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参考人(
杉下恒夫君)
杉下でございます。
私はふだん
余り早く起きないんですが、けさ早くうちを出たら女房が何しに行くんだと言うので、
国会の
参考人だと言ったら、何か悪いことをしたんじゃないかと言われました。私は少しでもきょうお役に立てればと思っております。
私、ここの席に呼んでいただくのは二度目になるんですが、ちょっと簡単に
自己紹介をさせていただきますと、八九年に
海外駐在から帰ってまいりましてからほぼ九九年間、
経済協力だけを取材しているという変わった
記者でございます。なぜ取材しているかというと、やはり私はこの
ODAが
政治行為、
経済行為として非常に重要なことだと認識しておりまして、また、多々むだもあったり直さなきゃならない点もあるでしょうが、おおむね
目的が達成されて
開発途上国の
人たちの生活の向上などに貢献しているというふうに前向きにとらえておりまして、そのために、これをもっとよくしてさらに進めていくべきだという
観点から、この問題に
関心を深く持って取材しているわけです。
先日も、例の
ODA予算一〇%削減ということで、いろいろな方、
海外の大使の方とか
国際機関の
方たちが私
どものオフィスを訪ねてきまして、随分心配されました。やっぱり突然
援助額が減るということを大変心配されたわけです。そういう話の中でも、今、いかに
日本の
ODAというものが世界の中の
社会、特に
開発途上国の中において大きな
存在を占めているものかということを改めて認識して、これをさらによりよく進めていこうということで、私のペンの
分野ですが、できることがあればしたいというふうに考えてやっているわけです。
簡単に言えば、最近の
マスコミの
ODAに対する
論調というのは、
先生方もごらんになっていてわかると思うんですが、かつてのように厳しい
批判、まあ一部
週刊誌なんかでこれは全く無
意味な
批判をしている記事も時々な見かけますが、全体的に大きなメディアの中においては
余り厳しい
批判というのはなくなってきているんじゃないか。むしろ優しさを感じるような
論調が時々社説などに見られるようになっている。
これはどういうことかということを考えますと、非常に
ODAに対する理解が深まったとか、
記者たちのジャーナリズムから見て
経済協力の
重要性が認識されたということもあるのかもしれませんが、大きく言うと、やはり一〇%も削減されてかわいそうだとか、
マスコミがかみつく
対象として少々頼りなくなってきたんじゃないかというようなことが
マスコミの
ODAに対する
論調の
ソフト化の一因ではないか、大きな原因ではないかと私は読んでいるわけです。
マスコミに同情されるようになっては
ODAも少し情けないんじゃないか。やっぱり
マスコミから常にきばをむいてたたかれるようないろんな戦う
動きのある
経済協力、こういったものにまた復活してもらって、そしてその中でまた切磋琢磨しながらいろんな
制度なりを改めていくという方が私
どもとしてはうれしいような気もします。ですから、最近の
論調というものも静かになったからといって喜ばしいというふうには私は考えておりません。
きょうは、最初に御指定のあった、
外務大臣の
諮問機関である
ODA改革懇談会の
最終報告に対する私の
印象を述べよということでございますので、簡単に述べさせていただきます。
ここに
大島局長もおられるので
余りけなすわけにはいかないんですが、確かに今おっしゃるとおり、全部くまなく読んでみてとりたてておかしな点というのは全くございません。言うことはすべてそのとおりであります。
ただ、読んでいて新鮮味を全然感じなかったということが
一つございます。参議院の国際問題に関する
調査会で去年出された
中間報告とか、また、さっき
局長からも
紹介のありました
経団連とか
経企庁のこういった
ODA改革案と比べて、一体これがどこが斬新なアイデアなのか。もちろんそのとおりで、すべてがそのとおりになるといいことなんですが、これが出たからといって、今までのいろんな
改革案と比べてこれはすばらしいとか、ここはこういう手があったのかというような点は私自身は
余り感じませんでした。
強いて今回、特色というか、読んでいて
印象深いというか頭に残ったというのは、
国益という
言葉を非常に出しているということじゃないかと思うわけです。これはずっと読んでいきますと、
総論の初めのところに「
国際社会で信頼される国としての
存在を確保し、自らの将来の安寧を保障する道につながる」ということで
国益を述べているわけです。
ODAというものを述べているわけです。それから、
目的の中に「広い
意味での
国益の実現」、「
国際社会全体の
利益のために行動することが、
日本の長期的な「開かれた
国益」につながる」ということで述べているわけですね。
国益という
言葉は、
前回、私がここの席でもお話しさせていただいて、何人かの
先生からちょっと
言葉に対する御
批判をいただいたような気もするんですが、
国益と私が言っているのはやはり
国民の
利益ということです、何度も申し上げますが。ですから、
人道援助というのと
国益というのは結びつきにくいかもしれませんが、
人道援助によって
日本人が、
日本が、広く
国際社会から尊敬される
国民になる、国になるということは、やはりこれは
国民の
利益であり国の
利益であるわけですから、こういったことも私は広い
意味で
国益と考えているわけです。
そういう
意味で、今回の
改革懇談会の
最終報告に、
ODAというのは必ずしも
相手国のためであるとか
日本の
企業のためとかじゃないんだよ、
国民のためになっている
行為なんだということを
前面にはっきりと述べた点に、私は斬新さというか少し踏み込んでいるなどいう
印象を持ちました。
それから、
重点分野の中に国境を越えた
協力とか
紛争予防といった
分野が入っているのも、あちこちで言われていることですが、こういう中で具体的に
項目を立てて言っているということもある
意味じゃ斬新なというか、他の
報告書に比べると進んでいるかなという
印象を持って読みました。
逆に、最も私が不満に感じた
分野は、
実施体制の改善についての踏み込みが足らないんじゃないかと。これは当然、
外務大臣の私的な
諮問機関ですからいろいろな制約があると思います。ですから、無責任な
発言というか無責任な
報告、
提言はできないという
立場はよくわかりますが、やはり今
ODAの
実施体制の中で一番求められているのは
政策決定の
一元化、または
実施の
一元化。今現在十九
省庁にまたがっているような
技術協力などを一本化しないことには統一立った
政策は実行できないという懸念があるわけです。お
立場はわかりますが、こういったことにもうちょっと踏み込んでもらいたかったなということです。
それから、
重点分野の中にもちろん
人材育成というのが入っていますが、この
人材育成は
日本の
開発協力の
人材育成ということに
重点が置いてあるわけですが、むしろ
相手国の
人づくり、こういった
分野にももう一
項目立てて同列にするぐらいの強い方針を打ち出してもらえなかったかなと。
ともかく、よく言われた顔の見える
援助にかわって、やはり
人づくり援助というのは、
相手国の
国民の心に残る
援助ということで私は一番重要な
援助ではないかと。かつて行われた、例えば
賠償協力で行われた
留学生たち、今会ってみると五十、六十になっている
方たちに話しても、彼らの心の中に非常に強くそういうものが残っているということです。そういった
人づくりに対する
協力というものは非常に
持続性があって、全部が一〇〇%生きないかもしれませんが、これは今後の
日本の
経済協力の中で大きな
ポイントを占めなきゃならない。もちろん、
政府も
人づくりというものを
前面に出していることは承知しています。ですから、そのくらいの
重要性をこの中にも盛り込んでもらえなかったかなというのが私のもう
一つの
印象です。
そして、もっと厳しいことを言わせていただければ、それは、この
報告書がつくられる
段階というものを私の承知する限りは、
ODA予算が削られそうだと、一〇%削減なんということが来るとは夢にも思ってなかったようですが、どうも対前年度三%とか四%という伸びが続いていた時代に、もう来年度は下手をするとゼロになるかもしれない、一からゼロかもしれない、ここで何とか
予算を確保しなきゃならぬということがこの
懇談会ができる
一つのきっかけになったように私の記憶では認識しているわけです。そうしますと、それを含めて読んでいると、
予算を確保するための算段、特に事務レベルの話、政治的な話、もちろんさっきも言いましたように
外務大臣の
諮問機関ですからそう政治レベルの話は出てこないとは思いますが、どうも事務をうまくして事務的処理をどうすればいいかというのがここの
ポイントにあって、政治レベルの話まで踏み込んでいないというところに非常に弱さを感じるんじゃないかと思って読みました。・
もちろん、もう一回繰り返しますが、個々に言われていることについて私がこれはという首をかしげるような点はございません。ですが、さらにあえて注文をつければ、こういった点がこの
最終報告書を読んでいて物足りなかったというのが私の
印象でございます。
あと、時間がないので、今度は最近の
ODAに対する私の
考え方を少し述べさせていただきたいと思います。
時間がございませんので
一つだけ言いますと、これからの
ODAというのは
国民参加型の
ODAだということでございます。これはもうこれしか
言葉はないんじゃないかと考えています。いわゆる
国民参加型の
ODAというのは、
ODAが
政府だけじゃなくて
地方自治体それから
NGO、
民間企業、そういったものを含んでいくということなんですが、その前にぜひやらなきゃならないと思うのは、もう一回、
日本が
ODAをなぜやるかという
国民的な合意というものをつくらなきゃならないんじゃないのか。
ODAがなかなか広く認識されないという
一つの理由は、なぜ我々が税金を使って
ODAをやっているかということに対する
国民の広い共通認識がないからじゃないか。
日本の
ODAというのは、御承知のとおり、賠償から始まって、途中から黒字還流の対策としてどんどん拡大していきました。その前に、なぜ
ODAをするかという
国民的な論議が全く行われていないわけですね。ですから、
国民の間でも、
ODAは世界一の実績額を持っているけれ
ども一体何で
ODAをやっているのかという点にまだ理解が十分というか全くされていない部分が多いわけで、まず
国民参加型の
ODAをやる前に、なぜ
日本は
ODAをやるのか、なぜやらなきゃならないか、そういったものに対する合意をつくることが重要じゃないかと考えるわけです。それを踏まえていろいろな、さっき言ったような、今度は
NGOとか
地方自治体、
民間の
方たちが
参加していく
ODAという形になってくるのじゃないか。
中でも、今後重要なのは
NGOとの協調じゃないかと考えております。
NGOというのはやる気とやりたくてしようがない
人たちの集団なわけですね。そしてさらに、セミプロ的ですがある
程度の能力も備えています。そして、彼らの潜在能力というのをもっと高めれば、
日本の
経済協力の
一つの歯車として大きな要素をなす可能性を秘めている集団です。こういった
人たちがやっていくことによって
国民参加型、全
国民が
参加する
ODAというものが一層進むのじゃないか。
NGOが持っているメリットというのは幾つもございます。
一つは、国と国のレベルでは、例えば相手が紛争国でなかなか中央
政府では入りにくい
分野にでも、例えば北朝鮮などのような国でも
NGOという形ならいろんな
経済協力ができる。外交的な
一つの
側面としても
NGOを使った
経済協力というのは非常に有意義な効果を発揮することもございますし、また、
NGOというのは
政府がやっているような大きなレベルじゃございませんので、
相手国の
国民との草の根的なつき合い方、
相手国の庶民のニーズというものをいつも把握しているわけでして、そういったものをくみ上げていくことができる。もっと大きいのは、今後、こういう財政
改革の中でまず
実施人員の大量増加というものがそう望めない中にあって、彼らの人的資源というものは一番大きなわけでして、そういうものをどんどん使っていくことでも非常に重要かと考えております。
あと、
国会とのかかわりということも私はひとつぜひ
先生方にお願いしたいと思っていることなんですが、さっきもちょっと
局長からも出ましたが、
援助基本法または
ODA基本法というのでしょうか、そういったものを再考してもらえないだろうか。というのは、
国民参加型の
ODAということになりますと、どうしても
国民の代表である
先生方のコミットメントというのがもっと重要になってくるのじゃないか。
政府だけのことではなく、やはり
国会の関与というものが重要だと。
もちろん私も、
前回、ここで
援助基本法の制定というものには反対
意見を述べた方です。それは、一番危惧したことはやはり
国会の過剰な関与、USAIDに見る、
余りにもアメリカ議会の過剰な関与がAIDの業務に支障を来してしまっているといったようなことを非常に危惧したわけです。そういうことじゃなく、
国会の方々の過剰な関与というものをうまく避ける手段というものも私はあると思うので、そこに
先生方の
参加を促す
意味でも
基本法というものをと。さっきも出ました
日本国際フォーラムの
提言の中にあるのは、実は私もあの中に絡んでいるんですが、ですから適度な関与といったニュアンスを込めて、過剰な関与を避けるうまい便法として何か
基本法というものをつくれないだろうかということでお願いしたわけです。
もう
一つは、
国民参加型と言うのなら、
先生方も日ごろ選挙区の
人たちと直接接する
機会もあるわけですから、そういう
方たちを通して、
国会議員を通して
国民参加型、
国民の
経済協力に対する理解を増進するという
意味で
先生方の力というのは非常に大きいのじゃないかということで、
国会の
経済協力に対するかかわりをもうちょっとふやしていただきたいというのが私の希望でございます。