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西村(眞)
委員 お会いする用意があるとおっしゃっていただいて、非常にありがたい。やはりじかに会っていただかなければ、最高責任者として全力を尽くすとまで言い切ったものの、本質がわからないのです。
ただ、今御答弁で残念なのは、備前小町さんとか花の女王のことはすぐ
総理のところに行く。しかし、
総理が外国元首に直接呼びかけるという異例な声明を発し、また全力を挙げるという、この拉致された
日本人の救出という国家の重大問題についての情報は、
総理に届かない。
一つの官邸の欠陥ではないのでしょうか。問題意識の欠如ではないのですか、このように私は思わざるを得ない。そのような
思いで聞いておりました。(
橋本内閣総理大臣「いや、ちゃんとファクスをいただいたのを拝見しておりますということを申し上げたわけです」と呼ぶ)まあ、よろしい。
総理が
先ほど、私の方は来られるということは知りませんでしたと。備前小町が来られるということは知っておられたのでしょうけれ
ども。だから、
総理には情報が届かない、国家の重大問題についての情報が。そのことを私は憂慮しておって、
総理を非難しているわけではないのです。
では、次の問題に移りたいと存じます。
次のこの問題は、通告もしております。私は、事実を愚直にお聞きするのが私の務めだろうと思っております。立場の違う者が
議論するのが、国会の
一つの務めでございます。ただ、聞く方の私も、お答えいただく
総理も、これは愉快な問題ではございません。しかし、我々の主観を超えて、この問題はやはり国会で取り上げねばならない問題だと私は確信しておるのです。
それは、言うまでもなく、今は
日本人になられましたけれ
ども、
総理がお会いされたときには、
中国の、
総理がいわくの衛生部の通訳であられた方との交際の
実態はどういうふうなことであったのかということに尽きるわけでございます。
総理が昨年の十月三十日にどうお答えになったかを再現した上で、質問に入っていきたいと
思います。
以後、この李維平という方のことを、彼女とか、この人物とかということで申しておられます。雑誌にもこの議事録は紹介されておりますので、要点だけ述べますと、「私は確かに、本当に苦労をかけましたから、
自分で御飯をごちそうしたこともありますので、そういうときに話したこと、これはむしろ通訳という職分からすべてを聞いております。」
それからまた、飛びまして、「最初通訳として、そして
最後まで通訳の立場で、その間、
日本に来たときに、確かに私は慰労をいたしました。そして、
最後に彼女が来られたのは、結婚されて、その御主人と
一緒に事務所を訪ねてくれた。そのときは通訳ではありません。結婚して御主人と来られた。そして、任地に出ていかれた。」
それで、この質問が終わった後で、記者団の質問に答えられている。「その女性を知っているかと聞かれれば、知っていると答える。
中国衛生部の通訳としていろんな
会議に同席し、一部始終を通訳してくれた。何べんか個人的に、ご苦労様ということでごちそうしたこともある。手紙を出したし、礼状も来た。だから個人的交際があったかと言えば、間違いなくあった。」
それで、記者団が「深い
関係にあったとのウワサがある。」
総理が答えられる。「深いとはいったい何を指すのか。そういうことに対しては論評もしたくない。だいたい彼女は今、よその奥さんで幸せな家庭を築いている。夫は確か
日本人で、ワシントンかニューヨークかどちらかに勤務している。」
「情報部員かどうか調べるのか。」という質問に対して、「そんなの調べられるか。聞いてわかるぐらいなら情報部とは言えないだろう。大事な
会議の通訳はどこの国でも簡単には代えない。専門用語や過去の流れやぼくの話の組み立て方を知っているかどうかで全然違う。情けない質問を受けるなあ、と思っていた。」このように答えられておるわけです。
それで、今までいろいろな、相手の人物に関してのマスコミ等々がございます。しかし、今私が注目しているのは、個人的な交際があったといえば確かにあったと答えられたので、これから、
先ほど申し上げたように、ただ事実のみを聞いていきます。
総理にとっては、この人物が最初通訳として、そして
最後まで通訳だったということはこの質問の前提といたしておきます。
総理から見て、そういう人物であったんでしょう。
では、個人的な交際もあったと認められたこの人物はどういう人物であるかということ、私は、この女性の身柄はもう割れていると思っています。
世界のすべての、我々と同じ価値観を持つ民主主義国家の目から見れば、この人物は割れておる。どういうふうに割れておるか。明らかなことから順に行きます。
女であるということ。二つ目、
日本語が堪能であるということ。
総理が会われたときは
中国の公務員であるということ。
日本大使館に一九八五年六月二十二日から八七年十月十七日まで勤務されていたということ。しかし、
日本大使館勤務の公務員でありながら、
平成八年一月、
総理が
総理大臣に就任されてから帰化申請して、同年暮れにこの人物は
日本人になっております。
出入国記録によると、三通のパスポートを持っております。公用パスポート一通、一般パスポート二通でございます。この出入国記録、パスポート、帰化申請には生年月日は二種類使い分けられております。一九五五年生まれのものと一九五三年生まれのものでございます。
この人物はみずから、昨年十二月四日、
日本の裁判所で、北京公安局に勤務したことがあると
証言いたしました。もう
一つ、ベチューン医科大学援助に関する
日本側資料には、明らかに、彼女は通訳ではなく、衛生部外事司官員として記載がございます。そして、相手方交渉者の一覧表の中では必ず、彼女以外に、通訳というものが記載されておるということです。こういう人物でございます。
さて、いささかこちらから聞いていかねばなりません。
初めてこの人物と会ったのは、きのう質問取りに来られた方にはどうか記憶を喚起しておいていただきたいというふうに申しておきましたけれ
ども、いつごろで、どこだったのだろうか、これは
総理いかがですか。