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1998-05-28 第142回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成十年五月二十八日(木曜日)     午前十時開議  出席委員   委員長 安倍 基雄君    理事 荒井 広幸君 理事田野瀬良太郎君    理事 西田  司君 理事 根本  匠君    理事 桑原  豊君 理事 松崎 公昭君    理事 河合 正智君       岩永 峯一君    佐藤  勉君       阪上 善秀君    下村 博文君       滝   実君    棚橋 泰文君       西川 公也君    野田 聖子君       渡辺 喜美君    玄葉光一郎君       永井 英慈君    渡辺  周君       田端 正広君    中島 武敏君       前島 秀行君  出席政府委員         国土庁大都市圏         整備局長         兼国会等移転審         議会事務局次長 林  桂一君  委員外出席者         参  考  人         (法政大学経済         学部教授)   黒川 和美君         衆議院調査局国         会等移転に関         する特別調査室         長       白兼 保彦君     ――――――――――――― 委員の異動 五月二十八日  辞任         補欠選任   古屋 圭司君     阪上 善秀君 同日  辞任         補欠選任   阪上 善秀君     古屋 圭司君     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  国会等移転に関する件      ――――◇―――――
  2. 安倍基雄

    安倍委員長 これより会議を開きます。  国会等移転に関する件について調査を進めます。  本日は、参考人として法政大学経済学部教授黒川和美君に御出席をいただいております。  この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。何とぞ忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、議事の順序ですが、まず黒川参考人から二十分程度意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。  御発言着席のままで結構でございます。  それでは、黒川参考人にお願いいたします。
  3. 黒川和美

    黒川参考人 おはようございます。御紹介いただきました法政大学黒川と申します。首都移転について私が思っていることを述べさせていただきたいと思います。  私が述べさせていただきたいことは、大きく分けて三つの点でございます。一つは、地方分権という問題と首都移転という問題は大きなかかわりを持っているということです。それからもう一つの問題は、集中ということの意味についてです。この意味を解釈することで、国会等移転というテーマについての答えが少し変わってくるのではないかと思っているということです。それから三つ目の問題は、計画的に大きく何かを動かそうとすることにはなかなか難しい問題があるということを幾つか申し上げたいということでございます。とはいえ、私自身は、機能集中し過ぎている東京については、何とかしなければいけないと考えている立場にいる者です。  それでは最初に、簡単なメモをつくってまいりましたので、それに基づいて少しずつお話をさせていただきたいと思います。  地方分権、とりわけアメリカとかドイツとかという国は、徹底した連邦制をしいている国です。その国における首都ワシントンDCとか、今はボンでベルリンに移ろうとしているとか、そういった首都中央集権の国の首都とは「おのずと内容が違うと思っています。そのために、今我が国でもう一方で議論されている地方分権推進委員会の結論とかその大きな流れ、今度五次の答申が出ようとしていますけれども、そのような流れだけではなくてもっと大きな、私自身は、地域主権、国から、上から考えるのではなくて、下から考えていくような時代がおのずとやってきて、そのことが日本経済を再活性化させるのだと思っておりますので、その大きな流れのこととこの首都移転のことを別々に考えることは不可能ではないかというふうに思っています。  これはレジュメでは三番というところに書いたのですが、例えばもしワシントンDCのような、ホワイトハウスのような、首都、機構を考えようとしますと、日本が今期待されていることはどんなことなのだろうかとか、そのときに担う国会役割というのはどういうものなのだろうかということを考えなければいけないと思います。  国会は、我が国の場合は、外交を初めとしてあらゆるものを考えて、内政についても検討しているわけですけれども、そのことでいえば、地方分権が徹底して、地域の問題はかなりの部分を地方で解決をする、しかも自主的に解決するというシステム我が国に定着してまいりますと、国会が果たす役割というのは、今とは全く違うものになっていくのではないかというふうに思っています。  その役割がずっと小さくなっていって、つまり、国内の問題について別の組織が受け皿として担っていくという時代がやってくるとしますと、そのときに移転している国会というのは、我々が今大きなテーマ議論しているものとは少し違うことになるのではないかというふうに認識しています。そこで、地方分権進行度合いとともにこの首都移転問題というのは考えなければいけないのだというふうにまず考えています。  もう一つの問題ですが、国会役割というのがどういうふうになるだろうかということを、単純にワシントンDCアメリカホワイトハウス機能と比較してみようとか、あるいはアメリカキャピトルヒル役割日本国会とを比較してみようと考えてみますと、徹底して地方分権が進んでいきますと、アメリカ国会議論されていることというのはどちらかというと外交問題、とりわけアメリカ固有の、地球全体、グローバルな政治的な役割というのを持っていますけれども、もし次の時代我が国世界にとって重要な役割を果たしていくような外交上の問題を果たしていくとすると、そのとき我が国国会が担っている役割というのはどんなものになるだろうかと考えますと、それは、我が国が持っているこれまでに蓄積してきた技術を東アジアを中心としたその他の国に移転するような仕事とか、あるいは私たちの国がたくさん蓄積している資金上の問題を世界に広げて使う開発援助とか、そういった問題が中心になって国会は動いていって、国内の問題について、今持っている国会機能を別の組織が担うとするとそれはどんなものなのかということを、 二番のところで少し書かせていただきました。  もう一つの問題というのは、今、国土計画の中に大都市圏計画というのがございまして、首都圏計画とか、近畿圏計画とか、中部圏計画という問題はこの間常に検討されてきていて、首都圏全域の問題を広域的に考えるということを、どちらかというと地域中心からではなくて、国の計画として考えるということを我が国ではしてまいりました。  そのおかげでと申しますか、首都移転候補地が決められてから、各地でいろいろな動きが起こってまいりました。その候補地の中でいろいろなところを訪問させていただいて、いろいろな御意見を伺わせていただいている中で、やはりこれまで広域計画を持っていたところについては、それ以外の地域よりもはるかにその地域全体の経済ポテンシャルを高めるための計画その他が進んでいるというふうに認識しています。  そのことでいえば、中部圏の四県については、広域相互計画を立てていて、ネットワーク型の社会システム整備計画とか、国際空港計画とか、それから開発援助を頭に置いた上での博覧会の開催とか、いろいろなことが既に計画の上にのっていて動いている。それに対して、その他の地域は、どちらかというと都道府県単位で必死になって頑張っているけれども、全容がなかなか見えてこないという形に私には思えて仕方がありません。  そのことでいえば、首都圏、特に東京圏についても首都圏計画が、つまり都道府県単位の判断ではなくてもっと大きな範囲計画がずっと進められていたおかげで、東京機能更新ということが上手に行われてきていたというふうに思います。それが今の東京の強さをあらわしているということで、私自身は、首都圏計画の問題からちょっと類推をするわけですけれども、我が国全体にもう少し大きく広域に物事を考えるような単位が必要であって、我が国国土計画とか、これまで国会が担ってきて大きな意思決定をしなければいけなかった分野について、別の意思決定機構を持つ必要があるのではないか。これを連邦制というようなものにするのか、我が国固有のものにするかは、私は正しい意見を持っているわけではありませんので、ここでは慎ませていただきます。  ただ、衆議院の比例区のような広域単位での選挙のシステムができて、その範囲の中で問題を考えるような経験がもしこれから累積されてくるとすれば、そういったものが出発点になる可能性があるのではないかという気がしています。  これが最初の、私自身地方分権地域主権時代の小さな首都移転というイメージを持っていまして、どちらかというと、今の霞が関の機能、よく言われております十四兆円、六十万人で何年かのうちに大きく日本経済にインパクトを与えるような首都移転を考えているわけではないということです。つまり、そういうやり方をすると今までと同じような問題を繰り返すだけであって、それは緊急措置としては意義がないとは申しておりませんけれども、もう少し落ちついた我が国固有首都移転方法があるのではないかというのが一つの問題です。  そこで、第二の問題ですが、東京にとってプラスになることが結果的には日本経済にとってもプラスになるということが、我が国経済としては成り立っています。東京が強くならなければ日本経済は強くならないと多くの方が申されておりますけれども、私もそのとおりだと思っています。この首都移転とか今問題になっている国会等移転議論というのは、日本経済中心になっている東京ポテンシャルを高めることにプラスになるということでなければならないというのがもう一つの見識でなければいけないのではないかと思っています。そこで、例えば今東京都の職員は十九万人になっていますが、もう既に知事部局一般行政職員よりも警察官の数の方が多くなっています。正しい数字かどうかわかりませんが、四万七千人の警察官に対して、行政職員が四万五千人ぐらいになっていると思います。それほど東京には人が集まり過ぎた結果、交通事故、混雑、そして犯罪、治安の問題、さまざまな問題が起きてきて、本来東京が持っていた秩序正しい、そして経済ポテンシャルを持っているという、そういう機能が少しずつ失われつつあります。  それを何らかの形で補っていくために、たくさんあるうちの幾つかの機能を分散させていくということについては、多くの人がそのことを悪いとは考えていないと思います。  ところが、我が国で今首都移転議論をしようとしているのですが、もう一つの問題として、企業本社移転というようなことはほとんど議論されることがありません。残念なことに、我が国でこれまで行われてきたことはほとんどが工場移転という議論でした。東京の大田区とか品川区とか江東区にあった工場を多くの南関東エリア工業団地に出していって、東京機能が更新されて、東京にはオフィスが集中した。つまり、何かが出ていったから東京の今の集中が起こっているわけです。  だれかが出ていかないと、東京の中の新しい時代に見合った機能というのは高まっていかないわけです。だれかが一歩引いて、その機能が入れかわっていくということで東京全体のポテンシャルが上がっていくということが機能集中意味であって、東京には人もお金も物も入ってきているというふうに言われていますが、製造業出荷額でいうと、全国四十七都道府県ではとつくの昔に十五位以下に落ちております。かつては東京が一番だったこともあるわけですから、そういう意味では猛烈に大きな機能移転東京は果たしてきている。  そのプロセスで、非常に維持管理にコストがかかるような機能幾つかについて分散させることによって東京ポテンシャルを高めることができるのではないか。その一つ国会であったり、あるいは裁判所であったり、そういうことではないかというふうに私自身は思っています。  というのが、二つ目集中意義についての論点でございます。  三つ目問題点は、短期にこの問題を解決することはそう簡単にはできないということで、短期には別の応急措置が必要ではないかというふうに私自身は思っているということを申し上げたいと思います。  一つは、もし仮にどこか新しい地域首都移転するということをしたとして、そこの町は、恐らく四半世紀、二十年、二十五年の間は単身赴任都市というようなことになっていって、上司から命令されて仕方がなく行く人たちだけが集まっているような都市ができるのではないかというふうに思っています。  今、多くの企業で、上司からの命令でどこに移転しなさいと言うと、半分以上の方は単身赴任にするか会社をやめるということが起こるような状況になっていて、かつての日本型の雇用慣行というのは成り立っておりません。そのために、家族で移動しようとすると、その先は生活環境も含めてアメニティーのすぐれた、かなり高い水準の風格のある都市になっていない限り、首都らしい首都に人が定着して住むということにはならないのではないかと思っています。  首都における重要な役割に文化の蓄積とか教育とかそういったものがあって、そこで生活することがだれにとってもうれしいことで、喜んでそこに進んで行くような機能を持っている都市をつくらなければいけないわけですが、それを計画的につくることというのは簡単ではないように思います。  真に首都風格というのは、気がついたときに、いつの間にか受け入れ側のサイドにでき上がっているような内容のものであって、計画的に何年計画でここにそういうものをつくるということに関しては、過去のよその国の経験で多くの失敗があるように、そう容易なことではないというふうに私自身は思っています。  私自身が必要だと思っている論点を簡単に述べ たことで、私自身、それじゃどうしたらいいと思っているかということを最後に述べさせていただきたいと思います。  私は、自然の流れとして、幾つかの機能、今、東京で最もボトルネックになっているような機能を少しずつどこかに移していくようなこと、それを違う場所に分散して移していくという方法もあるかもしれないし、できたら一つの場所に少しずつ移していくということであるかもしれないと思います。  一つ一つ移していくときに、一カ所に集中して移していくというのであれば、そのときは、最初機能二つ目機能三つ目機能は、基本的に大きな相互作用を持ち合うような、外部性といいますか、お互いにプラスになるような、集積、集中の効果を持ち合うような機能を外に少しずつ出していくべきではないかというふうに思っています。  そのことの中で、そういう機能東京から出ていくことで、東京機能も、どちらかというと新しい機能を中に取り入れながら、東京も結果として成長できて、そのパワーが日本全体の経済の活力を取り戻していくような形になることが必要ではないかというふうに思っています。  自然の流れとして、国民的合意で、ああ、ここが首都なんだと思うような形でいっか首都になっているようなもの。ひょっとすると、それは東京から幾つかの民間企業本社移転させながら、何年かたったときに、ここはいいということでたくさんの企業が移っていった先が、改めてそのとき国民に首都機能を持っているのではないかと言われたりするようなものではないかと思っております。  東京にいつ首都機能が来たかという議論がございます。多くの方はいろいろな議論をされているのですが、私は、下河辺淳さんがおっしゃられている、関東大震災の後、後藤新平という方が東京山手線計画をつくったときに東京に実質的な意味首都機能が生まれたんだと議論されていることに関して賛成しております。  関東大震災の前までは、東京で走っている鉄道は基本的に、人が乗るために走っていたわけではなくて、生産物南関東エリアで生産されたものを品川の港に運び出すような機能としての鉄道が中心でした。それが、山手線という形で人を乗せてネットワークをするようになった途端に、東京にあった幾つかの病院競争的になって、ある病院では循環器系が強くなり、ある病院ではというように、一つ一つ病院がそれぞれ特化した機能で競い合うようになってきて、東京病院レベルは全国のどの病院レベルよりも高くなっていったり、幾つかの学校が競争関係になって、競い合うことによってそのレベルが高くなっていったり、たくさんのことがそのプロセスを経て起こってきました。  ネットワークをするということは、そのエリアの中の機関相互競争する環境をつくるということになっています。大都市というのは、その競争環境をずっと維持し続けるために、新しい機能を導入しながら、桎梏になっている機能を取り除いていって、ある一定の水準の機能を維持し続けることが必要だというふうに思っています。  このように、首都機能というのは、いつの間にかどこかにだれかが認めて、ここが一番だと思うような形でできてくることがいいのではないかというふうに思っていますが、そのときの首都というのは、私自身最初に申し上げましたように、それほど重要な役割我が国経済に果たしているわけではなくて、どちらかというと、アジアとか海外、つまり、地球環境全体を含めて、世界にとって重要な役割を果たしているような機能を持っているわけで、日本国内での一つ一つ経済的、産業的な機能というのは、地域中心情報発信をしながら、地域内で競争地域間の競争を持つようなそういう時代になっているのではないかと思っております。  最後の点についてうまく説明できたとは私自身も思いませんでしたが、全体として私が思っている意見を以上まとめて述べさせていただきました。(拍手)
  4. 安倍基雄

    安倍委員長 どうもありがとうございました。  以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  5. 安倍基雄

    安倍委員長 これより参考人に対する質疑を行います。  この際、委員各位に一言申し上げます。  質疑につきましては、理事会の協議に基づき、一回の発言時間は三分程度となっておりますので、委員各位の御協力をお願いいたします。また、御発言は、挙手の上、委員長の許可を得た後にお願いいたします。発言は、着席のままで結構です。
  6. 根本匠

    根本委員 自由民主党根本匠です。  先生の今の意見、私も大変興味深く聞かせていただきました。特に、先生最後の、自然な流れとしての重都論についてもう少し考え方をお聞かせいただきたいと思うのですが、先生の言う自然な流れとしての重都論は、先生のこのレジュメにある、首都圏計画等々の経験から考える広域連携重要性ということも指摘がありましたが、そういうことと、この自然な流れとしての重都論をどう結びつけて考えるのかという視点でお聞かせいただきたいと思うのです。  先生の自然な流れとしての重都論は、私なりに解釈すれば、ある程度市場原理に任せて、結果的にいろいろな機能が動いて、本社等もよさそうなところに動いて、それが結果的に首都としてふさわしいところになるのだというふうに受けとめたのです。その場合に、自然の市場原理に任せるのか、計画論政策論として、首都圏計画近畿圏計画のような視点から、首都機能の誘導というような政策的視点を入れる必要があるのかどうか。つまり、その計画論政策論としての視点と、自然な流れとしての重都論をどういう関係でとらえればいいのかという点をお伺いしたいのです。
  7. 黒川和美

    黒川参考人 ありがとうございます。一番大事なところをうまく補っていただいたのでとても助かります。  私が申し上げたかったのは、恐らくこういうふうになるのではないか。つまり、今候補地として挙がっている地域がしばらくの間競争されて、企業本社を導入すること、誘導すること、あるいは国会に働きかけられること、さまざまな機関自分地域に来ることを働きかけられること、そのために都市基盤整備とか、首都として風格のある、その風格についても地域によって、候補地によって皆考えていらっしゃることは違うと思います。  それで、幾つ候補地が残るべきかということについても、できたら二つではなく、三つないし四つ残って、二十年ないし三十年の時間をかけて、こういう首都を私たちは目指しているということを地域の側から発言していただいて、それに同調できる企業ないし機関がどれぐらいできるかを考えながら、あるところに自然に流れていって、あるところが圧勝するのであれば、それはだれもが認めている首都方向に行くであろうと思いますし、分散していくのであれば分散国家であって、本当の国会機能外交のような特定のものだけになっていく。どちらかというと、特定機能に特化したピュアな国会がどこかに生まれてくるということになるかもしれませんし、そういう意味で、この間、私は、日本の国の中に地域の間の競争のようなものを導入するような、そういう感覚で、地域広域連携ネットワークの、社会資本整備を含めた整備をやりながら競争環境をつくることで、それぞれの地域情報発信する機会をつくられることがいいというふうに今までは発言してまいりました。
  8. 下村博文

    下村委員 自由民主党下村です。  先生お話を非常に共感を持って聞かせていただきましたし、また切り口として、これからぜひそういう観点で論じなければいけないのではないかというようなことを改めて感じさせていただきました。  今のお話もそうですが、一番最初の、地方分権進行度合いとともに考えなければならないということの中で、それぞれの候補地の競い合いも含めてですけれども、それぞれの独自性という意味では、まずは地方分権が進行していかないと、今の体制の中では絵にかいたもち的になかなか具体的なことはできないというふうに思うのですね。  そういう中で、今の地方分権、勧告等出ておりますけれども、流れについてどんなふうにお考えになっているか。また、今後この地方分権については、どのような内容、それからタイムスケジュール、両方含めて、まずはやはりある程度見えていかないと、この首都機能移転についても議論がちょっとできにくいのではないかというふうに私も思っておりますけれども、特にこの地方分権観点からもう少し詳しく御説明をお願いいたします。
  9. 黒川和美

    黒川参考人 我が国はちょうど今二十一世紀に入ろうとして、いろいろなことがターニングポイントになっているということは御承知のとおりだと思います。  人口も、今厚生省では二〇〇七年と申されていますけれども、私はもっとずっと早くにピークアウトすると思っていますし、それから東京大都市圏への人口の流入とか流出というのも、今どちらかというと、出ていく数と入ってくる数がほぼ同じような数になっていて、これまでになかった、つまり明治維新以降一度もなかったような、一方方向で人が流れるという時代がとまろうとしている時期になっています。  それで、地方分権推進委員会の方で次々に案を出されています。この案は、アイデアとしては今からもう十五年以上前からずっと出ているアイデアがやっと今動いているという形で、これは私たち、つまり専門家としてはとてもだめかなと思っていたのが、かつて議論したものが今少しずつ、つまり実感を持って分権化方向に移ってきているという意味ではとても関心を持って見ています。  実際に、例えば、こういう候補地が競い合うために、自分たち思いどおり地域をつくろうとすると、国が持っているメニューの中からいろいろな補助のメニューその他を使わないと、町づくりができなかったり、連携をとったりすることができないわけですし、今でも首都圏計画を含めて、これは国土庁が音頭をとってつくっているわけで、地域都道府県間で共通に連携して計画をつくっているわけでは全くありません。  今中部圏については、どちらかというと初めて、あるいは九州地域についても、どちらかというと地域の連携を図ろうという動きが出てきていますし、橋がかかったおかげで四国と中国という地域も今までになかった魅力的な連携が今つくられようとしています。その意味で、東北地方についても候補地があって、お互いに連携をとらなければいけないということで、仙台の同友会なんかは一生懸命国際空港の誘致を図っておられます。  さまざまな地域でさまざまな工夫が動き始めている。これを相互に、我が国の今の経済の持っている問題をうまく解消しながら、地域から情報発信をして、新しい産業基盤をつくっていくということが必要であると思っておりますので、今の制度の延長上で、地方分権推進委員会議論の延長でそのことが可能になるとはちょっと思っていません。  そういう意味で、もう一歩進めて動いていくために一番大きいのは、衆議院の比例区の新しい選挙制度が実質的な意味で使われることではないかというふうに私は少し思っています。この地域の割り方が正しいかどうかということは今は全然全く別の問題として、これぐらいの大きさということだけを問題にして議論しますと、それぐらいの大きさで大きく競い合うことが必要になっています。  それは、地域の銀行、地銀の規模もそうですし、金融機関のある程度のユニットも含めて、大がかりな我が国全体の再編成が必要になっているわけですが、地域主権ということを私は考えているものですから、上から計画を立ててこうしなさいということではなくて、下から、あるいは民間からそういう動きが起こってきて、一番適切な規模にうまく収束していくということがあってしかるべきだというふうに思っています。  うまい答えになっているかどうかわかりませんが、はっきりしていることは、今の地方分権推進委員会議論の延長線上ではこの解決は少し難しいということは、私自身も感じています。
  10. 阪上善秀

    阪上委員 自民党の阪上です。  私は、首都というのは、日本の歴史を見てまいりましたら、天皇陛下のおられる皇居というものを重要視しなければならぬのではないかなと思います。せんだって京都の方にお会いいたしましたら、天皇陛下は江戸にお出かけや、ですから、あれはトウキョウトと読むのではなしにヒガシキョウトと読む、陛下はいずれまた京都にお戻りになるとおっしゃる方が多いのですね。首都移転と陛下がおられる皇居の問題をどのように位置づけられておりまするか。
  11. 黒川和美

    黒川参考人 私自身は、天皇家のことについては、そのまま歴史の大きな流れの中に存在していただいていいというふうに思っています。これを何か、産業上の問題とか経済上の問題とか東京の混雑の問題から、解決の手段として使うということにはほとんど思い及んでいません。  ですので、このことがどうして一緒に考えられないのかと言われると、皇居があって、皇居のたたずまいが東京にとってはかけがえのない空間になっていることとか、そういう意味での意義をたくさん認めていますけれども、そのことがない東京というのは全く考えていませんし、移転を何かの形で必要とするという感覚も、私自身は全く持っていません。このことが東京の安定とか東京の秩序とか、あるいは大手町とか内幸町のたたずまいをつくっていますので、世界の人がロンドンのジェームズパークとかリージェントパークとかハイドパークをロイヤルパークとして大事にしているのと同じように、そういうものがそのまま同じたたずまいで残っているのがロンドンであったり東京であったりパリであったりする、そういう町だというふうに思っています。  全く答えになっていないと思いますが、全く一緒の問題として考えてはいませんということです。そう考えても何も私は差し支えがないと思っていますから。
  12. 永井英慈

    ○永井委員 実は私、この委員会に入りまして、まだ三回目の委員会だと思うのです。この間、茨城の方へ視察をさせていただきました。その間、堺屋太一先生日本を代表する文化人というか知識人だと思っております、その先生の話を伺っていても、どうもぴんとこない感じだったのです。きょう黒川先生がお見えになるということで、実はこの首都移転についての慎重論の方、あるいは明確に反対しておられる東京都の意見とか、あるいは地方自治体の意見も聞いた方がいいなと思って実はこの部屋にきょう入ってきたのです。そうしたら、先生のこれを見まして、はあ、これはと思ったのです。そこで、先生お話を伺っていて、私は、得たり賢しというか、目からうろこが落ちたというか、留飲が下がったというか、本当に全面的に共感を覚えた次第です。  特に私は、今日本にとって一番大事なことは何かというと、東京一極集中、それを招いた、もたらした複合的な巨大な中央集権体制、言ってみれば、諸悪のもとはこの巨大な、肥大化してしまった中央集権体制にある、このままだとこの国はおかしくなってしまう、非常に危機感を持っておりまして、そして、大胆な分権型の国をつくっていかなければいかぬ、地方分権を進めていかなければいかぬということで随分やってきました。  今先生お話しになられましたように、地方分権推進委員会の作業、あの発想ではとてもこの巨大な中央集権体制を分権型の国に変えることはできない、分権型社会をつくることはできないということです。今お手元に届いたでしょうか。実は、三週間ばかり前に、私、この春歯を食いしばって、この「「新世紀体制」宣言 日本再構築 そのⅢ」、ちょっとイラストを入れまして、「分権主義」と いうこの冊子をつくりました。先生が御指摘されました、分権型あるいは連邦型の国ということで、例えば衆議院の十一の比例ブロックを単位としてはどうかというお話がございました。それを全く受け入れまして、先生が御示唆された、道州制と一口によく言われますけれども、それを提案しました。  日本は巨大な国、中央政府、国中心では効率も能率も悪く国民のニーズにこたえられない。国家としての形を見たときに、やはり日本アメリカのようになっていかなければいかぬ、世界やアジアに対して徹底的に貢献できるような国をつくらなければいかぬ。ところが、今の日本というのは、内政、外交がバランスを欠いて、内政がほとんど国政をひとり占めしているような状態で、国際貢献をするような機能が極めて小さい。そこで、思い切ってそういう視点からも地方分権をしなければいかぬ。ですから、私は、大変残念なのですけれども、この国をかなりグロテスクな国ととらえておるのです。  そこで、例えば道州制にした場合に、私、意見ばかりで恐縮ですが、首都移転のために四兆円とか十兆円とかと言われております。このブロック単位に州庁舎をつくって、徹底して地方分権をする。そうすると、一ブロック当たり五千億程度の予算で州都、州庁舎ができることになるのですね。それの方が極めて、権限も分散するし、バランスがとれて、地方主権が実現して、実質化するというか、そういう国土もでき、国のバランスがとれるという感じを持っているのです。  そこで最後に伺いたいのですが、分権型の日本をつくる、そして道州制を実現する、それにはどうしたらいいか、先生にお考えがあったらひとつお聞かせをいただきたい。経済先生にはちょっと申しわけないかもしれませんけれども。
  13. 黒川和美

    黒川参考人 永井先生意見についてもしコメントがあるとすると、それを国会で、上から決めて、さあ、あなたのところはやりなさいということがとても難しいということなのですね。でき上がった暁は、そういう形になることがあるかもしれないとは私も思いますが、それが自然の流れで上手に、多分我が国にとって一番重要なターニングポイントは二〇一五年くらいだと思うのですが、その二〇一五年くらいまでの間に何らかの形で、だれもが、今先生がおっしゃったような形の、ある大きな地域のユニットにうまく集まっていけるような、そういう形になっていればいいと思いますけれども、そのための工夫をどうしたらいいかということになると思うのですね。  私自身は、エコノミストですので、どういうふうに考えているかということを、永井先生意見に反論するわけではありませんが、議論をさせていただきたいと思うのです。  今私自身は総合研究開発機構というところで中山間地域研究会の座長をしておりまして、報告書が出ているのですが、全国に農村集落というのが今十三万八千五百ほどあるのだそうです。およそ十四万です。昭和三十五年のときにおよそ十四万あったそうで、日本の農村集落数はほとんど減っていません。この農村集落に幾つかの空き家があります。この空き家に、もし東京首都圏から、アウトドア派で、子供たちの教育を土にくっつけてやってみたいと思うお父さんたちが子供たち二人を連れて奥さんと四人で、自分から率先して、上司から言われて単身赴任ではなくて、四人全部で十四万の地域に移ったとしたらおよそ五十六万人の人が移動できます。そして十四万の集落の空き家一軒一軒に、修復のための費用を含めた支度金を一千万円ずつ上げたとすると、十四万で一兆四千億円なのですね。今考えている費用の十分の一の費用で、東京からおよそ六十万人の人口を外に出しながら、東京に起こっている混雑その他を一%から二%減らすことができて、どちらかというとわずかなお金で東京の混雑あるいは幾つかの問題を取り除くことができるし、魅力的なニューライフスタイルというのですか、これまで東京人がなかなか味わえなかったようなライフスタイルを追いかけていく人ができてくるという感覚で、一つの事例を出しています。  これも一つだと思いますし、それから、永井先生が言われたような考え方も一つの考え方だと思うのです。どういう考え方が広がっていくかは私にはなかなかわからないのですが、一番大事なのは、地方の側から、こういうことができて、これはおもしろいですよということを次々に提案をしていただいて、それに同調していく企業とか機関とか政治家の人たちが、それぞれの地域を追いかけながら、サポートしながら、大きく東京集中していた機能を分散させながら、競争環境をつくりながら、地方自分たちの思ったアイデアを広げていくような環境をつくっていく。  そういうことで、簡単に計画をつくることだけではなくて、先生のこういうような意見がそれぞれの先生からいっぱい出てきて、みんなで競い合ってつくり上げていく、そういう形に持っていかないと、今の形で計画をしていると、やはり今の地方分権推進委員会議論と似たような形で上から議論をすると、なかなか実効が上がらなくて前に進まないのではないかというふうにも思っています。私自身も、あるところでこういうような計画をつくって議論をしていることもあるのですが、そのことの経験からすると、なかなか難しいやり方になるのではないかというふうに直感的に思ってしまっています。
  14. 永井英慈

    ○永井委員 ありがとうございます。
  15. 松崎公昭

    ○松崎委員 民主党の松崎でございます。  きょうはありがとうございます。  先生お話を聞いておりますと、ロマンに満ちて、しかも非常に地方主権というか、地方が本当に主体性を持って、そこから沸き上がってくるという、大変すばらしいのですけれども、私も実は、地方分権推進委員会のあの動きには大変失望をしている分権推進派の一人でありますが、現実問題として、国会移転の法律がありまして、来年の秋にはある程度場所を決めていく、そういう具体的な動きがありますので、先生の論でいきますと、私はそれが正しいと思っているのですけれども、これをどうやってとめるかという問題になると思うのです。  それからもう一つ、堺屋太一先生お話を聞きました。首都移転が改革の一つの非常に大きな原点になる、起爆剤になる。これも、分権を進める、先生おっしゃるような大きく日本の構造を変えていくという、そのインパクトを与える一つ方法として首都移転を考えるという考え方であります。  その二つをどんなふうにお考えでしょうか。
  16. 黒川和美

    黒川参考人 堺屋先生にもいろいろなところで御意見を伺っていて、私は影響を受けている方だと思っておりますし、堺屋先生のいいところというのは、タイミングをとらえているということです。今の時期に何を議論すべきかということで、その一つが動き出したら、幾つかのものは同時に自動的に動き出すだろうというふうに考えていらっしゃることです。  私自身は、この問題についてはそうはいかないのではないかと思っています。自動的に動いていくだろうと思われるものをつくり出す核をだれかがっくらなければいけないわけです。そういう意味では、今の候補地がそれぞれ自分たちのプランをつくって、アイデアをつくって競い合う。そのうちに、私たちのところでもその程度のプランだったら参入してもいいという人たち、グループ、地域も入れてあげるということをして、できたらもう二つ三つ候補地がふえたところで十五年間ぐらい全国競争をする。そのために、何らかの形で必要な手当てを準備する必要があるのではないかというのが、今の御意見に対する唯一の答えだと私自身は思います。  今の地方分権推進委員会の動き、たくさん私の友人が頑張っていまして、私は本当に敬意を持って見ています。ですから、あの動きに関して、あの程度ではということはとても言えるような立場にありませんし、ここまで来たのも、これまでのことからすると、ほとんど考えられないぐらいの成果を上げているというふうにぜひ認識してさし あげてほしいと思います。  それでも、中央ではなく地域主権、すべて地域の方にまず先に意思決定出発点があるというふうに考えることになるのにはまだまだ大きな壁を越えなければいけないということで、一番大事なのは地域の間の競争環境をつくることだというふうに思っています。
  17. 西川公也

    ○西川(公)委員 自民党の西川でございます。  先生お話を聞いておりましたら、移転候補地がお互いに、来ることを前提か、受け入れることを前提に首都機能づくりをやっておって、その競争の中で、一番ふさわしい、やがては年数がたって、ここがいいだろうと国民が認めるところを首都にしたらいい、こういうふうに私はちょっと聞けたのでございますが、日本全国、受け入れに対します期待の温度差がありまして、私が住んでおる栃木県は非常に温度が高いのです。もう栃木県に決まった、こういう状況で経済界も両方動いておりますので、そんな悠長なことを言っていられるような状態ではありません。もしそういう形で進んでいくのであれば、それでは民間資本の皆さんにもどんどん来てもらって、後で国会だけぽんと中へ入れればいいんだ、こういう話で進めていってもいいな、こういう受けとめ方を今私はしたのです。  ただ、問題は、先生が言われますように、十年、十五年の期間をかげながら競争していって、首都にふさわしい町ができて国会移転する、こういう話ではなかなか、待っているのはみんなそんな状況ではありませんし、来年の秋に一応候補地らしいものを発表する、こういう話に来ておりますと、決まったところはいいのですけれども、決まらないところはまた別な考えになります。しかし、複数で発表したら、今度は複数の競争が激しくなる。激しくなってもいいだろうという先生の方の考え方かもしれませんが、私はこれは単独で発表してしまって、後は時間をかけて首都機能移転をしていく、こういう考え方の方がいいのではないかと思っておるのです。  来年の秋または冬にかけて発表される形のあり方について、再度先生の考え方を教えていただければと思っています。
  18. 黒川和美

    黒川参考人 一番答えられない問題なんです。  私自身は、努力をした結果報われないということは決してないというふうに思っております。いずれにせよ、一つにしか行かないということのその一つも大したことはないんだ、たかだか外交中心にした国会機能が行くだけではないかと。本当に必要になってくるのは、あるいは広域地域を検討する、さっきの永井先生の話でいうと、つまり州都のようなものですか、そういったものはいずれにせよいっか必要になってくるというふうに思っています。それが五千億円なのか五億円なのか、それは問題が全然違うと思いますけれども、どちらかというと、それぞれみんな違う提案をされていいのではないか。  本当は大きな町で生活環境が整っていれば、つまり新しい首都というのは、この種類の建物が、今の半分ぐらいの建物があればいい程度で移れると私自身は思っています。今の議論ですと、新しい生活基盤を含めたあらゆるものを入れようとするから、その金額として大きな、大規模な開発ということをイメージすることになるわけですけれども、大規模な開発をイメージして首都移転をするということに関しては、私自身は全くその見識には賛成できかねます、そのことに関してははっきりしています。  緑の中の、本当に美しい環境の中で世界のことを考えるような首都というふうに私自身はイメージしていますので、そのことでいえば、そのこと自体が大きな仕掛けとかそういったものを持つよりは、どちらかというと、世界に信頼されるような情報拠点であったりとかあるいは人を援助できるような体制、世界の人々が信頼をしてそこに頼ってくるような研究機関とか、そういったものがあるべきだというふうに思っています。  それで、来年の秋にどういう決定をすればいいかということについては、私自身は、この地域に決定するというよりは、重要な可能性を持っている地域はこの地域とこの地域とこの地域とこの地域であって、それぞれが固有の機能を目指して、つまりここに来る国会というのはこういうことをする国会であるということを議論しながら、やはり本当に大きな地方分権の動きが決着がつかない限り全体として見えてこないわけですから、そういう意味では、一番意思決定をしなければいけないのは国会そのものなのですね。  つまり、国会がこういう問題について重点的に考えるようになっていて、ある種の問題は全部、つまり霞が関が権限を譲るというだけではなくて、この国会がこういう問題の決定についてはこういう地域意思決定にゆだねますということをするわけで、権限を移譲するのは霞が関だけではなくて国会なのですね。そういうことだと思います。
  19. 滝実

    ○滝委員 自由民主党の滝実でございます。  黒川参考人の御意見は、まことに各委員の皆さん方がおっしゃっていますように、大変示唆に富むものだというふうに理解をいたしております。  そこで、これは黒川参考人にお聞きしたいのでございますけれども、結局、今の三つ候補地調査対象地域がふえるかどうかというのは恐らくこれからの問題ですけれども、問題は、この地域が一生懸命それぞれおやりになっている、温度差があってもおやりになっているということだけでは私は不十分ではないかというふうに考えているわけです。四十七都道府県首都機能移転する、こういうわけでございますから、やはり北海道から沖縄まで、どこにするかということについて、関心を持って参画してもらうということもやはり大事ではなかろうかなという感じがあるわけです。そういう意味では、今の状況の中では、来年の秋に絞り込むというのはなかなか時間的に難しいというふうに感じるのでございます。  そこで、この四十七都道府県全国各地が、どういうようなことをしたらこの問題について関心を持ってもらうことができるか。そういうことを常々考えているのですけれども、黒川参考人からはどういうふうな御示唆を得られるか。御意見があったら、お聞かせをいただきたいと思うのです。
  20. 黒川和美

    黒川参考人 きょう予定してきた分野とだんだん違うことについて質問されていますので、今正しく判断しているかどうか自信がございませんが、私自身は三千三百五十一ある市町村それから四十七ある都道府県についてはこういう議論を今まではしてきました。  三千三百五十一の市町村については、上手に合併ができたら政令市になれる。そして、政令市になると、要するに都道府県の権限をすべてもらうことができる。それから、都道府県が上手に合併することができたら政令県になれる。政令県になったら国になれるというふうに考えてきています。今国会で決めているところから外れて、自分たちで物を決めることができる。もし、九州全域が合併できたら、九州は一つの州になって、日本国会意思決定機関から外れて、自分たち意思決定機関をつくることができるというふうに考えています。  我が国は、行政の制度とか、こういった制度に関して、弾力的に離合集散をしたりすることに関して本当になれていないのですが、私の知っているアメリカでは、例えばオレゴン州では町村の幾つかの機能については合体して広域の議会をつくることを簡単にやっているわけですし、私が住んでいたバージニアの中でも、カウンティーの中から特定のところだけが拾い上げたように独立して市になったりとか、もう自由自在に、そのときにいろいろ思った人が、考えた人たちが政治的な意思決定もできるような天真らんまんな制度を持っています。  それは法体系としてきちんと秩序あるものではないように見えますけれども、一人一人のレベルからすると、みんなが真剣に投票にかかわっていて、自分地域のことを考えているという意味では、上から見たときの秩序は全然でたらめのように見えますけれども、一人一人の持っている精神 というのは非常に高いものがあるというふうに私は思います。日本の場合、地方自治体の選挙には参加する人もすごく少なくなってきて、今このオートノミーの意味というのは何なのだろうかという気がしています。  地方分権のことを考えようとしますと、本気になって、自分たち地域が新しくなるような、今まで考えたこともなかったような、ほんのわずかずつ考えていくのだけれども、大きく全体を見直すことの喜びのようなものを地域の住民がみんなで考えられるような機会をぜひつくるべきだというふうに思っていますというくらいしか、考え方についてはそれ以上のことを何か持っているわけではありません。  ただし、三千三百五十一の市町村の中で、大きな市にならなければ所得が上がらないとか、つまり合併すると経済的に有利になるとかというような議論は、あたかもありそうで、必ずしもそうではありません。  私の研究室で調べたところでは、三千三百五十一の市町村の中で、東京よりも所得が高い、人口が五千人以下の町も百四十ぐらいあったと思います。それは皆さんのよく知っている温泉の地域であったりとか観光地であったりします。そういうところは、何もだれかとくっつかなければならないというようなことはなくて、自分たちのほんのわずかな三千人、四千人の町でも維持していくことが大事だったら、そのままにしておいてあげればいいと思っているわけです。  そうではなくて、一緒になった方がいいと思うところは、その間の広域連携の社会資本の整備や何かを自由にやりながら、おもしろい地域の核づくりをしながら広域の町をつくっていくというような、政令市のような形をつくってみることがいいのではないかと思っています。  都道府県とのかかわりを申されたのですが、私自身自分の本の宣伝をするのはいけませんが、昨年の暮れに出した本の中では、東京都と神奈川県のすき間にある町田市と相模原市というのは、地域では都市連合ということを考えていますが、東京都と神奈川県に分かれているためになかなか上手に意思決定ができません。くっつくことができると、人口百万を超える政令市になります。簡単なことですね。  もっとすごいのは、利根川の流域で、明治維新のころ、橋をかける技術がすごく少なかったために、茨城県の古河とか栗橋とかいう町になって、それから栃木県の足利とか佐野という町とか、それから群馬県の桐生とか太田とか前橋とか高崎とか、それから埼玉県の熊谷とか本庄とか深谷とかというエリア、この地域は橋がかけられなかったために県境になってしまいました。もちろん、今圧倒的に前橋、高崎が強いですけれども、この地域にはたくさんの歴史のある鉄道があります。これを上手にネットワークをすると、北関東の山手線ができて、この地域では人口が百五十万を超える規模になります。  こういったことで、かつて都道府県という行政区域をつくってしまったことが結果としてその間の行き来をなくしているわけですが、今橋をかける技術は簡単になっていて、人の行き来は、経済圏というのは全くその県境とは関係なく広がっています。  こういったところ、全国でいうと不思議なところ、米子と松江とか、これは二つの県に分かれているために、ほんのわずかの距離しか離れていないのに別の経済圏になっていたりとか、もう一度地域から見直していって、新たに考え直した方がいいような場所が私はたくさんあると思っています。そういう見直しも、この時期、地域から行われていく必要があるのではないかというふうに思っています。  県という制度は、どちらかというと国に近い制度であって、国の機関としてする仕事の方が多くて、いいところもあります、たくさんありましたし、地域間の公平をつくるためにいろいろなことが行われてきましたけれども、地方分権にとっては今のところ、それがボトルネックになっているところもたくさん出てきてしまっているという気がしています。
  21. 田端正広

    ○田端委員 新党平和の田端でございます。  黒川先生の大変示唆に富んだお話、ありがとうございます。  今までお話を伺っていて、私は先生がおっしゃっているように、風格のある首都をつくるためには、三つ四つが競争して、十五年ぐらいかけて、そして一つの自然な流れの中でできていくのが一番いい、こういうお話、それはもう確かにそのとおりだと思うのです。そうしますと、先生のお考えでいきますと、十五年ぐらいの競争の中から自然淘汰的に、ここにどこかで絞られるということになって、そこから計画されるということになれば相当時間がかかるのじゃないか、そういう感じもしますが、どのぐらいの時間的なスパンをお考えになっているのか。  それから、もう一つは、そういう自然な流れは大事なんですが、逆に、政治的には、例えば行政改革とか地方分権とかというのを一つの大きなチャンスとしてとらえて、この首都移転という問題をやっていくということとのバランスの問題、あるいは例えば経済プロジェクトということも言えるかもわかりませんが、そういう意味で、計画性を持ってやることと自然な流れということとのバランスをどういうふうに考えたらいいのか、その辺のところをお聞かせ願いたいと思います。
  22. 黒川和美

    黒川参考人 一つは私の得意の分野で、短期の景気対策としてこの政策はどうかということです。私は、こういうのは専門ですので、いろいろなことが言えるかと思います。  もう一つの問題というか、どれぐらいの時間をかけるべきなのかということについては、今我が国は、これは私などよりも皆さんの方がはるかに見識があるわけですが、規制緩和問題だったり、地方分権だったり、行革だったり、省庁再編だったり、情報公開だったり、つまり、これまで我が国が持っていなかったものを大きく構造改革をしようとしているわけです。  一番の大事なところというのは、恐らくデュープロセスというような、自己責任の原則で日本人が生活していくような、新しい価値観の世界に入っていくことなのではないかと思いますが、こういった、大きく構造を変えていくような今の日本で起こっている動きを成功させて結果が出てくるまで、例えばこれはアメリカの例でいきますと、一九七〇年代の終わりぐらいから、航空の再編とか金融の再編とか、いろいろなことがありました。  例えば情報通信でいえば、一九八二年にアメリカでは、AT&Tというのが独禁法違反で捕まって、そして同意審決ということで、小さなベビーベル七社と、それからAT&Tという大きいのに分割をしました。これはAT&Tのダイベスティチャー、二分割と言われたのですね。そのころ多くの人たちがかかわったのですが、当時すぐに、こういう構造改革というのは効果が出たわけではありません。当時、レーガン政権はたくさんの深刻な問題を抱えたのですね。失業者をふやしましたし、物価は上がってしまいましたし、電話料金も当初は上がってしまいました。だれも賛成しなくて、何でこんな分割をしなければいけないのかというのが当初の問題。  つまり、私の感覚では、今日本で行われているような構造改革と言われるものというのは、当初は物すごく痛みを伴いますし、大きな深刻な問題をつくるのです。だけれども、動き出して、ブッシュ政権もその恩恵をもらうことがなくて、ラッキーなことに、ふと気がつくと、クリントン政権が、何もしていないのに、全部構造改革の恩恵を受けとめているという形になっている。ただし、この間、一九八〇年ごろから九〇年まで、アメリカの一人当たり国民所得はほとんどふえていません。それで物価は下がりました。  クリントンさんが全く新たにやったことで一番偉かったのは、NAFTA条約というのですか、北アメリカの自由貿易に関して、ノーザン・アメリカン・フリー・トレード・アグリーメントというのをつくり上げたことが一番大きくて、アメリ カ国内にカナダとかメキシコから自由に安い商品がたくさん入ることによって、アメリカの低所得層の人たちの生活が安定化しました。これによってアメリカの失業はずっと減ってきて、大きな経済をキープすることが今可能になっています。  私たち経済学者が考えますには、今やっている構造改革のさまざまなものをやっていっても、効果が日本人の経済に定着して出てぐるには十五年かかるだろうというふうに考えています。今やっている、間もなくNTTも東西分割が行われて、競争環境に入りますし、さまざまな、情報公開の話も、省庁再編の話も、地方分権の話も、これから少しずつ動き出していくと思います。これが本当に経済の中に定着して動き出すようになるまでには、構造改革というのは十年ないし十五年かかってしまいます。それが私はターゲット二〇一五年というふうに思っています。  それよりも後ろに行ってしまいますと、我が国世界で最も進んだ高齢化社会になってしまいます。この高齢化社会になってしまってからの我が国の一番の問題は、働く人口が減るということです。二十歳から六十五歳までの人口の合計は、一九九五年がピークだったわけです。今働く人口は減りつつあります。労働力が不足して成長した国はありませんので、そういう意味では、我が国はよほどの構造転換と技術転換、リエンジニアリングをしていかないと、我が国経済は新しい方向に向かうことはできないと思っています。  そこで、短期の景気対策的な、大きな土木事業をやることが効果があることだというふうには私自身は思っておりません。どちらかというと、全国の市町村が、自分たち地域の中のリサイクルのシステムを考えたりとか、循環型社会のためにシステム転換をしたりとか、おいしい水が飲めるようになったりとか、一つ一つ地域で今よりも一ランク高い水準の公共サービスとか生活環境を確保するために、地域の土木事業あるいは計画事業がレベルが上がっていくことに全力投球をしなければいけない時期になっているのだというふうに思っています。  そういう意味では、大がかりな全国的な公共事業をふやしていくというよりは、地域に根差した、質の高い、ちょっとレベルの高い、ほんのわずかな交通渋滞も立体交差を簡単につくってうまく進められるとか、環境問題のことを考えたり、既成市街地の空洞化現象をクリアするために、今まで車に頼っていたのだけれども、新しいタイプの、ヨーロッパやアメリカでやられているライト・レールウエー・トランジットのようなものが導入されたりとか、さまざまな工夫がこれから日本じゅうで行われてくるのじゃないかと思っています。  内需というのはそういうところから生まれてくるのであって、大きな、私たちが今やろうとしていることは、よく東大の月尾先生がおっしゃっているのですが、八十八個ピラミッドをつくってしまった愚という議論をしていますけれども、そのようなことが起こってしまって、例えば次の全総計画で、全国に大きな橋が、今の本四架橋以上に六本もつくられようとしている。それよりは、本当に地域に近くて質の高い社会資本整備の方に、目の前にある普通の生活の場が、高級、質の高いものになっていって、大きくて高くて速いものというのに進む時代から、技術がそっちの方に向けられなければいけないのです。大きな事業に技術を向けてしまうと、その能力を小さな身の回りのものに回すことができなくなってしまうというおそれを私自身は感じています。  そういう感覚で、内需の内容は、アメリカでもヨーロッパでもそうですが、シティーチャレンジとか、どちらかというと、自分たちの身の回りの町をずっと質の高いものにしていくようなことのために公共事業が使われるという形になっていくのではないかというふうに私は思っています。
  23. 中島武敏

    ○中島(武)委員 共産党の中島です。  現在進められている首都機能移転のもとになっております中央集権的な考え方、これとは全く対照的な、大変ユニークなお話というふうに私、伺ったのですけれども、先生が言っていらっしゃることを具体化するためには、どんな手だてが必要だというふうにお考えになっていらっしゃるか。  現実にこれを進めようとしたら、現在の政府が考えている考え方を全面的に否定をして進まないと、実際には手がつかないのじゃないか。例えば、その広域地域から、大いにそれぞれが競争をしてつくり上げていく、あるいは自然にそうなっていく、こういうお話なんですけれども、そのためには日本のこのシステムを相当変えてしまわないと、そういうことはできないのだろうなということを思うわけです。その点は、具体論としては、そういうふうにお考えになっていらっしゃるのかなと思うのですけれども、そこはどうなのかなということが一つ。  それから、もう一つは、幾つかの候補地、こういう言葉でおっしゃっておられることと、それから東京が現在首都として存在する、これとの関係は、先生の場合にはどんなふうにお考えになっておられるのか。  その二つをまずお聞きいたしたいと思います。
  24. 黒川和美

    黒川参考人 具体的なプロセスは、私自身最初に申し上げましたように一実際に、今のまま、例えば栃木でも結構ですし、あるいは愛知県でも岐阜県でもいいと思いますが、移ったとします。そして、今の計画どおりやったとします。そのときに、いずれ間違いなく地方分権時代が来て、その首都がやる仕事は、気がついたら、外交中心にした今のホワイトハウスのようなものになっていくとすると、そのときに、投資してしまったものが投資し過ぎであったりすることにならないだろうかというのが出発点であります。  ですから、私自身が考えていることというのは、初めから、首都移転というのは、今考えられているような、いずれ首都機能が何かの形で移る、首都機能はこれとこれとこれとこれだ、全部で合わせて十五個ありますなんというような感じで私は受けとめていません。  今、東京がつくり出している風格幾つかのものがあると思いますが、そのうちの一つの部分が抜けていって、抜けることによって東京機能が充実するということを前提にしていて、その機能を私たちのところで引き受けます、これを中心にして次の新しい時代をという、それは国際的な機能を核にした、外国人がたくさん集まるような新しい首都。それは、単一の機能で動き出す首都幾つかの機能がオーバーラッピングしていくという形で、新しい首都が今の東京と競い合いながら何かをつくるということになっていて、それが内容。  あるいは、世界の人々が、それが日本首都だというふうにいつの間にか認識するようになっていれば、そちらは首都だろうと思っているだけで、ここからここに今首都がかわりましたとか、そのときに国会が移れば、あれは首都移転したんだと思う人もいるかもしれないけれども、基本的には、大事なファクターは全部東京に残っていると思う人もいるかもしれない。  そういうような内容であって、これとこれとこれを全部移していって、霞が関と平河町の部分が全部あいて、クリアランスして、ここに大きなビルを建てて新しい経済活動が始まるという、何かそういった形の感覚では受けとめていませんというのが一つ目のお答えなんです。  それから、東京幾つかの候補地関係も、その意味では、私は自然な成り行きとしての重都ですということで、東京が持っている、物すごく複雑なたくさんの機能を持っています、その機能幾つかをいろいろなところが受けられるかもしれないし、新しい時代に、二一〇〇年ごろに世界が必要としている日本機能というのは、とりわけ日本を大事にして、日本世界の先導的な役割を果たしているときの役割がどんなものかということは、私にはほとんど想像することができません。  ですから、アジアを引っ張っていくときの地の利上、九州の方がいいということだってあるかもしれないですし、そのことについて今からわかっていて、ただ物事を決める決定機関場所がここ にあるというだけで、そこが首都だということにはならないのではないかというのも、もう一つのものです。  それから、もう一つ東京に住んでいる私として一言言いたい東京擁護論のことを言わせていただければ、これはどういうことを言うかというと、どこかの地域首都が移っていって、そこで決められていることに関して、東京都民というのは、それなりに見識を持ってチェックしています。御意見番になって、うるさいことを言っているわけです。この都民全体が、国で決定されていたり、あるいは霞が関で決められている国全体のことに関して、うるさい御意見番になって、口を挟んでいるという、このレベルの高さというのは、日本全体の見識を一定の水準に保つものだというふうに思っております。  ですので、本当に何もないところに持っていって、物事を決めたから、それでシステムがうまくいくというふうにもやはり思っていないんですね。  そういう意味では、かなり時間がたっていって、そこで決められていること、あるいは新しい地域が持つポテンシャルを周りの人たちがどう評価して、それをあるとき認知するかというそのプロセスは、だれかがどんなふうに決めても、実質的な意味は持たないのではないかというふうに思っているということです。  自然に重都論で、だんだんそのウエートがどこかに変わっていくという流れの中にあるのであって、これを、私自身は、首都移転というのは太陽の爆発というのと同じだと思っているのですね。  太陽の爆発というのは、今爆発しているのですよ。それぐらい時間が長い爆発で、ぱっと燃えて消えるような代物ではないのを太陽の爆発と言っているのですが、首都移転というのも、何か、目の前でぱっと移転が起こって、こっちに移ったというふうに認識できるものではなくて、すごい長い歴史、我々では認知できないような、五十年とか、時間がかかってくるプロセスの中で、あっ、首都移転が行われたんだという感じになるものだと思います。実際、今、スウェーデンではそういう首都移転が行われていますが、百年単位で物を考えています。  そういうことで、今移すというのは、移れたベルリンとボンの場合は全く違う特殊なケースで、もともとそこに機能があったわけですから、違うのではないかと思っております。
  25. 河合正智

    ○河合委員 新党平和の河合正智でございます。  本日は、貴重な御意見を種々承りまして、厚く御礼申し上げます。  先生の仰せになっているお考えを具体的なイメージとして私思い描いた場合に、連邦国家アメリカにおけるワシントンDCと州間の関係が非常に浮かび上がってくるのです。もしそうだとしますと、そうでなければまたお教えいただきたいのですけれども、もう少し具体的な、歴史的な形態としてイメージが違うのですよということであればお教えいただきたいのですけれども、仮にアメリカ合衆国ということを想定しますと、確かに、十三州から独立して、州の連邦としての国家機能、そして、首都ワシントンDCに置いたという歴史的な経緯からしますと、今私たちが置かれている立場というのは、むしろ逆の立場にいるわけでございます。  それを、先生のお言葉をかりますと、自然な流れの中で行っていくということについては、私は、非常にこれは、言うはやすく行うはかたい話ではないかなと思って聞いておりました。といいますのは、歴史的に逆行する手続を経ないとああいう国はできないと思うのですね。  ただ、先ほど先生が仰せになったお話の中で、経済構造改革のレーガノミックスのお話をされました。そういう経済学者としての観点からお考えになっているのであれば、またこれは話は別でありまして、レーガノミックス、サッチャリズムというのは、政治的にはかなり強権的な発動をして、ああいう事実を起こしているわけでございまして、具体的なイメージとそれに至る手続、これをもう少し具体的にちょっとお教えいただけましたらありがたいと思います。
  26. 黒川和美

    黒川参考人 これは多分、私よりは皆さんの方がはるかに、こういう意思決定を進めていくことについてはお詳しいのではないか。私自身は、手続についてそれほど多くの見識を持っているわけではありません。  ただ、経済学というのは、基本的には、つまり潜在的な力、ポテンシャルとかということを重視していて、それを無視して意思決定しても実が伴わないということを考えているだけで、そういう意味では、具体的な手続の方向をどうしたらいいかということに関してはぜひ皆さんで考えていただきたいと思うのですが、物すごく重要な役割を担っているのが国会だということはすごくはっきりしているのですね。  一番最初国会、特に衆議院自分たちの権限を失うことを容認しなければいけないようなことを私は申し上げているわけです。つまり、地方分権ということが全体の中では一番大きなポイントになっている。現行の地方分権推進委員会、徐々に徐々にいろいろな結論が出てきていますけれども、それは前よりはずっと前に進んだものになっていて、私の意識では、この構造改革、一連のものが終わって形ができ上がるのが、この十五年ぐらいの間にできてほしい。  そのときに、その地方分権推進委員会とかあるいは分権化が本当に進んでいて、中央集権国家から分権国家に移ったときに、その首都というのが、全く場違いな首都になっていたり、機能違いの首都になっていたら、何だ、あのときの国会は何を考えたのかということになってしまう、そういうふうに思うわけです。  もう一つ重要なことは、これは堺屋さんと意見を異にすることになってしまうかもしれないのですが、つまり、現在の日本経済がこういう沈滞した状態にあるから、今こそ首都移転をしなければいけないという感覚で、首都移転というのは、これまでの議論からすると、堺屋さんの頭の中では、長く議論されてきたプロセスの中で、今タイミングとして一番だという議論なんです。首都移転という問題は、堺屋さんの頭の中には、もう何年もの歴史の中で入っているのですが、多くの私たちにとっては、今考え始めたわけです。  その問題について言えば、今の世代が短期に決められるような内容かというと、そうではないような、つまり、押しとどめることができなかったような歴史的な流れの中で首都が決まっていたとか、そういうのであればいいかもしれない。それぐらいの大きな流れでないと、東京都民はそう簡単に認めないというふうに思っているのですね。なるほどな、そうなってしかるべきで、仕方がなかったのだということになるような条件はどうやってつくれるのかということを考えているわけです。  そういうような首都移転だったら、本当に日本経済にとっても大きな意味を持つわけですし、価値のあることで、それは地方分権とか行政改革とか、一連の規制緩和の話とか省庁再編問題とか、それから私が一番大きいと思っています情報公開とか、そういった、日本全体が自己責任に基づくような社会運営になっていくような、大きな構造改革の流れの中にこの首都移転をきちんと位置づけていただいて、今の景気対策上の意味でこの問題を扱わないでいただきたいというふうには思っております。
  27. 渡辺喜美

    渡辺(喜)委員 自民党の渡辺喜美です。  物事のスケジュールを決めるということは大変大事なことになると思うのですね。例えば、二〇〇一年四月からはペイオフが始まります。ということになると、では、例えば、今の金融の不良債権はいつまでに処理をしなければいけないかというと、大体もう二〇〇〇年の三月決算期にはこの処理を終えていないと、二〇〇一年の本格ビッグバンのスタートというのはなかなか難しいということになるわけですね。したがって、スケジュールの頭が決まれば、おのずと、例えば全治三年の治療計画が出てくるということになるわけで すよ。  また、二〇〇一年四月というのは、今二十一ある大臣の数が減るときでもあるわけですね。そうすると、政治の方も、今自民党も年功序列の、ところてん大臣人事をやっているけれども、じゃ、それも変えなければいけないかということになるわけですね。ですから、スケジュールを決めるということの大事なポイントについてはおわかりいただけると思うのです。  国会移転については、黒川先生は二〇一五年とおっしゃったのでありますが、我々は、この審議会のレポートに従って、二〇一〇年を目指すのが妥当であると考えております。総理官邸に構造改革のスケジュール表というのがありまして、今はどうなっているのか知りませんけれども、かなりぐちゃぐちゃになってしまったかもしれませんが、このスケジュール表の枠の外側に、二〇一〇年、第一回国会開催、そういうスケジュールが載っかっておったわけですよ。  私は、二〇一〇年、人口がピークアウトして何年かたった後、第一回国会を新政治首都――私の立場はピュアな、小さな国会、小さな政府、そういう発想で、ピュアな政治首都と申し上げているのですが、開催ということになれば、その間、先生が先ほど来御指摘の地方分権計画をもっとドラスチックな形で、どう進めていくかということに思い至るはずなんですね。  ですから、とにかく、まず第一回国会をいつ開催するかということは非常に大事なスケジュール、日程になるであろうと私は思います。  そこで、道州制であるにせよ、連邦国家であるにせよ、そういう国家の基本的な枠組みを変えていくのだということは大事なことになるのですが、先生が先ほどおっしゃられたのは、上からがんがんやってもなかなか難しいじゃないか、だから地域間の連携が大事じゃないか、こういう御指摘でございました。  なるほどなと思いますけれども、例えば中部四県が連携が進んでいるという御指摘だったのですが、我が栃木県とか福島県なんかもかなり連携は進んでおりまして、例えば福島空港なんというのは、栃木県の人が使わないと赤字になってしまうのですね。私の地元は栃木県の西那須野町というところですけれども、隣の塩原町に尾頭トンネルというのを抜いたのですね。そうしたら、福島県の田島の方から、新幹線に那須塩原駅から乗る人がたくさん出てきたりするわけですね。栃木県の人は田島へ山菜とりに行って、福島県の人に怒られたりしているのですがね。北関東横断道路なんというのも、これは今まで全く交流のなかった群馬県と栃木県がつながってしまうとか、茨城県とつながってしまうとか、そういうインフラ整備も着々と進んでいるわけですよ。  ですから、必ずしも中部四県だけが連携が進んでいるというわけではございませんので、御認識をちょっと改めていただきたいなというふうに思うのでございます。  以上、PRでございました。
  28. 黒川和美

    黒川参考人 大変申しわけありません。私は、結構、中立的に耳を開いている方でしたけれども。  今のお話の中で知っているものもありましたし、それから、福島空港にはそれなりにお手伝いをしたりもしましたので、わかってはおりました。でも、その迫力と勢いというのが、何でこの中部にこんなにできたのかと思うぐらい。私はそういうのを見ていて、今度は高いレベルで、今度は栃木県とか福島県でこういう議論がされるということになっていって、今まではなかなか地域からの情報発信という機会がなかったものですから、つまり、中央にいる者も、そういうのを聞きながら、新しい夢や何かが語れるような場をたくさんつくっていただかないといけないということです。  わずか二年の間でこんなにも議論ができているわけですから、あと十五年やっていただくと、本当に、ほとんどの情報発信が中央からではなく地域から起こってくるような、そういう時代になっていって、日本経済は強くなるのだというのが私の感じているところなんです。  つまり、今のライフスタイルのままだと、本当にみんなせせこましくなってしまっていて、一軒の家で一カ月一万円の消費をふやすことができたら、四千百万世帯いるわけですから、日本全体で五兆円。日本のGNPは五百十五兆円ですから、月一万円消費をふやすことができたら、GNPの一%をふやすことができるのですけれども、それがままならないのですよ。なかなかふえない。  みんな、今の環境の中でどうしてこんなふうになるか。通勤時間が長くなっていたりとか、子供たちが受験戦争で必死になっていたりとか、多くのことで自分の自由な時間を持てなかったり、移動に混雑が起こっていてうまくいかなかったり、あるいは意思決定にも時間、コストがかかったりしているということが、今の東京問題点あるいは大阪の問題点大都市圏問題点になっているわけです。  そういうものが、幾つかの地域が魅力的なことをすることによって、全体のレベルが上がっていくということになることが望ましいというのが私の意見です。  それから、二〇一〇年の時限というのは、私もとても必要なことだというふうに思っております。少なくともある時限を区切って、ここまでに出てこなければとか、ここまである水準を達成しなければとかという問題は非常に重要だと思いますし、当面、この政治首都を暫定的に五年間ここに置いてみるというようなことも十分あり得ることだと思うのですね。そのことによって、東京周辺がどれぐらい楽になって、地方がどうなったかというようなことを見ることはとても重要なことなわけです。  そういう意味では、ピュアな政治首都ということを意識されてくださっているというのはとてもありがたいですし、本当に動かしてみたら、そのことによってどういう問題が起きるかということを実験的にやってみること、その過程で皆さんがその地域に行って、そういう国会をやるということをやってくださることは何も問題ではないと思っております。  そういうプロセス、いろいろな試みが自由自在に行われるようになって、やってみることのおもしろさというのを楽しむことが国民にできるような、そういう環境をぜひつくっていただきたいというふうに思っております。私が何の異議も差し挟むこともないです。
  29. 下村博文

    下村委員 私、東京の選出なものですから、この首都機能移転は、先生最初お話の中にもちょっとありましたけれども、移転をしても、それが東京にとってもプラスということであれば、これは、反対する人は都民の中でも全然いないというふうに思うのですね。  先生の資料の四のところ、「東京にとってプラスになる 日本経済にとってプラスになる」というところで、実際、先生もおっしゃられましたように、どんどんどんどんこれから日本人口が減ってくる。東京人口もどんどんもう減り始めているわけですね。ですから、一極集中の問題というのは、そういう意味では、これからそう問題にならないのではないかと思うのですが、その中で、「東京にとってプラスになる」というこの視点首都機能移転の問題とあわせて、この辺をもうちょっと詳しく、この四番の点ですけれども、御説明をしていただけますでしょうか。
  30. 黒川和美

    黒川参考人 東京にとってよいというのは、二つ意味があります。それは、生産的な局面から見るときと、それから生活の局面から見るときと、両方です。  一番最初に申し上げましたように、まず生活の局面から見ると、もう東京都は、さっきも申し上げましたように、一般行政職員よりも警察官の方が多くなっている。これまではそうでなかったのに、今は警官の方が多くなっているということをどう考えたらいいのかとか、そういう単純なことが一つです。  それから、東京で生活すること、つまり、今は地価も上がらなくなりましたし、生活に関してばいい環境が戻ってきていると思いますけれども、 ある時期、やはりたくさんの人が集まり過ぎた。  私のところに、国土庁から二年ほど前にいただいたセンサス、つまり、人口の移動に関する地図が私の研究室に張ってあるのです。十五枚の日本地図が色分けされているのですが、市町村別に、五%以上人口がふえたときは真っ赤に塗られていて、五%以上人口が減ったときは真紫になるようになっていて、一%前後というのはピンクになっていたり、薄い青になったりするのですよ。  第二次世界大戦まで我が国はずっと、ほとんど全域で真っ赤なのですよ。どんどん人口がふえているという状態で、全国ふえています。第二次世界大戦の途中、センサスが抜けていますけれども、戻ってきたとき、日本じゅう真っ赤なのですね。それが、昭和三十年から三十五年になった途端に、今度は日本じゅう真っ青になって、東海道メガロポリスと言われているところだけが真っ赤になっています。  今、何色になっていると思いますか。――こういう質問はしてはいけないと書いてありましたが、済みません。今は国土の地図にほとんど色がない。つまり、地方の側にいても東京の側にいても、経済学でいうとインディファレント、無差別で、どっちも同じ水準になっている。つまり、日本人は、明治維新以降初めて、自分たちで田舎に住むことも都会に住むことも選べる状態になってきているのですね。  つまり、二〇〇〇年というのはそういう時期なのだ。やっと地方の方にもいろいろな社会資本の整備が進んできて、そして、東京の方はどちらかというと混雑が進んできてしまって、私に言わせれば、日本人が今までになかったライフスタイル、ニューライフスタイルの追求ができるのは、日本の中山間地域で、山の中で、朝、山に出かけ、海に出かけ、そういった生活をしながら、マルチメディアも発達して、情報からおくれることはなく、最先端のいろいろな意思決定をしながら仕事ができる環境日本にもやってきたというふうに認識しています。  そういう中で出てくる首都なわけですし、それから、そういう時代認識を持っていないと、日本の国土というのはどうあるべきかということはなかなか議論ができないことです。  今、東京には東京にそれなりのポテンシャルがあるわけですけれども、ある部分、つまりビジネスに偏って大きな影響を受けている。東京の地価は、住宅問題というよりは、やはりビジネスの土地利用のところが大きい、いろいろな影響を受けてきていると思っています、混雑も。ところが、この東京も、間もなく地下鉄十二号線というのがつくられて、地上の山手線と対等に、地下鉄の山手線もできできます。今までになかった、長い間懸案だった社会資本整備が次々にできできます。東京も魅力的になってくることがわかっています。  そのときに、そのレベルに対応できるように、例えば、今は埼玉県や神奈川県や千葉県も、どちらかというと東京に対抗しながら、首都圏はどちらかというと、私に言わせると、愛知県よりもずっと広域連携がおくれていて、東京が置いてきぼりになっていて、神奈川、千葉、埼玉が必死になって、この東京に頼らないで自立てきるという、いろいろなプランをつくっていらっしゃいます。東京はその中で、今、孤高の人になっているという感じを私は持っていますし、周辺から相手にされなくなりつつあるという問題を抱えています。  東京東京自身で見直しを図って、新しい社会資本整備をしながら、高い水準東京のアメニティーを確保しようという動きになってきていて、今、ごみの問題とかウオーターフロントの開発とか東京湾全体の見直しとか、そういったことと、広域連携ネットワークを考えてきています。物すごく長い時間がかかって、これは首都移転以上に時間がかかって、この中期計画が少しずつ実現されてきています。  こういうそれぞれの地域東京でもそういう努力がある、神奈川県でも埼玉県でも千葉県でもというのが全国で同じように起こっていて、その人口が平等に、均等になる状態になっているわけです。その時点で、地方分権というのがいかに大切なことなのかとか、それから、国会で、日本の国として考えなければいけないことは世界にとってどういうことなのかとか、我が国の技術とか我が国の資金を外交とか、世界のために使うことの意味の大きさをたくさんもっと理解をしていただいて、国会は、地域のことだけではなくて、外に向かって、日本ポテンシャルを上げるように先導的な役割をぜひしていただかなければいけないと思っています。  そういう中で、地域のことは地域で、今の小さな単位で物を考えることは、経済的に見たら絶対に無理だということは私も認識しています。だけれども、強制的に、ある計画で、ある時点をもって合併しなさいとかということは簡単にできることではないというのが当たり前のことで、そのことを推し進めてしまったら、地方分権意義というのが根底から崩されるというふうにも思っています。それは、物すごく難しい、二律背反の問題を抱えているわけですが、そのことを推進していかなければいけないわけです。  それをクリアできる一番大事な方法は、こういう大きな社会問題というのを国民が楽しみながら成り行きを見守れて、政治の動向を見られるような環境をぜひつくっていただいて、関心をそこに引きつけていただきたいというのが一番大きい私が思っていることで、きょう、お引き受けして、必死になって答えている理由でもあるのです。  そういうふうにしていくことで、首都移転の問題も、もっと魅力的に、関心を持っていただいて、いろいろな方がもっとこの問題について参画してくださるということになってくる。ここの意思決定というのが多くの人からますます注目を浴びるという形になっていかなければいけないのではないかと思ったりもします。  初めに話し始めたことと最後のところとちょっと支離滅裂になってしまいましたけれども、一番大事なことは、人口流れ、人の流れがちょうど成熟して、ある均衡点に日本は達しているという認識を私自身は持っています。だから、今、タイミングよく地方分権地域主権が可能になっているわけですし、それから、選択できる可能性もあるわけですし、移動条件は、つまり首都移転ができるような条件も整っている。本当に条件が整っているのだから、丁寧にみんなで議論ができる環境にあるということを国民全体で認識し直す必要があるのではないかと思います。  それで、みんながなるほどそうだと思うのだったら、移ることに何のやぶさかもないと思いますし、東京都だけが独特の意見を言って、それを何か邪魔しているように見えたりもしなくなるというふうに思います。  今は、何か東京都だけが特別の意見を言っていて、ほかの地域、今候補地に挙がっている以外の地域のところから、何か声が出てきているように見えたりも私にはしないのは、一体なぜなのかというふうに思ったりもしています。鹿児島の人が、東京首都を何と思ってくださっているのか。ほかの地域に行った方がいいと思ってくださっているのかどうかということが何らかの形でフィードバックして、私たちの方に意見流れてくるようになるようなメカニズムを、この意思決定最後のところまででぜひつくっていただきたいと思っています。
  31. 岩永峯一

    ○岩永委員 先ほどからいろいろの御議論が出ています。東京も出ていますし、栃木も出ていますし、私は近畿なのですが、あの畿央高原で、三重、滋賀、京都、奈良、かつての都の中心にもう一度琵琶湖を持ってきたい。しかし、ずっとこれが議論されて、そして、なぜか――だから、危機を分散さすとか、首都機能移転というのはいろいろな要素があるわけですね。そういう状況の中で、こういうタイムスケジュールできて、ことしの秋に現地調査をし、そして来年に国会意思決定をする。  しかし、先ほど来お話がありますように、我が郷土に都を持ってくるというのは、これはもうそ れぞれの政治家にとってこれほど大きな夢はないわけですし、成る成らぬは別にして、夢に挑戦する、そういう気持ちというのは大変楽しいわけですね。  それで、これはしかし、そうかといって、どうして決めるのか、本当に政争の具にしてしまうのか、今先生のおっしゃったように、長年の時間をかけて、そしてコンセンサスを得て決めるのか、いろいろあるだろうと私は思うのですが、先生の話を聞いておると、我々の議論とかみ合わないのは、十五年ぐらいのタイムスケジュールでやっていったらどうかと。しかし、一方では、もう来年の十月に決めるという国自身の考え方がある。  それはいろいろ議論があるでしょう。決まらなくても、長期的な視野で見る、ただ、つくるときには、経済の状況というような部分の中で、それだけの状況をきっちり見て、本当に国が投資できるのかどうか、また、堺屋太一先生のように、いや、今景気浮揚のためにそういう投資もやむを得ないのではないかというようなこと、等の議論がやはりあるだろうと思うのです。  これを政争の具にしていいのかどうか、そして、お互いに仲のいいメンバーが、そんなことで我が郷土へ、我が郷土へと、いがみ合いをするようなことではなしに、何かいい決め方がないか。また、しかし、これを官僚に、では、一つに絞ってここへ出しなさいと言っても、出し切れるものではない。だから、三つに絞ってきたのは、東と真ん中と西に、三つに絞った。それも今までの部分を包括して三つに絞ってきたわけですので、ここまではやり切れるけれども、これから先大変な議論と、そして大きな政争が起こるのではないかということを考えるのですが、先生の話からいくと、十五年のスケジュールでということです。  私がちょっと先生に質問しようと思っているのは、本当にどういう決め方がいいと思われておられるのか。さっきのお話の中にあったのですが、具体的な我々の現実の部分も踏まえてお教えいただければと思うのです。
  32. 黒川和美

    黒川参考人 私が思うにはですが、少なくとも来年の秋に国会で決められます。そのときの選択肢は幾つかあると思うのですね。それは、この地域に決めましようと決めることが一つです。それから、三つあるうちの二つにすることもオーケーですし、三つともにすることもオーケーですし、決められなかったという結論を出すこともオーケーだと思いますね。あるいは動かさない方がいいという結論になったということもあるかもしれませんし。  その結論というか、どれかにして、そのまま投票に付したら、つまり、争いをつくりながら、人間関係を壊しながらどこか一つにするということになって、そのかわり、どこか一つになったときも、周りの方たちがみんな応援をして、そこを本当に大事に次の首都にしましようということになる環境が整っているのだったら、私はそれはそれですごく大事なことだというふうにも思っています。  ですから、そのことでいえばというか、本当に国会の中でかなり意思統一がされていて、ある方向に向かっていて、一つに決まるというのであれば、私もここに出てきて議論をしたかいもあったということになりますし、私の意見も言った結果、やはりこういうふうに一つに決まったということであればとてもいいことだと思いますし、私にとっては、どこにも決まらなかったという答えが出てきて、決められなかったと言われてもとてもうれしい結論ですし、もう何年か検討して、今の時期は財政的にもいろいろな問題があるので、暫定的に、一応ここには決めるけれども逆転もあり得るというようなこともあって、国民にその間、つまり、高いレベルで認識していただくための努力を当該地域がするというようなことが考えられることも十分あり得ると思います。  決めるまではさまざまな議論を闘わせていただいて、最後のところで本当にある方向に決まるのだったら、それで本当にそういうふうに決まったら、多分国民の方は拍手喝采ということになるのではないかと思いますね。どういう決まり方で、どう決するかというのがとても興味深いところだと思います。
  33. 荒井広幸

    ○荒井委員 先生、そういう中でも、この予定どおり首都機能移転をしたという、あえてその評価を探すとすれば、どんな効果、評価、だからいいんだというところを探していただきたいのですが。
  34. 黒川和美

    黒川参考人 これも何度もきょう申し上げているのですが、新しい首都というとき、私自身地方分権ということがすごく意識にあります。しかし、今の状態で、つまり中央集権の状態で移るということになると、その意味では、私の意見とコンパティビリティーがあるわけではないわけですね。  つまり、きちんと首尾一貫しているというわけではないですので、もし今の中央集権の状態がある状態で、何らかの形で首都移転ということが決まるときの首都移転の評価をどこにするかということであれば、そこに移ることによって、東京環境が、つまり明らかに混雑とか治安とか、多くの問題が東京から解消されていたりとか、あるいは、国会意思決定が、国内に偏るよりは、国際的な問題に大きく広がるような環境を持った地域がいいというふうに私は思います。
  35. 荒井広幸

    ○荒井委員 名前を言い忘れましたが、自民党の荒井と申します。  それで、今の首都機能移転の場合には、例えば物理的、例えば国会移転する的なイメージをお持ちの方が非常に多いわけですが、先生と共通するとすれば、制度的、精神的なものが解決しないと、自分のところに来なかった、あるいは東京よりも遠くに行ってしまったということだけでも反対が出てくると思うのですね。ですから、引っ越してはないということは間違いないと思います。  そのときの制度的な意味では、先ほどの地方分権、これはやはり御不満でしょうが、やはりある程度、同時並行で進めていくところだと思うのですね。  そこで、移転するあるいは移転したということは、ある意味で、将来に対する意思表示、世界に対してあるいは国民の皆さんに対して。私は、そういうことも一方ではあろうかなというふうに思っているのです。そういう意味で、私は推進をする立場なんです。  そこで、先生にお尋ねしたいのですが、少なくとも情報通信が、先ほど月尾先生の話も出ましたが、極めて変わってきていますね。相対でやる部分とネットワークを通じてやる部分と、それだけでもかなりの分権に近い形になるのですね。例えば、陳情に来なくても、ある程度石油とか電気をむだにしないでできるしというものも必要だ。しかし一方で、やはり会わなければできないというのも、もちろんあるわけですが。  そういう精査をしていきますと、私は、最終的には、交通網の整備も含めまして、どこであってもいいというようなぐらいの形で首都移転というのはあってもいいと思うのです。どこでも別に邪魔にならないし、どこに行っても自分の生活はむしろよくなった、そのよくなったという表現が先ほどの地方分権ということなんだと思いますが、首都機能移転をすることによって、それをきっかけにか、あるいは途中経過か、自分たちの生活がよくなったということさえ我々が約束できれば非常に意味があることじゃないかと思うのです。  特にその情報通信、これによって首都機能首都のあり方はどのようにあるべきか、あるいは今からどう変えていくべきかというところ、もしございましたらお聞かせいただきたいと思います。
  36. 黒川和美

    黒川参考人 今、なるほどそういう方向もあるのかというふうに、今まで一度も気づかなかったのですが、首都移転をする、そのことによって地方分権流れをつくり出す、それはあえて便利なところではなかったりして、国内の陳情とかその他がとても難しくなっていくようなことで、そういうことによって、地域の問題の意思決定は、どちらかというと地域でやった方がいいというような形をつくることは、ひょっとするとあるかもし れないというのは、今お話を伺いながら少し感じました。  つまり、今の言われ方で言うと、首都移転、どこかに移すということをきっかけにして、ほかの大きな流れもつくり出すということは、ちょっと今まで考えていなかったので、少しこれから考えさせていただきたいと思いますが、なるほどなと思うことも少し感じました。
  37. 安倍基雄

    安倍委員長 一回聞かれて、もう一遍聞かれる方がおられたら。
  38. 渡辺周

    渡辺(周)委員 民主党の渡辺でございます。  ずっとこの間の論議、あるいはこれまでの移転に関するいろいろな意見の中で、私は静岡県議会の議員をやっておりましたとき、静岡県議会にも首都機能移転調査特別委員会みたいな、いわゆる受け皿的な地方の議会の委員会にもいたことがあるのですけれども、結果的に意識の部分で、先ほど、例えば東京のためにはいい、しかし、東京都民一千二百万人いて、日本人口の十分の一である、十分の九の人にしてみれば、当事者は別にすれば、正直言って、北海道や沖縄の人にしてみれば、どうでもいいようなことじゃないか。どうでもいいとは言わないまでも、やはり我が事ではない。  これは、何かの統計ですとか意識調査を見ますと、それよりも、もっとほかにやることが幾らでもあるじゃないかといったような議論がまず先に出てくる。結果的に、移転をなぜさすかというような意識の以前に、それよりも、現下の経済情勢ですとかあるいは高齢化社会への不安の中でまだまだやることが今あるのに、そのような夢物語に何うつつを抜かしているというのも、また事実だと思うのですね。  ですから、例えば意思を決めるとしても、やはり何らかの、国民投票とは言わないまでも、国民の中である程度意識が醸成されていなければ、これは何か本当に効果がないのではないかな。  我々の議論が高まりながら、だんだん国民的関心事になるということはもちろんなんですけれども、今の時点で、今の状況の中で、これがあと五年か十年か続くかわかりませんが、果たして本当にそれが国民的な関心事、プライオリティーとして高いものなのかどうか、それは現状をどう見ていらっしゃいますか。また、それをどういうふうにはかるようにしていったらいいのかというお考えをお持ちでしたら、教えていただきたいと思うのです。
  39. 黒川和美

    黒川参考人 私自身は、アジェンダになったときは、そう簡単にこんなものはテーマになるわけがないというふうに思っておりました。ところが、実際には、実際に国会議論されるようになって、日程まではっきりすると、多くの人たちが、えっ、本当に動くんだというふうに考えるようになってきたというふうに認識しています。  そういう意味では、ほかにもやることがあるのになぜかということの議論も一方でありながら、今東京で、つまり、全国の人に東京が嫌われているということがどこかであったとしたら、どうしようかと思っているのが一番大きいわけですが、なぜか東京でやるのだったら、ほかのところに移ってもいいよと思うような形で何か考えられている大きな流れのようなものがあるとすると、それは東京が持っている幾つかの問題をクリアしなければいけないということで、東京プラスになることが日本にもプラスになるというロジックで、首都移転というようなことが決まるといいなというふうに思ったということです。  やはり私の認識では、思った以上に、東京から何らかの形で首都をかえることがプラスになると思っていらっしゃる方は多いと考えています。
  40. 安倍基雄

    安倍委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。  この際、参考人に一言御礼を申し上げます。  黒川参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。    午前十一時五十四分散会