○
増島参考人 中央大学の
増島でござい
ます。
お手元の簡単なメモに即しまして、五点お話し申し上げたいと思い
ます。
第一点でござい
ますけれども、
行政改革といい
ますといろいろなとらえ方がござい
ますけれども、
行政改革を対象領域に着目して分類し
ますと、
官民関係の
改革があるわけでござい
ます。主たる内容は、
規制緩和であり
ます。それから、国、地方関係の
改革というとらえ方。主たる内容は、地方分権であり
ます。それから、政官関係の
改革があるわけでござい
ます。現在、内閣のリーダーシップを強化する仕組みの
改革とか、政治が討議しやすい
行政組織、そういうようないろいろな観点の
改革がござい
ます。また、官の内部
改革としての透明性、公正性、効率性を高める
改革などがあるわけであり
ます。
公務員倫理や
天下りの問題といい
ますのは、これらの諸領域の
改革と実は密接に結びついておりまして、この
行政改革の全般的な、あるいは包括的な推進というものがないと、なかなかそれ自体も難しいということであり
ます。
なお、参考でござい
ますけれども、
行政改革の観点で、かつて第二臨調というのがございました。その第二臨調が掲げました
行政改革の観点というのは四つありまして、変化への対応、それから総合性の確保、簡素化・効率化、そして信頼性の確保という四点を掲げたわけであり
ます。現在、この信頼性の確保という観点が非常に強調されてきているわけでござい
ます。従来までですと、この信頼性の確保という観点から進められてきました
改革に、
個人情報保護法の制定とかあるいは
行政手続法の制定とかいうものがござい
ます。その延長上に情報公開法案、そういうものもあるわけであり
ます。
その信頼性の回復を支えるキーワードは二つありまして、透明性と、もう
一つは説明責任でござい
ます。
国民の関心が今この問題に非常に強く向けられているわけであり
ます。 〔
原田(昇)
委員長代理退席、穂積
委員長代理着席〕
二点目でござい
ますが、
官僚制のゆがみが生じないようにするためには、
行政組織が、ゆがんだ人間をつくり出すというようなことではなくて、いかに健全な人間というものを認めるような
組織とすることができるかという視点が非常に大切なのではないかというふうに思うわけであり
ます。
日本の官僚
組織といい
ますのは、大変すぐれた特質を持っていると思い
ますけれども、同時に、健全な
組織となることを妨げているようなものもあるわけであり
ます。
健全な
組織運営のゆがみをもたらすもの、いろいろな問題があるわけでござい
ます。
第一点で述べました過剰な
規制についてなくしていく、そういうものも当然あるわけです。過剰な
規制の問題というようなものもあり
ますけれども、例えばキャリアパス、キャリアパスといい
ますと、
役所に入りましてから
退職するまでの経路でござい
ますけれども、キャリアパスにつきまして非常に硬直的な運用がなされているということです。
その
職員の方がハイラーキーの中に乗らないと評価されない、あるいはまた、非常に
専門性を深めてもその
専門性自体について評価の仕組みがない、あるいは、入り口試験がござい
ますけれども、その入り口試験にはいろいろな種類がございまして、その試験の種類に非常に重点が置かれ過ぎている、そういうようなもろもろの問題がござい
ます。
それから二番目でござい
ますけれども、
退職公務員の関連業界への
天下り問題、あるいはまた中央省庁から都道府県庁の非常に重要なポストに
天下りをする、そういう人事慣行というのがござい
ます。これはそれぞれいろいろな意味を持っているわけであり
ますけれども、特に後者のような問題については、今、地方主権というような言葉さえ言われるようなときにこのような慣行が当たり前のように行われている、こういうのもやはり健全な
組織としてはおかしいのではないかということであり
ます。
それから、三番目に挙げており
ます、各省庁における意思決定の過程におきまして、技官などの
専門職員に対しまして過度に頼り過ぎている、そういうところもあるわけであり
ます。厚生省におけるエイズ薬害事件の病理現象というのは、恐らくそういう典型的な事件なのではないかというふうにも思うわけであり
ます。
それから、四番目に例として挙げており
ますのは、機能的な
組織観というものが非常に欠けているのではないか、これからはもっと機能的な
組織観というものがあってもよいのではないかというふうに思い
ます。
例えば、
局長や
部長がある一定年齢になり
ますと、これまでは、さらに昇任するか
退職するかという選択になるわけでござい
ますけれども、これからは、マネジャーから別の仕事に変わるということが当たり前のようになる、そういう
組織観が要るのではないかと思い
ます。そして、これまでの
知識、経験を生かしまして、研修所の教官になるとか、あるいは
行政相談
事務に当たるとか、あるいは
調査、翻訳
事務に従事するとか、いろいろな職種、もう少し機能的な
組織観というものが広く認められるような仕組みになる必要があるのではないか。これは第三点のところでも述べ
ます、六十五歳定年制を実施に移す場合に、こういう
組織運営ないし
組織についての見方というものが大変必要であるというふうに考えており
ます。
三点目でござい
ますけれども、関連業界への
天下り問題に限定して申し上げ
ますと、
官民癒着の弊害が生ずる。これは、各省庁の
退職職員が、許認可
規制を背景としまして関連業界への
天下りをするからであるというふうに言われるわけであり
ます。
一般的に、
退職者の方が
役所で得た
知識、経験というものを広く
民間の
活動に役立てることの意義といい
ますのは、十分考えられるわけであり
ます。職業選択の自由がござい
ますので、
退職職員の方が自己の
知識、経験が役立つ
民間で働くことを全面的に禁止することはできませんし、また妥当なことではないというふうに考えており
ます。しかし、その関連業界への
就職あっせんの慣行がしばしばもたらし
ます弊害というものも指摘されているわけであり
ます。
〔穂積
委員長代理退席、
委員長着席〕
それで、私は、もしこの
天下り問題に対する方策というものに本格的に取り組むのだとすれば、やはり次の二つの人事運営の大枠というものを決定する必要があるのではないかというふうに思い
ます。
一つは、現在六十歳定年でござい
ますけれども、定年を六十五歳にする、そして
職員が希望すれば六十五歳まで働くことができるようにする、そしてもう
一つは、今後、
役所の人事当局が
組織としていわゆる
就職あっせんをしないということを定めることなのではないかというふうに考えており
ます。もちろん、
政府の中で、
役所の人事当局とは別に、
退職公務員の求職やそれらの人材を求める
民間の人たちの求人
活動、そういうものを円滑にする
部門、そういうものがあってもよいのではないかと考えており
ます。
こういうことを申し上げ
ますと、いつも出てき
ますのは、それでは新陳代謝というものが停滞するではないか、幹部人事の運用が非常に円滑さを欠くのではないか等の問題があるわけであり
ます。しかし、この新陳代謝の停滞とか幹部人事の運用、あるいは給与の
あり方、あるいは定員措置の有無、あるいは新規採用の抑制問題などについてどのような細目的な工夫ができるかということにつきましては、やはり関係機関の
専門的な検討にゆだねることが必要だと思い
ます。
専門的な検討にゆだねる場合には、やはり大枠としてはこういう大枠というものをきちっとしませんと、鶏と卵の関係のようなことで、結論が出てこないわけであり
ます。
それから、四点目に申し上げたいことは、
官民改革あるいは国、地方関係の
改革、さらには政官関係の
改革、こういういろいろな諸
改革がどのように進展いたしましても、公務の本質的な性格や、それが陥りやすい欠点は依然として残るわけであり
ます。このことを留意しませんと、どのような思い切った
改革も、
国民が求め
ます本当の成果を上げることはできないのではないかと考え
ます。また、生涯を公共の福祉のために捧げるような
公務員を生み出すこともできないのではないかと思い
ます。このあるべき
行政の実現のために、あるいは
公務員にとって生きがいのある
行政の実現のために何が必要なのかということについて、最後に述べたいと思い
ます。
官僚制の
問題点というものを考え
ますと、やはり公務とは何かということにいつも突き当たってくるわけであり
ます。そして、この認識が欠けてしまい
ますと、
官僚制はすぐに
腐敗する、非常に
腐敗しやすいものになる、そういうことであり
ます。
お手元の二枚目の資料、簡単なメモに、私の著書の中から引いているものでござい
ますけれども、公務とは何かということ、公務の特質といい
ますのを
民間活動、
企業と比較をして出したものがござい
ます。左の方の「全体の奉仕者」あるいは「権力の独占」。権力の独占といい
ますと大変強い言葉のように思い
ますけれども、ある許認可
権限が
法律の中にありまして、そしてある省のある課に割り当てられ
ますと、その課以外はどこも関与できない、そういうことであり
ます。もちろん
民間も、その許認可
権限というものを持つ、そういうことはできないわけであり
ます。そういう意味の仕組み、すなわち権力の独占というものがあるわけであり
ます。
それから、財源は租税ですし、租税であるがゆえに、財源の確保に一定のそういう限度があるわけであり
ます。それから、
民間にはすぐ破産というのがあり
ますけれども、公務の場合は破産がない。
あるいはまた、
民間の場合は
市場メカニズムといい
ますものが非常にヤードスティックとして働いており
ますけれども、公務の場合には、
活動成果の測定の目安が非常に多元的かつ複雑。国際的な信用を確保するとか、あるいは年とった方の安心感を確保するとか、あるいはまた経済
活動を活発にさせるとか、いろいろな観点からの
活動がなされておりまして、そういう
活動の目安が非常に多元的かつ複雑である。したがって、それがゆえに、経済
社会というものが変わってきたときにも、すぐにその対応している
部門を縮小することができない、おくれてくる、そういうことにもなるわけであり
ます。
また、
国民の権利義務と密接に関連してい
ますことから、非常に手続が重視されるわけであり
ます。
行政手続法の制定といい
ますものも、こういうことに着眼しているわけであり
ます。
民間の
活動では、どちらかといえば、手続より結果を重視するというような特質があるわけであり
ます。
そこで、こういう公務の特質につきましての
社会一般の認識と
公務員自身の認識というものが必要であるということでござい
ます。そして、こういう公務の特質、すなわち権力を持つこと、あるいは破産がないこと、あるいはそういう
市場メカニズムで単純にはかれないこと、あるいは非常に手続を重視することなど、今いろいろ申し上げましたようなことといい
ますのは、実は公務の悪さというものも生み出すわけであり
ます。権力はしばしば容易に堕落するわけであり、また、
時代の流れからおくれてしまうわけであり
ます。また、
社会一般の人々の声に耳を傾けることが少なくなるわけであり
ます。公務の特質、よく考え
ますと、いわば貨幣の裏表のようなことで、その特質というものがあって、非常にいろいろなよさもあるわけですけれども、それが常に弊害を引き起こす要因になるということも忘れてはならないわけでござい
ます。
ここで、やはり必要なことは、国政に携わられる方々や
公務員自身がそのような公務の特性を明確に認識することが大切であり
ます。そして、そういう悪い部分が必ず出てくるということを前提にしまして、その除去の努力というのを繰り返し行うことが必要であり
ます。汚職が起きないための人事管理や運営管理上の工夫とか、あるいは
国民からの
苦情相談の充実とか、許認可
事務手続あるいは補助金
事務手続の簡素化、効率化のための定期的な見直しとか、あるいは
民間における管理手法の吸収、あるいは
公務員研修、教育の重視などであり
ます。
私は、長い間官界におりまして、そして
行政の改善、
改革の仕事に従事しておりましたけれども、その経験を踏まえて、
日本の
行政運営の欠陥といい
ますものをぎりぎり
一つに絞ったらどうなるか、もしそういう質問がありましたら、それはやはり、プラン偏重である。プラン・ドゥー・シーという管理サイクルがすべての業務にはあるわけでござい
ますけれども、プラン・ドゥー・シーの管理サイクルのうち、非常にプランに偏重していて、評価の部分が極めて手薄いということであり
ます。これは、
日本の
行政のぎりぎり絞ったときの非常な欠陥であり
ます。この欠陥、こういうことを
念頭に置いて、各領域において、あるいはまた各段階での努力が必要であるというふうに考えており
ます。
最後、五点目でござい
ますけれども、
人事院の
調査により
ますと、現職の
公務員にあなたはなぜ
公務員になったのですかというふうに問い
ますと、七〇%は、公共への奉仕がしたいといい
ますのが
公務員を志望した
理由となっており
ます。これは大変すばらしいことであり
ます。このような
公務員が生涯
誇りを持って生きることができるような仕組みをつくる、そしてそれを維持すること、それは非常に大切であり
ます。なぜならば、士気の高い
官僚制といい
ますのは、
国民の大切な財産だからであり
ます。本院においてのいろいろな御
審議の中においても、この視点というものをぜひ持って、いろいろのことを御検討いただきたいというふうに思い
ます。
以上です。(拍手)