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山本一太君
上田先生、それから
木庭先生からもそろそろ
結論を出すときだという
お話がありました。
国際問題については
上田先生、
田先生、もうずっと昔からかかわっておられて、
ODA大綱の基本もつくり、いわば全体の
ODAの
議論を大げさではなくリードされてきたんだと思うんですが、やはり国際情勢、もちろん
日本の国内情勢もそうですけれ
ども、どんどん変わっていくと思うんですね。その中で、もちろん今まで積み上げてきた
議論の大切さということもあると思うんですけれ
ども、今特に
ODAが
一つの曲がり角を迎えて、米ソの冷戦も終わったこの新しい
状況の中でまたいろんなことを
考え始めるので、そろそろ
結論を出すべきという
お話もあるんですが、私なんかにしてみると、今のこういう転換期だから改めて原点に返って
考え直してみようと。今までこれだけ話をしてきて
法律に飛びつくというんじゃなくて、今の
日本の
状況を
考えて、世界の情勢を
考えて、
ODAのあり方を
考えて、何がオプションとして一番いいのかというところから
考えていくのが健全ではないかなというふうに私は思っています。
馳先生がこれまでの
基本法の話をされて、私も
基本法のことをいろいろ調べてみたりしたんですけれ
ども、
目的があって、
理念があって、さっき言ったようにアナウンスメント
効果ということもあると。科学技術
基本法のときも、群馬県出身の尾身経済企画庁長官がやったわけですけれ
ども、すり合わせとか
議論の過程で随分いろんなところが落ちてぎりぎりのところでああいうふうにまとまったというような
お話も伺っているんですが、ただ、今までの
基本法と
ODAの
基本法というのは基本的に私はちょっと違うと思うんですね。さっき角
田先生が
外交の手足は基本的なところでは縛っていかなきゃいかぬという
お話があって、それは私もある
意味では同感で、きちっと政治が
チェックをするというところは必要だと思うんですけれ
ども、私の感覚からいくと、
外交に直接
関係した
ODAというのはほかのものとやや違う、もう少し慎重なアプローチが必要なんじゃないかなという気がいたします。
それは、この
国際問題調査会を中心にこれだけ長い間
一元化の
議論をし、そして
ODA基本法の話をして、
上田先生に言わせれば
政府、与党がだらしなかったからだとおっしゃるかもしれませんが、まとまらなかった。まとまらなかったということは、もちろん時代の
状況もあったんですが、それだけ個々の議員の間で、この問題は慎重に取り扱わなければいけないんじゃないかというそれなりの理由があったからだと私は思います。
ただ、この間、
中川参考人が来られたときに、
中川参考人は実は基本的には
ODA基本法ということには慎重な方で、今の
システムを少し強化してむしろ
ODA大綱を担保する、
法律じゃなくてやり方を
考えることが健全じゃないかという
お話をされた。その中で、
外交の専門的なところは官僚に任せてという話があったんですが、それについては私はちょっと異論があります。
木庭先生のさっきの
お話を聞いていて思ったんですが、今まで
ODAについていろいろなさってきたと、これは私は少数派だと思います。
木庭先生も
田先生も
上田先生もスペシャリストでやってこられたと思うんですが、正直申し上げて、自民党の中にも
ODAに大変詳しい方はいらっしゃいますがかなり少数派で、事実、私の尊敬していた方は三人、四人、
ODAを一生懸命やって一緒にアフリカに行った方はすべて選挙に落ちましたので、そういう
意味で
ODAをやると選挙に落ちると、冗談抜きでですね。今は防衛庁は違うかもしれませんけれ
ども、防衛
関係と
ODAは選挙に弱いという事実もあったりしたんです。
何でこの問題が進まなかったかという
一つの原因は、議員個々に本当に
外交に対して
考える余裕がなかったということです。私は議員になってから、
木庭先生もそう思われているかもしれませんが、
外交にもきちっと政治のリーダーシップを確立すべきだ、そして
外務省の
外交だけがすべてじゃない、
外交というものは議員
外交というものがなければいけないし、民間も含めてあらゆる階層でいろんなチャンネルがつながっていることが、別に
外務省をバイパスするんじゃなくて同じ
目的のために協力するんですけれ
ども、あらゆる階層で人脈がつながっていることが国家の危機管理だという信念を私は持っています。だから、中川先生の言うことについては少し異論があるし、この問題は政治家自身が興味を持ってリードしてこなかったということが
ODAの
関係が進まなかった理由だと思うんです。
それはそうですけれ
ども、
外交ということに関しては、私は慎重にやっていくべきじゃないかなという気がします。さっき
木庭先生が、確かにほかの国はないけれ
どもかえっていいじゃないか、
日本には
大綱もあるしと。これが
一つの
メッセージになっているというのは事実だと思うんですけれ
ども、ほかの国にないというのは、裏を返せば必要ないということだと思うんですね。
特に北欧なんというのは
援助の先進国で、それはなぜかというと、
国民の意識が
援助に対して高い、
援助専門家の地位が高い。そして、ボランティアを子供のころから自然にやっていて、北欧でPKOというのはかなりプレステージアスなわけです、あのヘルメットもですね。
援助をやっていたということは意外とよく受けるし、何か知らないですけれ
ども非常に自然に、それこそフィリピンの貧民窟に入っていって活動しているNGOの方がいるみたいな。
何で必要ないかということを
考えると、
国民の
ODAに対する認識がしっかりしているからそれを
法律で縛らなくてもいい。例えば、意外なことに、スウェーデンなんて議会に提出する義務はないわけですね。ということは、
国民の間である
程度コンセンサスがあって、
外交にも
関係する、特に北欧の国々にとってはマルチの
外交なんかが国のいわば力を発揮する場所だというコンセンサスもあるんです。
だから、
法律ありきで
国民の意識を変えるというのは
一つのあり方かもしれません、ショック療法じゃないですけれ
ども一つのきっかけで。だけど、それよりもまず地道に、角
田先生もおっしゃったように、今の
システムを強化するということも
考えながら、どうやって
国民の意識を高めるかと。だから、
ODA基本法というのはあらゆる場合に絶対必要だということでは必ずしもないと思うんで、だから
一つのオプションとして、いろんな
努力をする中で進めていくべきものじゃないかなという感じがいたしました。