうに考えます。私は、
事故の持っていた
意味の突っ込んだ検討、それから、そこからどういう教訓を取り出すかということに関しては現在でもまだ極めて不十分であるというふうに考えております。今回の法改正の措置で一連の
動燃事件の幕引きということになれば、それは
国民の不信をさらに増幅することになるのではないかということを心配します。
「もんじゅ」
事故の後、これは一九九六年四月ですけれども、
日本学術会議主催の「もんじゅ」
事故のシンポジウムが行われました。私も
出席いたしましたが、
学術会議側の冒頭あいさつで、
動燃は何が起こったかということよりもなぜあんな
事故が起こったかという部分を詳しく説明してほしいと注文をつけたことが今でも印象に残っております。私も全く同感でした。
「もんじゅ」の場合には、初歩の
技術者でも気がつく温度計の欠陥を、なぜ、発注仕様を書き、承認図面に印を押し、納品検査をやった
動燃が、だれ一人としてチェックできなかったのかということ。あるいは再
処理の
事故に関しては、
事故現場の作業員というのは四人の班長以下二十八名全員が緊急
対応の権限のない外部委託業者であった。放射能と反応の激しい化学物質を扱う作業を、さらに
事故の起こったときは固化体減量というテスト
運転、そういうときになぜこのような無謀な
運転体制がとられていたのか。
動燃の
事故隠し体質などとともに、こうした一種の
技術の腐敗と思われるようなことがなぜ育っていったのか、
原子力の他の
分野で同様なことが起こっていないか、こういうことを全面的に検討することが求められていると思います。
科技庁の設けました二つの
事故調査
委員会は、
事故の直接原因の調査にとどまって、このような体質を生んだ遠因、背景にメスが入れられていないと感じます。したがって、
事故の一番大事な教訓が
動燃改革検討委員会報告や
高速増殖炉懇談会報告に十分に反映されない結果となったというふうに考えます。
私は、
動燃法改正の前に、
一つは
動燃的体質を育ててしまった
原子力委員会、
科学技術庁の指導監督の姿勢を検討する必要があると思います。次に、国の
原子力開発戦略の再検討を行う必要があるというふうに考えます。
まず、
事業団的体質と監督官庁のかかわりについてでありますけれども、政府設置の
事故調査
委員会の報告の中で
事故の背景にメスを入れた例もあります。
原子力船「むつ」が試験
運転の最中に放射線漏れの
事故を起こしたという事件が新聞で大きく話題となりましたときの一九七五年の「むつ」放射線漏れ問題調査
委員会報告ですが、この報告書はやや異色でした。冒頭に、
事故発生の原因を単に
技術面に限らず、国の政策面、
原子力船
開発事業団の
組織の運用面など可能な限り多面的に検討するという検討姿勢をまず明らかにしております。そして、結論的に、
事業団が
開発をメーカーに分割発注しその
開発の重要部分が短期出向のメーカー職員に任され
原子力船
開発事業団の
技術の空洞化が起こる、出向職員が
自分の親会社に発注書を書くなど企業との癒着が起こりやすいとか、それから国の安全行政にも触れまして、国の安全
審査体制でも、忙しい大学の
先生たちがパートタイムでもって
審査に当たるというような現状では
責任の所在をあいまいにしたまま無難な結論が安全
審査で生まれやすいというような指摘をしたわけです。つまり、
事業団の
体制、それから国の行政の転換を求める勧告を含む報告を提出いたしました。
私は、これを今振り返りますと、この内容はほとんどそのまま今回の
動燃の欠陥体質への指摘としても適用することができると思います。しかし、
原子力委員会と
科学技術庁は、この報告書が出た後二十年間、この指摘を
動燃の指導に生かそうとしていなかったと思います。むしろ、報告書指摘とは逆に、性急な
事業化、スケジュール最優先の指導をしてきたというのが実態ではなかったでしょうか。
こういうような背景で、
動燃の初代理事長、中部電力出身の方ですが、職員訓示の中で、
動燃は一口で言えば
日本のNASAであると。日立製作所出身の二代目理事長は、
動燃は
マネジメント専門であり、みずからの季を汚して現場の
仕事をするところではない、作業は大学や他
施設など既存の機関と
人材を利用してやればいい。通産省出身の三代目理事長は、
動燃は現場
中心ではだめである、スクラップ・アンド・ビルドで二、三年で
成果を上げる必要がある、主任
研究員的なセンスでは通用しないと職員に訓示したということを私は
動燃の友人から聞いたことがあります。
事故の背景となりました国の
開発行政姿勢にもメスを入れるためには、私は今回のような
事故調査
委員会システムでは無理であろうというふうに思います。今回の二つの
事故調査
委員会とも、二つと申しますのは「もんじゅ」と再
処理ですけれども、科技庁の内部
委員会で、
委員の構成を見ましても
科学技術庁職員とか安全
審査その他で
科学技術庁と関係の深い機関のメンバーが含まれております。例えば、アメリカの
スリーマイルアイランドの原発
事故の後に設けられました大統領特別
事故調査
委員会、あのような第三者調査
委員会による
動燃事故の再調査ということを私は
事故後の
原子力の再
出発のためには今後不可欠ではないかというふうに考えております。
次の、国の
開発戦略に関してでありますけれども、「むつ」の調査
委員会の報告が冒頭に書いたのとは反対に、
動燃検討改革
委員会の報告は、冒頭に「
動燃に与えられた使命そのものの改変は、本
委員会の目的に含まれない。」と、あらかじめ検討範囲をみずから限定しております。しかし、前述した性急な
事業化を図った
事業団的体質、これは国から与えられた使命、国の基本政策から生まれたものであると私は考えます。
一九九四年策定の現行の
原子力開発利用長期計画では、FBRを将来の
原子力発電の主流にすることを基本とする、あるいは
動燃は
技術開発の中核的役割を果たすものとするというような形で、
燃料サイクルの
開発路線ということに関しましてはプルトニウム
燃料・ナトリウム冷却
高速増殖炉、それからピューレックス方式の再
処理、それからMOX
燃料の
軽水炉利用といういわば一本道、一本やりの
開発戦略が強調されております。そこでは
技術基盤を強化しながら柔軟に
開発戦略の選択肢を広げるという方針が極めて希薄であると思います。そして、
技術開発の中核的役割を果たすと位置づけられたその
動燃において、この戦略の
技術的かなめの部分、
高速増殖炉と再
処理のそれぞれで相次いで
事故が発生したわけであります。
その
意味で、この際、
動燃の部分的手直しと名称変更という衣がえの前に国の
長期計画の再検討が必要であると私は考えます。そして、増殖炉、増殖方式についても、再
処理プラント、再
処理方式についても、バックエンド対策についても、抜本的に多面的なアプローチを検討し直すことが必要であり、それが世論の批判にこたえる道であると考えます。
高速増殖炉懇談会報告には、このような
観点からの検討が十分になされていないのが私には残念です。同報告では、欧米諸国でのFBR
開発路線の変更などにも触れておりますけれども、その
開発中止の
理由を例えば核不拡散、あるいは地方議会が承認しない、あるいは財政事常というような各国の
技術外的な事情で片づけられております。しかし、私はもっと謙虚にこれらの国で
開発を放棄した中で得られた
技術的な検討ということをくみ上げる必要があると思うんです。その上で
我が国の今後の増殖炉をどうしていくかというようなことを考える、こういうことが大事ではないかと思います。
高速増殖炉懇談会報告を見ますと、もう既に「常陽」と「もんじゅ」に使ってしまった金額の大きさから、これをむだにして路線を捨ててしまうのはもったいないという感じての「もんじゅ」継続論が
中心であって、こういうことでは矛盾が将来さらに拡大して「むつ」漂流の二の舞になりかねないというように私は感じました。
最後に、きょう、皆様の手元にへら一枚の資料をお配りいたしました。これはリリエンソールがちょうど亡くなる一年ぐらい前に書いた遺言的著書のように私には感じる本からの抜粋であります。
デビッド・リリエンソールは、皆さんも御承知のように、一九三〇年代のアメリカの大不況からどう立ち直っていくかというときに
中心になりましたニューディール政策の中核的
事業であったテネシー渓谷
開発公社、TVAという略称でよく知られておりますけれども、これの総裁として指導し、戦後トルーマン大統領に請われまして、マンハッタン
計画から文民
管理の
原子力委員会にその管轄が移されたときに初代の
原子力委員長を務めた人です。
この人が死ぬ直前に
自分の
原子力委員長時代の反省も込めてということで書いてありますものの
中心は、アメリカはこの
原子力開発の路線を全面的に検討し直して再
出発すべきである、そういうことで題を「ア・ニュー・スタート」というふうな題にしてあります。
この
幾つかを、例えばどういうようなことを例として言いながら再
出発すべきである、あるいは再検討すべきであるということを言っているかということで私の抜粋を読んでいただければ幸いです。
一口で言いますと、至るところで強調しているのは、
技術の選択肢を、例えば発電は
軽水炉、それから増殖形式は液体金属
高速増殖炉というような形で決めてしまって、それをひた走るということから転換する必要がある、いろんな選択の余地があるということを
技術的にも述べながら、例えばそのためには民主主義的なシステムで運営していくというものをかち取らなくちゃいけない。
私がこれをお配りいたしましたのは、リリエンソールというのは
原子力の
技術者ではございません。科学者でもない、政治家です。しかし、政治家が言っていることが私は
日本の科学者に非常に重要なことを教えたというふうに考えて抜粋したものですが、どうぞここでの議論がそういうふうな形で本当に政治が科学者を正しく指導できるというふうになっていただきたいというお願いで最後にこれに触れさせていただきました。
以上でございます。