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1998-03-12 第142回国会 参議院 国会等の移転に関する特別委員会 第3号 公式Web版

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  1. 参考人の出席要求に関する件 ○国会等の移転に関する調査 (会議録情報)

    平成十年三月十二日(木曜日)    午後三時開会     —————————————   出席者は左のとおり。     委員長         牛嶋  正君     理 事                 芦尾 長司君                 野村 五男君                 江本 孟紀君                 加藤 修一君     委 員                 太田 豊秋君                 鴻池 祥肇君                 鈴木 政二君                 保坂 三蔵君                 勝木 健司君                 和田 洋子君                 瀬谷 英行君                 三重野栄子君                 緒方 靖夫君                 西川きよし君                 岩瀬 良三君    参考人        武蔵工業大学環        境情報学部教授  中村 英夫君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○参考人出席要求に関する件 ○国会等移転に関する調査     —————————————
  2. 委員長(牛嶋正君)(牛嶋正)

    委員長牛嶋正君) ただいまから国会等移転に関する特別委員会を開会いたします。  参考人出席要求に関する件についてお諮りいたします。  国会等移転に関する調査のため、本日、参考人として武蔵工業大学環境情報学部教授中村英夫君の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 委員長(牛嶋正君)(牛嶋正)

    委員長牛嶋正君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  4. 委員長(牛嶋正君)(牛嶋正)

    委員長牛嶋正君) 国会等移転に関する調査を議題とし、参考人から御意見を承ることといたします。  この際、一言ごあいさつを申し上げます。  中村参考人におかれましては、御多忙のところ当委員会に御出席賜りまして、まことにありがとうございます。  本日は、忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。  本日の議事の進め方でございますが、まず参考人から三十分程度意見をお述べいただき、その後九十分程度委員の質疑にお答え願いたいと存じます。  なお、御意見及び御答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、中村参考人にお願いいたします。中村参考人
  5. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) 中村でございます。  本日は、この国会等移転に関する特別委員会参考人として意見を述べる機会をお与えいただきまして、まことにありがとうございます。  実は私、阪神淡路大震災、三年少し前になりますが、あの当時、土木学会という会員が三万八千人おります大変大きな学会の会長をたまたまやっておりました。そして、地震が起こったということですぐに会員の多くの専門家と一緒に神戸方面に入りまして、そこでの調査に携わり、その後の地震復旧対策あるいは復興対策等学会としていろいろお手伝いをする機会を持ったわけでございます。  実は私、その地震に遭う前は、この首都機能移転というのに必ずしも一〇〇%賛成の意見を持っていたわけではございません。どちらかというと、まだまだ問題が多いというふうにも思っていたわけでございます。しかし、あの地震で大被害を受けた阪神地区に入り、つぶさに調査をいたしました。そしてその間、大きな地震が来るこの日本を今後安全な、そして安定的なものにするためには一体どういうふうなことをすればいいのかということを本当に毎日考え、悩んでいたというのが実情でございます。そういうふうな中で、どうしても一つ必要な仕事であるというふうに思っているのがこの首都機能移転ということでございます。  そんなわけで、きょうは私は、その阪神地区での経験をまず最初に皆さんにもう一度見ていただき、そしてその後、なぜ地震対策首都機能移転させた方がいいのかという私の意見を述べさせていただきたいと思います。なるべくわかりやすくということでスライドを持ってまいりましたので、初めにまことに恐縮ですが部屋を少し暗くさせていただいて、スライドで見ていただきたいと思います。  実は、この写真東京でございます。東京のちょうど山手線のすぐ外側ぐらいでございます。東京だけではありません、大阪もそうでありますし、それ以外の日本大都市は大体どれもこれも似たり寄ったりでありますが、こういうふうな大変密集した市街地でございます。これはもう皆さん日常よく御存じのとおりでございます。そこには大きな道路も本当に数少ないわけですし、公園等オープンスペースも大変少ないわけであります。  これも同じような場所であります。これは実は中野付近であります。東京では、どちらかというと住宅地としては高級な方に当たる場所だと言っていいかと思います。そこも同じでございます。十分な街路もなく、オープンスペースもなく、ただ個々建物は大変立派なのが多いわけですが、実に乱雑に並んでいるというのが実情でございます。  東京だけでなくてほかの大都市も同じでありますが、そういうふうなところにどんどん近代的なビルも建ってきました。それと同時に、以前からのこういうふうな電柱を初めとして、いろんなライフラインあるいはケーブル、そういったものが所狭しと並んでいるわけでございます。そして、その中で通っている道路はといいますと、大概の道路はこういうふうな幅の道路であります。バス二台がすれ違うのが大変困難であるというふうな道路が多いわけでございます。東京も横浜も大阪も、みんな同じ状況でございます。もう少し狭い道になりますと、こういうふうなある意味では大変温かみのある風景でございますが、しかし地震のときには大変危険な場所が大変多いのが現状でございます。  これが阪神地区で起こった住宅地被害の一例でございます。  木造の家屋は見るも無残に倒壊し、破壊されているわけでございます。そして、その地区に建っている数多くの電柱は倒れ、その倒れた電柱のために狭い道はふさがれ、その倒れた地区の中から脱出するにもこのとおりであります。外から救援に行くにも自動車は全く入れないという状況であります。少し道が広くなっても大体状況は同じでございます。きょうはたまたま電柱が倒れた風景が多いわけですが、電柱だけでなくて道路の方の陥没等もたくさんあるわけでございます。建物がふさいだのもたくさんある。  そして、阪神の場合には御承知のように早朝の地震でございました。そのために火が出ることは大変少なかったわけであります。しかし、これは本当に僥幸と言うべきであって、ほかの時間なら間違いなくこういうふうなところから各所に火が出るわけであります。  一たん火が出ると、その火は次々と燃え移る。特に、たくさんの自動車地区の中には駐車していますし、また走っております。そういうふうな自動車に引火する。そうすると、その中は本当に火の海になるわけであります。そして、そこから脱出しようとしてもさっきのような状況であります。道路はふさがれておるわけであります。外から消防車が入ろうにも入れないわけであります。救急車ももちろん来れないわけであります。  そういうふうなわけで、大変大きな被害が出る大きな可能性を持っていると言わざるを得ないのであります。  住宅地は今のような状況でありました。それでは、オフィス等はどうであるかといいますと、これは御承知のように神戸市役所であります。神戸市役所建物も、こういうふうな形で一つのフロアが完全につぶれされてしまうという状況になりました。それから、道路鉄道等のいわゆる交通インフラストラクチャーも大変大きな被害を受けたわけでございます。  私は、初めに申しましたように土木学会会員であり、土木技術を研究してきた者であります。実は、こういうふうな壊れ方をするとは全く思ってなかったわけでございます。我々の技術を過信していたといって非難を受けてもいたし方ないわけでございますが、ともかく私どもの想像を超えた大きな力がかかり、大きな破壊が起こったと言わざるを得ないわけであります。  こういうふうな破壊が、特に昭和四十年代中期ぐらいまでにできた構造物にたくさん生じたわけであります。そのころまでは、日本構造物というのはまだまだ経済的に豊かでない状況の中で苦労してつくってきた構造物が多いわけであります。そういうふうなこともあって、比較的強度的に劣るものも多いわけであります。そういうふうなものの多くが破壊されたわけでございます。  それでは、すべてがあのようになみのかというと、私は全くそうでないというふうに思っているわけであります。  実は、これも東京でございます。これは東京多摩ニュータウンであります。多摩ニュータウンであの地震が起こるということを考えると、神戸で起こったような悲惨な状態というのははるかに少なくなると言って間違いないかと思います。  一つ一つ建物が丈夫であるということもございます。だけれども、それ以上に、そこでは計画的に建物が建てられ、オープンスペースがつくられ、避難する通路が確保されということでございます。  もう少し近くへ寄ってそのニュータウンの中を見ると、こういうふうな状況であります。神戸住宅地で起こったようなことがここではほとんど起きないであろうということは想像できるところでございます。  実は、これは日本ではございません。ドイツの田舎の一つの小さな都市であります。人口にしますと三万人とか、そういった都市であります。ドイツを初めとして、ヨーロッパの国にはこういうふうな小規模な都市が大変多いわけであります。そして、そこには十分の街路がとられ、オープンスペースがとられ、建物は計画的に整然と配置されているわけであります。  こういうようなところで、例えばヨーロッパには地震はほとんどございませんが、日本のようにもし地震があったとしても、個々建物はもちろん耐震設計がされているわけでないわけですから弱いんですが、これを強いものにさえすれば日本都市よりもはるかに危険の少ないものになるということは間違いないわけであります。  そして、そこはただ防災上安全だというだけでなくてはるかに快適な都市であるということも間違いないわけであります。これは委員先生方、いろいろな機会に御見聞されて御実感されているところであろうというふうに思います。  そして今、新首都として考えているのは、実はクラスターシステムというのが前の調査会の段階で提案されて、そういうふうな方向で考えられているわけでございます。  クラスターというのは、塊とでも訳せばいいんでしょうか。こういうふうな小さな都市が幾つもある。そして、こういうふうな都市が五つとか十とか、場合によっては十五とか、そういうふうな数が集まって一つ都市が形成されるという状況であります。すなわち、一つの小都市の中にこういうふうな、ある場合は官庁がありますし、あるいはある場合はいろいろな住宅地等があるわけであります。そしてまた、山を一つ外れたところにこういうふうな町ができると。こういうふうなのが幾つかできた上で、全体としてそれが道路鉄道等交通機関でつながれて高速でつながれ、通信網が完備され、そして全体として一つの新しい首都を形成するという形でございます。  こういうふうな形というのは、段階的にその都市をつくっていくというときもつくりやすいわけであります。あるいは、用地を取得していくというときもつくりやすいわけであります。ある場所の用地が取得できなければそれをやめていくと、別なところを先にやっていくということもできるわけであります。そしてまた、快適な町をつくれる。自然と大変近いものがつくれるという意味でも一つのすぐれた構想であろうというふうに思っているわけでございます。  こういうふうな形の小規模な都市の集まったもの、それぞれの小規模な都市は計画的につくられている、そして個々建物十分耐震性の強いものがつくられているというふうなのが、今考えておられる新しい首都機能を持った都市一つのイメージでございます。  ここまでは、私の神戸での経験を踏まえての感想を言わせていただいたというふうにお考えいただければと思います。  そしてこれからは、首都機能移転したときと移転しなかったときと、その両方で阪神・淡路大地震のような大きな地震が起こったときどういうふうな違いがあるのかというのを考えてみたものでございます。  例えば、今ここでは関東大震災クラス、すなわちマグニチュード七・九というふうな大きさの地震相模湾を震源として起こったというときを想定いたします。  こういうふうな地震の想定を国土庁は数年前にやって、そのシミュレーション結果を出しているわけでございます。そこで出されたものは、死者が十五万人であります。そして、建物の中大破、焼失を含めますと、三百四十万戸が燃えたり壊れたりするというふうな結果を出しております。  実は、この想定といいますかシミュレーションは、この神戸地震の前に行われたものであります。神戸地震では、先ほど申しましたように、我々が日ごろ考えていたよりもはるかに大きな破壊力が働いているわけであります。したがって、場合によってはこれ以上のものが起こらないとも言えないわけであります。  特に、それが東京でこういうふうなのが起こったときというのは木造密集地域、それは先ほど写真をお見せいたしました。実は、その木造密集地域というのは東京都の区部、二十三区の約四〇%も占めているわけであります。もう中野も杉並も足立も豊島も台東区もそういうふうな、どこも本当にたくさんの木造密集地域があるわけであります。そういうようなところに先ほど見ていただいたような壊滅的な被害が起こるということを考えると、本当に恐ろしくなるわけでございます。  そして、そのときはもちろん鉄道道路にも被害が出てまいります。  実は、この三年前の大地震の後、御承知のように、東京首都高速道路を初めとして大事な交通機関では補強対策をやってまいりました。随分その補強対策は進んできたと思います。その間に何事もなかったのは大変幸いであったと思いますが、まだ完全には終わっておりません。そして、補強対策はそれ相応の効果を持つことは間違いないわけであります。しかし、だからといって地震が起こったとき、それが無傷であるなんということは全く考えられないわけであります。  電車が落っこちたり自動車が落っこちたりするような大きな被害はほとんどないかというふうに思います。しかし、そこの上に、さっきお話ししましたように建物が倒れる、あるいは電柱が倒れる、そういったことを初めとして、あるいは橋げたが部分的に破壊するというふうなことで道路が使えなくなる、鉄道が走らなくなるというのがすべてにわたって起こることは間違いないわけであります。  そうしたとき、それが例えば昼間起こったとしたら、帰宅できない人が先ほどのシミュレーションでは二百四十三万人の人がいると。特に都心三区、千代田、中央、港の三区だけでも百万人近くの人は家へ帰れなくなるというふうになるわけであります。そして、この家へ帰れない人は、自分たちの家が被害を受けているというニュースだけはもらうわけであります。皆さん、ともかく自分たちの家族が被害を受けているところへ一刻も早く帰りたいというふうに願うわけであります。  そして、この地震がもし夜間に起こったら、逆に多くの人はそれぞれの家庭におられるわけですが、例えばその中で首都機能の関連に従事している人たち、その多くは国家公務員でありますが、国家公務員あるいはこの国会の議員の先生方、職員の方々、みんなそうでありますが、出てくることができなくなるわけであります。これがまた大変大きな問題であります。  そして、もちろん先ほどの神戸市役所写真で見ていただきましたように、この霞が関の建物もほとんどの建物が決して丈夫な建物とは言えないわけであります。神戸市役所よりもはるかに丈夫だと言えるものはほとんどないと言っていいと思います。そういうふうなところの多くも被災するわけであります。もちろん民間の施設、それはオフィスであり商店であり、そして工場であるわけですが、そういったのも被災して操業は全く困難になってくるわけであります。  そういうふうな被害の結果、どんなことが起こってくるのかというのを考えてみたいと思います。  ともかく、首都機能混乱するわけであります。国会ももちろん正常に機能しないわけであります。したがって、国会中央省庁の行政も混乱をしてしまうわけであります。  そして、情報を集めるといっても、日本の一番大きな問題の一つ情報がほとんど東京に集中し東京から発信されることだと言われているわけですが、その収集・発信機能は大幅に低下するわけであります。これがその地域の中でも、そして広くは国際的にもいろんな憶測を呼び不安を呼びしていくわけであります。  そしてまた、被災地自治体、例えば東京都であります。東京都と国との連携、これもああいうふうなオフィスが壊れ、職員たちが正常に勤務できないというふうな状況では連携ができないというのも当然のことであります。多くの被災地での救援救助そしてその後の復旧復興、そういった業務もこれはもちろん地方自治体の大きな役割であります。しかし、地方自治体仕事というのは、国の立法機関そして国の中央行政機関との緊密な連携なしにはなかなか進められないのも実情でございます。  さらに、金融機能産業機能混乱活動低下が起こります。  株式市場が閉鎖される、あるいは金融機関等のコンピューターが支障する、そういったことを初めとして金融機能が十分に働かなくなってくる、混乱してくる、また産業施設の多くは被害を受けるということで、活動は大幅に低下していくわけであります。  あるいは、救助救援調整能力も低下するわけであります。  救助救援というのは実にさまざまな組織、さまざまな人々が入ってくるわけであります。自衛隊のような国の大変強力な組織からボランティア活動のようなものまで入ってくるわけであります。そして、医療機能も入ってくれば、食糧、衣類等を供給するような仕事に携わる人も入ってくるわけであります。あるいは、国内だけでなくて、国内もその地区だけでなくて全国さまざまなところから参りますが、それ以外にも外国からも、この前の神戸の例に見られるようにたくさんの救援の申し込みが入ってくる。そして、そういったのは調整しないことには十分に機能しないわけであります。その調整をやるとなると、これはどうしても行政機能がしっかりしていないと調整というのは大変難しくなってくるわけであります。そして、もちろんこの復旧復興対策もその地域での立法・行政機能混乱すると、そういった対策はおくれおくれになっていくわけであります。  この前の神戸のときは、そうした対策が大変おくれたというふうに非難されたわけであります。それでも、あのときは中央省庁が全く無傷のまま東京にあったわけであります。国会は全く正常に機能していたわけであります。そして、比較的短期間の間に多くの法律を成立させ、計画をつくり、予算を成立させていった。それがその後の復旧復興に大変大きな力になったことは間違いないわけであります。  そのときのことに関しましてさまざまな批判ももちろんたくさんあるわけであります。もっと早くできたんではないか、もっとよくできたんではないかという思いもどなたもお持ちであろうかと思います。だけれども、それがもし同じところに、国会中央省庁神戸にあったときということを考えれば、これはもう全くはるかに迅速に行われたと言っていいかと思います。  そしてさらに、我々の首都機能というのは、これは何もその首都のある地域だけの仕事をやっているわけでないわけで、全国をやっているわけであります。  東京は大変大きな人口を抱えておりますが、全国の一割であります。首都圏一都三県といえど全国の二五%であります。残りの七五%の仕事というのは、これは首都地震が来ようが来るまいが日常どおりそれを遂行していくことが必要になってくるわけであります。そして、対外的な業務もたくさんそういうふうな形で遂行しなければいけない。それが停滞するということが起こりかねないわけであります。  その結果、今申しました首都機能のさまざまな混乱の結果、そこには金融不安が起こる、さらに企業倒産が起こるという可能性が非常に大きくなるわけであります。  金融不安、企業倒産というのはたちまちのうちに全国に波及していきます。そして、昨今ではそれが全国にとどまらず世界へ拡大していきます。それは株式市場為替市場を通して非常に短期間に世界に波及していくわけであります。そしてまた、国内外からの支援もおくれがちになるわけであります。我が国社会秩序首都機能の麻痺のために混乱するというふうなことになりますと、これはもう大変ゆゆしい問題になるわけで、我が国への信頼性も大幅に低下するわけであります。そうした混乱というのは、治安、外交、経済、多方面にわたる可能性があるわけであります。  そしてまた、被災者対策の遅延というのが起こります。救助、救急医療、食糧、衣類、住宅等の供給、こういったものは大変おくれてくるということになるわけであります。そして、先ほど申しました復興対策の法案、予算、計画の設定の遅滞が起こるということになります。  そういうようなことになりますと、長期的には日本経済長期的低落が起こります。そして、東京そのもの経済的地位は大幅に低下し、それが戻らなくなってくるわけであります。また、日本国際的信用は低下するわけでありますし、人命被害の拡大そして避難生活長期化というふうなことになる。そして、果ては全国にわたって国民の生活の質の低下、所得水準も減る、医療、福祉、その他全面にわたっての水準の低下ということにつながるわけであります。  そういうふうなとき、東京から首都機能が別の新しい都市移転していたらというふうなことを考えますと、東京の生活、生産機能被害は相変わらず甚大であります。しかし、それと同時に、移転跡地を活用する、そしてそういうふうに東京は非常に危険だということで、その移転跡地を利用してのそれぞれの都市改造防災強化、そういったものが進みます。そして、人々のそういうような機運も進むということで、それと同時に東京防災対策の予算も増加させていくことが必要でありますが、結果的に防災性はかなり向上する。そしてまた、元首都機能のあったところの移転跡地利用等もあって、都心への居住もそういった機会にふえていくということでありますから、被害首都東京にあったときよりもかなり軽減するということは期待していいと思います。  それ以上にはるかにもう一つ大きいのは、新首都は正常に運営されていくということであります。  もちろん、危機管理機能は正常に機能し、それが発揮されるわけであります。治安、外交その他は正常に機能しますし、必要な場合には自衛隊の投入がされるわけであります。情報の収集と発信も正常であると。必要な金融経済不安対策を政府から即刻全世界ヘアナウンスするということの効果が大変大きいのは申すまでもございません。そして、救急救援・支援、そういったものを調整するということで、必要な場所に必要な要員、資材を送り込むということをここですることができるわけであります。  大変大きいのは、金融経済正常化対策が新しい首都機能でもって行われるということであります。場合によってはモラトリアムの発動も必要となるかもしれません。あるいは、日銀特融の実施も必要だということになるかもしれません。そういうふうにして金融不安の回避をどうしても行わなければいけないわけであります。  そのためには、国会が、内閣が、そして中央省庁が正常に機能しているということが全く大事なことであるわけであります。そうしたところに働いている人々が、自分たちの家が壊されることなく、そして自分たちの家族が、家庭が被害を受けているということを気にすることなく、専心この被災地復旧復興のために、そしてまた日本の安全、安定のために働くということができるわけであります。そしてまた、復旧復興対策の法案と予算をそうした形でもって早期に成立させる。さらには、先ほど言いましたように、被災地だけでなくて全国あるいは被害を受けていない地域に対しての業務を正常に進めていくということになるわけであります。  その結果、金融不安の回避は可能となります。そして、被災したインフラストラクチャーの早期の復旧も可能となるわけであります。道路鉄道その他の復旧も早期に可能となるわけであります。  その結果、被災した東京も、そうした交通機能その他の機能の早期の回復によって経済復旧もずっと早く進めることができるわけであります。そして、社会秩序我が国に対しての信頼性は、それだけの大きな地震があってもそう大きく落ち込むことなく維持できるというふうに考えるわけであります。  そして、東京におきましては人命被害は減少することができます。被災住民の生活確保も、首都機能が同時に被災するよりもはるかに早く実現できるわけでございます。その結果、東京復興は促進され、経済機能の早期回復が可能であるというふうに思うわけであります。  それじゃ、新しい首都機能を持ったところ、新首都と一応呼ばせてもらいますが、被災したらどうなるのかというわけであります。  そのとき、東京はもちろん被害はございません。新首都被害はといいますと、先ほど最初にお見せしたように、これを計画的につくる、計画的に土地利用する、配置する、そしてまたそれぞれの建物十分耐震性のあるものをつくっていく。実は、一九八一年以後の新しい耐震設計基準でつくられた建物というのは壊れるものが非常に少なかったわけでございます。したがって、今の基準でつくれば大きく壊れるものというのは本当に少ないと言っていいかと思います。そして、首都機能関連の職員は、夜起こればすぐにオフィスに出てくることができるわけであります。あるいは昼間起これば、自分の家庭のことを考えることなく専心その業務に邁進できるわけであります。  そういうふうにして首都機能は正常に機能します。そして、万一周りの都市が被災したら、そこに対しては迅速な救援ができるわけであります。  最後に、首都機能移転に際して実施すべきことを地震対策という見地から一言つけ加えさせていただきます。  一つは、もちろん計画的な新首都整備であります。これはもう言うまでもないことであります。それと同時に、新首都の整備と裏腹の関係と言っていいかと思いますが、東京を初めとする大都市防災対策事業を十分実施するということが大事であります。  新首都が安全であっても、東京が今までと全く変わらないというのでは困るわけであります。防災対策事業を十分実施するその契機にというふうに思うわけであります。そしてまた、東京等との通信機能は十分安全に確保しておくということであります。  さらに、この事業は始めましても二年三年ですぐ終わるものではございません。始めるまでに何年かかかる、始めてからもまだ十年十五年、場合によっては二十年とかかるわけであります。その途中でいつ地震がどこに起こるかわからないわけであります。きょう夜に起こるかもしれませんし、あるいは我々の生きている間には全く起こらないかもしれないわけでありますが、ともかくその事業の途中でも地震が起こるということを想定して、情報通信のバックアップ機能の先行整備も必要でありましょう。それからまた、ここに書き忘れましたが、地震が起こる前に地震の後の復興計画というのも綿密につくっておくということも大変必要なことであろうかと思います。  一応私の説明、大変大ざっぱでございましたが、これで終わらせていただきます。
  6. 委員長(牛嶋正君)(牛嶋正)

    委員長牛嶋正君) どうもありがとうございました。  以上で参考人意見陳述は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  本日は、あらかじめ質疑者を定めず、委員には懇談形式で自由に質疑応答を行っていただきます。質疑を希望される方は、挙手の上、委員長の指名を待って質疑を行っていただきたいと存じます。また、委員の一回の発言時間はおおむね三分程度とし、質疑及び答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
  7. 加藤修一君(加藤修一)

    ○加藤修一君 中村先生の今のお話、大変関心を持って聞かせていただきました。  東京写真が出てきて、非常に乱雑だという光景、あるいは逆に多摩ニュータウンですか、かなり整然として、土地の用途、空間のデザインのあり方によっては震災に対して対応できるのかなという印象も持ちましたし、さらにヨーロッパの小規模散在型集落、リスクが小さいという受け取り方をしましたけれども、それについてクラスターシステムという提案をなされていたように思い、非常にそういった意味では関心を持ったわけです。  ただ、日本は空間が非常に狭いということで、高密度の都市圏についてどういう形で耐震性のある都市設計ができるかどうか、それについては新しい工夫が私はあるように思ったんですけれども、先生のお話を踏まえて私なりにちょっと質問を含めてお願いしたいんです。  一つは、東京の臨海副都心開発でしょうか、いわゆる人工基盤をつくってやったものについてですけれども、いろいろとこれは耐震上大きな問題が私はあるように思って、クイックサンド現象とか、いわゆる土地としては非常に脆弱である。その開発に際し、災害になったときのいわゆる被害規模想定の観点から、先生といたしましてはどのように認識、評価していらっしゃるか。先ほど冒頭に先生は、この移転については問題があると、しかし阪神淡路大震災をいろいろ調査した結果、考え方に変化が生じたというお話がありましたけれども、それが第一点なんです。  それから二点目が、移転に当たって地理的、空間的な移動でいわゆる一極集中的な問題の解決に直接的に効果があるかどうかということなんですけれども、先ほどいろいろ見せていただいた中で、やはりソフト的な対応、社会システムをどういうふうに組み上げるかということが非常に私は大切じゃないかなと思うんですね。  それで、連邦危機管理庁あたりが考えています危機管理の都計モデルなんかを考えていきますと、いわゆる災害前の被害抑止それから被害軽減、こういった面での事前の対応策をどうとっているかという話と、それから災害後の緊急対応、復旧復興にひいてどういうふうに普段からきちっとやっているかどうか。いわゆる危機管理のロジスティック、そういったことが非常に大切なように思うんですね。そういった意味では、単なる地理空間的な移動だけで物事が解決できるというのはちょっとかなり行き過ぎのように私は思っていますので、その辺のシステムなどの面から見た対応策ということについてはどういうふうに考えればいいかという、これが二点目です。  あと、三点目といたしましては、移転費用の関係なんですけれども、これは非常に大きい。数兆から十数兆円という話になりますけれども、機会費用としては非常に大きな値だと思うんですね。移転については、移転者と、それから言葉があれですけれども残留者ということになるわけで、移転先についても大震災についての対応を当然考えなければいけないし、残留者と言うとあれですけれども、そこについても当然考えなければいけない。そういう災害対策費ということを考えていきますと、移転費用の巨大さのことを考え合わせますと、それだけの費用があれば、特段空間的な移動になります移転ということについてはあえてとる必要もないような点もあるのではないかと、そういう理解をしているんです。  以上三点についていただければと思います。
  8. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) ありがとうございます。  まず一番目の、臨海副都心のようなああいうふうな臨海部の新都市は安全かということかと思います。  これも神戸での経験が大きいんだろうと思いますが、神戸では実はポートアイランドあるいは六甲アイランド等の、専門的に水際線と言っていますが、海と陸地との境界の岸壁、それが大変大きな被害を受けました。そして、岸壁は数メートルも前へ出てきたようなものがございます。  実は、土木工学的に見て水際線という部分の設計は一番難しいわけであります。それはすぐ御理解いただけようかと思いますが、片方は土であり、片方は水であります。だから、そこに力がかかったらもう片方は支えるものがないわけですから、すぐ前へ押し出されてしまうわけであります。そういうふうなところを押し出されないようにつくるというのは、とてつもなくお金がかかるわけであります。したがって、それが全く壊れないようにするのは不可能と言っていいかと思います。そんな意味で、私は臨海副都心に関しても、水際線に関しては必ずしも安全でないというふうに思っております。  だけれども、水際線にはもちろん建物は建てておりません。だから、そこはみんなオープンスペースにしているわけであります。神戸のポートアイランドの場合なんかは、その水際線というのはもちろん港であったわけですから、そこにはコンテナ埠頭があり、ガントリークレーン等ができていたわけであります。東京の臨海副都心の場合は、そういうふうなところは大概レクリエーション用その他のオープンスペースであります。  それじゃ、島の中の方はどうなのかということであります。  そこでは、議員が今御指摘になりましたように、土の液状化であるとか、その他の大変危険な現象が起こります。しかし、今の建物は大変深いところまで基礎を入れていますし、それと同時に、その土に関しては専門的にはサンド・コンパクション・パイル法という言い方をしますが、そういった方法でもって大変強化しているということがございます。そんなわけで、実はポートアイランドでも六甲アイランドでも建物には大きな被害はなかった。あの二つの島でたしか死者はゼロであったというふうに私は理解しております。そういったことで、臨海副都心に関しましては建物の方は極めて安全であると言っていいのかというふうに思っております。  二つ目は、一極集中に関してでございます。  議員がおっしゃいますように、ソフト対策としては、危機管理対策であるとかそういうふうな対策が極めて重要であるということはおっしゃるとおりでございます。そして、これにもっともっと力を入れなければいけないと思っております。  残念ながら、あの地震の後、それが大変大事であるということを世間で大変大きく言いました。だけれども、その後それが極めて画期的に進んだというふうには私は聞いておりませんし、そういうふうにも思えないわけであります。これをもっと本格的にしなければいけないというふうに思っております。  神戸地震のときは、本当にこの問題だけでなくて、すべての日本都市の危うさ、危機管理体制の甘さ、そういったものを大きく指摘されて、何とかしなきゃという機運が盛り上がったわけであります。しかし、三年たってみると、大概の人はこういったものを忘れているわけであります。我々は、あの大きな被害を絶対に忘れてはならないわけであります。  そういった中で、この委員会でこの問題を取り上げていただいたということを私は大変ありがたく思っているわけであります。そして、今の議員の御指摘でありますが、そういうふうなソフト的な対策が大変重要であるというのはそのとおりで、ぜひこれを進める方向で御尽力いただきたいというふうにお願いしたいわけでありますが、しかし、やはりそれだけでは進まない、あるいはそれもほっておけばどんどんその機運は減っていく一方だと。そういうふうなのにまたもう一回拍車をかける、ハッパをかけるという意味も、この首都機能移転というふうなものが一つもたらす大きな契機であるというふうに思っております。  そして、それとも関連するわけですが、三つ目は移転費用でございます。  今、十数兆というふうにおっしゃったかと思いますが、これは三年くらい前の試算であったかと思います。その後、また首都移転の審議会の方でさらに細かく試算をやり直しております。その結果によりますと、国費ではたしか四・四兆円でございます。四・四兆円でありますから、これが十年、十年というのは大変短い期間で効率的にできたという場合ですから、それでいきますと年間にすると四千数百億というふうなオーダーであります。したがって、四千数百億は小さいと言うつもりはありませんが、しかし日本で今行っている公共事業の総額からするとこれはずっと小さな数字であると言っていいかと思います。日本の建設事業というのは、全体で大体七十兆、八十兆のオーダーであろうかと思います。そういうような中ですから、この数千億というオーダーというのは小さくはありませんが、これは我々ができないというふうなオーダーでは全くないと言っていいかと思います。  以上でございます。
  9. 加藤修一君(加藤修一)

    ○加藤修一君 ありがとうございます。
  10. 保坂三蔵君(保坂三蔵)

    ○保坂三蔵君 きょうはありがとうございました。  たまたま私は東京の選挙区ということで、やや東京寄りの発言、お尋ねを申し上げるかもしれませんが、その点は差し引いて聞いていただきたいと思います。  きょうは先生の貴重なお話を拝聴し、またスライドも見せていただきました。遷都だとか首都機能移転に反対する多くの都民から見ましても、きょうの先生のお話は、むしろ東京の持っている東京プロブレムといいましょうか、その中で防災問題が非常に危機的な状況にあるという御指摘をいただきまして、これはある意味では我が意を得たりの御指摘でありました。したがって、首都機能移転よりもむしろ急がれるのは、現在の東京にもっと構造上の問題点に先んじて投資を継続しなくてはいけないのではないだろうか。それは首都機能の要するに政治、経済の分離だとか、あるいは世の中の変化に見合う人心一新だとか、いろいろなきっかけというようないわばソフト上あるいは政策上の選択よりも、物理的に東京を救っておかなければ大変だというような御指摘に先生のお話を聞きました。  しかし、残念ながら今の中央政府は、例えば財政構造改革の中で公共事業の事業費の配分が、パイが小さくなりますから、それをコストと効果という点から考えれば、大都市なかんずく東京にお金を集中するのは間違いだというような判断を持っております。そういう点では、先生の御意見とは全く違うような気がするのが総論のきょうのお話を聞いた感じでございました。  質問に入りますけれども、きょうのお話もそうなんですが、例えば首都機能移転の選定基準九項目のうちに防災上の問題が一つ二つ項目で見れば入っておりましたけれども、これは実際に今回の三地域の絞り込みにどの程度のウエートを占めていたのか。先生は、当然学者としての詳細な御調査の上からの選択に一票を投じられたというか、御意見を投入されたと思うのでございますが、これは何か比較考量できるような数値のものが既にあったのかどうか。なかったとすれば、非常に科学的な論議を尽くしながらむしろエモーショナルな論議をしてしまったのではないだろうか、こういうふうな質問をしたいと思います。  先生の今の御指摘で言えば、それでは一体、東京の構造上の問題を御指摘がありましたけれども、地域として東京が危ないというのならば、三地域東京よりも安全なのか。仮に都市が形成されていなければ、一体神戸東京よりも危なくなかったのか。地震前の神戸ですね。都市の構造は東京よりも過密なところがありました。ですけれども、そうじゃなくて、更地ならば神戸東京よりも危なくなかったのか。そういうこともあえて伺いたいと思います。地域の安全比較はおやりになったのか、これが一つでございます。  それから二番目に、先生のお話を伺っておりますと、結局東京の存在の重さというものを御指摘いただきました。マグニチュード七・九にとらわれずに、一朝有事の際のパニックだとか混乱だとか、経済、すべての面での波及効果を大きくするというお話なんですが、ならば、先生の御論議を聞いておりますと、一括遷都というよりも、むしろ今話題になりかけております展都あるいは分都という御論議に近いのではないだろうか。  展都は、東京に根幹的な首都機能を残して、他の都市が言ってみれば機能の分散を受け持つ、こういうのが展都だと理解しております。また、分都は、実際問題としては国の機能を複数的にいろいろな都市が受け持つ、こういうふうに理解をしております。こういう提案ならば、大反対している東京もあるいは首都圏も比較的理解しやすいのではないかと思うのでございますが、遷都とか全部首都機能移転、すなわちキャピタルが変わるというような論議でつかめない先生の御指摘というふうに承りましたので、分都、展都の御評価をいただきたいと思います。  最後でございますけれども、バブル時代に咲いたあだ花を今東京がバブルの影響を最大に受けて、例えばオフィス床の過剰な今の状態だとか、経済が失速してどうしようもない。首都圏は、人口比で言いますと国の三分の一、四千万からあります。これが例えば首都機能移転によって、財政構造改革のような中長期的な対策としてこれが打たれた。しかし、どちらかというとそのマイナス影響、マイナス効果をもろに受けて東京が衰退するということはむしろ日本の先行きに不安じゃないかと思うんです、これは主観でございますけれども。  その質問の三番目は、例えば今ドイツがベルリンに首都移転をしているのは、先生がおっしゃっているような問題点、あそこは地震がないのかもしれませんけれども、そういう問題よりも、むしろ政治上あるいは今までの歴史上の選択からあそこに移しているわけですね。ですから、そういう点では、首都機能移転というのは世界的な潮流で見ればそれぞれの国の事情があって行われるわけでございますから、首都機能移転をしないというのも選択の中の一つには確立された意見としてあり得るのではないだろうか。こういうふうに考えておりますけれども、先生の御卓見を伺いたいと思います。  どうも済みません。長くなりました。
  11. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) ありがとうございます。  東京を安全にするのが大変大事であるというのは、これは今委員がおっしゃるのと全く同意見でございます。これはもう本当に大事で、我々大変危険なところに住んでいるわけであります。しかし、これは何も東京だけではありませんで、大阪を初め多くの日本大都市は似たような状況にあるということも確かであります。  今の御質問なんですが、一番のこの前国会等移転審議会の方で出しました三つの地域といいますか、大変広いところでございますが、茨城県から例えば宮城県まで行く二百キロくらいの長さになるんでしょうか、そういうふうな一つの帯状の地域であるとか、あるいは名古屋の近く、あるいは近畿にまで入るところというふうに三つを選んでいるわけでございますが、そういったときに防災上のことは考慮したのかという御質問であります。  数値的なものはまだ入っておりません。あそこを選んだときの認識というのは、選ぶときは東京よりも少なくとも危険の少ないところをなるべく選ぼうという意識はもちろんございます。しかし、それにしても日本じゅうどこだって地震のないところはないんだということも一つの認識であります。選ぶときにわざわざ東京より危険なところを選ぶなんということはやらないわけですが、だからといって、選んだところは間違いなしに東京より圧倒的に安全だということもありません。ただ、新しい都市は、先ほど言いましたように安全につくることは可能であるというふうに思うわけであります。これは都市計画に携わり、あるいは土木工学に携わる私から見て、間違いなくそれは言えることだというふうに思っております。  したがって、三地域は、地域そのものが今既に東京より安全かと言われると何とも言えないわけでありますが、つくった都市東京都市よりも安全かというと、これは間違いなく安全であると言えようかと思います。  二つ目は、分都の方がいいんじゃないかというふうなお話でございました。  私、きょうは実は防災、特に地震対策というふうな見地からのみお話しいたしました。地震対策という見地からすると、一括遷都も分都も効果は同じであろうと思います。分都した方がかえってやりやすいと思いますし、それから地震に対しては東京と一緒になって壊れることはないということで同じかと思います。  しかし、もっと別の観点がたくさんあるわけであります。例えば立法行政、そうした機能の効率化、効率的な運用というふうなことを考えますと、これはいろいろばらばらにあるよりも、同じところにあって立法行政中央機能が集積していた方がはるかに効率が高いと。ただでさえセクショナリズムの大変強い、縦割り行政がすぐ問題になる我が国であります。そういうふうなところですから、これはやはりちょっとでも空間的に近いということも大変大事なことであろうかと思います。場所によっては、フロアが違うだけでも行政が分かれるというふうなことが言われるくらいですから、この空間的な距離というのは私は極めて大事であるというふうに思っております。  それから三つ目の、ドイツのベルリンの話がございました。  ベルリンは、あれはたしか最後はボンに残るかベルリンヘ行くかというのを国会で採決されて、ほんのわずかの差でベルリンヘ行くというのが決まったというふうに記憶しております。ただ、ベルリンの場合は今全部集まってもたかだか四百万の都市でございます。東京は、東京都で一千二百万近い、それから今先生おっしゃったように一都三県という首都圏は三千二百万ですから、これはもうベルリンと都市の集積の規模は全くスケールが違うわけであります。  そんなわけで、ドイツはもともと大変いろんな機能が地方に分散しているところでございます。特に、大企業の本社なんかも、あるものはミュンヘンに、あるものはハンブルクに、あるものはデュッセルドルフにというふうに分かれているわけでありますが、そういった中で、やはりベルリンヘ一つに集めるのがいいというふうに彼らが考えているというのは、先ほど言いましたような集積の効果、効率性というふうなのが大変大事であるということを考えているからにほかならないというふうに私は思っております。
  12. 江本孟紀君(江本孟紀)

    ○江本孟紀君 民友連の江本と申します。  私は、こういうことに関して学問的なことは全く素人ですので、感覚的なことできょうはちょっとお聞きしたいと思います。  私は先生と反対で、最初は移転はいいんじゃないかなと思っていたんですね。むしろ千歳あたりに移しておいた方がアメリカも近いしいいんじゃないかなと簡単に思っていたんですが、この委員会をやっているうちにいろいろお聞きしたり、保坂先生の影響を受けたわけじゃないんですけれども、やっぱりちょっと疑問が残るんですね。きょうの防災という面の中で、特に地震ということで移転の方がいいんじゃないかというふうに単純に私は思ったんですけれども、これはむしろちょっと説得力が逆に一般的に、個々の議論は別として、いろんな方に聞いてみるとぴんとこないところがあるんですね。  というのは、私も疑問に思うんですけれども、例えば東京とか関東は確かに地震が非常に多い。これはいずれ大きなものが来るぞ来るぞと言っていつもおどかされているんですけれども、まだ来たためしがないんですね。だから、歴史を見ても、確かに関東大震災とか、あれは江戸時代の何年でしたか、そういった大きな地震があったと言われていますけれども、むしろこの関東の方が安全じゃないかなと。ここら辺にいるのが何か安心するなというふうな空気があって、人というのは、やっぱり直感的に安全なところへ安全なところへ集まりたがるという習性があるのではないかという気もします。  そこで、先生にちょっとお聞きしたいのは、何回ぐらいこの東京と言われる地域地震の割合といいますか、こういったものが起きたかということと、それから私は、地震予知ということで言えば、来るぞ来るぞと言われでなかなか来ないんですけれども、地震予知連もこれをあきらめたわけですね、はっきり言って。国土庁の方はまだあきらめていないかもしれませんけれども、二千何億も使って文部省管轄じゃもうこれはできませんと言ってバンザイしたんですよ。だから、東京で来るぞ来るぞと言われても、確かに南関東で四〇%の確率で来るぞと言われていますが、これを思いながら場所を移すというようなことを何か考えるのもどうかなと。  そういうことで、私は、学問的にこの地域地震が来るから移すということであれば、予知もできているんだという実証があって初めて学問的な移転ができるわけでして、それがないのにどうもその辺がちょっと納得がいかないなというのが一点です。  それから、私はここへ六年前に参加したんですが、最初、災害対策特別委員でして、釧路沖、帯広、奥尻、それから最後に神戸の大地震と思い切りでかいのが来て、ほとんど視察しまして、神戸の方も四日目にたしか衆参で一緒に視察しました。私、あの辺に十年住んでいましたので、どうも気になってヘリからそのまま四日ほど現地にいたんです。  そういうことで、いろんな人からいろいろ話を聞いたり、私が住んでいたときからの感覚からいいますと、十年ほど関西にいて東京へちょっとある事情があって追い出されまして行ったときに、時々関西へ帰ってくると、おまえはよくあんな関東みたいな恐ろしいところにいるなと、関西は地震一つない、こんな安全なところはないというようなことを冗談でよく言われておりました。地震が起きたときに、私は甲子園やらあの辺の近所を回って、おまえら覚えているかこの言葉を、おれにあんなことをよく言ったなと。これは関東でもないようなえげつない地震じゃないかと。  ということは、そのときいろいろ聞いたんですが、やはり防災地震とかいうことに全く無関心なんですね。きょう芦尾先生がいるから余り言えませんけれども、そういう意識がないというところ、防災訓練もろくにしていない。これはいろいろ政治的なこともあるでしょうけれども、あの地域は特にそういうことをやっていないところです、神戸市も含めて。だから地震被害が、それはもう東京の今のおどかされている人たちと比べたら全然比較にならないんじゃないかなという疑問があります。  それでもう一つは、私は、移転費用をいろいろかけるよりも、むしろ東京防災のための費用をつぎ込んだ方がいいんじゃないか。例えばFEMAという組織がアメリカにありましたが、あれは神戸の大地震が起きる一年半ぐらい前に災害対策特別委員会で私は提起したんですよ。こういう組織を早くつくらないと、どかんと来たらもうがたがたになるぞと。警察、消防、自衛隊、無線も何もみんなばらばらで、市役所や県庁の防災課も全く連絡がとれない。むしろ、そういったことをしっかりやることの方が今は先じゃないかなと。  これはなぜこういうことを言うかといいますと、きょうの場合は、先生が一応防災地震ということで移転をした方がいいということであるから、私はこの点についてお聞きしているんですが、この二点をひとつお願いしたいと思います。
  13. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) 東京地震が来ないんじゃないか、大変安全じゃないかとおっしゃるわけですが、江本議員が生まれて今まで来られた間は安全であったということだけであって、これから先安全であるかと言われると、これは大変問題が多いのではないかと私は思っております。  東京にいつ起こるのか。地震というのは、間違いなく言えることはまた来るということだけのようでございます。いつ来るというのはわからない。ただ、それを統計的に六十年だ七十年だというのが出てくるということであって、一九二三年に関東大震災がございました。それからその前が一八五〇何年だと思いますが、黒船の来るころに安政の大地震がございました。そういうふうなことで、大体七十年とかそれくらいの周期で来ているからもうそろそろ危ないんだということであって、これは別に確固とした理論があるわけではないというふうに私は思っております。  それにしても、私自身は地震学者でも何でもありませんので、地震がいつ起こるか、予知できるかどうかというのをここでお話しするのは控えさせていただきたいと思いますが、私も江本先生もみんな間違いなく思うのは、いつかは来ると。それがきょうかあしたか百年先かわかりませんが、来るということだけであります。  そうしたときに、やっぱり万が一に来たときの被害が余りにも膨大であると。東京都民の被害は大きいわけですが、それだけでなくて日本全国民にまたがる被害が非常に大きい。そして、日本がせっかく営々として築いてきた地位、これは経済的な地位もありますし、その他もろもろの地位もあるわけですが、それが本当に取り返せないところまで落ち込んでしまうのではないかということを大変恐れるわけであります。そのために東京を強くするというのは先生おっしゃるとおりでありますし、さっき保坂先生もおっしゃったとおりでありますが、私もともかく東京防災事業をもっと大々的に進めなければいけないというふうに思っております。  だけれども、先ほども言いましたが、あの地震の後はみんなそういうふうな機運になったんですが、残念ながらここへ来て東京防災上の事業がどんどん進んでいるとは全く思えないわけであります。首都高速道路とかそうした道路の強化その他はされておりますが、全体の防災事業がそれまでよりも格段に進められたということは全く思えないわけであります。私は、この首都機能移転なんというのは、それを思い切って進める大変大きな契機であろうというふうに思っております。  したがって、先ほども言いましたが、首都機能を移す事業と一緒に、それと裏腹な関係で、私は東京だけとも思いませんが、特に影響の大きい東京に関して防災事業を徹底的に進める、そのためのお金も注ぎ込まなければいけないというふうに思っております。  それからもう一つ、さっき関西の方が安全と言われていたというのもそのとおりで、私も実は関西の人間でございますから、そんなわけで東京よりもはるかに向こうは安全だと思っていましたし、東京へ来たときは地震が怖いというふうな意識も持っていたわけですが、そういった意味で関西の方々は、やはりそれに対しての認識が少なかった。それは関西の方々だけでなくて大変多くの、我々も含むと思うんですが、認識が少し甘かったんじゃないかというふうな反省はございます。  そんなわけで、日本じゅうどこに新首都を持っていっても、そこが絶対安全な場所というのはないというふうに私は思っています。だけれども、安全な都市をつくることはできるというふうに思っているわけであります。  ひょっとしたら、新首都をつくったとき、新首都の方へ地震が早く来る可能性があります。東京は何も起こらない、東京にいた方がよかったじゃないかと言われるかもしれません。だけれども、そのときも新首都は多分ほとんど大きな被害を受けることがない、そういうようなことはできると思っております。
  14. 江本孟紀君(江本孟紀)

    ○江本孟紀君 ありがとうございました。
  15. 瀬谷英行君(瀬谷英行)

    ○瀬谷英行君 関東大震災が一九二三年ですが、私が生まれたのは一九一九年、したがって関東大震災は四つのときに体験しました。ただ、体験をしたと言っても、そのときの状況を正確には覚えていない。正確には覚えていないけれども、畳の上でおもちゃの電車を転がして遊んでいたときに突然体が宙に浮いた。母親が私を横抱きにして表へ飛び出した。飛び出した瞬間に向かい側の二階家の屋根から屋根がわらが土煙を上げて落下をしてきたわけです。土煙を上げて落下をしたそのちょっと早く、そこの家の奥さんが裸で飛び出したんです。裸で飛び出したというのは、今と違って服装が違いますから、まだ九月一日は暑いときだったのでその奥さんは腰巻き一つでいたんですね。あの向かいの奥さんは腰巻き一つで飛び出したなということを、四つの年でしたけれども、まだ覚えています。そういうことがあったんです。  当時私が住んでいたところは、今で言う文京区です。小石川だったんです。その瞬間的な横揺れの怖さというのは記憶にないんですけれども、それが日が暮れて真っ暗になってから、神田の方面が、あるいは東京では下町と言いましたが、本所、深川の方向の空が真っ赤になったんですよ。空が真っ赤になったのが何だかさっぱりわからない。ともかく父親は帰ってこない、母親は子供を抱いておろおろすると。何が起こったんだか情報が全くなかったんですね。当時は、テレビもなければラジオもない。それから、情報というのは新聞とか号外とか、こういうものしかなかったんです。だから、一体どこで何が始まったかということが全然わからないまま、大人も、もちろん子供も、ただ真っ赤な空を見て、あの火の手がこっちへ向いてくるのかこないのかわからないからみんな恐怖におびえていたわけです。そういうことを今でも覚えているんです。  小学校から中学に入った段階でもって、関東大震災というものを詳しく学校の先生からも聞かされました。そして、何が一番問題だったかというと、密集地域でもって火災が起きたと。それを消すための手だてがなかった。そして、それがどんどん広がってきたと。どうしてそうなったかというと、特に浅草からあの近辺ですね。どういうわけだか知らないけれども、観音様だけ焼け残ってあの周辺は全部焼けちゃった。四方八方から火災が攻めてきて、それが被服廠跡という広場に、どういうわけであそこに広場があったかわかりませんが、被服廠跡と言うんですから前は被服廠があったんでしょう、そこへみんな逃げ込んだ。逃げ込んだ人の周辺から火災が来て、その炎が一緒になって一つになっちゃった。そのために、その炎の下に逃げ込んだ人たちは焼け死んだというよりも酸欠でもって窒息死した。こういうことを当時中学のときの先生から聞いた覚えがあるんです。そういうことは、自分が体験した震災の詳細の説明でしたから、今でも覚えているんです。  その結果どうなったかというと、十何万だかの人が死んだということですね。一遍に十何万の人が死ぬということがあり得るのかと思いましたが、戦争の末期、三月十日に東京大空襲がありました。東京大空襲があったときに、米軍はわざわざ下町を選んで焼夷弾を雨のように降らせた。焼夷弾の壁をつくって真ん中から逃げられないようにして、そして火災を起こした。そのためにあの三月十日の空襲では何万だか何十万だかの数え切れないほどの人が、詳細を調べようがないぐらい大勢の人が焼け死んだということを聞いているんです。  さっきのスライドで見ましたけれども、やはりバスがすれ違うのがやっとという道路が今でも東京にはあるんです。それは私は非常に怖いと思うんです。  その震災を受けた当時は今で言う豊島区でしたけれども、父親はやはり下町の方は物騒だと。だから、父親の同僚は練馬に、あのころは田園地帯でしたから練馬に土地を買ってうちを建ててそこに住むと。新しいうちができたから見に来いと言われて子供のときに父親に連れられて行った記憶があるんですが、そのときにおれはあんな田舎には住みたくないと。だけれども、今で言うと練馬区の江古田の近辺なんです。今はもう住宅地になっちゃったんです。あんな田舎になんて失礼な話は言えない状態なんですよ。  だから、そういうことを考えてみますと、やはり密集地帯がまだたくさん残っておるということは、ほうってはおかれないと思うんです。東京の人は、やはりああいう超過密地帯というものをどうするかということを考えなきゃならぬと思うんです。  道路を広げるといったってそう簡単に広がらないですよ、道路は。それから、密集住宅というものを解消するといったってそう簡単にいかないですよ。東京湾でも埋め立てをするというなら別だけれども、そうもいかないだろうと。そうかといって、一度ああいう大震災があったんだから当分もう東京には地震は来ないだろうというふうに断言できるかというと、どなたもその自信はないだろうと思います。  だから、そういうことになりますと、いつ起こるかわからない大地震に対して、やはりどうしたらいいかということを考えなきゃいかぬと思う。東京を何とか首都として残そうと思うならば、やはり狭隘な道路とか密集住宅とかいうものを解消する方向でいかなきゃいかぬ。  ドイツのお話が出ましたけれども、ベルリンを私どもが訪れたときには、裏町まで行ったわけじゃありませんから裏町の状況はわかりませんが、我々が歩いた範囲では自動車がすれ違うのに困るような道路というのはなかったような気がするんです、ドイツでもフランスでも。それが日本では、いまだにバスがすれ違うのがやっとこさっとこというところがあるんですからね。  そうすると、こういう状態をそのままにしておいて、そして震災対策とかいろいろなことを言ってみても、抜本的な解決策というのはないと思うんです。だから、そうなると、そのためにはどうしたらいいかということを真剣に考えなきゃいかぬだろうと思う。  江戸時代に大地震があったという事実があるんだから、関東大震災からこれだけたったんだからもう来ないだろうということはこれまた断言できないだろうと思う。だから、その点をやはり考えて、東京をスリムにするためには根本的にどうしたらいいかということを考えなきゃいかぬだろうという気がいたします。  実際に大地震がもし起こったら、これはとんでもないことになると思います。これはもう阪神の大震災なんかも一つの教訓にしなきゃいかぬだろうと思う。教訓にして、この東京のあり方というのを考えるのが我々としては大事な任務ではないか、こういう気がいたします。一言お願いします。
  16. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) 都市を安全なものにしていくというのは大変難しい事業であるとおっしゃいました。全くそのとおりだと思います。したがって、東京は大変危険だということを何回も言いましたが、それを危険でないようにしていくというのはもう本当に大事業であり、これは百年、二百年かかる仕事であるというふうに思っています。しかし、それは必ずやらなければいけない。  今、議員がおっしゃったヨーロッパの例でも、例えばパリなんていうのは、あれは大変な苦労をしてあそこの町をつくっているわけであります。  一八五〇年代、今から百五十年くらい前、オスマンというセーヌ県の知事がおりました。東京都知事のような立場であります。その人が中心になって、それまでパリは地震はありませんが大変汚い、快適でない、衛生的でない都市だったようであります。道も狭い。それをあのシャンゼリゼを初めとして大きな道路をつくり、大きな公園をつくり、快適な都市にした。  そして、それをつくっていく途中ではお金ももちろん大変かかるわけであります。それから、住民の大変大きな反対にも遭うわけであります。フランス人は日本人よりもはるかにそういうふうな事業に対して、公共のものに対して協力的かというと、決してそうは言えないように思います。ましてや、その何年か前まではあの大革命をやって国王をギロチンにかけるというところまで過激なことをやってきた国民であり市民であります。そういうふうな中であれだけの都市整備事業をやったというのは大変なことだったわけであります。事実、それをやったオスマン知事は最後は失脚し、失意のうちに亡くなるわけであります。だけれども、その後また何年もかけてその事業を続けてできたのが今のパリであります。そのパリを世界じゅうの人が花のパリと言い、立派な町だと言い、集まるわけであります。  そういうふうな意味で、都市づくりというのは大変時間もかかる、そして大変大きな反対にも遭う。だけれども、これはやっぱり政治家も、そして都市計画その他に携わる人たちも何年間かは命をかけてやるに値する仕事であろうというふうに思っているわけであります。そういうふうなことで、オスマンなんという名前を今もって多くの人が、フランス国民はもちろんみんな知っていますし、我々などもよく知っているわけであります。  そんなことで、東京もぜひそういうふうなことをして安全な都市にしていただきたいというふうに思うわけであります。臨海副都心なんというのも、そういうふうな意味一つあったんじゃないかというふうに思っております。ただ、残念なことに、先ほども申しましたように、それが必要であるということが言われ、大変困難であるということが言われる。だけれども、それに対して打たれた手というのは、臨海副都心を除けば本当に少ないわけであります。  そういったことで、新首都をつくっていくというふうな事業が契機となって、そしてそのときに残された土地が種地となって、それがどんどん回転していって、東京の危険でしかも快適でないところを立派なところにしていくということです。東京を安全で快適なところにすれば、私はこれは世界一の立派な大都市になるというふうに確信しているわけであります。こんな安全で清潔な巨大都市世界にないわけであります。  ただ、東京のだめなところは、いつ地震が来るかわからないその危険さと、そして狭い道、狭い家、そういうふうなものに代表される都市的な生活の快適さの欠如であります。それをどうしてもやらなければいけない。それの一つの契機がこの事業であるというふうに私は思っているわけであります。  ともかく、そういうふうにして東京経済東京の文化、それを大事にする。だけれども、それと東京の政治・行政機能を同時に被災させてしまわない。どっちかがいかれてもどっちかが生きていればそれは補える。日本はそれを取り返すことができる力があるというふうに思っているわけであります。だけれども、両方ともが同時にやられたときというのは、これは本当に日本沈没になってしまうということを恐れるわけであります。
  17. 緒方靖夫君(緒方靖夫)

    ○緒方靖夫君 日本共産党の緒方靖夫です。  きょうは別の所属委員会が開かれておりまして、途中抜けて大変失礼いたしました。  私は、審議会での議論について先生にお尋ねしたいんです。  実は、いろんなことを漏れ聞くわけですけれども、例えば二月二十五日付の読売新聞に報道され夫こととも重なるんですけれども、審議会の下河辺委員を中心にしていろんな案がまとめられているということで、その一つとして、南関東大震災の可能性を視野に入れた緊急避難地としての候補地の選択という提起です。それから、これはちょっと信じがたい話なんですけれども、皇居移転などを含めた本格的な首都移転候補地、これを二つに分けて検討するという、そういう案だというんですね。  この真偽のほどをひとつお聞きしたいんですけれども、とりわけ前者の方、この問題については、この中で下河辺委員の提案ではということで、東京首都圏直下型の大震災に見舞われた場合、現状では首都機能が麻痺しかねない、このために災害発生時に危機管理の司令塔的役割を果たす移転先を一日も早く確保する必要性を重視する、そして国家的一大事業としての移転論とは一線を画したものにならざるを得ない、そういうことが一つ述べられているんです。この方向で、来年秋をめどにした最終的な候補地の選定作業が、事実上緊急避難地の絞り込みを先行させる形で進むことが予想されるという、そういうことが言われているんです。  この真偽のことを全体としてお尋ねしたいんですけれども、私が思うには、このとおり、特に災害対策ということを優先して考えるということでいうと、従来の移転論とは相当大きな変化が生まれる、また生まれていると思うんですね、この議論の中には。それが一つです。  それから、とりわけ東京の扱いなんですけれども、比較考量するという関係でいうと、結局、関東の大震災を回避するための地震対策優先の移転ということになると初めから東京は除外されているわけです。したがって、東京との比較考量ということは初めからないということを前提にして選考過程がずっと進むことになる、最終的なことを含めて。ですから、そうなると一体これまで行われてきた国会移転の論議というのは何だったのかなという気がするんですけれども、その点、ちょっと先生にお尋ねしたいと思っております。
  18. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) まず最初に、読売新聞に載ったというふうな話ですが、その内容について、少なくとも私がかかわっている限り、国会等移転審議会ですか、あそこの中で議論したことは一度もございません。したがって、それは委員の一人である下河辺さんの個人的な考えとしてあるいはそういうふうにお出しになったのかもしれませんが、あの審議会としてそういうふうなものを出したことは全くございません。  ただ、先ほどもこの中で最後にちょっとお話ししたんですが、この事業というのはかなり長期間にわたって進めていかなければいけないものですから、その間の途中の過程で何が起こるかわからない。その途中の過程で大変な混乱が起きたら困るわけですから、そのときに常にそういうふうなバックアップ体制というのを整備しながらやっていくということは大変必要であると私は思っております。  それからもう一つの点ですが、東京との比較考量というときに、私自身は、これは審議会ということでなくて中村個人というふうにお考えいただきたいんですが、今言いましたように政治・行政機能経済・文化機能東京はこれを両方とも大変大きな集積を持っているわけですが、これの同時被災は絶対避けるべきだというふうに思っております。したがって、それが同時に起こらないようにしていくということが絶対に必要であるというふうに私は考えております。
  19. 緒方靖夫君(緒方靖夫)

    ○緒方靖夫君 関連してですが、そうしますと先生、災害対策優先とかそういうことは議論としても一切なくて、これまでの首都移転の選考の基準でやられている、進めているということですか。
  20. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) 別に災害だけでなくていろんな観点から議論されているわけで、きょう私は、たまたまここで地震のことについてということですので、それを中心にお話ししているというだけでございます。
  21. 芦尾長司君(芦尾長司)

    芦尾長司君 震災当時、副知事を務めておりましたので一言。  一つには、今先生もおっしゃいましたように、首都機能移転ということと、それから首都がこれから被災することを考えての対策ということを分けて急いで考えておく必要があるだろうなという気は私もいたしております。  それを前提に置きまして、首都機能というのがなかなか定量的なものとしてまだ私自身もはっきり勉強できていないんですけれども、いずれにしてもこの前は、阪神淡路大震災では地方の情報センターがやられたときの大きな例が一つ教訓としてできたわけです。だから、今度は首都情報センターがやられたときのシミュレートというものを少し具体的にやっておく必要があるのではないかなという気がいたします、そのときにどういうことが起こるのか。  阪神淡路大震災のときには、すぐにも国の方の予算を措置していただいたり、国からのいろんな情報によりまして皆救援いただいたけれども、首都がやられたときにはその機能がなくなることになるわけですから、今度はどういうことが起こるか、二重にかぶってくるのかどうか、そういうシミュレートをしておくことが大きな課題になるのではないかなということが一つ。  それから、兵庫県の場合は阪神地域がやられました。阪神地域がやられたものですから、阪神地域が大変だということで阪神にいろんな力が注がれるのは、これはこれで県民感情としてはとりあえずは仕方がないなどいう感じになるんです。しかし、しばらくたちますと、震災も大変だけれども他の地域の振興策も考えなければならないというような状況も出てくるんです。今度はこれが全国版で起こってくるわけですから、そういうことでの首都機能が本当に今の段階でなくなったときに、全国版でどういうようなことが起こるのかということを考えておく必要があるんじゃないかなという気がします。  それからもう一点、これは本当に個別の話なんですけれども、阪神淡路大震災の場合は、これはもう先生もよく御存じだと思いますけれども、災害廃棄物の処理場が大阪湾にありましたものですから復興があれだけスムーズにいったわけですけれども、関東がやられたときの災害廃棄物が一体どういうふうに処理されていくのかということによって、範囲も広いでしょうし、その捨て場所がないわけですから、復興阪神淡路よりは相当期間がかかるんじゃないかなという心配を私自身はいたしております。  ちょっと感想めいたことで恐縮でございますけれども、申し上げたいと思います。
  22. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) 委員のおっしゃるとおりかと思います。  阪神淡路のときは、先ほども申しましたが、復興がおくれたと言われました。おくれたものも少なからずあったわけですが、一方で大変遅いとは言われながら、比較的短期間の間にあれだけの法案を成立させ予算を片づけしたわけで、これはやはりいわゆる首都機能が全く混乱することなく進められた結果であろうと思います。  それでもなおかつあれだけの時間はかかりましたし、そしてその復興に時間がかかったというのが、例えば神戸港なんてその顕著な例ですが、その間に神戸港の貨物はほかの港へ回ってしまう、物によっては韓国の釜山港へまで回るということで、二年近くたって完全復興したときはまだそれが八割しか戻らないというふうな事情にありました、今はもうちょっと戻っているだろうと思いますが。それが結局、神戸港だけでなくて都市神戸経済的地位、そして社会的地位を随分低下させたということは否めないことだと思います。  これがもし東京でも同じことが起こると、東京の地位低下というのはもちろん大きいです。ましてや、首都機能と一緒に被災したら、復興というのは混乱の中でなかなか対策なんて立たないわけであります。そして、東京復興のおくれということは東京の地位低下に物すごくつながる。これは東京の地位低下だけでなくて、神戸の十倍以上の規模の東京でありますから、日本全国の地位の低下につながるわけであります。  あるいは、首都のそういうふうな行政立法機能が同時に大きく被災するというふうなことになりますと、それと同時に起こるいろんな金融混乱、それに伴う不安を静める手だてが非常に少なくなってくるわけであります。ともかく、その混乱を早急に抑えなければいけない。必要なときはモラトリアムを発動しなければいけないかもしれませんし、あるいは日本が外国の市場でもっていろんな資金を調達するというふうなことがまた世界経済に対して大変大きな混乱をもたらすということはあるわけですから、それに対して日本政府が毅然とした態度をとり、意見を明瞭に発信することは大変大事になってくるわけであります。そうしないと、今のこのグローバル化の進んだ世の中で、世界じゅうが同時に金融経済を初めとして混乱に陥るわけでありますから、これはどうしても避けなければいけないというわけで、これがやはり神戸にはなかったことで、どうしても同時被災を避けなければいけないという最大の理由ではないかと思っています。
  23. 野村五男君(野村五男)

    ○野村五男君 お伺いします。  この千代田区、首都機能というのはこの辺、霞が関一丁目一番地の一の法務省のあたりですね。それから皇居、こういうところは日本で一番、活断層とかいろいろあるでしょうけれども、建物の構造とか、ここが一番安全でそういうものがつくられたのではないかという感じも持ちます。住宅密集地がいろいろありますけれども、日曜日なんかは、私は茨城ですけれども、こちらへ来ますと実に閑散としておりますし、何かこの辺は、土曜と日曜でこんな安全なところはないんじゃないかというほど物すごくすいているんですね。これは皇居、そして先ほど言いましたように法務省、通産省、この辺にこういうものを建てたというのは、もともとこの辺ならばすべての面から安全であるということでここにつくったような感じがするんですけれども、そういうものは別に計算しないでつくったんでしょうか。
  24. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) 東京というのは、御承知のように大変複雑な地形をしているわけであります。割に近い時点まで東京の海というのはずっと深くまで入り込んでいたわけで、今の銀座とかあの辺ももちろん海であったということであります。したがって、あの辺は大変軟弱な地盤である。帝国ホテルのあたりだってまた大変軟弱な地盤であります。あるいは、溜池なんというのはその名前のとおり大きな池でありました。したがって、大変軟弱な地盤であります。四谷とか何とか谷とかというのはたくさんありますが、これも大概谷になっていたところで、軟弱な地盤である。そういったところが地震に対して大変弱いというのは間違いないことだと思います。  そういったことからいいますと、さっき瀬谷議員のおっしゃった小石川なんというのは、本郷を初めとしてあの辺は大変丈夫なところであります。そういうふうなことで、この霞が関なんかも少し台地になっているわけで、比較的丈夫なところである、安全なところであるというふうには思っております。  だけれども、これも相対的なものでして、あの阪神淡路で起こったような大きな震度が来たとき、霞が関の建物、その多くは昭和三十年代につくられているわけであります。昭和三十年代の我々のつくったときの設計技術もそうでありますが、それ以上に投入した資材、日本がまだ貧しかったころにつくっているわけであります。そういうふうなのを考えますと、この辺の建築物あるいはその他の地下のいろんな埋設管も含めたいわゆるインフラストラクチャー、それが大変安全なものであるとは全く言えないというふうに思います。  ただ、ほかに比べればこの辺はオープンスペースが多いというふうなことは間違いないわけで、逃げ出す場所があるということにすぎないと思います。
  25. 加藤修一君(加藤修一)

    ○加藤修一君 今まで皆さんのお話を伺ったり先生のお話を伺って気がついた点といいますか、私なりの感想なんですけれども、移転後のイメージというか、それがちょっと自分としては明確じゃないんですね。  つまり、移転先の県と移転しないで残る東京の関係ですけれども、この移転論の陰に隠れて東京地震対策が進んでいない。先ほどどなたか委員の方から話がございましたけれども、災害後の廃棄物の処理の問題等々を含めていろいろな問題があるということで、本当に移転論の陰で実は東京地震対策がほとんど進んでいないということは非常に大きな問題だなという認識を深めた次第です。  この問題は、やはり国内的な問題の部分もありますけれども、先ほど来中村先生がおっしゃったように、国際的な問題といいますか、いわゆる東京の地位が低下することによって国内に与える影響というのは非常に大きいなという感じで受け取っているわけです。そこで、そういった意味では移転先のことだけじゃなくて、東京地震対策をどうするかということにもっと真剣に取り組まなければいけないなという感じがいたしました。  それから二点目は、都市の変容というか、それに対する力学というのがちょっと違う形で出始めているのではないかなと思うんです。  といいますのは、最近二回のロサンゼルス地震のときに古い方と新しい方を比べた場合に、新しい方について考えていった場合、大きな影響はあったわけですけれども軽微になってきている。それはもちろん地震対策をしっかりやっているということだと思うんですけれども、ただ情報化の関係から考えていきますと、SOHO、スモール・オフィス・ホーム・オフィスですか、そういう関係から考えていくと、仕事に対する影響は軽微な形になりつつあるんではないか。そういった小さな力学ですけれども、それはやはり都市の構造を変容するに当たって大きな力になりはしないかなと、二十一世紀に。だから、そういった観点も含めて考える部分があるのかなと思います。  それからもう一点は、先ほどほかの委員の方から皇居の問題が出ましたけれども、首都移転するという意味では皇居の移転の問題を抜きにして語ることはできないんではないかなという認識でいるわけなんですね。  といいますのは、やはり憲法で示されている国事行為をするに当たって東京からかなりの距離を、国事行為の量が相当数ございますから、極めて難しい問題がその中に含まれているんではないか。それで、六十キロから三百キロという話がございますけれども、より東京に近い形で皇居に近い方に移したという話になってきた場合に、都市連檐ということが当然起こり得る。あるいは、地震対策の観点からいってもそれはちょっとまた難しい側面があるんじゃないかなという感じがいたします。  以上三点について、もしございますればお願いしたいと思います。
  26. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) 移転のプロジェクトと同時に、東京地震対策に力を注がなければいけないというのはおっしゃるとおりだと思いますし、私もそれを強く言わせていただきたいと思っています。そして、東京に万一そういう不幸なことがあったとき、それの復旧復興計画というのも早急に考えていくということが必要かというふうに思っております。  もう一つの六十キロから三百キロということですが、東京都と同時に被災がないことというふうな、これが大変強い項目だろうと思います。したがって、例えば阪神淡路のときも大体神戸市の西の端から西宮、宝塚市くらいまでですから、あれはどれくらいになるんでしょう、三十キロぐらいありますでしょうか。
  27. 芦尾長司君(芦尾長司)

    芦尾長司君 神戸大阪で三十キロですね。
  28. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) だから、かなり長い区間にわたって、それがほとんど全部大きな被害を受ける地域になっているわけですから、そういったことからすると、かなりの距離をとるということが必要なんだろうというふうに思っております。  皇居の方ですが、今のでは皇居をというふうな議論は少なくとも審議会ではされていないということでございます。  ただ、個人的な考えですが、これは必要に応じていろいろなところに天皇あるいは天皇御一家が動かれるということは大いにあり得ることであって、これはどこの国の皇族だってそれをやっておられるわけで、いつもいつもバッキンガムの宮殿に女王様はおられるわけではないということですから、必要に応じて動かれるということになるのではないかと。そういうふうな施設というのがまた考えられるんではないかというふうに思っています。
  29. 保坂三蔵君(保坂三蔵)

    ○保坂三蔵君 最後に一つだけ。  申しわけございません。きょうは本当にありがとうございました。  特に先生にお尋ねということではなくて、先生にお尋ねする形で委員長並びに委員の諸氏にお願いしたいのでございますけれども、きょうは防災問題ということで、特に東京の現状についてのお話がいろいろ出ました。その中で、どなたかの委員の方から防災対策は進んでないじゃないかというお話がありましたが、実態としては、その御見解は現象的に見れば当たっている部分がありますけれども、東京世界で一番防災対策にお金と配慮をしている都市であります。この実態を見ていただきたい、知っていただきたいんです。なおかつだめならば、これは都民や首都圏人々から、首都を時には移す一つの有力な根拠にもなる、こう思っております。  そこで、実は先日、先生お含めの審議会の答申を一つのベースとして国土庁からの話を聞きますと、第三タームの候補地選定というところにこれから入っていくわけですね。となっていくとき、国民の合意形成とか東京都との比較考量というのは、候補地選定の最終の答申を出す前に行われるようになっているんです。  ところが法律上は、これは審議会が候補地を選定いたしまして、国会に報告した後に国会東京都と比較考量すると。それから、国民の合意形成についても国会もその一助を果たしていかなくちゃならない、こういうふうになっているんですね。これは、すべからく行政や審議会にすべてをゆだねたことにはなってないと思うんです。  しかし、作業としてはあたかもゆだねられたような作業が進んでおりまして、そういう点では一回機会を得まして、できれば今後のフレームの問題、社会情勢の変化の問題、東京都の現状の御視察を含めた御認識の問題、それから先生おっしゃいまして初めて聞いて驚いたんですが、重要な位置を占めていると思いました防災上の問題が、どちらかというとそれが先導的な役割を果たしていないようなお話だったんですね。むしろ、新しい都市をつくるのならば防災上安全だからどこでもいいんだというふうにも受け取れるわけです。さっき千歳という話が出ました。私は千歳なんて一番安全だと思うんです、ほかの要素を含めればそうもいかないというのはよくわかっておりますけれども。  ですから、新しい都市が一番安全だというのはよくわかります。ですけれども、そういうものを含めて、今後の一年間座してというわけではありませんけれども、来年の秋に選定作業を終了するわけですね。そのところまでちびちび出てくる情報だとか新聞記事に我々がいろいろ反応して委員会で発言するよりも、もう少し委員会のあり方を、理事会で十二分におやりになっていただいておりますことで大変恐縮な言い方でございますけれども、我々の平場の意見も時には牛嶋教授のもとで何とか聞いていただく機会を得たいなということを、先生に対する要望という形で発言させていただきたいと思います。答弁は要りません。
  30. 委員長(牛嶋正君)(牛嶋正)

    委員長牛嶋正君) それでは、今の保坂委員の申し出につきましては理事会、理事懇の方でまた御検討させていただき、前向きに検討したいと思います。
  31. 西川きよし君(西川きよし)

    西川きよし君 済みません。かけ持ちで大変失礼をいたしました。  では最後に一点だけ、先生よろしくお願いいたします。  私は、素朴な疑問といたしまして、せんだっては文化についてお伺いしたんですけれども、減歩の問題についてお伺いをしたいと思います。  御本人は何不自由なく快適な生活をしておられる中、ある日突然家の周りを整備しますからあなたの土地を減らしますと言われましても、これは御本人からすれば知らないところで勝手に進められ、決められたことでありますので、例えば先祖代々で守り継いだ土地が減らされるということになってしまいます。そうなりますと、戸惑いの気持ち、これは皆さんお持ちで当たり前だと思うんですけれども、つまり立ち退き、住みなれた町から離れなければいけないわけです。特にお年寄りにとっては大変な負担となると思います。  また、人が生活する上で欠かすことのできないごみ等の処理施設、そしてまたお亡くなりになりますと火葬の施設などをできるだけ自分たち生活しているところには持ってきてほしくない、それも当事者にとっては当然の意識だと思うわけですけれども、しかし必ずどこかにこれは設置しなければいけないことだと思います。  そうした理解を求める努力に対しては、具体的にどういった求め方になるのでしょうか、お伺いできればと思います。
  32. 参考人(中村英夫君)(中村英夫)

    参考人中村英夫君) 大変難しい問題で、減歩というのは、我々の町を安全なもので快適なものにするにはどうしても必要な仕事であるわけですね。だけれども、一方ではそれをこうむる方にとっては何で自分たちだけがというふうな気持ちもあるのも間違いないわけで、それがいわゆる私の利益と公共の利益とをどういうふうにすり合わせるかというので、いつもこういうふうな問題のときにすべての人が苦慮するところなんで、それに対してこれはというふうなうまい方法はないわけです。  ただ、できることは、可能な限り情報を開示していく、そしてまた相手の方の意見を聞いていく、そういうふうなことでもっていわゆる参加の形でもってやっていく、これしかないと。そのときにやっぱり可能な限り冷静に議論をし、妥協点を見つけていくというふうな極めて一般的かつ抽象的なことしか答えられないんですが、申しわけありません。
  33. 西川きよし君(西川きよし)

    西川きよし君 ありがとうございました。
  34. 委員長(牛嶋正君)(牛嶋正)

    委員長牛嶋正君) ちょうど予定いたしました時間が参りました。  他に御発言もないようですから、参考人に対する質疑はこれにて終了させていただきます。  この際、参考人に一言お礼を申し上げます。  中村参考人におかれましては、大変お忙しい中、当委員会のため貴重な御意見をお述べいただき、また質疑に対して御懇切にお答えいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後五時散会