○中川(正)
委員 さっきの答弁を聞かせていただいておると読んでいただいてないような感じがするのですが、いずれにしても、私が改めて説明をさせていただきたいというふうに思います。
それぞれ先ほどのお話のように訴訟の対象になっておってという物の見方もあります。そういう観点で見る見方もあります。これは、
大臣はそういう畑を歩いてこられたからそういう色合いが濃いのでしょうけれども、私は、実は全く違った見方をしたのです。それはどういうことかといいますと、時間的経過の中で、どうも、今回山一が破綻をしていった、その破綻の引き金を引いたのは簿外債務でありますが、その簿外債務で飛ばしに向かってどんどんいわば沈み込んでいったという過程の中に、
大蔵省のそれこそ
金融政策が非常に密接に絡んできている。言い方を変えれば、このままずっと読んでいると、そうせざるを得ない、そういう
処分をせざるを得ないような流れに追い込んでいったという
行政指導が裏にあって今回の出来事が起こったのじゃないかという読み取り方ができるわけなんです。そこのところを一遍これは議論をしていく必要があるのじゃないかな、こういうふうに思ったものですから、取り上げさせていただきました。
それを具体的に言いますと、この報告書は一九八五年から始まっているのですが、そのころ、昭和六十年ですが、それからずっとバブルが始まりまして、営業特金あるいはニギリというのですか、一任勘定でそれぞれ法人を対象にしたそれこそ営業合戦が繰り広げられて、各
証券会社、これは山一だけじゃなかったと思うのです、そのときの
状況は。各
証券会社がシェアの分捕り合戦でこの営業特金という方法論を使いながらしのぎを削っておったという
状況があったということがまずは一つはしのばれます。
それに対して一九八九年、平成元年、これは二年前のブラックマンデーの後、ちょっと陰りが見えてきて、いろいろな意味で株価自体がもたなくなってきたという
状況の中で、まず
大蔵省の通達が出ているのですね。これが一九八九年の十二月二十六日、
証券局長通達で、営業姿勢の適正化通達という中身になっていますが、これは、一九九〇年、平成元年から一年後、平成二年三月までに営業特金を全廃していきなさい、こういう
内容の通達が出ているのですね。
中身を見ていると、それから実は山一の苦悶が始まったわけです。この通達によってそれぞれどういう選択をしなければならなかったかというと、顧客に対してはニギリをやっているわけですから、これだけの利益保証はしますよということを、ニギリというのは書面で交わす契約ではなくて、口約束でこれぐらいのものですよという約束をしていますよ、こういうことですね。ですから、営業特金をやめるのだ、これはやめなければいけないのだということは、このニギリを解消しなければいけない。そのときに、株価の動きによって損失が出ている分については、これは山一が持つのか、それとも顧客が持つのか、どっちかで整理をしていかなければならないということですね、この通達のとおりでいくと。それを始めたわけです。それを始めていきながら、そこでいろいろな中身があったのだろうというふうに思うのですが、結局最終的にはここから飛ばしが始まる。飛ばしというのは、そうした意味でどっちにも
責任をかぶせることができないから、まずは飛ばした形で問題の先送りをしょうという選択がそこに出てきたということだと思うのです。
それで、一九九〇年、さっきの平成二年の三月にこの
証券局の通達が効き目を持ち出して、平成三年を迎えるのです。平成三年を迎えたときにどういうことになったかというと、
証券不祥事の発覚がありまして、損失補てん問題というのが社会的に大きくクローズアップされました。そのときの損失を
証券会社に持たすのか、それとも顧客に持たすのか、これをやっているうちに、相当部分が
証券会社が持っていた、言うたら損失を補てんしていたということがこの流れの中で明らかになったものですから、この損失補てん問題というのが社会現象化した、こういうことであります。
そこで、この年の九月四日にその当時の行平社長が参議院に呼ばれまして、それで、これ以上問題のある取引はないのだ、もうこれで全部清算したのだ、これからは損失補てんもしないのだ、こういう証言をしているということであります。
実は、先送りにしていた問題がいっぱいあったのですけれども、山一はこのころから特に、そういう証言を社長がしたときから、顧客の企業から、これまで契約していたファンドを解消したい、このままでしていたらどうも先送りの問題というのはみんな企業の方に持たされてしまって約束が違うじゃないか、ニギリが生きないじゃないか、こういうような要求が相次いで来まして、結局全体として山一がかぶらなければいけないような雰囲気にだんだん押し込まれてきているということであります。
実は、そうしたさなかに出てきた問題が東急百貨店の問題でありました。この東急百貨店の問題というのは、先ほど、どちらが持つかというものがどうしても話し合いがつかない、だから東急百貨店の方から山一に対して、話し合いがつかない場合には裁判に持ち込みますよ、表に出しますよというおどされ方をしたということであります。それをもって、実はその当時の三木副社長が松野
証券局長と面会をして、松野
証券局長から、「東急百貨店と揉めているそうですが、どうするのですか」という
質問を得た、こういう流れなんですね。この報告書によると、そのときに松野局長は同時に、こういう問題のときには「大和は海外に飛ばすそうですよ」という話が松野局長から出た。だから、この会見をもって山一の方は、実際には海外には飛ばさなかったけれども、こういう場合には飛ばすという手法が一般的なんだな、これでいいんだなという確証を得ながら多くの問題をこの東急百貨店の問題も含めて飛ばした、こういう経緯になっております。
実はその後、平成五年、一九九三年に、平成五年の
検査というのは定例
検査が
大蔵省と
証券取引等監視委員会によって入っているのですが、このときに実は、改善指示書では、直接取引の仲介という部分については、これはどういうことかというと、いわゆる負債を抱えた
証券を飛ばしていくときに、A
会社からB
会社の仲介を山一
証券が直接やった、それは書類の上に出ている、出ているから直接取引の仲介という点で不適正、不適切な取引があったと
指摘しているわけです、
大蔵検査は。
指摘をしていて、しかし、真ん中に立つということはだめですよということだけを言っておいて、それから先がないんです。この
指摘以上に、どうも客観的に見ていると、この取引がどういう取引であったのかということがわかっていながらこれ以上の追及はしなかったという形跡がここで見られるということであります。現に山一としては、それ以上の追及があるだろうという心づもりをしていたんだ、しかしなかった、こういうような報告書のいわば中身であります。ここは、どう考えても我々が納得できないところであります。
そして最終的に、このままの
状況が続いていったとすれば、この問題がこうして大きく表に出ずにどこかで山一が破綻したかもしれない、あるいは株価が上がってそれが解消されたのかもしれない、そういう
状況が続いたんだろうと思うのですが、外からのこうした監視だとか外からのチェックでこの問題が出たんじゃなくて、この飛ばしの問題が表に出たのは何から出たかというと、平成九年の総会屋への利益供与事件、小池事件なんです。これで表に出て、
検察が入って、警察が入って、その中からにつちもさっちもいかなくなったということであります。
そのきっかけは何だったかというと、そのときの
責任をとった社長、副社長以下役員が交代をして、新しい役員がこれまで全く知らされていなかったこうした簿外債務というものの存在を知ったときに、野沢社長が決断をして
大蔵省に話を持ってきた。そういう経緯の中でこの問題が表に出たということであります。
そこで、具体的に二、三、
質問をしていきたいのですが、まず一つは、先ほどの平成五年の
大蔵検査であります。このときに、先ほど申し上げたように、山一は資料提出に対しては確かに虚偽の提出をした、飛ばしの一番最終のところでいわゆる簿外債務を抱えたままにしている企業については名前を提出せずに虚偽の提出を行ったと言っています。しかし、これはこれでその部分ではつかんでいないんですけれども、さっき言ったように、改善指示書では、直接取引の仲介という部分については、これはおかしいよという
指摘をしているんですね。
指摘をしていて、後、それ以上の追及をしなかった。
もう一つ腑に落ちないのは、これをやっておいて、その後、十月十五日、
証券取引等監視委員会から山一に対して、この平成五年の
大蔵検査において確認された取引以外の取引で飛ばし取引、その他の簿外取引の有無、あるかないかという、いわば改めて
質問状を送っているんです。わざわざ、飛ばしとか簿外取引、これについて一遍自己申告しなさいということを
証券取引委員会の方から言っているわけですね。
これはなぜ言っているかといったら、恐らく、この改善指示書で直接取引の仲介があってこれはどうも怪しいぞという前提があるから、それについてはもう一回確かめなければいけないということで取引
委員会はこういうような指示をおろしているんだと思うのです。ここの点について、どう考えてもこれは納得がいかない。それ以上の追及がされなかったというのは納得がいかない。それについて、今どなたに答えてもらおうといったって、それはどなたからも答えの出てこないことだろうと思う。
それで、一つは、そのときの経緯というのを認識されているのかどうかということと、それからもう一つは、このときの
担当者がだれであったか、この
検査の
担当責任者はだれであったのかということと、その
責任者は今回の
処分の対象になっているのかどうか、
処分の対象のときに山一からどの程度の
接待を受けていたのか、これを聞かせていただきたいというふうに思います。
〔井奥
委員長代理退席、
委員長着席〕