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金子参考人 ただいま御
紹介いただきました
金子でございます。
私は、シンクロスイミングの指導者として、この三十数年間ひとえに指導に当たってまいりました。私、この三十数年の間に、ロサンゼルス・
オリンピックから
オリンピック種目にシンクロナイズドスイミングが入りましてから
アトランタまでの四回の
オリンピックを、
オリンピックのヘッド
コーチとしても
スポーツの現場の一線で働かせていただいてまいりましたので、きょう私が
皆様の前でお話しできることは、指導者たち、
選手たちがどのような窮状の中で
スポーツをやっているかということについてお話をさせていただきたいと思います。
私が指導者になりましたころ、今もそうですけれ
ども、シンクロナイズドスイミングと申しますのは、
皆様も御
承知のように、本当に大変マイナーな
スポーツでございます。私が指導者になりましたのは、この奥の深い、こんな運動能力の高い
スポーツを
国民の中にもっと普及させてみたい、そして夢のある
子供たちをこの
スポーツに参加させたい、私は
選手であるときから、この
スポーツを
日本全国に普及するような、そんな普及の指導者になりたいという夢を持って
選手をやり続けてまいりました。
選手を終わりましてから、私はそんな気持ちで指導者になりましたが、若輩の指導者に対しまして、ついてくる
子供たちはみんな夢を持って、目的を持って、目を輝かしてついてくるんですね。そうした
子供たちを後ろに見たときに、私は、中途半端なことで人の指導ということはできない、私が全身全霊をかけてこの
子どもたちの目的とするところをしっかりなし遂げてやることが指導者としての役割であるということを考えまして、指導に邁進してまいりました。
やがて国際
大会が盛んに行われるようになりますと、私も初めて、とりたてて国旗ですとか国歌にですとか興味のあるというような人間ではございませんでしたが、初めて
日本を代表して外に出ましたときに、国歌を聞き、そして国旗を見たときに、
日本の
選手としての誇りを持って私は戦わなければならないんだということを本当に熱く感じました。
私、この三十数年間に、自費で、あるいは
予算を少しいただきながら、もう数十回、百回に近い遠征を続けてまいりました。この三十数年の間に、では
日本の
スポーツ政策はどんなふうに変わってきたかといいますと、今振り返ってみますと、私にとりましてはあっという間の三十年間でございましたけれ
ども、もう何にも変わっていないんですね。
私が二十五、六歳のときに、
コーチといたしまして初めて
アメリカに渡りました。そのときに、見るもの聞くもの、すべてのものが感動でした。何て町の中にごみ
一つ落ちていなくてクリーンなんだろう、何てすばらしい
文化的な生活をしているんだろう、私にとりましては感動そのものでございましたが、三十年間たった今、私は、
外国へ出て見ますのに、もう
日本が最高でございます。国の
環境といい、それから
整備された道路といい、クリーンさといい、みんなの食生活といい、本当に
日本は誇れるすばらしい
環境が整いました。でも、その
環境に対して、では私たちの
スポーツ環境はどうかといいますと、全く変わっておりません。不思議なほど変わっておりません。
その
現状をちょっとお話ししたいと思うのですが、私の
スポーツは、御存じのように、三メートルあるいは三メートル以上の水深が必要な
スポーツでございますが、今
日本の中には、それだけの深さを有したプールは本当に十指の指の中に数えるほどしかございません。一メートルあるいは一メートル三十から一メートル五十のプールを使えれば本当にありがたいことだと思って、私たちはそれもどきの練習をしております。
長い指導者の体験の中で、私は、
皆様も御存じと思いますが、小谷実可子を十数年間にわたって、あの
選手だけではなくてたくさんの
オリンピック選手を育ててまいりましたが、あの
選手を育てているころ、おかの上で練習をしながら
日本選手権に出た経験が何回もございます。泣きたいほど情けないと思いました。しかし、
選手の前では指導者として弱気は出せませんので、大丈夫、これでもいけるということで、おかの上で、泳いでいるつもり、そういう
トレーニングをして
大会に出たという経験もあるほど、
大変スポーツ施設には苦慮いたしました。
理解をしてくださる
スポーツクラブのプールを借りましても、その
スポーツクラブが
一般に運営する以前の時間ですから、それこそ朝四時に起きまして、五時から
学校へ行くまでの練習、あるいは
学校から帰ってまいりましたら、二十五メートルのプールを一コース借りまして、一コース二十五メートルの中に四十人ほどの
選手が泳ぐという
現状をお考えいただきたいと思うのですが、私はそれも工夫しなければならないと思いましたので、上で泳ぐ
選手もいれば息こらえをして下で泳ぐ
選手もいる、それでも二十五メートルの中には何十人の
選手が詰まってしまいますので、二十五メートルの
トレーニングはできませんから、
選手たちはプールサイドにタッチをしたら間髪入れず腕の筋力をつけるために駆け上がる、そして上で
トレーニングをする、そして
自分の順番を待つというような
トレーニングを、
選手たちには、こういうない
施設もまことにすばらしい
トレーニングであるというようなことを説き伏せながら
トレーニングをしてまいりました。
最近でこそ、少し
日本の中にもいいプールがふえてまいりました。大阪の国体が昨年行われましたが、その国体のために大阪にもすばらしいプールができました。そして東京にも、国際水泳場というのが数年前にできました。しかし、
日本の
スポーツ、
競技スポーツの政策がうまくいっていない
現状でしょうか、
オリンピックを目指す
選手たちがそれを自由に使えるということは全くできません。私たちも週に二回ほど東京の辰巳国際水泳場というのを使っておりますが、
一般の
皆様と一緒に抽せんを受けて、そして二時間ほど、数万円という高い
お金を出して私たちはプールを借りております。このプール代を一カ月間に出すことはなかなか大変なことでございまして、親たちが廃品回収をしましてバザーをしたりいたしまして、そういう
お金を集めてはプール代にかけているというのが
現状でございます。
私たちナショナル
コーチたちがナショナル
トレーニングをいたしますのにも、本当にプールに困っておりまして、幾つかのプールがナショナル
トレーニングのために使われておりますが、シンクロだけではなくて水球の
選手あるいは飛び込みの
選手と共存しなければなりませんので、国際
大会に行くのにも
トレーニングをする
施設がないというのが
現状でございます。
そしてしかも、私たち
コーチは、千円という日当をいただいて
コーチをしております。この千円の日当は、私は
家庭の主婦であって
コーチでありますから、うちのおかずを減らし家計を質素にすることで家計の
お金を持ち出してやっておりますが、ここで能力のある若い
コーチたちが育つかといったら絶対育つわけがないんですね。アルバイトをしてみんな指導者を続けておりますが、そのアルバイトも休んでこういうナショナル
トレーニングに参加するということになりますと、千円の日当でやっていけというのは、これはもう本当に無理な話でございます。
それから、
オリンピックも含めて国際
大会に参加するときは、
コーチも
選手もみんな、私
どもは十万円の負担をさせられております。これもなかなか簡単なことではございません。長野
オリンピックでの清水
選手のお話もありました。遠征費に事欠いて遠征ができなかったことがあるというのは、私たち
スポーツ界では本当に日常茶飯事でございます。
そういう中で私たちは
選手を育ててまいりました。しかし、
皆様も御存じのように、あるいは私の先にお話をくださいました
先生方のお話にもありますように、
スポーツが与える
子供たちへの
影響のすばらしさというものは、これはもう本当に金銭にはかえがたいすばらしいものがあります。国際的に見れば、言葉が通じない、あるいは肌の色が違う、そうした人たちも、同じ、共有した感動を一緒に持てる喜び、これはもう大変なものでございます。
それから、私
どものところに、今小さな
子供たちが、夢を持ってシンクロの
オリンピック選手になりたいといって門をたたいて入ってまいりますが、本当に皆さんたちに訴えたいのは、
子供たちの体は物すごく病んでおります。
子供たちに柔軟をちょっとやって見せて
ごらんと申しましたら、老婆のように、体をほとんど折ることもできないほど
子供たちの体は非常にかたくなっております。恐らく
学校体育の中でもそれほどの基本的な
トレーニング、基本的な
スポーツ教育が行われていない結果だと思いますが、
子供たちは木登りもできません。そして細い木の上を歩かせてみても、平衡感覚をとって歩くこともできません。そういう
子供たちの体の病みを、私は非常に残念に思っております。
そして、そういう
子供たちは、やはり心も病んでおります。
オリンピック選手になりたいといっても、苦しいことに耐えるのは嫌だと申します。そして、華やかなことを楽にできるんならトライしてみたいけれ
ども、私は参加するだけでいいのだ、余りこんなに苦しいのなら
選手になりたくない、我慢をして続けるということができないという
子供たちが多くなっているのも現実でございます。
先ほど弁護士の
先生からも、今の
日本の国内におけるいろいろな
子供たちの凶悪な犯罪が多いという
現状をお聞きいたしましたが、じゃ、そういう
子供たちはどうしたらいいかといいますと、私は決して
お金が欲しいためにああいう
事件が起こっているばかりだとは思いません。
子供たちは、恐らく身の置きどころが全くないのが
現状だと思います。
家に帰りましても、それなりの
自分の身近な
地域の中で思いっ切り動き回れるような
スポーツ施設がない。思いっ切りみんな仲間と遊べるようなそういう
環境にない。恐らく親たちは、勉強しなさい、本を読みなさい、塾に行きなさい、親たちも恐らくどうしていいかわからないのだと思います。そういうような日常の中で
子供たちは、年齢的に見てはならないはんらんしている雑誌を手に入れたり、あるいはビデオテープを手に入れたり、親の知らないところで恐らく不健全な遊びにふけっているのではないか、そういうような
子供が多いのじゃないかというような気がいたします。やはり
子供たちは
子供なりに、その年齢で思いっ切り心と体の力を発散して成長していくのが私は正しい成長だというふうに思っております。
私は、
競技スポーツも大変窮状ではございますが、この法案で、
スポーツ政策で
競技スポーツだけを発展させてほしいというのではなくて、本当に
競技スポーツが真の力をつけて、
日本が
世界に誇れるような
スポーツ国になるためには、本当に生まれたときから
子供たちが、生涯
スポーツの中で多くの
子供たちが
スポーツに親しんでこそ初めて本当に能力のある
子供たちがその中から生まれてきて、
競技スポーツとしても力をつけていくのじゃないかなというふうに思っております。
競技スポーツに進みたい子は進めるような
施設をつくってやったらいいと思うのです。そして、少々運動能力には疎いけれ
ども、思いっ切り好きな遊びをして、好きな運動をして、自然に親しんで、友と親しんで、
地域社会の中で
子供たちがはぐくまれて、心と体が健全に育っていくということを私は願ってやみません。
私が育成をしてまいりました小谷実可子
選手を例に挙げましても、今でこそ堂々と
世界にわたって仕事をしておりますが、私が何百人となく育てた
選手の中で、あれほど気の弱い、
スポーツ選手には向かないのじゃないかと思いながら、非常に苦労して育ててきた
選手はございません。あの
選手がやがて
自分の真の
スポーツの力をつけて、
自分というものに自信を持って、そして多くのいろいろな方と交わって、そしてまた自然を知って、そして国際
大会でいろいろなことを見聞きして、彼女は今成長してきたと思います。国連の場で
世界平和を訴えてお話をさせていただいたり、あるいは数日前ですが、OCAの
会議でアジアの
選手会の
会長にも
日本、アジアを代表して選ばれたというふうに聞いております。それを聞きますときに、私は、彼女の育ってきた、小さいころからの彼女の性格がそこまで育ってきたことを思うと、私は
スポーツの指導者として誇らしくさえ思っております。
彼女が先日私
どもの
日本選手権を手伝いに参りまして、そのときに、
先生、感動したんですよ、長野
オリンピックのパラリンピックのときに、
先生と一緒に私たちが合宿していたときにじっと見学に来ていた身障者の方が、小谷さんの練習に非常に感動した、そして僕も
スポーツを始めてここまでになりましたという人に私は
競技会場で会いました、
先生覚えていますか、私すごく感動、震えるほど感動しましたということを彼女が申しておりましたが、私は、そうした触れ合いの場をもっともっと多くつくっていただきたいというように思っております。
私、
サッカーくじが賛成か反対かと言われましても、私はそのことについては、どういう形であれ、
スポーツ振興政策が
国民全体の場に公開されて、このように審議されるということはすばらしいことだと思うのです。
ただし、これが何年も審議された結果、絶対に後退してはならないと思うのです。終わりになってしまって、後退してしまったら、何もならないと思います。私は、前進あるのみだと思います。一歩も二歩も前進をして、その中で大人の知恵で、この
サッカーくじを健全に、健全なシステムの中で行うには一体どうしたらいいのかということをいろいろな分野の
皆様方と話し合いを持たれて、そういうシステムをつくっていただきたい、そして前進を私はしていただきたいというふうに思っております。マイナス要因よりも、病んでいる
子供たちの心を健全にすること、それが国全体が明るくて力がつくということにほかならないと私は思っております。
最後に、私が特に感動いたしました諸
外国の幾つかの
施設のことについて申し上げておきたいと思いますが、私、
ソウル・
オリンピックのときに、本当に
日本の中では
トレーニングする場所がございませんでした。鹿屋あるいは北海道の野幌に
一つあるプールを渡り歩きながら、鹿屋には、非常に費用がかかりますので、船で行ったりというような形で
トレーニングをいたしました。
最後は深いプールで
トレーニングをしたいということで、
ソウルの
ナショナルトレーニングセンター、
外国の人は入れないということでしたけれ
ども、
ソウルの
オリンピック選手を私たちが強くする、面倒を見るという約束を取りつけまして、私はそこの中で最後の一週間合宿をさせてもらいました。たしか
日本の
国会議員の
先生もちょうど視察に見えられておりましたので、御存じの
先生もたくさんいらっしゃると思いますが、そこの場所は本当に簡単な、簡素な
トレーニングセンターでございました。
日本で今
ナショナルトレーニングセンターをこれから、この
サッカーくじ法案がもし成立して、つくられるとしたら、恐らく超豪華なものが皆さんの頭の中には想定されているのじゃないかと思いますが、私はそうしたものは要らないと思っています。コンクリートむき出しの、これはスケート場です、一年じゅう滑れるアイススケート場ですといって外から見せられましたが、本当にプレハブの簡単なものでした。
しかし、中には本当に必要なものがきちっとついておりました。管理する人もきちっとおりました。そして、ナショナル
トレーニングをする際には長期に
学校を
選手たちが休みますので、
学校教育との連係プレーがありまして、
学校の
先生が当番制でそういう
ナショナルトレーニングセンターに見えて、
選手たちに一定の与えられたカリキュラムを消化できるようにきちっと指導もしている、そういう非常に整った
スポーツ政策を目の当たりにいたしました。
また、ソ連からロシアへ移行いたしましたただいまのロシアでございますが、私はソ連の
スポーツのすばらしさはもちろんよく見聞きしておりましたが、ロシアに移りましたときに、これで恐らく旧ソ連の力はなくなるのかなというふうに思いましたが、今しっかりと復帰してきて、私たちの
世界でも今ナンバーワンの、
世界一の力を誇っております。
どうしてこんな力がつくのかという話をしましたら、非常に食べるものも困って、政治が大変なときに陥ったときに、私たちの大統領は、スポー
ツ政策だけは続けていく、
国民が元気になるために、そして
世界にロシアを誇るために、
スポーツ政策だけはしっかりと続けていくので、あなたたちは頑張りなさいというふうに私たちは励まされて、私たちは何も困ることなく
スポーツは続けているという話を聞きました。
私はまさにそのとおりだと思います。外で
日本の
国民が元気になって、このすばらしい
日本をアピールできるということは、こういう
スポーツにかける力、
スポーツに占める力は本当に大きいというふうに考えております。こういうことと、そして
子供たちの健全な育成、そして非常に長生きをできるようになりました。長寿国家になってまいりました私たちの、
日本の
国民の生涯
スポーツのために、ぜひこの
スポーツ振興政策を推し進めていただきたいということを切にお願いをして、終わりにさせていただきます。(拍手)