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志苫裕君 局長、包括所得税の建前を貫こうとすればどうしても総合課税まで行かないといかぬ。それにはこの間も長々と議論をした納番の問題を
一つクリアしなきゃならぬ。しかし、貯蓄課税の改革には、いきなりそこへ行かなくても今あなたが後段にお答えになった分離課税の税率の再
検討だってあり得るわけです。二割といえば、所得税の限界税率が五割の人が二割でいいといったらどれぐらいの利益になりますか。逆に税金もかかっていない人が二割取られたら、これは苛斂誅求じゃないですか。これほど同じ利子課税にも不公平があるわけですから、これはその両面から
検討してしかるべしということを私はここで言っておきます。
ところで、前回十一月二十七日のこの
委員会で私の隣におりました同僚の笠井
委員と
主税局長の間で租税理念についての問答が若干繰り返されましたが、人の
質問に私がくちばしを挟むのはまことに申しわけない話ですが、実はそれを伺っておって、税の公平にこだわってきた私にとっては聞き逃せない局長の答弁があったのでこの機会に
主税局長の見解をただしておきたいと思うんです。
私が聞き逃せないと言いましたのは、世界の学問の世界とかそういうものでは所得よりも消費に、累進よりもフラット化の方に、そっちの方に向いている趨勢だというくだりでして、あたかも
日本もそのような税制を設計したいかのような印象を私は受けましたので、これは黙っておれないと、いっか物を言わなきゃならぬと思ってきょうまで待っていたわけです。局長のような税制に関して
日本で一番偉い人がそういうことを言っちゃだめですよ。そういう認識じゃ困る。
以下、若干申し上げます。
理念が税制を生んだと言われるのが
日本の税制ですけれ
ども、その基本理念は公平に置かれておりますが、それは最低生活費非課税原則に見られるような
日本国憲法の要請でもあります。公平とは言うまでもなく形式的な公平じゃなくてあくまでも実質的な公平、すなわち能力に応じた公平という
意味で総合課税と累進制に表現されておりますね。
先ほど言いました理念が税制を生んだというのは、
日本の包括所得税の立場というのは個人の経済シェア力、すなわち担税力に課税しようとするものでして、それを直接表現するのは所得だというので所得が基幹税目にされて今日まで来ております。総合課税と累進税率で縦横の公平を図ってきた、そして形成されたのが今日の
日本のいわゆる公平化社会、平準化社会と言われる
日本の活力の源泉を生んだわけであります。これは
国会でもしばしば繰り返されて確認されてきたことですね。
ところが、昭和六十二年、三年の消費税導入の論議のころから少しこの基本理念が怪しくなってきた。
日本はイギリスのような貴族と平民がいるような社会じゃなくて、上下が割合縮まっておるんだと。所得もあるいはその社会的な待遇も割合に平準化をしておる、そういう社会には累進税はなじまないんだと。むしろ、働くインセンティブを失ってしまうから、平らな税金がいいというので消費税導入の
根拠にされて竹下税制が無理やりに実現をしたわけですね。私はこのときは六時間も実はやりとりをさせてもらった、そのときの答弁はあなた方が書いたらしいけれ
ども。
とにかく、やっぱり包括所得税の立場は今後も貫徹をしてもらわぬと困る。特に今、財政改革で歳出の面から所得配分の公平が担保できなくなってくるとすれば収入の方で分配の公平を図らなきゃならぬ時期に到達しておりますから、ますますあなたの言うように消費でフラット化というのは世の中に合わない。この点はいかがですか、そろそろ税制改革の時期も来ますが。