○
参考人(
小田実君) まず第一に、こういう機会を与えてくださった
議員諸氏の
努力に感謝します。
被災者一同にかわって、私
自身も
被災者ですが、お礼の
言葉を申し上げたいと思います。
それでは、私
たちが、私を含めてなぜ
公的援助の
実現を求めて動いてきたか、その理由についてまず申し上げます。
私
自身、西宮の
被災者として、そしてまたその後、さまざまに
救援活動を
被災者の一人として行ってきたんです。私の
著作活動の中でさまざまな
調査をして、
朝日新聞刊行の「
被災の
思想難死の思想」という本にまとめました。そのような活動を通じて一年間やってみた結果、やはりこれは
被災者を
根本的に救うためには
公的援助が必要である、そういう
認識に一年かかって達したんです。これは
被災者自身の実情といろいろな
調査の結果です。そして、それは可能であると。
世界各国でやっていることぐらいは可能である、
先進各国でやっていることは可能であると、そういう
結論に達しました。
結論の中身を申し上げますと、やはり
本当の
復興というものは
市民生活の
再建がないとできない、
幾ら復興にお金を費やして建物を建てたり道路をつくったりしても、
本当の
意味の全体
的復興につながらない。それはつぶさに私は
自分で
調査し、
自分で体験し、
自分で調べてみた結果なんです。やはり
市民生活の
根本であるところの
生活基盤が破壊されていると。
生活基盤の破壊を
最小限公的援助で補う、それが
一つの
土台を形成する。これは個人的な
財産の
補償ではありません、これは間違いないように申し上げたいと思います。
生活基盤の
回復に必要な
公的支援をする、そのことによって
市民生活の
再建が成る。そういう
土台が形成された上で初めていわゆる
自助努力による
復興が、
自分たちの
生活の
再建が成る。
市民の
生活の
再建が成って初めて真の
意味のその地域における
復興が成立すると、そういうことをつぶさに私は体験しました。
そしてもう
一つは、例えば島原とか奥尻島の例を私も調べました。その場合は一時金として四百万円、
生活基盤回復という名称ではありませんけれども、その
意味で支給された四百万円、それに積み立てていけば千三百万円ぐらいになって、かなり
自力更生、
自助努力による
復興は成っているんです。しかし、これは
義援金からのものなんです、
義援金からのものである。もちろん、御
承知のように、
阪神・
淡路大震災は巨大な震災であって、巨大な
義援金の集積が
日本全体の
市民の手によってなされたんです。しかし、それは分けてみたら、正確に分けるかどうかは別にしましても、この三年間において二十四万円、三十万円、四十万円程度しか手にすることができなかった。これではとても不可能である。
そうすると、
義援金からではできない、これもやはり私
たちの
認識に達したんです。やはり
国家が
責任を持って
援助をするということがまず必要であろうと。その上でいろんな
努力がなされてきたらいいんじゃないかというのが私が
結論として考えたことであります。そういうことを考えたんだけれども
法制度がないんだと、
法制度がないならば私
たち自身がつくらなきゃいけない。
村山富市首相が前例のない大
災害とおっしゃるならば、前例のないことを我々は考えなきゃいけない、それを私は
議員にも訴えたけれども、なかなか、それぞれの
議員が
努力されたことを私は多謝としますけれども、しかし
議員一人の
努力でもできなかったし、
政党の
努力でもできない、あるいは
市民運動が
幾ら広がってもできなかった。
そこで私
たちが考えたのは、
法制度づくりを
一緒にしようじゃないかと。
市民立法、これは
主権在民の
原理に基づいても一番大事なことなんですけれども、やはり
市民が主体になって考える。殊に
被災した
市民たちが
自分たちの問題としてとらえる、そしてまた
日本全国の
市民が同じ問題を
自分の問題としてとらえる、そういう
方々が集まる必要があるというので、私は
市民発議の
市民立法という
考え方を考えました。
市民立法に重ねる形で
議員立法をつくっていったらどうかと、
市民・
議員立法なんです。私
たちはそれを考えた。今までの
政治の
あり方として
陳情政治がある、ただお願いする、お願いする、これは効果がなかった。同時にまた、これは
主権在民の
民主主義の
原理に反します。それから
抗議政治、けしからぬおまえはというどなり上げる
政治、これもやったんです。これは必要なんだけれども、
幾らやっても変わらなかった。
そうすると、やはり
市民と
議員が手を組んでするということが一番肝心であると、これが
本当に
議会制民主主義の一番
基本的原則にかなうことなんです。私
たちがしたことは、
自分たちで
法案をつくり、こういうものをつくったらどうかということで、最小限の
生活基盤の
回復だけをまず考えるという法律なんです。それで私
たちは素案をつくって、これは
超党派でやるべきことなんです。
超党派の
議員たちに送りつけた。八百人ぐらいいらっしゃると思うんですけれども、それを私
たちは手弁当でやったんです。知っている
政治家とも話をしなかった。送ったんです。そうすると、見事なことに十七人の方がまずやろうじゃないかと言ってくださった。これはほとんど
超党派です。それから出発して延々とやってきまして、御
承知のように
被災者等支援法案に実って、そして参議院に正式に去年上程されました。そして、二度のつるしに遭って、
継続審議になって現在に至っているという状態なんです。
私は、これは非常に貴重なことだと思うんです。
被災者自身の
現状認識から出発して、体験から出発して全体のものとして考えようじゃないか、
日本全体のものとして考えていこうじゃないか、しかもそれを
市民だけでなくて
議員も
一緒に考えていく、
議員と
一緒につくり上げていく。このことの意義は、
被災者の救援の問題とともに、これからの
民主主義の
あり方の
根本ではないかと私
たちは考えているところなんです。
それで、私
たちの果たした成果、これは大いにあったと思うんです。私
たちの成果は、個々の
政党がどうしたこうしたことではなくて、
一つの
原理的な
土台をつくったと思うんです。どういう
原理的土台がというと、やっぱり大
災害に対して
公的援助が必要であるということ、
生活基盤の
回復、
市民一人一人の
生活基盤の
回復がないとやっていけないんだということなんです。このことの
コンセンサスを私
たちはつくってきたと思うんです。この
コンセンサスは今
市民あるいは
議会の中でもかなりでき上がって、例えば
生活再建支援法案もその
コンセンサスの上で形成されたものだと私
たちは理解します。そういう
コンセンサスがなかったんです。二年前には全くゼロだった、あるいは三年前もゼロだったんです。それが今
生活基盤の
回復だとか
公的支援は必要であるということはもう
市民権を得ている、あるいは
議会の中でもちゃんと普通の
市民権を得た
言葉としてしゃべられている。そこまでは私
たちは形成したんです。その上にいろんな
政党の
考え方が出てくるのは当然です。しかし、この
土台をつくったことは非常に大事なんです。
その
土台に基づき、
土台の中で出てきたことは、今まで妄想があったんです、妄念。例えば、
政治が
天災を引き起こしたわけじゃない、
天災に対して
政治は
責任がないというようなことが最初によく言われたんです。
総理大臣が震災を起こしたわけじゃない、そんなの当たり前の話ですよ。私
たちの考えることは、
天災というのは必ず
市民に
被災をもたらす。
被災を人災に変えないために
政治があるんです。そのために
市民は税金を払い、国の
政治、
地方自治体の
政治を支えてきているんです、あるいは形成しているんです。これは非常に大事なんです。
ところが、現実を見ますと、
阪神・
淡路大震災は
被災が人災に変わってしまったんですね。例えば、
関連死、
孤独死、自殺、
餓死。私の前の
市立仮設住宅でも
餓死が出ています。もう驚くべきことなんです。
経済大国でこれは一体何だと。なれば、やはりここで
根本的にそういう
考え方は間違っていると。
政治は
責任があるんですよ。
政治の
責任を果たしていなかったことは事実なんです。それは
関連死、
孤独死、自殺、
餓死。だれも信じがたいことなんです、この
経済大国において
餓死が出るなんて。私はあちこち講演しているけれども、外国で講演してもだれも信じがたい。しかし、事実なんです。これはやっぱり考えていただきたいと思うんです、
政治の要路に立つ人は。
それからもう
一つ。例えば、これは
村山富市氏がおっしゃったことだとよく言われているんですけれども、この国の
経済システムでは
個人財産の
補償はできないんだとおっしゃった。そのことの大きな間違いですね。
例えば
アメリカ合衆国というのは、くしくもあの
阪神・
淡路大震災の一年前の
ノースリッジ地震においては最高二万二千二百ドルに上るものを支給している。それは
連邦政府と
州政府の
責任において支給している。この事実は厳然たる事実なんです。そして、私
たちの調べた限り、ドイツもやっている、あるいは
イタリアさえやっている。
イタリアさえという言い方は悪いけれども、割と財政的に苦しい国である
イタリアさえも堂々とやっているんです。これはやらなきゃいけないんです、
市民には。
アメリカの根拠は非常に簡単です。
アメリカの根拠というのは
民主主義国家。我々は
民主主義国家ですよ。
民主主義国家というものは、
市民によって成り立っているんだ、
市民の
生活が
天災によって大きな損害をこうむれば
危機に陥る、
市民の
生活が
危機に陥ること
イコール民主主義国家の
危機である、だからこそ我々は
公的援助をするのであるということをしたんです。
そして、そのときは個人的な
財産の
補償はしないと言いながら、今度は
金融機構の破綻に対しては
幾らでも
公的援助をする。早々と三十兆円に上るものを、
金融機構に行くものを
公的支援か何かいろいろな名前をつけながらする。即日決めてしまう。
しかし、私
たちの
法案はもう二年にわたってたなざらしになったままここまで来ている。これは一体何だと。三十兆円に上るものに対して、例えば無
責任だとか汚職だとか犯罪さえも不問に付してもやるというこの国の
あり方は一体何だ。そして、
被災者に対しては、地震を引き起こしたのは
被災者じゃありません。何の
責任もない者に対しては断然壁を厚くして、いろいろ細かな基準を設けてなかなかしようとしない、あるいは一切しようとしない、ほとんどしようとしない。そういう状態でここまで過ぎてきて、この国は一体何だということに当然なると思うんです。
私は、ここで大事なことは、ちゃんと国の基本を固めたいと思うんですよ。私
たちは、
阪神・
淡路大震災の
被災者の救済とともに、この国の
あり方を
根本からやっぱり問題にして
皆さん方に考えていただきたい、これを
超党派で考えていただきたいと思うんです。
そして、我々がやってきたことはそうなんですけれども、これから一番
公的援助が必要だと言うと、すぐ財政から出発する人がいるんですね。財政が、金がない金がないと言いながら、実際に
金融機構の破綻に対しては三十兆円出すと即刻決めちゃう。
私は、これは想起していただきたいのは、大
日本帝国は関東大震災の翌年の
予算を大幅に減らしたんです。例えば、
海軍省予算は一八%減らした、
内務省予算は二二%減らしたというふうに物すごく減らしました。ただひたすらそれに回さなきゃいけないということをやっているんだけれども、この国の
予算を見ますと、
阪神・
淡路大震災の翌年もそれぞれにふやしていった。
一体これは何だろう、私は
被災者の一人として
怒り心頭に発したことがあります。やっぱりこのことを考えていただきたい。財源の問題より先に、この国の
あり方の
根本の問題として考えていただきたい。
予算の再配分とか、あるいは各
予算の項目から少しずつ出すとか、いろいろなことが考えられると思うんです。そのことをやっていただきたい。
この期に及んで、やはりここで大事なことは、まず第一に
公的援助が必要であるということ、大
災害において
公的援助が必要であるという
原理原則を立てていただきたい。それからその次には、それは一時的なものではなくて恒久的なものにしていただきたい。
阪神・
淡路大震災の
犠牲者の死をむだにしないためにもぜひ恒久的なものをつくっていただきたい。
というのは、私は西宮の住人として
六甲山を見ています。御存じのように
六甲山です。
六甲山は山が裂けています。物すごく裂けていますよ、いつ風水害が起こるかわからない。私は雨が降るたびにおびえているんです。起こったらどうするんですか。またやるんですか、また一時的な
救済策を考えるのか。それより恒久的なものをここのところでつくらなきゃいけない。しかも、
阪神・
淡路大震災から出発する。これは遡及しない法律を
幾ら論じても仕方がないんですね。やはりここは
阪神・
淡路大震災から出発しないと、余りにも
本末転倒な議論が横行していると思うんです。
だから、この国の
あり方として考えていただきたいのは、
災害に対してどう考えるか。まず第一に、
土台になるのは国なんです。国が
責任をとってやる。国が
責任をとる、これは
民主主義国家の
根本なんです。国が
責任をとってやる、
土台を形づくる。その上に
地方自治体が、やはりこれは住民への配慮をしなきゃいけないからその上に乗る。それで最後にお金が足らぬようになることは決まっているでしょう、そうしたらそれが
義援金なんです。
義援金がその上に乗る。この
三つの
土台、一番の
土台は国なんです。国の
責任なんです。そして
地方自治体がその上に乗る。これはピラミッドを考えてください。一番
土台になるのは国なんです。その上に
地方自治体が乗る。そして
義援金が乗る。
ところが、今までの
やり方というのは
義援金だけで賄おうとしたんですね。これはむちゃくちゃなんですよ。世界にあるまじき国ですね。だから、そこのところを考えていただきたい。やはり国が
責任をとることは国政をつかさどっている
皆さん方の
責任だと思うんです。ぜひこのことをやっていただきたい。それを真剣に討議していただきたい。
今
三つの
法案があるならば、私
たちが望んだことは、
三つの
法案がこの
テーブルの上に並んで、
三つの
法案がそれぞれ互角に闘い、いろんなことを言うと。
私
たちは
たたき台を出しました。私
たちの
法案が最初に提示したのは、例えば全壊五百万円とかいろんなことを考えたけれども、
コンセンサスで考えられるのは
たたき台として出そうじゃないかといって、年収の
所得制限は一千万円、大体八割ぐらいはカバーできると思うんです。それから、全壊が三百万円、半壊が百五十万円、それを
テーブルの上に出す。そして野党の方も出す。あるいはまた、今取りざたされている、共同提案されているようなところも出てくる。
三つがそれぞれの
たたき台を出し合おうじゃないか。
三つがそれぞれにわあわあやったらつぶれてしまう。これは一番大事なときですから、それぞれが無理ない範囲で
三つの
法案をにらみながら出す。そして、ここで堂々と討議をして
理非曲直を明らかにする、取るべきものを取る、できないものはできない、それでいろんな議論をしていこうじゃないかと、そのことを私
たちは望んできたんです。ところが、それがなかなか
実現しない。これからでも遅くないからそれをやっていただきたい。
本当に
議会制民主主義を真剣に考えるならば、それは一番大事なことじゃないでしょうか。
今、
日本国の中からこの
法案を支持する声が山と来ています。
皆さん御
承知のように、前の方で座り込み、きのうもデモをしました。たくさんの人が歩いてきました。それだけでなくて、今三週間ぐらいの間に私
たちに、賛成・支持のファクス、はがきというものが二万千を超えています。二万千が殺到しているんです。今も殺到して来ています。このことをお考えください。
その中に共通するものがある。
人間の国をつくってほしいということなんです。
経済大国だけじゃなくて、
経済大国を
土台にしてちゃんとした
人間の国をつくったらどうかと。
人間の国という私
たちの
テーマは、私がいみじくも発した
言葉なんです。
私は
朝日新聞の「論壇」に書いたことがあるんですけれども、その前に外国の
新聞記者がやってきた。いろんな国の
新聞記者がやってきたり、テレビの記者がやってくるんです。その
人たち、
アメリカ合衆国、
西ヨーロッパの
人たちは当然この
経済大国は
公的援助をしていると思ってやってくるんです。していないと知ってびっくりするんです。いみじくも彼らの発した質問というものは、ここは
経済大国と違うかと言うんです。私もいみじくも答えた。そのとっさに答えたのは、
経済大国かもしれないけれども
人間の国とは違うんだと思わず言ってしまったんです。
そのことが
自分の
テーマなんです、
人間の国をつくろうじゃないかと。
経済大国だけではこれはもう
人間は死に絶えるということになる。
経済大国であるならば、それこそその力を使ってぜひ
人間の国をつくろうじゃありませんか。そのことをやっぱりここの場で
超党派で議論していただきたい。
我々の
法案はまだ生きています。我々の
法案もこれから
一つの案として
一緒に考えていこうじゃないか、そのことを私は非常に痛感いたします。
そういうことをしないと
本末転倒なんです。つまり、
国家がちゃんと面倒を見て、
地方自治体も面倒を見て、その上に
義援金がある、それが
本当の
やり方です。ところが、
義援金だけでやろうとする。これは
本末転倒でしょう。あるいは、これからの
災害に備えるけれども、
阪神・
淡路大震災は
附帯決議ぐらいでいいというのも、これも
本末転倒じゃありませんか。やはり
附帯決議をするならば、真剣にこのことをお考えになって、
本当の
意味の有効な
附帯決議をつけ、
本当にそれを実行すること、私
たち市民はそれをずっと見守りたいと思うんです。私は運動を続けます。そして私はそれを見守りたい。
被災者の
人たちがたくさんここに来ています。その
人たちと
一緒にこの行方を、どういうことになろうと、私
たちの一番理想的なのは私
たちが今提出している
被災者等支援法案なんです。その中で一番無理のない形も提示した。一千万円、三百万円、これは
幾らでも議論できる。これは
たたき台なんです。そのことを含めてこれから討議していただきたい。そして、積極的な方向で新しい
国づくりの
根本をつくっていただきたいと思うんです。
私は知事ともしゃべりましたけれども、
市民運動の力でここまで来たんだということを知事も喜んでいました。しかし、
知事等も含めて、彼も
本当はここまでやりたいと思うんですね。しかし、それがいろんな制約からできないと思うんです。
市長たちも皆言っています。
その
意味も含めて、私は、このことを真剣に
皆さんに討議していただきたい、その結果をぜひ有効なものにしていただきたいということをお願いして、この話を終わりとします。
どうもありがとうございました。