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山本一太君 ちょっと私も戻るんですが、まず、
福本先生の方からこれからはどんどん
国会も
ODAにきっちりとチェックを入れていかなければいけないという
お話があったんですけれ
ども、もちろん私も全く同感でございまして、別に
国会が
外交政策、この場合、
ODA政策に
関与することが悪いと言うつもりはありません。ただ、その
方法として、先ほどから出ている
法律もあれば違う
方法もあるんじゃないかという
意見ですから、そこは誤解をいただかないようにというふうに思います。
山崎先生の方からさっきもいろいろあったんですが、立法府として常にきちっと
法律に基づいてやるのが基本だという
お話はそのとおりだと思うんですけれ
ども、そうするとすべて
法律でやるかというとそうではないと思います。
法律をつくることがいい場合と、
法律をつくらないでやることがいいという判断もあると思うし、例えば
ODA基本法というものを
国会の場で
議論して、これをつくらなければ
国会の怠慢であるという話があるとすれば、それは私は違うと思います。もしそうだとすれば、
援助をやっている国で
法律のないところは全部
国会議員が怠慢なのかというような
議論にもなってしまうんではないか、そういう気がしています。
そして、
外交の分野とか
ODAを
外務省の専断で行ってはいけないというような、どうもそういう
お話がさっきも
永野先生の
国益という論点から出てきたと思うんですけれ
ども、私はもともと
外務省の利益のために
ODA基本法のことを
考えているわけじゃないんです。私は、ちょっと全体的な話になりますけれ
ども、
現行の
システムでも個々の
国会議員は十分に
外交政策と
ODA政策に影響を与えられると思います。これは自戒も含めて言いますけれ
ども、毎年送られてくる
ODA白書それから
外交青書を全部読んでいるかな、
国別援助指針の資料を全部読んでいるかなど。そういうものを十分に研究し情報を仕入れて、それを例えば与党であれば
委員会であるとか部会であるとか、いろんな場所で実はインプットできたんではないかという気がしています。
さっき
山崎先生が言われたように、
外交を専権的に行うのは一応
政府・
外務省ということになっているわけなんですけれ
ども、これまでえてして、
外務省が例えば常任理事国入りの問題なんかでも暴走しているとか、この件は
外務省が専行しているという話があるとすれば、私はそれは自分も含めた
国会議員の怠慢じゃなかったかと。すなわち、
外交政策を勉強している暇はほとんどありません。
外交政策をやっていると大体選挙に落ちるというのが今までの常識だし、地元で
外交政策の話をしても、
ODAをうちの村によこせという話になっちゃったりするものですから。それはやはり
国会議員のやり方で、
ODA政策に
法律がなくてもいろんな
意味で
関与し、また影響を与えるんじゃないかと私は思います。
さっき
上田先生が
中川先生の
本邦初
公開という
発言の話をされて、実は私もあれはずっと
考えていたことです。非常に同感だなと思ったのは、例えば
アメリカは、大統領制と議院内閣制という違いもあると思いますけれ
ども、とにかく行
政府が立法府をうまく使っている、すなわち議会が怒っているからこうだと。こういう
二つのアプローチでレバレッジとして使いながらやっているということは、やはり私は
日本の
外交でもやるべきだと思う。ことし、実はそういうことを目指して、
議員外交がしっかりと
外交政策に波を起こす
方法をいろいろ
考えているわけなんですけれ
ども、あの
中川先生の
お話は非常におもしろいと思いました。ただ、それが、
ODAについて
政府が外に物を言うときに、
ODA基本法でなくてもいいんではないかなというふうには私は思いました。まず、それが一点です。
それから、あと
田先生がミャンマーの
お話で、
一つの例として
援助基本法みたいなものがあればミャンマーへの
援助はできなかったというふうな
お話をされたんですが、そこは文字どおり
国益とか人権というものの判断の問題だと思います。
確かに、ミャンマーは必ずしも民主化が進んでいる
状況じゃない、いろいろ懸念されることもあるわけです。私もUNDP、国連開発
計画の管理理事会なんかで経験しましたが、
日本は
アメリカ、ヨーロッパとはミャンマーについてはやや違うスタンスをとってきたところもあります。それが正しいか間違っているかというのはいろんな判断だと思いますけれ
ども、私は必ずしも西欧的な人権のスタンダードが確実に正しいということはないと思います。私の個人的な見解からすると、ミャンマーについては、BHN、ベーシック・ヒューマン・ニーズですか、そういうことについて配慮しながら柔軟に対応するという方針があったと思いますし、この場合、私は決して間違った判断ではなかったというふうに個人的に思っております。こういうことで、例えば
法律があるためにこういうことはできないということも、違う例として
考えられるんではないかなという気がいたしました。
それと、
広中先生が言われた、もう少しドナーがそれぞれ役割や地域を特化してやったらどうかという
お話は、ちょっと急のことなのでなかなか頭がまだまとまらないんですけれ
ども、
山崎先生がおっしゃったように、いわゆる地政学的というか
自分たちの経済的な権益に近いところについては
現実にそういう
援助を各国は行ってきたと思うんです。
アメリカは戦略的、人道的ないろんな
立場から重点を決めて
援助をやってきたし、
日本は経済権益ということからどうしてもアジア
中心になってきましたし、英仏は旧植民地ということでやってきた。
山崎先生が言われたように、これを進めていくと確かに何かブロックみたいなものができて機動性が失われるという話は私もそうかなと思うんですが、反面、
広中先生がおっしゃったように、地域という話ではなくて、例えば各国が持っている技術とかノウハウを生かした
ODAのやり方というのはあるかなと。例えば、これは
ODAと呼べるかどうかはわかりませんけれ
ども、核廃棄物の問題なんかで
日本が先進的な技術を使ってそういうものを専門的にやるとかいうことは
考えられるのかなと、今そんな気がしました。
ただ、アジアを
中心に
日本の
援助をやってきて、今アフリカにも一生懸命お金を随分出しているんですが、アフリカなんかは
日本は人のベースがすごく弱いんですね。例えばナイジェリアの
援助なんかは、一人か二人がわからないんですけれ
ども、大使館で経済担当の書記官が一生懸命抱えてやっている。UNDPは、少なくともプログラムオフィサーが合わせて二十人ぐらいいて、アブジャという新首都の方に何十人もいますから、全部で五、六十人でやっている。じゃ、アフリカにベースのある国際機関とかほかの国にやらせればいいかというと、逆に今度は、
日本は余りアフリカに
政治的な
かかわりがないだけに意外と確執がないので中立的な
援助ができると。
いろんなことがありますので、そこら辺をいろいろ
考えた上で、特化というよりそれぞれの国の能力とか実情に応じた
援助というのは先生おっしゃったように
考えていってもいいし、何か方式が出てくるんであれば提言に持っていってもいいのかなという
感じがしました。
長くなりましたが。