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参考人(
村井吉敬君) 本日は、この
参議院の国際問題に関する
調査会対外経済協力小委員会にお呼びいただき、ありがとうございます。
私は、
ODAそのものを専門にしているわけではなくて、
東南アジア地域研究、特に
インドネシアを
中心とした
地域研究をしております。
インドネシア等東南アジアにしばしば出かけ、そこで
日本の
ODAとよく遭遇するわけで、そういう中で
さまざまODAの問題について考えさせられることがあります。
特に、きょうは
国会と
ODAの
かかわりということについて私なりの
意見を述べさせていただきたいと思いますけれ
ども、
国会と
ODAというのは実はかなり根本的な、
ODAについては実は根本的な問題だというふうに考えております。というのは、少なくとも
代議制民主主義をとる社会において
国会というのは
国民を代表する
機関であって、その
国民を代表する
機関で
ODAについて一体どのような取り組みがあり得るのだろうかということは、
ODAの
あり方そのものを問うことにもなると思います。
ですから、私が用意させていただいた簡単なレジュメというのは、かなり包括的に、
国会との
かかわり以上に広がりを持ったことで用意させていただきました。というのは、例えばここで既に御
議論になっている基本的な
理念の問題であるとか、そういうことにも実はかかわってくるのではないかと思います。ですから、きょうの私の
発言というのは必ずしも
国会との
かかわりだけに限定されるものではないかもしれませんけれ
ども、なるべくそこを
中心に考えていきたいと思います。
私は、大学で教職にあるわけですけれ
ども、一方で
市民運動というか
NGO関係の仕事を
幾つかしております。特に最近では、
ODAを
改革するための
市民NGO連絡協議会という
幾つかの
海外協力に携わる
NGOを糾合した組織で
ODA改革の
提言等も行って、これはお配りした
資料の中にもその
提言案がありますけれ
ども、そういうところでも活動しております。ですから、
一般市民の
意見というふうにお受けとめいただければと思います。といっても、私は
ODA批判というのをかなり厳しくやってきて、
外務省の方々からは嫌がられたりしておりますけれ
ども。
ただ、余りにも
日本の
国民あるいは
市民というのは
ODAに無
関心であるし、これは
国会で申し上げるのは失礼に当たるかもしれないんですけれ
ども、
国会の
議論でも、ここにいらっしゃるような
先生方ばかりではなくて、
ODAというのは選挙にもつながらないということで余り
国会の中で
議論されてきていないというのが率直な印象です。もちろん、最近は
大分議論も盛んになってきて大変私
たちは歓迎しておりますけれ
ども、今までのところは
外務省あるいは
JICAとか
OECFとかという
行政に任せてきてしまっていたという
側面が非常に強いんではないかというふうに思います。
ここは釈迦に説法かもしれませんけれ
ども、
国会というのは少なくとも国権の
最高機関である、
国民を代表する唯一の
機関である、そこで
ODAというのは一体
行政の範囲の話で終わりなのかどうか。そこは私自身もまだはっきりした解答が出せないし、
法律家でもないのでわからないところがありますけれ
ども、憲法七十三条に
内閣の
事務というのがある。その中の「
外交関係を処理すること。」、これも
内閣の
事務に入っております。それから、
御存じのように「条約を締結すること。」というのが
内閣の
事務に入っておるわけです。つまり、
外交関係というのは
行政の、特に
外務省の一元的な
事項として今まで観念されてきたように思いますけれ
ども、果たして
ODAというのは
外交関係を処理するというだけの問題だろうかというふうに私は考えます。特に、
途上国に対しての
対外経済協力あるいは
ODAというものは私
たち国民の
意思の
反映でもあろう。もちろん
外交というのは我々の
意思の
反映でなければいけないわけですけれ
ども、それほど
事務的に
外交問題として処理されるべき問題ではなくて、やはり私
たちの
意思がその
政策の中にかなり
反映されるべきであろうというふうに思います。
そういう
意味でいえば、
外務省を前に大変申し上げにくいんですけれ
ども、今までの
ODA政策というのは
国会を無視した官僚優位の体系でつくられてきたんではないか。これは
外務省当局からすればいろいろな言い分がそこにはあるかもしれませんけれ
ども、やはりこれからは、
国民が
ODAにもきちっとした
発言、特に
国会を通じての
発言ができるというその制度的な
保障を含めて、私
たちは新しい時代に今入ってきているのではないかというふうに感じております。
特に、
ODAの財源を考えますと、これはまさに
御存じのとおり、税とか
郵便貯金であるとか
厚生年金とかというものであって、ここで使われるべき
予算というのは
国会にきちっと、先ほ
どもお話があったと思いますけれ
ども、
予算決算はきちっと
報告されるべきであろうし、あるいは
政策についてもきちっと
報告されるべきで、あるいは場合によっては
国会そのものが
政策にある
程度関与していくというぐらいの見識が必要ではないかというふうに私は思います。
私
たちは
市民の間で
ODA基本法みたいなものをつくったことがあって、もちろんこれは
国会の中ではなかなかそのまま通りそうな
法案でないことは承知しているわけですけれ
ども、その中で
国会の
関与についてかなり踏み込んだ
提案をしたことがあります。例えば
国際開発協力基本方針という長期的な
ODAの
方針、これを
国会に出すべきである。これは、
国別、
地域別、あるいは
グラントエレメントの
国際目標をどの
程度盛り込む必要があるのかという長期にわたった
計画を
行政当局が仮に策定した場合でも、
国会に
提出し、その
承認を得る必要があるのではないかということが
一つあります。
それから次に、これは現在もそういう
報告はなされていると思いますけれ
ども、
中期計画、例えば五カ年
計画というようなものを
国会に
提出して
承認を得るべきであろう。
承認というのはこれは非
効率につながるからなるべく避けたいという
行政当局の話はわからないではないですけれ
ども、やはり
国民の税を使う以上はその
承認というのはぜひとも必要ではないか。
ODAの場合、
効率ということが最
優先課題ではないだろうというふうに私は思うわけです。もちろん
緊急援助とかは非常に迅速に行われなければいけないわけですけれ
ども、そうでない一般的な
無償資金協力であるとか
技術協力あるいは
円借款についても、
効率性というのはもちろん大事な
原則とは思いますけれ
ども、一番大事なのは、その
援助が何に使われどのような効果を上げ得るのかという、やはりそこから判断されるべきであろうというふうに思います。
それ以外に、各単年度の
計画、これは先ほどちょっと御
説明があったわけですけれ
ども、私は前にあの分厚い
予算案から
ODAがどうやって拾えるだろうかということを自分で格闘してやったことがあります。これをやってみてわかったことは、
予算案からは
ODAというものの全貌は見えてこない、残念ながら。もちろん、
対外経済協力費等、各省にばらばらに分かれたものを拾い集めればおおよその輪郭はわかってくる。ところが、どの国にどういう
方針でどういう
援助が行われるかというようなことは、
予算案からははっきりしたところがわからない。そういう
意味では、
国会に出すべき
資料というものも
ODAという
一つの枠をつくって、その中で
議論していかないとなかなか見えてこないんではないかというふうに思います。
そのこととの
かかわりで申し上げますと、特に私
たちが
市民の側で求めているのは、
国会の中に
ODAの
常設の
委員会をつくるべきであると。これはさまざまな方面からの
提案もあると思いますけれ
ども、一兆数千億という膨大な
予算規模を抱えた
一つのジャンルについて
国会に
常設の
委員会がないというのは、私
たちからするとやはり不思議でならない。これは恐らく、
援助をされる国から見ても、そういうものがあって、そこできちっとした
議論がなされ、その
内容が伝わるということが非常に大事なことではないか。
情報公開について先ほど
大島局長が述べられました。私
たちは、
日本の
ODAについて
情報公開がまだまだ不十分であるという
立場をとっております、もちろんかなり
改善の
努力があるというふうには思うんですが。
例えば八六年に
マルコス疑惑というものが発覚して、これは
円借款ですけれ
ども、その膨大な
資料というのがハワイで
アメリカ当局によって押収されたわけです。そのときに
国会で果たしてどういう
議論がなされたかということ、細かくは存じ上げていませんけれ
ども、私もかなり
関心があって見ておりました。しかしながら、例えば
商品借款の中身を
議会に
提出してほしいという
要求に対して、
OECF当局はなかなか出さないというか、最終的にはほとんど一枚のリストで
商品の名前と金額が書かれたものだけは出してきたわけです。これではやはり
議論のしようがない。
一体どこの企業がその
商品を受注していったのかというようなこと、あるいは、その
商品借款というのはフィリピンの中で最終的にどう使われたのか。これは
報告義務が実は
援助ドナー側にあるわけですけれ
ども、そういう何か
報告書、
商品借款の
報告書であるとか、あるいはよく人道的
援助の代表にされる食糧増産
援助、ケネディ・ラウンドⅡというようなものがあるわけですけれ
ども、これについての
報告書というのは果たして私
たちが今
OECFに
要求してすぐに出てくるものだろうか、特に
国会の
先生方が
要求してすぐ出てくるものだろうかということは、やや疑問に思える。もしそうでないということであれば、これは後で
大島局長から御
説明いただきたいと思います。
最終的に私が申し上げたいのは、
国会での
議論が十分なされないのは、
ODAというものが省庁でばらばらに
予算づけがされていて、
外務省ですら実は農水省なり建設省の細かいプロジェクトの中身までなかなか知りようがない。もちろんそれは、知ろうと思えば
行政内部では知り得るかもしれない。ところが、
国会にこのばらばらな、一元的でないものがなかなか
報告しにくいという、そういう
行政の側の事情もおありではないか。そういう
意味では、省庁一元化というか
ODA庁なりをつくる、これは私は
国会の中のことをよく存じ上げていないわけで、
行政改革等で果たして総理府の外局なのか
外務省の外局なのかという
議論があると思うんですけれ
ども。いずれにしろ、今の
OECF、
JICAというものは全く分離されていて、つまり
円借款と
技術協力あるいは無償というものを統合的にやることにまさに
ODAの
効率的な執行の効果があると思うんですけれ
ども、それがなされない。そういう
意味では、省庁を
一つつくるという
提案があり得ると思うんです。
それをやるには、やはり
ODA基本法というようなものをつくり、
国会の
関与をきちっと明記すべきであろうというふうに思います。それとともに、
ODAの
基本理念。
基本理念については実はいろんな
議論がこの場でもなされたと思いますけれ
ども、まだ私
たちにはわかりにくい。人道的配慮、これは立派な
理念。相互依存
関係の認識、これはよくわからない。そういうものが併存しているわけです。ここで多分
議論がおありだった、議事録でちょっと拝見したいじましい国益を誇るようなことではなくて、恐らく地球
市民益というようなものを
外交目標として
日本は追求するんだと、
日本は人道的な動機に基づいてしか
ODAはしませんということをこの際世界に明らかにすれば、
日本の評価というのは変わってくるんではないか。それは乱暴な
議論だとおっしゃられるかもしれませんけれ
ども、
日本の
ODAの
理念というのはそういう
意味で
基本法にある
程度はっきりと盛り込んでいく必要があるんじゃないか。
今までの
ODAというのは、とかくいろんなうわさがある。それは腐敗、汚職の問題だけではなくて、
アメリカの
外交に追随しているような
側面とか、さまざまなことがある。それは、私は
日本が大国を誇示しろと言いたいのではなくて、
日本が生きていく道としてこの
対外経済協力というのは非常に大事な
外交の柱になり得る、そのためにはかなり普遍的な
理念を掲げていく必要があるんじゃないか。そういう
意味で、この
基本法をぜひ制定して、統合的な
行政ができ、
国会の
関与がしっかり書かれ、なおかつ
理念が明記された、そういうような
基本法が必要ではないかというふうに思っております。
非常に雑駁なことをお話ししてわかりにくい点もあったかもしれませんけれ
ども、一応私の話はここで終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。