○
参考人(
黒須充君)
福島大学の
黒須でございます。
我が国の中枢として御活躍なさっておられる諸先生方を前に、このような場を与えていただき、大変光栄に存じます。何分、若輩者でございますので、さきに述べられたお二人の先生方のすばらしい御発言には遠く及びませんが、私なりに、短いドイツでの滞在
経験を交え、我が国における総合型
スポーツクラブのつくり方をテーマに、感じたままを率直にお話しさせていただきたいと思います。
最近、
子供たちの信じられない事件がマスコミ等で報道されていますが、今の
子供たちは物質的にも経済的にも満たされている反面、精神的にはいらいらすることが多く、さらには群れ遊びの減少や
スポーツ離れがそれに拍車をかけ、ストレスのはけ口や身体的なエネルギーを発散する場をなくしてしまっているように思われます。火山のマグマのように
自分の中で沸々としたものを抱え込んでしまい、それが日常のちょっとしたきっかけで爆発してしまう、つまり「キレる」と言われる
社会現象を見るにつけ、大人も
子供も生活に潤いがなくなってきているのではないかなと感じております。
そういう私自身も、日々仕事に追われる毎日の中で、なかなか潤いのある生活を送っているとは言いがたいのですが、ドイツでは、私の研究テーマである地域の
スポーツ事情を知るためということもあって、早速近くの
スポーツクラブに入会、また、研究材料として娘たちも体操クラブに入会させました。そこで感じたことは、ドイツにおける
スポーツクラブとは、単なる
スポーツをする場といった
意味だけではなく、地域住民にとってなくてはならないコミュニケーションの場として、人々にとって精神的な潤い、つまり潤滑油の役割を果たしているということでした。
一方、我が国に目を向けてみますと、
スポーツ振興法以来、だれもが
スポーツに親しみ、かつ
世界で活躍できる
選手を育成する基盤づくりを目指していることは明白ですが、いまだ
スポーツが人々の生活の中に定着していないこと、オリンピックや
世界選手権等において
日本選手が低迷を続けていることなど、先進諸国に比べ立ちおくれていると言わざるを得ません。
資料一ページの「
スポーツ振興法」を御確認ください。
なぜ、早くから取り組んできたにもかかわらず実現されてこなかったのでしょうか。
結論を先に申し上げれば、本来、最初に取り組むべき土台、基盤づくりが後回しにされてしまったこと、言いかえれば、我が国の
スポーツ体制がもはや限界に差しかかっていることに気づきながらも、抜本的な改革が先送りされてしまったことによると思われます。
そこで、ドイツのシステムを
参考に、我が国の生涯
スポーツ振興モデルの作成を試みました。図1をごらんください。
生活の中の
スポーツは、あらゆる人々がともに
スポーツを楽しむことができる地域の
スポーツクラブを中心に展開され、その中で行われる大会も、勝つことではなく人々の交流を目的として企画されます。また、すべての人が
個人の自由意思に基づき、それぞれの生活のリズムに合わせ、わずかな会費で気長に続けられるといった特色が必要です。
一方、
競技スポーツは、
学校と
スポーツクラブの連携から、将来有望な
選手を発掘し、有給の国家コーチの指導のもと、才能を引き出し開発することを目標とし、勝敗を軸に、より上の
レベルを目指していきます。すなわち、図1に示しましたように、総合型の
スポーツクラブを基盤として生涯
スポーツの推進を図り、その
過程で生活の中の
スポーツや
競技スポーツが盛んになるといった図式が望ましいのではなないでしょうか。
底辺を拡大することによって
競技スポーツの振興を図るといった従来のピラミッドの構造ではなく、生活の中の
スポーツと
競技スポーツの独自性を踏まえながらも、その基盤、根底の上で両者が連携、移行するといった連続性を保つことによって、だれもが
スポーツに親しみ、かつ
世界レベルの
選手、チームを輩出するシステムに一歩近づくことができるのではないでしょうか。
ドイツでは、一九六〇年に施行されたゴールデンプランにより、
学校と地域住民の共同利用を目的とした公共
スポーツ施設の建設が進められ、従来の男性、若者、
競技者中心の
スポーツから一般市民も利用できる総合型
スポーツクラブをつくり上げました。
一方、我が国では、
学校運動部や実業団、そして地域の
スポーツクラブも単一種目型で閉鎖的、少数の固定化されたメンバーによる
競技志向型といったイメージが一般的でした。文部省では、こうした既存の
スポーツクラブのイメージから脱却するため、
平成七年度から総合型地域
スポーツクラブ育成モデル
事業を実施し、我が国の生涯
スポーツの振興を考える上で、地域に根差した
スポーツクラブの育成、つまり
学校という枠を取り外し、地域
社会の
レベルで
スポーツを展開することが重要な課題となっていることを打ち出しました。
もちろん、
スポーツは
個人の自主性、自発性を尊重するものであり、すべての人々がこうしたクラブに所属して
スポーツをしなければいけないということでは決してありません。しかし、グローバリゼーションの時代を迎えた今、これまでの
学校中心、行政主導、単発的な一日行事型のシステムを見直し、地域に根差した多種目型の公共性を伴った
スポーツクラブを育成することは、クオリティー・オブ・ライフを求める
個人のみならず、少子化、高齢化へと加速する我が国全体にとっても必要不可欠であり、何よりも
スポーツを文化として育てていくための重要な基盤づくりとなり得ることは言うまでもありません。
そうした
意味で、今回文部省が打ち出した総合型地域
スポーツクラブ育成
事業は、ドイツのゴールデンプランに匹敵する革命的な
事業として位置づけることができるのではないでしょうか。
これからの生涯
スポーツを推進する基盤として、総合型の
スポーツクラブに寄せる自治体の期待は高まっています。しかし、実際のところ、現体制に限界を感じつつも、具体的にはどうすればいいかといった情報が極めて少なく、暗中模索している自治体が多いように思われます。
ただ、そうした中においても、既成の枠にとらわれず意欲的に変革に取り組んでいる地域も見られます。地域
スポーツクラブ連盟を設立した秋田県琴丘町、
学校と地域の共生を目指して結成された愛知県半田市にある成岩
スポーツクラブ、宮城県の社団法人塩釜フットボールクラブなどの
活動は、身近な実践例として学ぶべき点が多いと思います。
このように、クラブづくりへの機運は確実に高まりつつあるものの、全国的に見た場合まだ特別な試みとして見られていることも事実であり、残念ながら市民権を得ているとは言えません。しかし、外で働く女性が特別視されていた時代から現在では当たり前の時代を迎えているのと同様に、恐らく総合型クラブもいつの日か市民権を得る日がきっと来ることと確信しております。
御存じのように、ドイツの
スポーツは、
学校や企業中心の
日本とは異なり、地域の
スポーツクラブを中心に普及発展してきました。しかし、この盤石とも思えたドイツのクラブシステムに異変が起きています。ある論文によれば、今日のドイツの
スポーツクラブは
社会との接点を失いかけており、人々のクラブ離れを招いていると書かれていました。これまでの我が国は、ドイツの
スポーツをどちらかといえば一方的に、またはあこがれの対象として取り入れてきましたが、これからは、ドイツの
スポーツシステムが現在どんな問題を抱え、それをどのように解決しようとしているのか客観的な見方でとらえ、判断した上で取捨選択していく必要があるのではないでしょうか。
資料の四ページから六ページまでをごらんください。
ドイツ中西部、ケルンの隣に位置するクライスノイス市は、こうしたクラブの危機的状況を乗り切るため、ケルン体育大学
スポーツ社会学研究室とタイアップし、生涯
スポーツ振興のプロジェクト、ダス・フィーアツーレン・モデル、四つのドアモデルに取り組み、大きな成果を上げています。
六ページの写真は、市庁舎の中で、パット市長、正面奥の右手に写っている方です、とそれぞれのドアの前に立つスタッフを写したものですが、人口約四十三万人の市民の
スポーツ行政をたったの六人で行っていることにまず驚かされました。
その理由について市長に尋ねてみたところ、地域にあるそれぞれの
スポーツクラブが自主運営をするためのノウハウを持っていること。主体は住民にあり、行政体はイニシアチブをとる機関ではなく、あくまでも応援する機関であるといった二つの答えが返ってきました。
説明を受けた限り、ノーコントロール・ウイズ・サポートの精神が生かされていましたが、帰り際に市長がそっとある仕掛けについて教えてくれました。例えばここに公共の福祉政策のために五百万マルクの
予算があるとする。我が市では、その
お金を使って福祉施設を建てるのではなく、地域の
スポーツクラブを支援するために費やすであろう。なぜならば、住民の四分の一の会員を占める
スポーツクラブの
活動それ自体がクライスノイスの公共の福祉に
貢献していることになるのだから。
まさに、発想の転換が成功のかぎと言えると思います。
これまで、総合型地域
スポーツクラブを基盤としたシステムへの再構築が我が国の生涯
スポーツ振興のかぎを握っていることについて述べてきましたが、ドイツでも
サッカーくじの収益がゴールデンプランの実現など地域
スポーツの環境整備に使われており、国民の理解も得られております。我が国が
スポーツ振興投票制度を導入する場合においては、その収益を、さきに述べた地域住民主体の総合型地域
スポーツクラブを全国各地に育成、定着させ、さらにその質の
向上、維持という目的のため、国民の公正な判断に基づき、透明性を持たせた上で使われることが大前提であると考えます。
目指すべきビジョンを明確に示し、我が国の
スポーツの未来図を描く上で、総合型
スポーツクラブを基盤とした体制へと転換することが仮に正しい方向であったとしても、だれかがメスを入れなければ変わりません。今がまさにそのときであり、
サッカーくじにはその起爆剤として、また原動力としての効果が期待できることを最後に申し上げ、私の発言を終わらせていただきたいと存じます。
ありがとうございました。