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参考人(
小島朋之君)
小島でございます。
若干おくれまして申しわけございません。ただいまから三十分ほど私の
意見を申し述べさせていただきます。今、高木先生の方から、
最後の
中国の
国内状況については
小島が説明するというふうにあったわけでありますが、うまく説明できるか若干心配でありますが、試みてみたいと思います。
きょうの私の話は、
中国政治の
現状と今後ということで、
中国について少し私の見解を説明させていただきたいと思います。
中国を見る際、私はいつも学生たちに申すのでありますが、イエス・オア・ノーでない、イエス・アンド・ノーである、こういうふうにいつも言います。つまり、
中国は
脅威であるか、
中国は
脅威でないか、こういう設問をされると私は非常に困るわけであります。つまり、
脅威でもあるし
脅威でもない、そのどちらも持つのが
中国であり、そのどちらに対しても
対応策を講じるのが周辺
地域である、そういうふうに考えているからであります。したがいまして、私がこれから
お話しさせていただく
中国政治についても、基本的にはどちらの方向に収れんしていくのかということをできるだけ説明できるように努力いたしたいと思いますが、どちらにも収れんできないのがまた
中国である、そういうふうな
お話にもなるかと思います。
そこで、まず最近の
中国政治を中心とした
中国情勢の特徴はどのあたりにあるのか、こういうことを
お話しするとすれば、やはり十五回党大会を中心に
中国情勢というのを語らなければならないだろうと思います。御
案内のとおり、
中国共産党の第十五回党大会というのが九月十二日から十八日まで開かれました。そして、その翌日に、そこで選ばれました中央委員会が第一回目の全体
会議を開きます。これを合わせて十五全大会、一中全会と、こういうふうに
中国では言います。この十五全大会、一中全会を中心にしながら、最近の
中国情勢というのを少し見てまいりたいと思います。
なぜ十五回党大会なのか、十五全大会なのか。それは、その次に書きましたとおり、
中国の発展の歴史にとってこれが極めて重要であるというふうに
中国自身によって認識され、そしてまた私自身もそう考えているからであります。
この一月一日、
中国共産党の
機関紙である人民日報は社説を掲げて、ことし一九九七年は極めて重要な年になるであろう、こういうふうに言いました。その理由として、二つの大きな出来事、二つの大事、両個大事というのが起こるからである、こういうふうに理由づけいたしました。第一番目の大事、大きな出来事というのは、人民日報によれば、七月一日の香港の祖国への復帰、香港返還ということであります。そして、第二番目がまさにこの十五回党大会であるということであります。
実は、
中国にとってことしが極めて重要な年であるといったとき、もう
一つ大きな大事が起こったことは皆様御
案内のとおりであろうかと思います。二月十九日、
中国の改革・開放を推進してきた総設計士、ゼネラルプランナー、こういうふうに言われてきた鄧小平さんが亡くなったということであります。言ってみれば、
三つの大事というのがあったからこそことしは極めて重要な年である、こういうふうに言ったんだろうと思います。そして、その総仕上げになるのがこの十五回党大会であったということであります。
この十五回党大会においては二つの大きなことが決められました。第一番目は、これから五年間にわたる
中国の
国家としての基本方針が設定されたということ、あるいはされなければならなかったということであります。それをここでは世紀の変わり目の戦略的配置の提示と、こういうふうに書きました。これは、今回の十五回党大会で
江沢民党総書記が行った
政治報告の中で使われている言葉であります。二十世紀から二十一世紀への変わり目のこれからの五年間、二〇〇二年までの
中国の
国家の方針、つまり戦略的な配置を今回行ったということであります。二つ目は、その戦略的な配置を具体的に実践、推進していく新しいリーダーシップをつくる、こういうことであります。この二つが今回の党大会の重要な任務であったと言ってよかろうかと思います。
そして私は、この二つの任務というのはこれからの
中国を考えていく上で極めて重要な
意味を持つというふうに考えています。それがどのような内容であるのか、それ次第でこれからの
中国というのがある
意味で見えてくる、そういうふうに考えております。
なぜそう考えるのか。その次に書きましたとおり、私は、現在の
中国はある
意味で
時代的な転換といった
状況に入っていると思っているからであります。では、その
時代的な転換とは具体的にどんな中身なのか。二十世紀から二十一世紀に変わるからと、そんなことを言っているのではありません。内容を象徴的な言い方でまとめれば、まさに今は鄧小平
時代が終わり新しい
時代が始まる、そういった
時代的な転換点にあるからだというふうに思っております。
それでは、鄧小平
時代の終わりとは何なのか。その具体的な指標とは何かといえば、それは基本方針という観点からいけば、改革・開放のいわばある種の終わりということをそれが
意味している。もちろん、鄧小平さんが亡くなることによってこれまでの
中国政治のあり方、指導のあり方がまた変わったという
意味もありますが、何よりも改革・開放がある種
時代的な使命を終わったということがその中身なのではないかというふうに思っております。
一体全体それはどういうことなんだということが問題になってまいりますが、これこそ時間が三十分と限られておりますのでまた後ほど詳しく説明させていただくとして、その説明にかえてこう申し上げておきたいと思います。
一九七八年から改革・開放は始まりました。つまり、二十年近く過ぎました、二十年もやれば疲れるでしょうと、こういうことであります。
中国においては、一九四九年の建国から五十年近くたちましたけれども、十年以上続いた
政策というのはこれまでありません。あの文革でさえも十年で一応終わったわけであります。改革・開放は二十年近く続いた、もうそれだけでも十分であろうということであります。
こういったある種改革・開放に対する疲れ、うみ、それはまさにそういった感情として表現されております。それが次に書きました改革疲倦、こういった表現であります。こういう言い方はこの一年ぐらい前からしばしば
中国の中に登場してまいります。改革に疲れた、改革に飽きた、こういうことであります。これはもう
日本でも同様のことがもっと短いタームで起こっているわけでありますので、御理解いただけるところだろうと思います。
あるいは、改革は今山場に来ている、改革はある
意味でかぎとなる、そういった難関段階に入ってきている、こういう言い方をいたします。なぜそうなのか。改革に疲れた、うんだ、改革が難関段階に入ってきている、こういった言い方が示している、示唆している
意味というのは、もう少しやわらかな表現で言えば、改革・開放あるいは
時代が問う問題の質が変わってきているということであります。量的な変化でなく質的な変化が今問われているということだろうと思います。
もう少しそれを詰めて言えば、これまでの改革.開放の主たる
課題は社会的生産力の拡大、つまり生産をふやす、産めよふやせよ、これでいい、こういうことでありました。しかしながら、この二十年間の産めよふやせよの結果として、次の今からの段階は、まさにふえたパイをどう分配するのか、いわば社会的利害調整あるいは分配調整の問題が問われてきている、こういうことであろうかと思います。
ただ、一言注をつけておきますと、社会的生産力の拡大はもうしなくてもいいと、そういうことを私は言っているわけではありません。もちろん、今回の党大会報告でも、二〇〇〇年、二〇一〇年、二〇二〇年、二〇五〇年、こういった生産力の拡大のプログラムというのは当然出てきているわけであります。
ちなみに、二〇〇〇年というのは一人当たりGDPでいけば八百ドルから一千ドル、二〇一〇年はその倍増、つまりパーキャピタル二千ドル、二〇二〇年には比較的豊かな段階、そして二〇五〇年には、これは数字は出ておりませんがこれまでの資料でいけば、一人当たりGDP四千ドルから五千ドルといった一昔前のASEANあるいはNIESの一人当たりの豊かさというのが目指されております。
ただし、その力点はやはり利益の分配調整、ここに来ているということだろうと思います。その
意味で改革というのは質的に変わる段階に来ている、こういうことであろうかと思います。こういう
時代的な転換というのが鄧小平
時代の終わりと新しい
時代の到来、こういうことなのではないかと思っております。
問題は、この党大会はそうした
時代的な転換にこたえるといった方針、戦略的な配置とリーダーシップを形成する必要があるということであります。それができたのかどうなのか。そのできたかどうかということを考える
一つの手がかりは、
江沢民さんを中心とした現在のリーダーシップがこの
時代的な転換の重要性、緊迫性、これを一体全体認識しているかどうかということであろうかと思います。答えは、
江沢民総書記を初めとした現政権はほぼそういった
時代的転換の必要性を認識している、こういうふうに私は考えています。
それを示しているのは、一九九五年九月の第十四期第五回中央委員会全体
会議、これをつづめて五中全会と言いますが、五中全会の閉幕の日に行った
江沢民さんの演説がそれを象徴的に示していると思っています。その演説は後に十二大
関係論という形で公表されてまいります。これは、御
案内のとおり、一九五六年にも沢東が行った十大
関係論をもじったものであり、ある種の
江沢民のも沢東化、ある種の権威化というのと一体化されているものであります。
この十二大
関係論の中で
江沢民さんは、改革・開放の結果、さまざまな新しい問題、新しい困難、新しい矛盾が生まれてきた、こういうふうに言います。この新しい問題、新しい困難、新しい矛盾に取り組むためにはもちろん改革・開放という従来型の
措置を参照しなければならないが、しかしもっと重要なことは、新しい
時代の中で新しい
措置、新しい方法、新しい経験を模索しなければならないことである、こういうふうに言っております。こういった表現の中で、従来型の改革・開放ではとてもやっていけない、こういう認識が
江沢民さんの中にもあるということがまさに示されているのだろうと思います。
問題は、それでは一体全体どういった
状況が新しい困難、新しい問題、新しい矛盾なのかということであります。私はその性質から大きく二つの種類にそれは分けてみることができるだろうと思っています。
第一番目は、二十年の改革・開放がさまざまな問題を
解決してきたが、しかし
解決できない問題がまだ依然としてある、これが第一であります。具体的にどういう問題か。従来型の改革・開放が
解決し得なかった最大の問題は、そして今回の十五回党大会で触れているのは、国有企業であります。つまり、国有企業の改革であります。国有企業がなぜ大変な問題なのかというのは、これももう今さら申すまでもないだろうと思いますが、二つもしくは
三つの点でこれからの
中国にとって極めて重要な問題であります。
依然として
中国が社会主義制度の国であるとすれば、まさに経済面においてこの国有企業というのが社会主義経済制度を代表している、これが第一点であります。
第二点は、現実の
中国の経済の中でも国有企業が大きな
役割を果たしているということであります。工業生産全体の中で国有企業の占める割合は一九八〇年代初めの七、八〇%から現在では四〇%を大きく割り込んではいますが、
国家財政収入の中では依然として六〇%を占めている。なかなか取れない税金あるいは利益を確実に入れてくれるのが国有企業である、こういうことであります。
しかし、
三つ目に、その国有企業の多くが
中国経済の足を引っ張っている。国有企業の赤字が膨大であるというのは皆様よく御存じのとおりであり、それが
国家財政を赤字に導いてきているというのも御存じのところであろうと思います。
この国有企業改革が現在の段階ではまだほとんどできない、こういうことであります。これが第一の種類の問題であります。
第二の種類の問題は、改革・開放はさまざまな
成果を上げてきたけれども
成果とともにさまざまな新しい問題を生んできた、まさに
成果がもたらしてきた新しい問題というものであります。具体的にはどういうものか。これもさまざまありますが、最も象徴的なのは格差のいや増す拡大ということであります。これも今さら申すまでもなかろうと思います。
つまり、こういった新旧の問題を
解決していく、そういう段階に今来ているということであります。そして、そうした問題を
解決していくために、二十年間の改革・開放の結果生まれてきた新しい
状況に見合う
政治のいわばシステムの問題、こういった問題もまた問われていかなければいけない。その
意味で
中国は今大変な段階に来ていると私は思っております。
それでは、最近の
中国政治の
状況と今後というのを十五回党大会を通じて見ていくとすれば、一体全体こういった問題を十五回党大会はどう
解決したのか
解決しなかったのか、どの
程度やったのか、こういうことが問題になってこようかと思います。
その
評価の仕方というのが、その次に書きました「十五全大会
評価をめぐる二つの解釈」ということであり、その次に出てきました「大会直後の情報」というのを大会から二カ月足らずの
中国情勢から見ていくと、どうも第一番目の方の解釈の方が今のところいいのかな、こういうことが次に説明されているということであります。
しかしながら、残った時間はあと十分足らずでありますので、これを全部説明することはとてもできません。私は今から簡単に私自身の考え方というのを述べさせていただきますが、以下のレジュメはそれの
参考にしていただければと思っております。
結論は、そういった新しい問題や困難にこたえられる戦略的な方針、戦略的な配置はなかなか打ち出されなかったのではないかということであります。なぜ打ち出されなかったのか。それは、
江沢民総書記にとって焦眉の問題はまずはリーダーシップを固めるというところにあったからだろう。もっとそれを詰めて言ってしまえば、喬石さんに何とか退いていただく、ここのところにどうも絞り込まれたからなのではないか。それが理由となって人事最優先で、今申し上げたような新旧の問題にこたえるような戦略的な配置は示されなかったのではないかということであります。
それは、この十月末の日
中国交
正常化二十五周年記念で多くの国
会議員の方々をひっくるめて記念のレセプションに
北京で参加されたと思いますが、そのときに
江沢民さんが述べた言葉に象徴的にあらわれているのではないかと思います。川は残ったけれども石は落ちた、こう話ったと。私は正確な表現は知りませんが、これは香港でよく言われていた言葉であります。川は流れて石を流した、水は落ちて石が残る、こういうふうな言い方をいたしましたが、それを恐らく
江沢民さんは念頭に置いて使ったんでしょう。香港ではそうだったかもしれないけれども私は残った、石は流れた、喬石さんは落ちたと、こういうふうに言っているわけであります。
もう
一つ、これを象徴しているのが、まさに竹下元総理と会見したときに、
江沢民総書記が七十一歳というところで極めてこそくな何とも言えない年齢計算方法を新たにつくって、そして七十一歳以上において
江沢民さんと元党主席の華国鋒さんのみが中央委員に残った、こういうところにあらわれるのだろうと思います。
党大会で打ち出された戦略的な配置がなぜ私が今申し上げましたような新旧の問題にこたえていないのかというと、それは今回の党大会の中で打ち出された戦略的配置の核心部分にそれが見られるからであります。核心部分とは何かと一言で言えば、それは鄧小平理論の偉大な旗を高く掲げて、動揺しないということであります。つまり、鄧小平理論の継承ということであります。私はそれ自体が悪いというふうに言っているわけではありませんが、先ほど申し上げたとおり、今後の
課題解決は従来型の改革・開放ではとてもやっていけないということであります。従来型の改革・開放ではとてもやっていけないとすれば、従来型の改革・開放を推進してきた鄧小平理論でどうやっていけるのと、こういうことであります。
もちろん、鄧小平さん自身は一九七八年以降、毛沢東流の
課題解決の方法を否定して、改革・開放という方向を本格的に打ち出してまいりました。その際に鄧小平さんが行ったやり方は、毛沢東思想を継承し、毛沢東思想を発展する、こういう言い方でありました。
中国語で発展とは修正、否定ということでありますから、そういうことは可能であります。
しかしながら、それには前提条件があります。強力なリーダーシップのもとで、鄧小平理論の解釈権を独占するということが必要になってまいります。それができるか、ここのところが今回の党大会でも問われているということであろうかと思います。
リーダーシップという観点から見れば、かなりのところまで
江沢民さんの権力基盤が今回の党大会を通じて固まってきたことは間違いありません。しかしながら、その権力基盤というのが五年を超えてさらに
江沢民さんのリーダーシップを可能ならしめているかというと、私にはとてもそうは思えないということであります。こういうことをまとめてまいりますと、戦略的な配置という観点では、新しい
時代にふさわしい方針はなお打ち出されないままであるということ、リーダーシップということでいけば、かなりのところまで権力基盤は固めたけれども依然としてなお不安定な
要因は残るということであります。
例えば喬石さんの問題について言えば、確かに党の中枢ポストからは外すことができた、しかしながら依然として、全国人民代表者大会の常務委員会委員長のポストは来年三月まで続くわけであります。そして、ここ二カ月の
動きを見てまいりますと、なかなかしぶとく頑張っているということであります。
各単位の党組においては、この十五回党大会の
江沢民報告に対する学習というのが繰り返し行われ、
江沢民同志を核心とした中央指導集団に対する忠誠表明が行われておりますが、全人代常務委員会についてはなかなかそれが出てこない。こういうところにもある種のぎくしゃくさというのが見られるのではないかと思っております。こういった
状況ですから、ある
意味で、現在の
中国が鄧小平さんの逝去前後から極めて顕著になってきた安定最優先の方針を貫くのも、これは理解できるところであろうかと思います。
先ほど高木先生の方からも極めて簡潔に御説明があった
江沢民の
訪米、これもやはりそういった内政安定最優先の方針の一環であろうというふうにも見ることができるのではないかと思います。
これは
確認できませんが、党内ナンバーフォーの胡錦涛、これは中央書記処の書記として党の日常業務を取り仕切る最高指導者の一人でありますが、
江沢民訪米はことし第三の大事であるというふうに言ったとも言われておりますが、それほど
江沢民さんは
アメリカ訪問というのを重視していた。あらかじめ成功が約束されていたというふうに言ってもいいほど十五回党大会以降の
中国の
報道というのはこの
江沢民訪米に集中していた、大キャンペーンが張られていたというふうにも言えるのではないかと思います。そうしなければならないほど、そうしなければならないとは、
米中関係の安定的な発展ということをうたいとげなければならないほど、いわば
国内における安定最優先の
状況がなおあるということであろうかと思います。
ただし、これで
米中関係が安定的な発展の
軌道に乗るのかというと、私は必ずしも簡単にはそうはならないというふうに思っております。
一方において、確かに、二十一世紀に向けた建設的な戦略的パートナーシップ
関係の確立というのが今回うたわれました。しかし、その表現は中ロ
関係においてもそのまま当てはまるということであり、日中
関係においても
江沢民さんは、戦略的高みに立ってということで戦略的という
関係を日中
関係にも当てはめているわけでありますから、それでもって安定的な
関係とは簡単には言えないということであります。何よりも、
米中関係においても日中
関係においても、一九九五年前半以降、
関係を最悪化していった問題は何
一つ解決されていないからであります。
その
意味で現在の
中国は、内政の安定を最優先しながら、この五年間のうちに新しい
時代に
対応した新しい質的ないわば戦略的な配置というものを模索していく、そういう
状況に入ってくるであろう。その
意味では、外に対してはある種の安定優先の
状況、その安定優先を具体化する全方位協調
外交というのが当分は続くのではないかというふうに思っております。
ちょうど時間になりました。私の最初の話はここで終わりたいと思います。