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若林参考人 NHK解説委員の
若林です。
本日は、こういう
機会を与えていただきまして、
大変感謝をしております。
私は、
NHKで
解説委員として司法問題を主として担当し、また
労働問題も担当しております。
本日申し上げますのは、
NHKとしての見解というようなことでは当然ございませんで、私個人の私的な
意見ということでお聞きいただきたいというふうに思います。
もちろん、現在の
状況認識、今どういう事態に
日本があるかというようなことを細かく言っても仕方ないわけでありますけれども、
司法基盤の整備が極めておくれている。今後の
日本の
社会にとってここをいかに
充実させるかということは非常に重要な
政治課題であろうと思いますし、その一歩を今踏み出そうとしている時期に当たって、こういった
法曹養成の問題が具体的な問題として出てきているのだろうというふうに思うわけです。
私は、
司法担当の
解説委員、
ジャーナリストというような形で、
法曹三者に比較的近いところからこれまでの一連の経過を見てまいりました。そこでいろいろ
感じるところがありましたので、そこの点について、どちらかといえば
ジャーナリストというより
国民の一人として、
法曹三者ではない、
部外者の目からどのように見えるかという
立場からお話をしたいというふうに思います。
まず、
結論から申し上げますと、今回の
改革案というのには、
幾つか問題はございますけれども、しかし
法曹三者が
知恵を絞って、そして難産の末ここまで
合意にたどり着いた結果ということでありますから、今回の
改革についてはこの線で進めていくべきことであろうというふうに思っています。
ただ、もろ手を挙げて
賛成できるかというと、
幾つか問題がありますので、その点についてはまた後で詳しく申し上げたいと思います。
内容について入ります前に、今回の三
者合意というものについてどういうふうに考えたらいいのかということを私の
感じで申し上げます。
三
者協の
ルールというのは既に二十数年の歴史を持っているわけでありますけれども、こうした
ルールが確立しているということは、
司法権の独立ということからいえば非常に重要なことでありまして、こういった話し合いの場が持たれるということ、そしてそこで
法曹三者が
知恵を出し合っていっているということについては私は尊重すべき慣行であろうというふうに思っているわけです。
しかし、その一方で、
国民の側から見てみますと、これは
法曹三者だけで話をしていい問題なのかというようなことがあるということも事実であります。
例えば、どのような
サービスをどのぐらいの
程度供給するのかということで、その問題について、それを供給する側が決めていくということについてはやはり大いに疑問を
感じざるを得ないわけです。
改革協のときには
数論というのが
大変議論になりました。そして、今回は
修習期間の
期間論というところでいろいろな
議論が行われたわけです。しかし、結局それは、どの
程度の量の
サービスを、どういった質の
サービスを提供していくかということと密接に
関係するわけですから、これを三者だけで決める問題だというふうに言われてしまうと、どうもちょっと違うのではないかなというような気がします。
また、
日弁連内部の
議論を聞いておりまして、三回の
臨時総会に私は全部出て、
議論の
中身をみんな聞きましたけれども、そこで語られていることというのは、やはり、
一つの村というのでしょうか同じ
利益集団の中での
議論であって、開かれた話とはとても思えないような、信じられないような
意見が出ていたことも事実です。
例えば、一番びっくりしましたのは、
法曹人口をふやすということになると
日本人の
人権が守れないといった
議論が行われたこともありました。それは、
人口をふやすと競争がふえる。そうすると、
弁護士さんが、
人権擁護活動といった銭にならない仕事をしなくなって、金もうけばかりに走ってしまうから、したがって
日本人の
人権が守れなくなるのだ、こういった
議論が堂々と行われたりしたわけですね。そのときに私も、あるいは私と同じような
立場にいます
新聞社の
論説委員などが口をそろえて言ったのは、そんな
人権だったら守ってほしくない、こういうことだったわけです。そういった思い上がった
議論が行われているというようなことが確かに
法曹三者の中であるというのが率直な印象であります。
ただ今回、では、昨年十月の
合意に達しなかったらどうであったろうかといいますと、私は、これは逆の
意味で、
法曹三者が三者としての
自治能力を発揮できなかったということになるわけでありまして、そのぎりぎりのところで
自治能力を発揮したということでいえば、それはそれとして評価はしたい。その
ルールが残るということは、やはり貴重なことだろうというふうに思っています。
さて、
法案の
中身について少し申し上げてみたいと思いますが、まず、
修習期間の一年半への
短縮問題です。
正直申しまして、二年がいいのか一年半がいいのか、
部外にいる者から見るとよくわからないのです、これは。長ければ長い方がいいという
議論もあり得るでしょうし、しかし、そんなのんびりやっていても、今のように一カ月ぐらい何か
海外旅行に行くというような暇があって、それにその間も給料もやっていいのか、こういうふうな
議論になってきますと、いや、そんなにのんびりやる必要もないのじゃないかとかいろいろな言い方があるのだろうと思うのです。そこで行われていることが、どういったことが行われていて、それが、詰めていくと、一年半でできるのかできないのかというようなことが、余りよくわかりません。ですから、一年半がいいのか二年がいいのか、それについて答えろと言われても、なかなかまともな回答は出せないのです。
ただ、いろいろな
皆さんの話を聞いておりますと、今の
研修自体が非常にテクニカルな部分に入り過ぎていて、一種の迷路の中に迷い込んでいるのではないかという話はよく聞きます。そういった目で見てみますと、確かにそうだろうというような気がします。そこを整理していくと少し時間をセーブすることができるということのようで、
研修所の
教官の
皆さんは、一年半で何とかできるのだということを、それぞれの
立場の
教官の方はおっしゃっているようですので、そういった
教官の
皆さんがおっしゃるのでありますし、また、それでできるということであれば、それはそれでいいのではないかといった気が私はするわけです。
その一年半の
短縮とあわせてカリキュラムなどもかなり変えていくという案が出されています。その
案自体については、私は
賛成をしたいというふうに思っています。
もう一点の、
試験科目の問題でありますけれども、これについては、先ほど
吉村先生がおっしゃった
趣旨と私も基本的には同様です。
両方の
訴訟法を必須にしたということ
自体、これは大いに歓迎をしたいというふうに思います。ただ、
受験者の
負担軽減ということで
選択科目がなくなってしまったということについては、いささか疑問がある、寂しいなという
感じがするわけです。
考えてみますと、
行政法なり
労働法なり
国際関係の法などがなくなるということは、結局、憲法以下の
基本法だけが残るということになります。
基本法というのは、ある
意味でいうと、時代を超えた超越的な、基本的な考え方がそこの中に盛り込まれているわけですけれども、
行政は
行政として、今の生の
現実とそれから
国民との
関係といったものを法という切り口から見ていくというものでしょうし、
労働にしましても、こういうふうに
雇用情勢が非常にドラスチックに変化をしている中での
雇用というような問題、労使というような問題を法という面から見ていくということであると思いますし、こういう
国際化が進んだ中での
国際法というものの
重要性というのも、まさしくこれからの
日本にとっての重大な
テーマだろうと思うわけですね。
そういう生きた
現実、生きた
社会との接点を持つような
法律科目というのがみんな消えてしまうということについて、いかがなものかなという気がするわけです。それでなくても、今の
受験生がやっている
勉強の仕方ということになりますと、
試験に受かるためだけの
勉強をやっておりますから、
社会を全く知らないまま
合格者が出てくるということを大変懸念しているということです。ただ、
試験問題を一回変えるということになりますと、
受験生の
立場からすればそうころころ変えてもらっても困るということですから、ある
程度もう
方向が出ているということですので、これは長期的な
課題としてぜひ取り組んでいくべき問題ではないかというふうに
感じています。
さて、今回の
合意についてなのですけれども、一千名
程度にふやすということですが、私はこれは、さっきの
吉村先生の発言でいえば中期的な問題で、いよいよ千五百人の将来の長期的なということのようですが、私は、今回の千人
体制というのは過渡的、むしろ緊急避難的な措置だろうというふうに思っているのです。千五百人というのが中期、中間的な
課題であって、将来的にはこれは何千人がいいのかと言われると大変困るのですけれども、とても千五百人といった数字ではないような、もっと大きな数字が私は必要ではないかというふうに
感じています。
法曹人口論になりますと、それではそういう需要が具体的にあるのか、それを証明してみろという
議論がすぐ出てまいりますけれども、これは証明するのが実は不可能なことを求められていることだろうと思うのですね。もともと需要というのは、供給の
体制があればまた需要がわいてくる。供給側に対するアクセスが容易になれば需要というのは幾らでもふえてくるものだろうと思うのです。
一つだけ例をとって申し上げます。私は
労働問題も担当しておりますから
労働分野について申し上げますと、現在、
日本で
労働関係のトラブルで
裁判所に持ち込まれている件数は二千件をちょっと超えたところです。これは正式の訴訟というものだけではなくて仮処分といったものも含めての数ですけれども。
日本よりも
人口が約三分の二のドイツでは、ドイツの
労働裁判所には年間約七十万件の訴訟が持ち込まれているのですね。ドイツと
日本の労使
関係を見て、ドイツの方がめちゃめちゃに
労働法違反、契約違反といったことが横行して、
日本ではきちっと守られているかというと、恐らく決してそんなことはないだろうと思うのです。
その証拠には、例えば
行政の
労働相談の窓口をのぞいてみますと、東京都だけで年間四万件を超える相談が寄せられています。東京都の
人口が約一割としますと、全国で四十万件という潜在的な相談件数があるはずですし、
弁護士会などの何とか一一〇番というのをやれば、電話相談は今殺到しております。また、
労働基準監督署の窓口にも、年間十万件近い相談なり苦情なりが入っているというようなことのようです。
それこれを足していきますと、ドイツぐらいの数になるのかどうかはよくわかりませんが、少なくとも五十万件ぐらいのトラブルというのが起きている。しかし、
現実に
裁判所にやってきているのはわずか二千何百件しかないという
現実なのですね。
それはなぜかというと、
裁判所の今の裁判の処理システムがとても、身近で起きている、職場で起きている細かなトラブルですとか違法行為を処理するだけの柔軟性や簡便性を備えていないという制度上の問題もありますし、それをバックアップする
法律家あるいは公的な援助システムというのがないということでもあると思うわけです。その
一つをとってみましても、法的な需要というのは無限にあるというのが私の印象です。
それともう
一つだけ申し上げておきますと、質の問題であります。
先ほど受験
勉強の話をちょっと申し上げましたけれども、今法学部ではダブルスクールの問題が深刻になっていると言われますが、私はもはやダブルスクールではなくてシングルスクールではないかというふうに思うのですね。今、本当に
司法試験だけ受かるということを考えれば、
大学に合格したらすぐ学校の授業を出ずに予備校に行って、朝から晩まで予備校のテキストで論点ばかりを
勉強する、これが一番受かる早い道でありまして、
大学の法学部の授業なんか
一つも聞かなくても受かるというのが
現実だろうと思うのです。
現にそうした
合格者が相当数入ってきているということ。そして、ここ二、三年若年化が進んでおりますけれども、若い人たちの中でそうした
勉強しかしてこなかった人たちが
研修所に入ってきて、若いがゆえに柔軟な頭を持っているかというと、必ずしもそうではないような若い人たちもふえてきているというような
現実もあるようです。
そこのところをどうするかというのは大変深刻な問題でありまして、これはもはや
科目をどうするかということを超えたことだろうと思うのですね。その
意味でも、
法曹養成システムを、例えばロースクール制度なども含めて抜本的な見直しをぜひ始める時期に来ているというふうに思っています。
以上でございます。(拍手)