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本岡昭次君 私は、この第十八項に書いてあるようなことを、
学校の実態の中で、
学校の
教職員が子供を育てていくことについてお互いに
協力し合っていこうということの中で皆で話し合って自発的に行っていくということであれば、その
学校の
教職員の問題として、してはいけないとかいう事柄にあえてする必要もないと私は思っているのであります。
だけれども、こういうものを
法律に書くと、これはもう完全に教える教えられるという
立場に立つわけでありまして、それは単に
協力するとかいうことじゃないと思うんです。
中学校の子供の生理の問題はよう教えんという若い体育の
先生が、
養護教諭の
先生ちょっと来て助けてくれ、
協力してくれと。そうですかと言って、補助的に
養護教諭の方がその
先生と一緒になってこうこうこうですよと言ってやっていくというふうなことは、私はあってもいいと思うんです。だから、
学級担任であっても、片方のクラスの子を自習させておいて、複数の
教員でもってその
学級の何か新しい教え方をやったって、それは
学校の
教職員の
教育を推進していく
協力体制の問題だから、
法律に触れることをやったらだめだろうけれども、それはいいと思う。そういう範囲のことであるならば私も許容できるが、
法律に書くともうそうでなくなる。だから、その場合は、
先生が一人で子供と相対峙して教える教えられるの
関係になるか、必ず
評価をしなければいけないということに当然なるわけで、そういうことをするというふうなことが
養護教諭の本務なのかどうなのかということについてはやはり大きな問題があると私は思います。だから、
評価をさせてはならないというふうに思うんです。
それは、基本的な問題と同時に、現状、子供たちが
養護教諭のいる保健室に皆駆け込んで、保健室登校というふうなものが非常に多いというふうに聞いています。また、そういう実態も見ました。しかし、それはなぜそういう
状況になるのかというと、それは
養護教諭が子供を
評価する、評定するという
立場にないということで、子供は文字どおり身も心も
養護教諭に開放して、悩みを打ち明けたり自分の弱点もさらけ出して助けを求めたりするんであって、その
養護教諭が教える
立場に立って自分を評定するんだということになれば、子供は恐らく胸を開いて心のうちを教諭に打ち明けて、何とか助けてくれというふうなことにならなくなってしまう、私はこう思うんです。
だからといって、保健室登校が正常な状態だとは思っておりません。そんなもの本来あってはならぬと思います。だけれども、現状そういうものがあるということを踏まえた上で、さらに
養護教諭にそうした
負担をさせる。そのことすら
養護教諭にとっては大変な
負担ですよ。そうでしょう。それは本務といえば本務かもしれないけれども、朝から子供は保健室に登校してくる。その子供の悩みを聞いてやり、どこまで
指導していいのか、私はちょっと難しいと思う。それでも、一生懸命
養護教諭の皆さんは自分の本務だと、こう
考えてやっているのが現状なんです。そのことをどう解決するのかということを抜きにして、私はこんなことをやるべきではないと思います。
もしこういうことを
考えていくならば、今
複数配置の問題が出ましたけれども、仮にその人が
学校の
協力体制の必要上そういう
協力をするというと、保健室を一定時間あけるというときに、だれか保健室にきちっといなけりゃいかぬでしょう。
養護教諭としての本務を放棄することになるじゃありませんか。その人は子供を教えていることで仮に
養護教諭としての本務の一端を果たしているとしても、
学校そのものが
養護教諭の本来いなければならない保健室にいないということを容認することになります。
だから、もしこういう議論をしていくならば、その前提として
養護教諭の
複数配置を今のように三十
学級規模のところが精いっぱいでありますというふうなことを言うと、三十
学級規模というと、中学であれば一学年十
学級ですね。これは大変なマンモスなんですよ、もう既にそのことで。それ以下のところは
養護教諭一人しかおらへんでしょう。だから、少なくとも私は、司書教諭を
配置する
基準というのが十二
学級規模以下は小規模として、それ以上のところに
配置をしていこうじゃないかという、その
配置も併任、兼任いろんなことを含めながらあるわけで、とすれば、
養護教諭も最低まずそういうところまでは
複数配置をしていく。そして
複数配置をした条件の整ったところはこういうことを
検討してもいいというふうなことにしなければ、そういう条件整備をしないでこんなことだけを持ち込むというのは私はとても無謀だと思うんですよ。
町村文部大臣、どうですか。このためにというのじゃなくて、基本的に
養護教諭そのものの
複数配置というのは三十
学級規模というところで精いっぱいということであってはならぬわけなんですよ。だから、そういう
意味で
複数配置の
基準をやはり思い切ってずっと下げて、そして心の
教育であるとか保健やそういう面について従来以上に多く配慮しなければならない
学校教諭の中にあって、
養護教諭の果たす任務、本務、それは非常に広くなっている、多様なものになっている。だからということがなければ、この免許法のこういうところだけさわるということは私はいけないと思うんですが、そうした問題に本気になって取り組まれる決意があってこういうものが出てきているのかどうか、そこはひとつ
文部大臣にお聞きしたいと思います。