○青木
委員 そういうのは官僚答弁というやつだと思いますけれ
ども。
しかし、その答弁は間違いです。国旗は国民の間に定着いたしてはおりません。これは調査されたでしょうか。国民の祝日に国旗がどれだけ掲揚されるか。私の知るところ、ほとんど掲揚されません。これは、
子供に聞きますと、オリンピックのときに上がる旗だねというぐらいの答えで、国旗という答えはなかなか返ってきませんね。
それから、国歌、これは御承知かと思いますが、卒業式、入学式で国歌斉唱と司会者が言います。そうすると、
生徒の間からくすくす、げらげらという笑い声が一斉に起こります。それで音楽が、ピアノ、オルガンを
先生が弾いてやり出しますと、壇上の人が小さな声で歌うぐらいで、ほとんど
生徒の間から声は出てきません。こんなことで本当に国歌なんでしょうか、国旗なんでしょうか。定着しているとはとても思えない。
だから、そういうあいまいなものを
教育の現場で、指導要領の中に明記をしたといってそれを指導する、こういう
教育をしなさいといってやる、そのことが問題ではないか。国歌・国旗なら、これは国民を代表し、国家を代表するシンボルであるはずでありますから、さすれば厳然として、本当に国民の総意に基づいたものだという裏づけのもとにそういう
教育をきちっとしていく、それが
教育の
あり方ではないか。あいまいなものを教えようとするから、そこに変な抵抗が起こったり、
生徒の間から笑い声が起こったり、小さな声でしか歌わない、こういうことになるのではないかと思います。
これは
文部省だけの問題ではありませんけれ
ども、そのほかにもありますが、先ほど私が国家の責務において
教育を行うのではないかということをお尋ねしたのは、そこら辺にも
関係があるわけであります。要するに、
責任を持って
教育に当たるとするならば、本当に
責任のある
教育の
あり方に徹しなさい、こういうことなんです。あいまいなものをあやふやに、やらなかったらそれはほったらかし。そういうことが
子供にいかに悪い
教育になっているかということを、
文部省はこの際猛
反省をすべきだと私は思います。答弁は要りません。
そこで、もういよいよ時間もありませんのでお尋ねしていきますが、いろいろあります。
例えば体育の面でも、ちょっと前に、去年でしたか、夏、五、六月、
小学校の運動会に行きましてびっくりしました。整列をしておったら、ばたんといきなり
生徒が倒れたのです。あっと思って、その子がたまたま体が弱いのか
病気かなと思っておったら、何と次から次へとばたばた倒れるのですよ。二十数名、私の見ている前で。それで、同席しておった校長
先生に聞いたら、最近はああなんですよ、
生徒がじっと立っておれないのですよと。びっくりしました。そのほか、運動能力も以前に比して相当劣っているという話であります。いろいろな要素がありますけれ
ども、ぜひひとつ、まずは体を鍛えるということもこれは非常に大事。
そして、知育と言われる面においては、俗に言われる詰め込み
教育に余り偏重しない、もっと考える力あるいは決断力、そういったものを養う方へ重点を置くべき、こんな
意見もあろうかと思います。私はそう思うわけであります。また、単純に知識の面においても、やはり先ほど来
お話には出ていますが、独創性といったものを生み出す、そういう知育というものを重視してやっていただかなければならないと思います。
いろいろお聞きしていると時間がありませんので、一応私の感ずる点、考える点をさっき申し上げましたが、そこで、
最後に徳育という点についてであります。
先ほ
どもお話が出ておりました道徳
教育、その
言葉がいいかどうかわかりませんけれ
ども、要は人づくりの
教育の問題であります。これもいろいろ難しい点が多いわけであります。お聞きするところによると、道徳
教育というのは
学校教育全体の中でやればいいというようなことだそうですけれ
ども、しかし、それではやっておったといって一言返答すればやっておったにもなりますし、本当に道徳
教育をやるという効果は、余りごれでは期待できないというふうに思います。
したがって、知育、体育、徳育とあるとしたら、私もやはりこの際、徳育の方に相当重点を移した
教育の
あり方というものをそろそろ確立する必要があろうかと思います。しかし、その際、いろいろと問題点は多いと思います。
まず、教科書をどうするのか。そうすると、教科書の中で
価値観の問題が当然出てきます、
人間としての
あり方の問題ですから。それをどういう内容にするのか。
あるいは、今度は教える方の
先生。先ほ
ども話が出ていましたが、考えてもみてください、二十二、三で最初は教壇に立つわけですね。まあ、立派な人もそれは二十二、三であると思いますけれ
ども、大体私
どもの常識から見て、二十二、三で、本当に
人間、人づくり
教育がお任せしてできるのかなということを大変危惧いたします。だから、もう少しその辺に、確かに人づくりをするということは、これは年齢に
関係なく、五十になっても六十になってもそう簡単な問題ではもちろんありませんけれ
ども、例えばもう少し実
社会の経験を積んでからにするとか、何か方法があるだろうと思います、教える方の
先生にも。
教科書にも問題がある、教える方にも問題がある、いろいろな問題点があって、きょうはちょっと一々これをお尋ねするスペースがありませんので、一応、私の方から一方しゃべりで言いました。道徳
教育、いろいろありますけれ
ども、根本的な問題として、やはり民主主義というこの世の中、今のところお互いに、これがよりいわゆるベターな制度、仕組み、
社会かなという大体の合意のもとに、民主主義
社会の中にいるわけです。将来ともにこういう
社会であり続けようとするならば、当然、将来こういう
社会を構成する青少年に対して、民主主義とは何ぞや、民主主義の
あり方とはどういうものだという
教育というものを、当然小さいときから、私は幼稚園からやるべきだと思いますけれ
ども、そういう
教育を積極的にしないといけないのじゃないのか。
いろいろ聞いてみますと、そんなことはほとんどやっていない。私
どもの経験からしても、児童会とか
生徒会、立候補したり選挙したりポスターを張ったり、選挙のまねごとみたいなことは確かにあったようですし、あるようですけれ
ども、
授業の中で、積極的に民主主義
社会に生きるための
体験、例えば今よく言われるような、議論の
あり方とか、
自分の
意見の主張、
意見を言う、そして
意見はきちっと闘わせる、相手の
意見も聞く、あるいは相手の立場を思いやる、自己中心ではだめだというような、そういう
基本的なものぐらいはしっかりと理性にもそして体にも小さいときからしみ込ませていくということが非常に大事なことなのではないのかなというふうに私は思うのです。
宣伝になるといけませんが、この六月二日に私
ども自由党の大会を開催いたしますけれ
ども、そこで諮られ、発表されます
基本政策、そこのトップに、最初に、私
どもはこの
教育問題を打ち出しております。これは、恐らく政党では初めてだと思いますけれ
ども、それほど私
たちは、今の
社会で、いろいろな問題がありますけれ
ども、一番大事なのは、民主主義
社会における物の考え方、
人間の
あり方、行動の
あり方というものが果たして今の
大人がきちっとしておるかどうかということに大変危惧をいたすものであります。
したがって、
大人社会は
大人社会としてそれは直さなければなりませんが、やがて
大人社会をつくるそういう青少年に対しまして、民主主義というものはいかなるものかというものを、これはきちっと教え込んでいく必要が特に今ほどあるというふうに認識をするわけでありますけれ
ども、その点についての御所見をお伺いいたしたいと思います。