○吉井
委員 私は、きょう、この
研究交流促進法についていろいろ御
質問いたしたいと思いますが、
大学と
大学であれ、
大学と
国立研究所との関係であれ、あるいはまた
大学や国研と民間の
研究者との間であれ、さまざまな形で基礎的に
研究が行われて、その
成果が新しい形で応用につながっていったりとか、そういう
研究の
交流ということ自体は、これは非常に人類の進歩にとっても大事な問題だというふうに
考えております。
そのときに、同時に、
大学のあるべき姿といいますか、これについて我々は、また一面で非常に深く
考えた対応というものが必要じゃないかというふうに思っているわけです。
私、こういう
研究交流の問題が出ているときですから少し
大学について振り返ってみたんですが、一九三三年にいわゆる滝川事件というのがありました。これは、私は京都生まれですが、私が生まれるよりも早くにあった事件です。そういう中で、「
大学の使命は固より真理の探求に在り真理の探求は一に教授の自由の
研究に待つ。
大学教授の
研究の自由が思索の自由及び教授の自由を包含すること、論なし。」というふうに、あの戦前の時代にあっても、
大学における自治、学問・
研究の自由というのは、本当に先人の人たちがさまざまな思いで、いろいろな権力の側からの圧迫とかいうものに対してさまざまな努力を尽くしてこれが実現されてきた。私は、
日本における
大学の学問・
研究のありようについて、やはり歴史的なそういうものをしっかりとらえて臨むということが今非常に大事になっているときじゃないかと思うわけです。
そういう点でいいますと、戦後も、これは私たち理科系人間にとってはいつも注目しておった分野なんですが、一九四六年に名古屋
大学の物理学教室で名大物理学教室憲章というのがつくられました。これは、
日本の理論物理学者たちが、非常に自由闊達な
議論や
研究や創造活動の中で、戦前の
大学とは違って、やはり新しい
大学のあるべき姿というものを求める中で生み出されてきたものであって、その中では「物理学教室に関する下記の如き基本的重要事項は教室
会議において議決しなくてはならない。」つまり、その学問分野を構成するすべての教室関係者がよく論議を尽くして、
議論をたたき合ってでも、そういう中でみんなで一致して新しい方向を生み出していこうと。
そういう中には、
研究費の割り当て、つまり
予算の問題とか、人事の問題とか、工場、事務室、図書館の管理。つまり
研究室だけじゃなしに、物理学教室に属するあらゆる
施設についてその管理をどうするか、そういうことを含めて、本来、学問
研究の自由とか
大学の自治というものは、そういう物質的に支えるものをきちっとやってこそ保障されるものだ。これが戦前から戦後にかけてのかなり歴史的な経過としてあって、私たちは、あれは名古屋
大学の話だというふうに決めつけて見るのじゃなしに、やはりそれぞれの
大学によってその受けとめ方とか取り入れ方はさまざまとしても、その精神というものは広がっていったように思うのです。
ですから、
研究交流というものを
考えるときに、特に
大学の中でそれを
考えていくときには、そういう歴史的なこれまでの蓄積されたものをきちっと踏まえた上で、
研究交流をどう進めるべきかということを
考えるということが非常に大事な時代じゃないかな。近視眼的に見れば、そういうのはほってしまって、どこか特定の分野だけぎやっと集中すれば、短期的、近視眼的に見たときの
成果は起こることもあり得るものだと思うのです。しかし、ずっと長期に見たときには、やはりそういうスタンスで
考えていくということが非常に大事じゃないかなと私は思うのですが、この点については、
科学技術庁とそれから
文部省と両方から基本的なところを伺っておきたいと思います。