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西村(眞)
委員 総理、お休みもなく、御苦労さまでございます。
これから、
二つの主題で
質問させていただきたいと思います。
まず第一の主題は、
総理の歴史観ということでございます。そしてもう
一つの主題は、民主主義国家において、
総理は、議会にまた国民に何を説明しなければならないのか。この
二つをこの一時間の私の
総理に対する
質問の主題とさせていただきます。
それで、なぜこの主題を選んだかと申しますと、我が国は経済が不況でございます。しかし、不況は経済だけではなくて、国民の気概も不況なのだろう。その気概がよって来るところは、やはり自分たちの歩いてきた道、自分たちの物語、これに自信をなくせば、国民の気概もなくなる。また愛着をなくせば、国民の気概もなくなるのだ。
また、昨日も本
委員会で話題にされておりました中西輝政教授の「大英帝国衰亡史」、この本の中にこういう一節がございます。これはウォルター・リップマンの「人類の歴史上どのような帝国も、その中心に、確信に支えられて統治を担うエリートをなくして長く生きのびた例はない」、この一文はこの
日本の現状を突き刺しているのではないか、私はこう思わざるを得ない。
我が国は、エリートの確信が揺らぎ始めているのか。この
部分でも我が国は不況なのか。ぼろは着てても心はにしきという言葉がございますけれ
ども、何を着ておっても、きれいなものを着ておっても、心がぼろであれば国は危うい。
その
意味で、確信に支えられて統治を担うべきエリートのトップである
総理大臣に、その地位に基づく責務において国民に説明していただかねばならないことがある。私は、この
委員会で、単なる銀行や
大蔵省のディスクロージャーのことではなくて、まずトップであられる
総理御
自身がディスクロージャーしていただかなければならないことがあるのではないか、こういう観点でございます。
さて、歴史観の問題から入りますけれ
ども、歴史観は、やはり自分たちの物語として、愛着と自信をそこに持っていなければなりません。国民の気概もここからくるわけですし、エリートの確信もここからくるわけです。この歴史に対する認識が漂うならば、歴史は政治の道具になって、その都度その都度のムードの中で、歴史と称して利用されていく、こういうふうになります。
さて、一月十四日の午後ですか、私は、イギリスのインディペンデント紙からの取材で初めて、
総理がイギリスのサンという大衆紙に寄稿されているということを知りました。十三日の新聞は、
総理が、来日中のブレア首相に英国の捕虜の問題で謝罪した、それが英国のテレビのトップになったということは伝えておりました。しかし、大衆紙サンに文章を寄せられたということは、取材を受けるまで知らなかったわけです。
十四日の夕刊で、
総理は記者の
質問に答えられて、ブレア首相に書かないかと頼まれたんだ、日ごろ考えていたことをそのまま書いたんだというふうに
お答えになっております。そしてまた、これは本日の朝刊、朝日と読売でございますけれ
ども、朝日は、首相謝罪文、日英政府の合作であると。読売も、謝罪文寄稿の経緯と、それに対するインディペンデント紙またタイムズの反応を伝えております。
まあ、
総理自身がブレア首相に書かないかと頼まれたんだと、首脳同士が会っているときに、その相手国からアドバイスを受けて、
総理が、謝罪文と申し上げますけれ
ども、私は謝罪の
部分は意外に少ないと思っておりますけれ
ども、謝罪文を書くという事態は奇妙な事態だなと私は少し思いました。それは、ちょっと皮肉な連想になるのですが、中国との交渉において、
総理の通訳が
日本側から出た通訳ではなくて、中国側から出た通訳によって日中両国の交渉が行われているというのと同様に、奇妙なことだなと私は思ったわけです。
それで、
日本文を読んでみました。謝罪文というよりも、
総理は、日英関係の現状と将来について多くを書いておられた。しかし、日英の歴史に関しては、村山首相談話をそのまま受け継いで、痛切な反省と心からのおわびをブレア首相に公式に伝えたというものでございました。
ザ・サンという新聞を見ると、まさに、
総理もごらんになったと思いますが、ジャパン・セイズ・ソーリー・ツー・ザ・サン、サンに謝ったんだ、このように謝罪文として扱われております。
総理もごらんになりましたですか。(
橋本内閣総理大臣「見ておりません」と呼ぶ)はい。こういう新聞でございます。太ももをあらわにした女性が写っている。これは原文ではカラーでございます。二枚目をあければ、こういう写真がある。これもカラーでございまして、チャーリー・イズ・ジャスト・ソー・ディッシー、チャーリー、十九歳、という女性は食べごろだということがある。そして、めくれば
総理の寄稿された文章が載っております。
それで、この下に、テル・アス・ホワット・ユー・シンク、どう思うか書いてくれ、ライトと、イズ・ジス・アポロジー・イナフ、この謝罪は十分かどうかサン紙に書いてくれ、電話で言ってくれ、ファクスで送ってくれ、このように書いてあるわけですね。サン紙を見ると、まさに謝罪文として扱われておる。そして、私がここで今申し上げた、謝罪が十分かどうか、サンの読者よ意見を寄せろと、まるで我が国が謝罪したことは十分であるか十分でないか、サンの読者の住民投票にゆだねられているような記事を見ました。
私はここで痛みが走りました。やはり
総理の文章というのは、国の名誉の問題であろうと。
総理は、私という人間に痛みが走ったということを否定するお立場にはないと思います。
総理自身の主観的な意図はともかく、このような扱いを受けておったわけです。これについて
総理の御認識は、
総理のなされた文章に対する反響は、英国国民の評価のみならず我が
日本国民の評価にもさらされるわけですが、私は、そこで
総理とこの問題についてどうであるかああであるか、問答をしようとは思っておりません。
ただ、私がこれから
質問申し上げたいのは、この文章を書かれた背景にある
総理の歴史観、具体的な我が国の歴史に対する認識でございます。なぜそれを
質問せざるを得ないかといえば、ブレア首相との会談の問題でも見られますように、その
部分がしっかりしていなければ、私の認識からいうならば、その都度その都度謝罪してしまうことに歯どめがかからない、このように思うからです。
そこで、我が国が五十数年前に戦争を戦った相手は十一カ国でございました。アメリカ、イギリス、中華民国、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド、インド、フィリピンの十一カ国です。つまり、戦ったということは、我が国との戦争によって、この十一カ国に戦争によって苦しんだ人々がいるということです。
総理は、ブレア首相の求めに応じてこの文章を書かれた。私は丸々一〇〇%謝罪文だとは思っておりませんけれ
ども、この文章を書かれたということですが、例えばオーストラリアやオランダの首相と会談した際に、その首相から頼まれればその国の大衆紙にまた寄稿するおつもりなのかどうか。これは、村山首相談話を引き継いでおられる
総理としては、そのことを明言されたとするならば、断る理由はなくなっているのではないかな、このように思うわけです。この点はいかがでございますか。