○枝野
委員 現在、特に少年事犯、その更生に向けた
仕事というのが、これは、
保護司さんの世界に限らずこの国が真剣に取り組まなければならない課題だというふうに思っています。
そうした中で、高齢の
保護司さんではだめだという話ではおっしゃるとおり全然ないと思いますし、
保護司さんの役割、使命からすると、人望のある経験豊かな方がやっていただくということは非常に重要なことだと思います。
それと同時に、最近の
少年事件の背景にどんなものがあるのかといったことを考えますと、これは
一つのことで割り切れる話ではありませんが、私自身は、大きな背景として、物の考え方、あるいはもっと極端に言えば日本語の使い方
一つにしても、ジェネレーションギャップが物すごく大きいのではないだろうか。同じような日本語で会話をしているつもりでいても、世代間の違いで、同じ言葉が違った
意味で実は会話をしているというようなことが、当然のことながらその背景にある物の考え方、思考パターンみたいなものについてのずれというものが、さまざまな少年問題について横たわっているのではないだろうか。そんな思いをしております。
そうした
意味で、少年の
保護矯正という問題にさらに効果を上げていくためには、
社会経験豊かな
保護司さんのような立場から少年の
保護、矯正、育成をしていく
皆さんと、それから実際に
保護観察の対象になっている少年との間を、何というのでしょう、極端に言えば通訳をするような、意識のずれというものをつないでいくような役割というものが必要になっていくのではないかというようなことを思っております。
例え話になるのかどうかわかりませんが、私の事務所は、私が今三十三で、私よりもさらに若いスタッフでやっております。うちの父が六十七だか六の年で、全体を、私が
東京にいる間、地元の事務所を見てくれているのですが、それぞれから相手に対する、つまり私より若いスタッフからうちの父に対する不満が、うちの父親からは若い連中は何を考えているかわからぬという不満が、私の方に両方から入ってくるのですが、要するに日本語がお互いに通じていない。六十代と二十代とでそんなに価値観がずれているわけなのかということではないのだけれ
ども、言葉が実は通じていなくて、私が間に入って通訳をすると、お互い何とか、なるほどそういうことだったのかということで納得をしたりするというようなことも実は経験をしております。
特に
少年事件のうちのかなりの部分は、こうした、言葉が通じない、あるいは物の考え方の発想がずれてしまっているということに対する、プレッシャーとか、あるいはそれに対するいら立ちとかというものが
事件の背景になったりすることも少なくはないのではないだろうか。
そういった子供たちを立ち直らせるために、そういった世代の話が理解をでき、なおかつ
保護司さんのような
社会経験、人生経験豊かな人たちの話も理解をできるというようなパイプ役がいるといないとではかなり違うのではないだろうか。
極端な例を挙げれば、現実に少年の
保護観察に
保護司さんがついて立ち直らせた、例えばかつて
少年事件を起こした子供が
保護司さんのおかげで立ち直った、そういった子供に、
保護司さんのサポート役のような形で次の
少年事件の子供との間をつないでもらうような
仕事を、それも
社会的にきちんとした位置づけをしてあげてやっていくことができれば効果があるのではないかなというふうに思っております。
残念ながら、こういった子供たち、特に——いわゆる
ボランティアでいい子を集めてお手伝いをしてもらうというような制度はあるようでありますが、むしろ、かつては問題のあったという言い方は余り好きではありませんが、
少年事件などを起こしてしまいがちな子供たちの意識というものを理解をできる、経験できる、そこから立ち直った子供たちに役割を担ってもらうというような考え方を検討することはできないだろうか。
法務省の御見解をお聞かせいただければと思います。