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板垣正君 まだ次の問題に入っていなかったんですけれども。
では、
東京裁判の問題については、これは延々とやってもむなしい気もいたしますが、しかし私は引き続いて、この問題こそ国の
基本にかかわる問題ということで、この間も申し上げましたパールさん、
総理も高く評価し、まさに法の正義のためにただ敢然として
日本無罪論を、
連合国は
国際法に違反して裁く資格はないと、こういうことを言われた。
パール
判決書について私は一部訂正しておきますが、あのとき四万語の
判決と言ったが、四万どころじゃなかったんですね。調べてみますと八十八万五千語なんです。膨大なものですよ、八十八万五千語。あの方はもう宿舎にこもりっきりで二年半、あらゆる資料を集め、広範な資料のもとに、また
日本のいろんな資料、いろんな人に会う、そういう形で、単に
国際法を盾にとってこの
裁判はおかしいと言うのみならず、
日本の行った
現実の事変についても一つ一つ触れて、これは侵略にあらず、したがって無罪だと言い切った
判決を出されている。こういう点を私どもはもう一度受けとめなければならないんではないのか。
パールさんは
判決書の中でこういうことを言っています、
東京裁判に対して。勝者によって今日与えられた犯罪の定義、勝者つまり
連合国が
裁判所条例をつくった。
国際法はない。つまり、
勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる
裁判を行うことは
敗戦者を即時殺戮した昔とわれわれの時代との間に横たわるところの数
世紀にわたる文明を抹殺するものである。
文明の
裁判どころではない、文明抹殺の
裁判ではないかと。
かようにして定められた法律に照らして行われる
裁判は、復讐の欲望を満たすために、法律的手続を踏んでいるようなふりをするものにほかならない。それはいやしくも正義の観念とは全然合致しないものである。かような
裁判を行うとすれば、本件において見るような
裁判所の成立は、法律的事項というよりも、むしろ政治的事項、すなわち本質的には政治的な目的にたいして、右のようにして司法的外貌を冠せたものである、という感じを与える
こういうことを
判決文の中で喝破しているわけですね。
パールさんの名が今にも伝えられ、
日本とインドの間の紐帯の
立場にあるこのパールさんの思いというもの、つまりあれは政治的
裁判であるから、これを政治的決断によって切りかえていく、正義のもとに、法の名のもとに。そうでなければ、この国の真の独立はあり得ない、精神的な立ち直りはあり得ない、私はこのことを重ねて申し上げたい。
続きまして、ただいま
官房長官も触れられましたいわゆる
近隣諸国条項ですが、これも極めて正当であるというお
立場でもう既に御
答弁もいただいたわけでありますけれども、この問題も大変深刻な影響をもたらしております。
昭和五十七年、当時は鈴木内閣、宮澤
官房長官のときですね。高校の歴史教科書の検定結果が発表されまして、各マスコミがそれを分担して見て記事にする。そのときにある社が間違って、今度の文部省の検定によって、
日本が侵略したと書いてあるのを文部省が検定で進出と書きかえさせた、こういうことが大きく報道されたわけです。これがきっかけですよ、この教科書騒動と言われるものは。
それが報道を通じ中国側をいろいろ刺激した。中国側は外交ルートを通じて、これは日中友好の精神に反する、とんでもないと、こういう厳重な抗議を申し入れてきたわけですね。そのときは既にそういう教科書を調べてみたらなかった。誤報なんですよ。誤報ですから、当時、渡部昇一さんがテレビを通じてこのことを明らかにされた経緯もありますし、産経新聞だけが大きな訂正記事を出しました、あれは誤報でしたと。ところが、ほかの新聞はほとんど訂正しないままに既成事実として運ばれた。
当時、私も
国会におりまして、今なお記憶しておりますが、文教部会が開かれ、文教部会長は石橋さんでしたが、教育権をめぐってけんけんがくがくの
論議をやったわけです、他国の干渉を許すべきではないと。
しかし、その後、頭を越えていわゆる宮澤
官房長官談話というものが出され、これによって、深く反省いたします、
政府の責任においてこれは直しますと、こう言い切ったわけですね。それがすなわち文部省の、形式は手続を経たにせよ、今後教科書については近隣諸国の国民感情その他に配慮して教科書を書きます、そういう
立場で検定します、これがいわゆる
近隣諸国条項なんですよ。
それまではいろいろ検定意見が付せられておりましたが、自来、
日本が侵略をした、あるいは南京虐殺だ、いろいろなことについてほとんどフリーパス、検定意見はつけないと。こういう形で教科書問題というものが一挙に偏った形になったという深刻な経験がある。しかも、なお今日まで
現実に続いておる。
それ以前の段階におきましては、教科書の行き過ぎ、日教組教育の行き過ぎ、偏向教育、偏向教科書等に対して、もっと開かれた
立場における、自民党におきましても教科書正常化の議連とか、文部省もまた信念的な教科書検定
調査官等もおられて、徐々に教科書の是正もなされてきた。それを一挙に覆したのがまさにこの
近隣諸国条項です。
ですから、現時点においては文部省の検定基準といえども、この
近隣諸国条項については、そういう外交的経緯を経て
政府が
官房長官談話においてやっているという
立場から、文部省の手が届かない。ということは、一体あの教科書を本当に検定している実力者、権力者はどこにいるんだ、こういうことになるではありませんか。
今、教科書の問題というものが教育の問題と関連して大きく社会的にも
論議をされ、その中からもこの検定基準における
近隣諸国条項というまさにこの国の自由な教科書作成なり自由な検定に大きな枠組みをはめ込んでしまっている。こうしたものについては見直すべきではないか、
見直してもらいたい、私も強くそのことを要望するわけでありますが、
官房長官、もう一度端的にお答えをいただきたい。