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黒川参考人 おはようございます。御紹介いただきました
法政大学の
黒川と申します。
首都移転について私が思っていることを述べさせていただきたいと思います。
私が述べさせていただきたいことは、大きく分けて
三つの点でございます。
一つは、
地方分権という問題と
首都移転という問題は大きなかかわりを持っているということです。それからもう
一つの問題は、
集中ということの
意味についてです。この
意味を解釈することで、
国会等移転という
テーマについての答えが少し変わってくるのではないかと思っているということです。それから
三つ目の問題は、
計画的に大きく何かを動かそうとすることにはなかなか難しい問題があるということを
幾つか申し上げたいということでございます。とはいえ、私
自身は、
機能が
集中し過ぎている
東京については、何とかしなければいけないと考えている立場にいる者です。
それでは
最初に、簡単なメモをつくってまいりましたので、それに基づいて少しずつ
お話をさせていただきたいと思います。
地方分権、とりわけ
アメリカとかドイツとかという国は、徹底した
連邦制をしいている国です。その国における
首都、
ワシントンDCとか、今はボンでベルリンに移ろうとしているとか、そういった
首都と
中央集権の国の
首都とは「おのずと
内容が違うと思っています。そのために、今
我が国でもう一方で
議論されている
地方分権推進委員会の結論とかその大きな
流れ、今度五次の答申が出ようとしていますけれども、そのような
流れだけではなくてもっと大きな、私
自身は、
地域主権、国から、上から考えるのではなくて、下から考えていくような
時代がおのずとやってきて、そのことが
日本経済を再活性化させるのだと思っておりますので、その大きな
流れのこととこの
首都移転のことを別々に考えることは不可能ではないかというふうに思っています。
これは
レジュメでは三番というところに書いたのですが、例えばもし
ワシントンDCのような、
ホワイトハウスのような、
首都、
機構を考えようとしますと、
日本が今期待されていることはどんなことなのだろうかとか、そのときに担う
国会の
役割というのはどういうものなのだろうかということを考えなければいけないと思います。
国会は、
我が国の場合は、
外交を初めとしてあらゆるものを考えて、内政についても検討しているわけですけれども、そのことでいえば、
地方分権が徹底して、
地域の問題はかなりの部分を
地方で解決をする、しかも自主的に解決するという
システムが
我が国に定着してまいりますと、
国会が果たす
役割というのは、今とは全く違うものになっていくのではないかというふうに思っています。
その
役割がずっと小さくなっていって、つまり、
国内の問題について別の
組織が受け皿として担っていくという
時代がやってくるとしますと、そのときに
移転している
国会というのは、我々が今大きな
テーマで
議論しているものとは少し違うことになるのではないかというふうに認識しています。そこで、
地方分権の
進行度合いとともにこの
首都移転問題というのは考えなければいけないのだというふうにまず考えています。
もう
一つの問題ですが、
国会の
役割というのがどういうふうになるだろうかということを、単純に
ワシントンDCの
アメリカの
ホワイトハウスの
機能と比較してみようとか、あるいは
アメリカの
キャピトルヒルの
役割と
日本の
国会とを比較してみようと考えてみますと、徹底して
地方分権が進んでいきますと、
アメリカの
国会で
議論されていることというのはどちらかというと
外交問題、とりわけ
アメリカ固有の、
地球全体、グローバルな政治的な
役割というのを持っていますけれども、もし次の
時代に
我が国が
世界にとって重要な
役割を果たしていくような
外交上の問題を果たしていくとすると、そのとき
我が国の
国会が担っている
役割というのはどんなものになるだろうかと考えますと、それは、
我が国が持っているこれまでに蓄積してきた技術を東アジアを
中心としたその他の国に
移転するような仕事とか、あるいは私
たちの国がたくさん蓄積している資金上の問題を
世界に広げて使う
開発援助とか、そういった問題が
中心になって
国会は動いていって、
国内の問題について、今持っている
国会の
機能を別の
組織が担うとするとそれはどんなものなのかということを、
二番のところで少し書かせていただきました。
もう
一つの問題というのは、今、
国土計画の中に
大都市圏計画というのがございまして、
首都圏計画とか、
近畿圏計画とか、
中部圏計画という問題はこの間常に検討されてきていて、
首都圏全域の問題を
広域的に考えるということを、どちらかというと
地域中心からではなくて、国の
計画として考えるということを
我が国ではしてまいりました。
その
おかげでと申しますか、
首都移転の
候補地が決められてから、各地でいろいろな動きが起こってまいりました。その
候補地の中でいろいろなところを訪問させていただいて、いろいろな御
意見を伺わせていただいている中で、やはりこれまで
広域の
計画を持っていたところについては、それ以外の
地域よりもはるかにその
地域全体の
経済の
ポテンシャルを高めるための
計画その他が進んでいるというふうに認識しています。
そのことでいえば、
中部圏の四県については、
広域に
相互に
計画を立てていて、
ネットワーク型の
社会システムの
整備の
計画とか、
国際空港の
計画とか、それから
開発援助を頭に置いた上での
博覧会の開催とか、いろいろなことが既に
計画の上にのっていて動いている。それに対して、その他の
地域は、どちらかというと
都道府県単位で必死になって頑張っているけれども、全容がなかなか見えてこないという形に私には思えて仕方がありません。
そのことでいえば、
首都圏、特に
東京圏についても
首都圏計画が、つまり
都道府県単位の判断ではなくてもっと大きな
範囲で
計画がずっと進められていた
おかげで、
東京の
機能更新ということが上手に行われてきていたというふうに思います。それが今の
東京の強さをあらわしているということで、私
自身は、
首都圏計画の問題からちょっと類推をするわけですけれども、
我が国全体にもう少し大きく
広域に物事を考えるような
単位が必要であって、
我が国の
国土計画とか、これまで
国会が担ってきて大きな
意思決定をしなければいけなかった分野について、別の
意思決定機構を持つ必要があるのではないか。これを
連邦制というようなものにするのか、
我が国固有のものにするかは、私は正しい
意見を持っているわけではありませんので、ここでは慎ませていただきます。
ただ、
衆議院の比例区のような
広域の
単位での選挙の
システムができて、その
範囲の中で問題を考えるような
経験がもしこれから累積されてくるとすれば、そういったものが
出発点になる
可能性があるのではないかという気がしています。
これが
最初の、私
自身は
地方分権、
地域主権時代の小さな
首都移転というイメージを持っていまして、どちらかというと、今の霞が関の
機能、よく言われております十四兆円、六十万人で何年かのうちに大きく
日本の
経済にインパクトを与えるような
首都移転を考えているわけではないということです。つまり、そういうやり方をすると今までと同じような問題を繰り返すだけであって、それは
緊急措置としては
意義がないとは申しておりませんけれども、もう少し落ちついた
我が国固有の
首都移転の
方法があるのではないかというのが
一つの問題です。
そこで、第二の問題ですが、
東京にとって
プラスになることが結果的には
日本経済にとっても
プラスになるということが、
我が国の
経済としては成り立っています。
東京が強くならなければ
日本経済は強くならないと多くの方が申されておりますけれども、私もそのとおりだと思っています。この
首都移転とか今問題になっている
国会等の
移転の
議論というのは、
日本経済の
中心になっている
東京の
ポテンシャルを高めることに
プラスになるということでなければならないというのがもう
一つの見識でなければいけないのではないかと思っています。そこで、例えば今
東京都の
職員は十九万人になっていますが、もう既に
知事部局の
一般行政職員よりも
警察官の数の方が多くなっています。正しい数字かどうかわかりませんが、四万七千人の
警察官に対して、
行政職員が四万五千人ぐらいになっていると思います。それほど
東京には人が集まり過ぎた結果、
交通事故、混雑、そして犯罪、治安の問題、さまざまな問題が起きてきて、本来
東京が持っていた秩序正しい、そして
経済ポテンシャルを持っているという、そういう
機能が少しずつ失われつつあります。
それを何らかの形で補っていくために、たくさんあるうちの
幾つかの
機能を分散させていくということについては、多くの人がそのことを悪いとは考えていないと思います。
ところが、
我が国で今
首都移転の
議論をしようとしているのですが、もう
一つの問題として、
企業の
本社移転というようなことはほとんど
議論されることがありません。残念なことに、
我が国でこれまで行われてきたことはほとんどが
工場移転という
議論でした。
東京の大田区とか
品川区とか江東区にあった
工場を多くの
南関東エリアの
工業団地に出していって、
東京の
機能が更新されて、
東京にはオフィスが
集中した。つまり、何かが出ていったから
東京の今の
集中が起こっているわけです。
だれかが出ていかないと、
東京の中の新しい
時代に見合った
機能というのは高まっていかないわけです。だれかが一歩引いて、その
機能が入れかわっていくということで
東京全体の
ポテンシャルが上がっていくということが
機能集中の
意味であって、
東京には人もお金も物も入ってきているというふうに言われていますが、
製造業の
出荷額でいうと、
全国四十七
都道府県ではとつくの昔に十五位以下に落ちております。かつては
東京が一番だったこともあるわけですから、そういう
意味では猛烈に大きな
機能移転を
東京は果たしてきている。
その
プロセスで、非常に
維持管理にコストがかかるような
機能の
幾つかについて分散させることによって
東京の
ポテンシャルを高めることができるのではないか。その
一つが
国会であったり、あるいは裁判所であったり、そういうことではないかというふうに私
自身は思っています。
というのが、
二つ目の
集中の
意義についての
論点でございます。
三つ目の
問題点は、
短期にこの問題を解決することはそう簡単にはできないということで、
短期には別の
応急措置が必要ではないかというふうに私
自身は思っているということを申し上げたいと思います。
一つは、もし仮にどこか新しい
地域に
首都を
移転するということをしたとして、そこの町は、恐らく四半世紀、二十年、二十五年の間は
単身赴任都市というようなことになっていって、
上司から命令されて仕方がなく行く
人たちだけが集まっているような
都市ができるのではないかというふうに思っています。
今、多くの
企業で、
上司からの命令でどこに
移転しなさいと言うと、半分以上の方は
単身赴任にするか会社をやめるということが起こるような状況になっていて、かつての
日本型の
雇用慣行というのは成り立っておりません。そのために、家族で移動しようとすると、その先は
生活環境も含めてアメニティーのすぐれた、かなり高い
水準の
風格のある
都市になっていない限り、
首都らしい
首都に人が定着して住むということにはならないのではないかと思っています。
首都における重要な
役割に文化の蓄積とか教育とかそういったものがあって、そこで生活することがだれにとってもうれしいことで、喜んでそこに進んで行くような
機能を持っている
都市をつくらなければいけないわけですが、それを
計画的につくることというのは簡単ではないように思います。
真に
首都の
風格というのは、気がついたときに、いつの間にか
受け入れ側のサイドにでき上がっているような
内容のものであって、
計画的に何年
計画でここにそういうものをつくるということに関しては、過去のよその国の
経験で多くの失敗があるように、そう容易なことではないというふうに私
自身は思っています。
私
自身が必要だと思っている
論点を簡単に述べ
たことで、私
自身、それじゃどうしたらいいと思っているかということを
最後に述べさせていただきたいと思います。
私は、自然の
流れとして、
幾つかの
機能、今、
東京で最もボトルネックになっているような
機能を少しずつどこかに移していくようなこと、それを違う
場所に分散して移していくという
方法もあるかもしれないし、できたら
一つの
場所に少しずつ移していくということであるかもしれないと思います。
一つ一つ移していくときに、一カ所に
集中して移していくというのであれば、そのときは、
最初の
機能、
二つ目の
機能、
三つ目の
機能は、基本的に大きな
相互作用を持ち合うような、
外部性といいますか、お互いに
プラスになるような、集積、
集中の効果を持ち合うような
機能を外に少しずつ出していくべきではないかというふうに思っています。
そのことの中で、そういう
機能が
東京から出ていくことで、
東京の
機能も、どちらかというと新しい
機能を中に取り入れながら、
東京も結果として成長できて、そのパワーが
日本全体の
経済の活力を取り戻していくような形になることが必要ではないかというふうに思っています。
自然の
流れとして、
国民的合意で、ああ、ここが
首都なんだと思うような形で
いっか首都になっているようなもの。ひょっとすると、それは
東京から
幾つかの
民間企業が
本社を
移転させながら、何年かたったときに、ここはいいということでたくさんの
企業が移っていった先が、改めてそのとき
国民に
首都の
機能を持っているのではないかと言われたりするようなものではないかと思っております。
東京にいつ
首都機能が来たかという
議論がございます。多くの方はいろいろな
議論をされているのですが、私は、
下河辺淳さんがおっしゃられている、
関東大震災の後、
後藤新平という方が
東京で
山手線計画をつくったときに
東京に実質的な
意味で
首都機能が生まれたんだと
議論されていることに関して賛成しております。
関東大震災の前までは、
東京で走っている
鉄道は基本的に、人が乗るために走っていたわけではなくて、
生産物、
南関東エリアで生産されたものを
品川の港に運び出すような
機能としての
鉄道が
中心でした。それが、
山手線という形で人を乗せて
ネットワークをするようになった途端に、
東京にあった
幾つかの
病院が
競争的になって、ある
病院では
循環器系が強くなり、ある
病院ではというように、
一つ一つの
病院がそれぞれ特化した
機能で競い合うようになってきて、
東京の
病院の
レベルは
全国のどの
病院の
レベルよりも高くなっていったり、
幾つかの学校が
競争関係になって、競い合うことによってその
レベルが高くなっていったり、たくさんのことがその
プロセスを経て起こってきました。
ネットワークをするということは、その
エリアの中の
機関が
相互に
競争する
環境をつくるということになっています。
大都市というのは、その
競争環境をずっと維持し続けるために、新しい
機能を導入しながら、桎梏になっている
機能を取り除いていって、ある一定の
水準の
機能を維持し続けることが必要だというふうに思っています。
このように、
首都機能というのは、いつの間にかどこかにだれかが認めて、ここが一番だと思うような形でできてくることがいいのではないかというふうに思っていますが、そのときの
首都というのは、私
自身が
最初に申し上げましたように、それほど重要な
役割を
我が国の
経済に果たしているわけではなくて、どちらかというと、アジアとか海外、つまり、
地球環境全体を含めて、
世界にとって重要な
役割を果たしているような
機能を持っているわけで、
日本国内での
一つ一つの
経済的、産業的な
機能というのは、
地域が
中心に
情報発信をしながら、
地域内で
競争、
地域間の
競争を持つようなそういう
時代になっているのではないかと思っております。
最後の点についてうまく説明できたとは私
自身も思いませんでしたが、全体として私が思っている
意見を以上まとめて述べさせていただきました。(拍手)