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国務大臣(
町村信孝君) 今の
日本育英会の
奨学金というのは、結局、一定の
財源の制約というものがあるものですから、これまでのところは、すぐれた学生であって経済的な理由で修学困難な者を対象に
奨学金を差し上げますという
意味で、
学力基準というのと
家計基準という二つの
基準で奨学生を選ぶということをやってきたわけであります。
今
委員御
指摘の、昨年六月の
育英奨学事業の
在り方に関する
調査研究協力者会議の
報告でも明快な
結論を出していないということは、どちらかというと、非常に
財源が厳しいという
財政構造改革法の動きもあったものですから、この際は、
結論としては今後引き続き検討しようということになってきたんだろうと私は思っております。
厳しい
予算の中ではありますけれども、
平成十年度
予算でかなりの
工夫をいたしておりまして、例えば
大学院が非常に今
委員御
指摘のように
整備充実が図られてきているということに
対応して
大学院の
貸与人員を三千四百名ふやすとか、あるいは
高校の在学中から
大学進学後の
奨学金を予約するという
制度がありまして、その
予約採用を二千人ふやしますとか、あるいはどうしても今までは
私立大学の
貸与人員が少のうございましたのでそれを千人ふやすといったいろいろな
工夫はやっておりますが、ただ基本的にはまだまだ不足している状態というのがあるんだろうと思います。
しかし、
一つは
現実に非常に
大学進学率が上がってきているという
状況、あるいはかってと比べますと全体として
所得水準は上がってきた、その中で果たしてこの
奨学金というのは親のすねかじりで、親からもらって行くという方式がいいのか、あるいはもう
高校まで出た後は
自分で稼いで、アメリカなんかは
高校を出てから一年、二年働いて、
自分で学資をためてから
大学あるいは
大学院に行くというような
現実がかなり一般化しておりますので、そういう形がいいのか、その辺についてまだまだコンセンサスができていないといいましょうか、もう少し
議論が必要だと。
こんなこともあって実は明確な
結論を昨年の
協力者会議の
報告ではまだ出していないという
状況にありますので、全体として今後
充実が必要であるという前提に立って今後さらにその辺は
議論を煮詰めていく必要があるなど、こう思っているところであります。
それから、今
委員から
エリート養成についてどう
考えるかという御
指摘がございました。
エリートとは一体どういう
人たちを指すのかという定義の問題もあろうかと思いますけれども、やはりいろんな
意味で秀でた
能力を持った人の
能力を開花させていくということは必要なんだろうと思います。
一番わかりやすい例が、
釜本委員もいらっしゃいますけれども、例えばサッカーですぐれた人、あるいは先般のオリンピックで
清水選手を初めとして例えばスケートで、あるいは音楽でと。こういうところですと非常にある種の
エリートというのはわかりやすい話なんですが、そうでない、いわゆる一般的な
分野で
エリートというのはどういうふうに位置づけたらいいのかなというのはなかなか難しい部分もあろうかと思います。
しかし、
一つ言えることは、これは中教審の昨年の答申にも出ておりますが、ややもすると形式的な平等ということに余りにも戦後の
教育の力点が置かれていて、とにかく全員が一斉に年齢とともに同じ段階で上がっていくというのが戦後の
教育の
一つの特色だったと思います。それはそれでいい面もあったかと思いますが、ややもすると伸びるべき
能力を十分伸ばしてこなかったという反省もあるんだろうなと思いますので、そうした面で今後国際的に通用する
人材をいろんな角度で育てていく、あるいは本当に
日本のリーダーとしてふさわしい
資質を身につけていくためのそうした
教育というのもいろんな形で行われる必要があるだろうと。
一つの例として、既に
学部の三年生から
大学院に進むということはかなり行われ始めましたし、また
平成十年度から、まだごくわずかではありますけれども、
高校二年生から
大学に進んでもいいですよという道も開けるようにしたり、少しずつそういう
意味で今の
学校制度の中で
選択肢を広げていくというようなことはこれからやっていく必要があるんだろうと思います。
ただ、どうしても
最後に一点だけ申し上げなきゃならないのは、立派なところに勤めているとか学歴がいいとか知識が豊富だとかいう点だけではなかなか
エリートとは言えないんだろうというふうに思います。やっぱり人間の恋とでもいいましょうか、高い
倫理規範を持っているといったようなことも、昨今のいろいろな一連の事件を見るにつけても、それは
経済界であれ、
官界であれ、いろんな
分野でそういう志というものが戦後ややもすると薄れてきたという
感じが私はしておりまして、それではいい
意味の
エリートというのはまだまだ育っていないんだなという
感じがいたしますので、どうやったらそういういい
意味の
エリートを育てることができるか。率直に言って、
文部省の
政策の中で
エリート育成というのは戦後いわばタブーに近い話でありましたから、今後そうした面をどう行政的に扱っていったらいいか。
一つは先ほど申し上げましたように、要するに
選択肢を複数にして、いろんな
選択肢があるようにしていくというようなことがそれにつながるのではないのかなと、こう
考えているところであります。