○加藤紘一君 私は、自由民主党を代表し、
さきに行われた
総理の
施政方針演説に対し、幾つかの
質問をさせていただきたいと存じます。
質問に当たっては、現在の
国民に最も関心のある
景気対策、
財政再建問題、イラク問題など、幾つかの具体的なテーマにつきお聞きしたいと思いましたけれども、これらのすべてのテーマは、
与党の幹事長として
総理と
責任を共有しているテーマであります。したがって、あえてここではお尋ねせず、それぞれの問題の背後にある
基本理念や考え方につき重点的にお尋ねしたいと存じます。
総理、あなたは今度の
施政方針演説の冒頭、「将来の
我が国を展望した上で、現在をいかなる時代と認識し、何を優先
課題とすべきかを考え、」と時代認識について触れられました。
時代認識は、あらゆるリーダーが常に心しなければならない組織運営の
基本です。それは、
地方自治体の長でも、
企業の長でも、国境を越えて組織された団体の長でも事情は同じです。リーダーの的確な時代認識こそ、組織の構成員に
信頼感を与え、指導者の
自信を支える源泉になると言っても過言ではないでしょう。
まして、
世界第二の
経済大国のかじ取りに
責任を負う
総理としては、常にその時代認識を内外に明らかにしておく必要があります。国の最高首脳が歴史認識を明示することによって、
国民は自分
たちのあすを思い描くことができます。近隣諸国を初め
世界の人々も
日本の進むべき方向を知って、
日本との協調の方途を考えることができます。
そこで、
総理がこれまでに述べられた
言葉も含め、改めて
総理の歴史認識をお尋ねしたいと存じます。
総理、あなたは六大
改革について、明治維新、終戦後の諸
改革に次ぐ第三の
改革にしなければならないと述べたことがあります。
この第三の
改革論には、その後さまざまな期待やイメージがつけ加えられ、今やひとり歩きを始めた感さえあります。
ある人は、
一連の
改革を、バブル
経済を清算し再び高い
経済成長率を取り戻すためのものととらえ、ある人は逆に、
経済成長優先の
システムから環境や人間を優先する
システムへの
転換ととらえています。また、ある人は、一層の国際化を進めることが
改革の目的でなければならないと考え、ある人は逆に、
日本らしさを取り戻すことに期待を寄せています。さらに、
官僚主導の
システムから
政治主導、
国民主導の
システムへの
転換の
必要性を訴えている人もいます。
総理の問題提起を受けて、
国民が自分
たちの直面している問題を長い歴史の中で考え直すことは決して悪いことではありません。むしろ、自由濶達な議論は、私
たちがつくり上げてきた
社会の成果として誇ってもいいのでしょう。ただ、イメージだけが先行して、勝手に描いた期待に反したからといって
政治に失望するという
事態が生じるならば、それは、別の意味で不幸なことと言わなければなりません。
戦後、急激な発展を遂げた
日本が、今、一種の閉塞
状況に陥っていることを私も率直に認めます。戦後
システムが至るところで
制度疲労を起こしていることも、
総理と認識を共有しています。だが、その
改革は、戦後的発展をもう一度取り戻すといった消極的なものにとどまっていてはなりません。
二十一
世紀はもうカウントダウンに入っています。当然のことながら、
総理の目指す
一連の
改革も、二十一
世紀に向けた価値の創造を伴わなければなりません。
そこで、
総理には、六大
改革の持つ二十一
世紀的意味について、最初にお伺いしたいと思います。この
改革の向こうに二十
世紀とは違うどのような未来を描いておられるのか、お考えを率直にお述べください。
私は、今
日本で進められなければならないのは、「第三の自由・民主
改革」と思っております。
明治維新で私
たちは封建制を卒業し、近代国家への歩みを始めました。
国民には普通教育が義務教育として施され、
国民の職業選択の自由は飛躍的に拡大しました。
個人の権利に対する自覚も高まり、男性だけに限られていたとはいえ、昭和初期には普通
選挙も実施されました。これを「第一の自由・民主
改革」とするならば、戦後の
改革は、まさに「第二の自由・民主
改革」でした。女性にも
参政権が認められ、
基本的人権が幅広く認められるようになりました。
明治維新から百三十年の発展は
世界の奇跡と言われますが、その原動力の一つが、
個人の権利拡大に基礎を置く「自由・民主
改革」だったことに異論を差し挟む人は少ないでしょう。
だが、二十一
世紀に向け
日本が一層発展し、
国民一人一人が真の豊かさを実感できる
社会をつくるには、
総理のおっしゃる、自立した
個人に
信頼を置く、さらなる「自由・民主
改革」が必要だと思います。
例えば、
総理が熱心に取り組んでおられる規制緩和も、これまでは専ら
経済効果の面からのみ論じられてまいりました。しかし、これも「自由・民主
改革」のさらなる発展として考えてみる必要があります。
経済活動にさまざまな規制が加わった原因はいろいろありましたが、最も深い底流にあったのは、
経済活動を市場原理にゆだねれば、不法行為が横行し、貧富の格差が広がるという市場原理に対する根強い
不信感でした。
それは、普通
選挙を
導入するとき論じられた民主主義の弊害論と極めてよく似ています。普通
選挙を
導入するとき、反対論者は、無知な
国民に平等の一票を与えたら国の方向を誤るとか、扇動的な候補者の弁舌に引っ張られ、冷静に国政を論ずる気風が失われるなどと主張しました。そこには
国民に対する抜きがたい
不信感がありました。だが、先人
たちは
国民の英知を
信頼し、あえて普通
選挙に踏み切りました。
民主主義のその後の発展を見ると、さまざまな試行錯誤はあったものの、
社会の緊張は緩和し、
国民の
政治的関心が国家の暴走を防いだこともありました。政党や
政治家は有権者の審判の前に襟を正し、
国民の活発な議論が、国や
社会の指針を創造し、
国民的合意づくりに大きな成果を上げてきました。
イギリスのチャーチル元首相は、民主主義にはさまざまな弊害があるが、それ以外の
制度に比べればまだましだと述べたことが有名ですけれども、有権者の判断の総和に依拠して
政治運営する民主主義は、今や人類共通の原理となろうとしております。
市場原理も私はこれに似ていると思います。
経済活動の多くを市場原理にゆだねることに対しては、今でもさまざまな弊害論が出ています。だが、この原理に
信頼を置き、その機能を
最大限生かすことが、結局、商品やサービスの価格を引き下げ、品質を向上させ、
国民に利益をもたらすのではないでしょうか。市場原理は、個々の
消費者の判断の総和に
信頼を置く
システムです。それは、有権者の判断の総和に
信頼を置く自由民主主義原理の新たな発展と考えるべきでしょう。
もちろん、市場原理に
信頼を置くことと規制を一切なくすることは同じではありません。むしろ、市場原理を健全に機能させるためにはさまざまな規制が必要になります。それは、民主主義の原理を健全に機能させるために、誤った情報を流す行為や買収、
選挙妨害などを取り締まっているのと同じであります。民法、商法、独占禁止法、それに
消費者保護の関連法を積極的に活用することで初めて市場原理は健全に機能するのです。
要は、
官僚の
経済支配のための規制から、
消費者が自由で公正な選択ができるようにするための規制へと、規制の立脚点を
転換することが求められております。
マーケットの自由・民主化を進める上で忘れてはならないのは、
消費者に正しい情報を提供し、賢い選択ができる
システムをつくり上げることです。情報開示は自由で民主的な市場の
基本です。
透明性の高い市場で、
消費者が主体的な選択ができて、初めて市場原理はよさを発揮できるのです。
市場原理に基礎を置く
経済社会への移行に当たり、もう一つ注意しなければならないのは国際
金融市場の問題であります。
アジアの諸国の多くは、昨年、国際資本の急激な逃避によって通貨
危機に陥りました。ある国では、一カ月足らずの間に一年の
国民総生産に相当する価値が消えたと言われています。このため、
アジア諸国では国際
金融資本に対する強い反発が出ています。しかし、
経済のグローバル化がこのまま進展すれば、今後もこうした
事態がしばしば起こることが予想されます。
日本でも、外国為替法の改正によって四月から
金融市場の規制が大幅に緩和されます。規制をできるだけなくし、
経済活動を活発にするのは時代の
要請です。しかし、
日本に先立って
金融緩和したイギリスでは、外国資本が次々と進出し、現在残っているイギリスの証券会社は一社だけだと言われています。この現象は、競技場はイギリスにあるが活躍するプレーヤーは外国勢が目立つウインブルドン・テニスに例えられていますけれども、
日本でも急激な外国資本の進出に
国民が拒絶反応を起こすおそれがあります。そうなれば市場原理そのものへの疑念が広がりかねません。
国際的投資家で知られているアメリカのジョージ・ソロス氏は、昨年、アトランティック・マンスリー誌に寄せた論文の中で、今後さらにレッセフェール、自由放任型資本主義が野放し同然に増殖を続け、人間
生活のすべての領域で市場原理という名の価値が幅をきかすようになったら、我々の住む開かれた民主的な
社会は絶滅の
危機に瀕するのではないかと警告しています。
我が国は、石油、鉄鉱石、ボーキサイトなどエネルギーと原材料のほとんどを
海外に頼り、食糧自率は四三%を割っています。多くの商品が
海外に輸出され、
世界最大の債権国になっています。一年間に千七百万近い人々が
海外に出かけ、
世界の資本市場の四〇%余りは
日本資本が占めています。まさに
日本は自由貿易体制の
最大の受益者と言っていいでしょう。もし国際資本の横暴によって自由貿易体制に対する疑念が広がれば、最も打撃を受けるのは
日本と言っていいでしょう。
当然、市場原理を健全に機能させるための規制の問題は、一国だけではなく、国際的にも取り組みが求められています。一昨年、フランスのリヨンで開かれた先進国首脳
会議のテーマは、国際化の光と影でした。ここで問題点は大いに議論されたと聞いていますが、大きな成果を上げなかったことは、昨年の
アジア通貨
危機を防げなかったことで見ても明らかです。
経済の一層の自由化、民主化のためには、市場原理を活用することが必要です。しかし、民主主義が今日でも
制度上の試行錯誤を重ねているように、市場原理も健全に機能させる方法を人類はまだ見出していないのかもしれません。
そこで、
総理にお伺いいたします。
市場原理は弱肉強食の
社会をつくり出し、結果として
社会に耐えがたい緊張を生み出すという意見がありますが、これをどうお考えでしょうか。市場の暴走という
言葉がありますが、これについての御意見はいかがでしょうか。
経済の国際化といいますが、一方では、それは外国
システム、外国文化の安易な
導入だという意見がありますが、どうお考えでしょうか。市場原理とその制御、規制との関係はどうあるべきでしょうか。
総理の率直なお考えを伺いたいと存じます。
「第三の自由・民主
改革」に関連して次にお伺いしたいのは、
政府と
個人の役割、言いかえれば
政府と
国民の新しい関係についてであります。
百三十年前の明治維新は、このままでは外国の植民地にされてしまうという強い
危機感の中で始まった
改革でありました。大胆な
改革を国の隅々まで徹底し、外国に立ち向かうには、中央
政府に
権限を集中し、優秀な人材を中央に集める必要がありました。当時としては、この選択は正しかったのでしょう。
官僚の強力な指導のもとに
日本は急速な近代化をなし遂げました。そして太平洋戦争を前にした昭和十五年前後、
政府の
権限はいよいよ強まり、国家総動員体制のもとで戦争に突入していったことはよく知られたとおりです。
戦後の民主化の中で、
国民の権利は飛躍的に拡大されましたけれども、実はこの強力な
官僚機構も
基本的には温存されていました。連合軍の占領
政策の徹底、戦後の復興、さらに高度
経済成長政策の推進など、上から指導する発展には強力な
官僚機構は何よりも都合がよかったのでしょう。事実、国が進むべき方向を定め、
国民を同じ方向に誘導する
システムは、欧米に追いつき追い越すことを
目標としていた時代には実に能率よく機能していました。
だが、第二の
経済大国になったころから、この
システムは諸外国から脅威と受けとめられるようになりました。最近の
経済の足踏み
状態の中で、国全体が同じ方向に突き進む体制がバブル
経済の傷を深くし、
回復をおくらせているという分析も出ています。
外国からの指摘をまつまでもなく、国の指導のもとに国全体が同じ方向へ一斉に走る
システムの限界は、バブル
経済とその後を見れば明らかです。あのとき、ほとんどの
金融機関は貸し付け競争に狂奔いたしました。今、ほとんどの
金融機関が国際決済
銀行、BISの
基準や
早期是正措置の条件を満たそうと貸し渋りで足並みをそろえています。
金融機関だけではありません。例えば電機業界でも、一部の
企業がテレビの生産を始めれば、他の
企業も一斉にテレビの生産に力を入れました。一部の
企業が集積回路の生産を始めれば、一斉に集積回路の生産に走り、より集積率の高い製品の開発を競い合ってきました。
諸外国では、
企業の目的は利益と言われます。ところが
日本では、利益よりシェアが重要視され、競争そのものが
目標のような奇妙な
状態に陥ってしまいました。
教育の現場も同じです。一流大学を出て一流
企業に就職する子供を育てることがいつの間にか教育の
目標になり、子供
たちにスポーツや芸術の才能があっても、まず学科の成績を上げることに親も教師も力を入れてきました。ここでも競争そのものが自己目的化してしまったと言っていいでしょう。
総理、あなたは
施政方針演説の中で、知恵や知識を身につけるための教育が、いつの日か、皆が同じようによい学校に入り、いい仕事につくための手段となり、私
たちは、いわゆるよい子の型に子供
たちをはめようとする親と教師になっていないでしょうかと、深い反省を込めて語りかけられました。実は、教育に限らず、私
たちの
社会全体が過度な規範に縛られて、自由に発想し、個性豊かに生きる気風を失っていると言わなければなりません。
規範
社会は、一たび規範から外れた人には強い疎外感を与えます。子供
たちがナイフを振るったり覚せい剤に走るのも、高齢者の自殺がふえるのも、こうした過度な規範
社会が生み出したものと言っていいでしょう。少年少女時代は、純粋で最も感性豊かなときです。それに、長寿は長い間の人類の夢でした。青少年や高齢者が強い疎外感を抱くようでは、真に自由で民主的な
社会とは言えません。
これに関連してお伺いしておきたいのは、高齢者雇用の問題です。高齢者といっても、今日、元気なお年寄りがふえています。ところが、六十歳定年制のもとでは、働きたくてもなかなか仕事がないのが実情です。人は、貧しいから生きる気力をなくすのではなく、自分が必要とされていないと感じるとき生きる力を失うと言われています。高齢者が、働いて
社会に貢献し生きていることを実感したいというとき、その要望にこたえられないようでは、とても高齢化に
対応した
社会とは申せません。そこで給料の多い少ないは二の次の問題であります。定年制とは別に、お年寄りに生きがいを持ってもらうために高齢者雇用の
システムを考え出すときが来ていると思いますが、
総理のお考えをお聞かせください。
総理が指摘された戦後
システムの行き詰まりとは、上から指導する発展
システムの行き詰まりと言ってもいいと思います。この閉塞
状況を打破するには、
官僚が
国民を指導、管理する大きい
政府の
転換を図らなければなりません。
総理が
行政改革、
地方分権に取り組まれるのは、まさに時代の
要請にこたえていっていると言えましょう。だが、そのためには、大きな
政府で恩恵を受けてきた業界団体や労働組合、さらに
官僚群の抵抗を乗り越えていかなければなりません。そのためには、野党にも
協力を求め、未来のために力を合わせていかなければならないと思いますが、
総理の率直なお考えをお伺いしたいと思います。
総理、あなたは
施政方針演説で、自立した
個人が夢を実現するために創造性とチャレンジ精神を十分発揮できる国を
目標の一つに掲げました。おっしゃられるように、自立した
個人こそ二十一
世紀のキーワードであります。それは、「第三の自由・民主
改革」の目指す人間像でもあります。問題は、その自立した
個人をどうやってつくっていくかであります。
総理、あなたの六大
改革のうち、教育
改革はまだ明確な輪郭をあらわしていません。
施政方針演説の教育のくだりも、正直に申し上げて抽象的な言及にとどまっています。それだけ問題は複雑だということなのかもしれません。
そこで、
総理にお尋ねいたします。自立した
個人をどうやってつくっていかれるのか、率直なお考えをお聞かせください。
「第三の自由・民主
改革」を進めるには、
官僚主導の大きな
政府を小さくするだけでは十分ではありません。小さな
政府の一方に、自立した
個人が自発的に参加するNPOやNGOの発達を待たなければなりません。
私
たちは、この百三十年間大きな
政府のもとで暮らしてまいりましたから、小さな
政府への移行には戸惑いがあります。ところが、それ以前の江戸時代は、幕府も藩も実に小さな
政府でありました。そこでは、地域
社会に根差した住民のさまざまなネットワークが存在し、このネットワークを通じてかなり高度な自治を実践していました。最近江戸時代が再評価されている理由の一つは、このある種のNPO
社会にあったのではないかと思います。
現在、参議院ではNPO
法案の審議が大詰めを迎えています。NPO、NGOに対する
総理の認識をお伺いしたいと思っております。
「第三の自由・民主
改革」に関連して、もう一つ指摘しておかなければならないのは、情報公開の問題です。
官僚がエリートとして
国民の上に君臨できたのは、情報を独占し、
官僚しか
政策立案ができない
構造をつくり上げてきたからであります。知らしむべからずこそ
官僚の力の源泉でありました。
だが、「第三の自由・民主
改革」のためには、公の情報を
国民が共有できる
社会をつくらなければなりません。もちろん、
個人情報や外交・防衛にかかわる情報は、これまで以上に管理を徹底していかなければなりません。しかし、
基本は公開です。情報を共有できて初めて、
国民は
官僚と対等になり、
国民同士の議論が広がり、
国民主導の
社会がつくれるのだと思います。
この問題で、私
たち自民党にも反省する点があります。それは、
与党の
皆さんだからお教えしますといった
官僚のささやきを
与党の特権のように思ってきたことであります。実は、こうした情報も
官僚が取捨選択し、都合のいい必要最小限の情報しか提供しなかったにもかかわらず、
国民の知らない情報を役人と共有していることに酔いしれていなかったでしょうか。
これからは、情報をどんどん公開して、野党とも同じ土俵で堂々と論戦する風潮をつくり上げなければならないと思っております。幸いにして、我が自由民主党には、他党の追随を許さない優秀な人材がそろっております。豊富な経験の蓄積もあります。だから、同じ情報をもとにオープンな論戦が進めば進むほど、
国民は我が党の力量を認識し、自由民主党に
信頼を寄せることになることは間違いありません。(
拍手)
最後に、外交の問題について一言お伺いいたします。
今度の
アジアの通貨
危機では、IMF、アメリカを初め、多くの国や機関が支援の手を差し伸べていますが、
日本が
最大の支援国であることは言うまでもありません。アメリカでは、
アジアの通貨
危機にアメリカ
国民の税金を使うことに反対であるという声が出ています。そこで、再び
危機に陥るかどうかは
日本の態度次第だという意見も聞かれます。
だが、
日本がこの問題に主体的に取り組もうとすれば、当然のことながら、
アジアを円通貨圏として
日本が全
責任を負う体制づくりが必要になってきます。
ところが、こうした
経済圏構想に従来の
日本はどちらかというと消極的でした。アメリカへの気兼ね、
さきの戦争の記憶など、理由はいろいろあるのでしょうが、
危機に陥っているとき
日本が前面に出なければ、
アジアの真の
信頼感をかち取ることはできません。この問題で
日本が全
責任を負う体制を考えるときが来ていると思いますが、
総理の御所見をお伺いしたいと思います。(
拍手)
総理、二十一
世紀は目前です。ところが、野党は離合集散を繰り返すだけで、とても
政権を担当する態勢にはありません。
改革の途上で、時には逃げ出したい誘惑に駆られるときもあると思います。でも、自由民主党に逃げることは許されません。苦しくても歯を食いしばって
改革を進めることが
自民党に課せられた使命であります。確固とした歴史認識を支えに「第三の自由・民主
改革」に邁進されますことをお願いして、私の
質問を終わります。(
拍手)
〔
内閣総理大臣橋本龍太郎君登壇〕