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公述人(
高橋紘士君) 時間が限られておりますので、手短に私の話をさせていただきます。
日本の高齢化の
段階につきましては、
皆様御案内のとおりでございますが、改めてその重大性をきょう指摘しておき、その流れの中で
公的介護保険の意義についてお話を申し上げたいというふうに思います。
ただいま
佐野、
鈴木両
公述人、
福祉の
現場から非常に迫真力のある御提言をいただきましたが、現在の
福祉サービスは
介護を必要としている
高齢者のごく一部にしか対応していないところこそ問題であるというふうに私は日ごろ思っております。
残念ながら、膨大な
介護ニーズに対して公的
責任の名のもとに大都市では三年待ち何年待ちの入所が通常でございます。これは公的
責任という名の公的無
責任がまかり通っているということを意味するわけでございますし、そのような入所に対応できなかった人々がいわば社会的入院と、先ほど珍語と言われましたが、他に
選択がないからこそ社会的入院が発生したという現実があるわけでございます。
従来のシステムというのは、財源とか
サービスの限定に制約された資源のみを考慮し
ニーズを切り捨ててしまう、やや横文字を使って恐縮でございますが、リソースを見た供給サイドのシステムであったというふうに言えるかと思います。私は、国民の
介護への切実な社会的要請に敏感に反応することのできる
ニーズセンシティブな仕組みというものをどうやって構築するかということが重要であろうかというふうに思います。
最近、私の調査の過程でこんな事例に出会いました。ぼけを進行させている祖母をお孫さんが見ているケースでございますが、御両親は外国に在住しておりまして工場の立ち上げのために数年はとても
日本に帰れない、そのためにぼけの進んだ祖母を大学に通いながら孫が世話をしているという事例でございます。
痴呆型のデイ
サービスを運よく利用することができますと、そこでは送り迎えが義務づけられているために、四年を終えて就職したときにその就職をやめまして、いわばフリーターになって祖母の
介護を見る。もはや事態は嫁、しゅうとめの問題ではなく三世代の孫にまで及び始めているという現実。そして、そこの大都市では
特別養護老人ホーム入所、特に
痴呆性は非常に受けてもらえませんので数年待たなければということでございます。
逆に、あるイギリス人の述懐を聞きました。彼はオックスフォードを出まして
日本にある外国籍の製薬会社に勤めております。彼は八十歳の両親をロンドンに残して赴任をしておりますが、彼に言わせると、私が赴任できるのは母国にそういうソーシャル
サービス、彼らはパーソナルソーシャル
サービスというふうに呼んでおりますが、あらゆる
市民が利用できる
福祉サービスが充実しているからこそ我々はこうして外国で
活動できるのだということを言っているわけでございます。そういうことを含めて、このような事例が象徴しておりますのは、従来の
福祉対象者からはるかにさまざまな
サービスニードが拡大をしてきているというその一点をどういうふうに評価するかという点でございます。
きょうお持ちいたしました
厚生省の
資料等を含めて、これはもう先刻御案内の
資料でございますが、厚生白書に出ておりました先進諸国における高齢化の進展を比較した表を
参考表としてつけてございますが、私はこの数値を見るたびにテリブルという感じをいつも持つのでございます。
要するに、
日本では端的に申しますと新しい高齢化の
段階に二十一
世紀に達しようとしております。従来、ヨーロッパの高齢化先進国は一五%から二〇%ラインの高齢化の
段階でございます。二十一
世紀には我が国は二〇%から三〇%ラインの高齢化の
段階に達するということをまず指摘しておかなければなりません。そして二〇〇七年以降、
日本の総人口は縮小に向かいます。そして高齢人口の高齢化が急激に進みます。そしてそれは、どこの国も
経験したことのないという意味で未踏の
高齢社会の
段階に
日本の社会が達するということでございますし、なおかつここに数字をお示ししておきましたのは、
日本の社会
保障給付費の対国民所得比率の数字、各国の比較をここに並べておきました。
要するに、
厚生省の試算でございますと、社会
保障給付費は二〇二五年にわずか三三・五%でいわば二五%―三〇%ラインの高齢化にこれから対応しょうとしているという、非常に貧しい社会
保障費でこれから高齢化に我が国は対応しようとしているということを指摘しておかなければなりません。そして、言うまでもなくその中で社会
保障給付費の中に占めます
福祉等の割合はわずか一割を切っておるわけでございます。
福祉等というのは、ここで問題になっております
介護サービスの資金投入額が言ってみれば国際標準からははるかに少ない形でしか投入されてこなかった。これが現在までの
福祉システムの構造の帰結であるというふうに私は思っております。
要するに、公費投入を前提とするために常に財源の拡大が後手後手に回ってきた累積が貧しい
福祉と強大な経済力の対比にあらわれているというふうに思いますし、国民は老後貯蓄をしております。実はその老後貯蓄が
福祉サービスに回らない構造を公費優先型の仕組みが加速してきた現実があるということを、これは余り指摘をされておりませんが、ここで申し上げておきたいというふうに思っております。
我が国の高齢化
レベルに比べて社会
保障給付費は極めて低いというふうに申しました。これは、新しい事態にとても対応できないということを意味するわけです。とすれば、資源投入のための新しい構造改革が
福祉の領域に求められているということでございますし、その中で現実的な
選択肢が保険のシステムを
導入するということであるというふうに私は考えております。もっとも、保険のシステムといいましても、今提案されているシステムは公費半分
保険料半分という、そういう意味では公費か保険かというそういう二項対立は誤りでございます。公費
制度の仕組みと保険の仕組みを相乗的に組み合わせた仕組みにしていくための、逆に言うと、これからの
制度運営が求められているということをここで指摘しておかなければいけないかというふうに思います。
それでは、
公的介護保険の意義を一般論から各論に移して若干申し上げておきたいというふうに思います。時間がございません。
一つは、要
介護認定、
ケアプラン作成、
サービス給付という一連のシステムというのは、これは従来の個別的
サービスを個々に措置するという
福祉の措置の仕組みから総合的な仕組みへ
転換させようとするものだというふうに私は考えております。
その中に新しい専門職としての
ケアマネジャーという仕組みを
導入いたしますが、これは従来の行政裁量に基づくいわば恣意的、逆に言うと、先ほどの
鈴木公述人の御
意見は、ある意味では恣意的な措置が行われてきたということを裏書きするようなデータも含まれているわけでございまして、これはそれなりの理由が現実にあることは
鈴木公述人のおっしゃったとおりでございますが、とすれば、それを専門職による
ニーズ判定のシステムを
導入することにより、より公正な、フェアな仕組みに変えていく
一つの道筋を開くものだというふうに思っております。
言うまでもなく、保険の仕組みは
高齢者の
生活と
福祉を守る上では部分的な仕組みでございます。
介護ニーズが一般化いたしましたから、
介護ニーズに対応する一般的な仕組みとしての
介護サービスシステムを構築し、専門職認定の仕組みを
導入しながら新しい
ケアプランの仕組み、総合的な
ケアの道を開くという、そういう道筋で
制度が設計されております。これは各
公述人から既にさまざまの批判があるとおり、不完全な
制度であることは残念ながら認めざるを得ません。
しかしながら、私は、それにかわる代替案があるかということでいえば、例えば
介護技術につきましてはきちんとした
介護技術の開発、それから
介護手法の開発が具体的に
制度にフィードバックしていくような仕組みを残念ながら我が国の仕組みは欠いておるという現実がございます。
人材
一つをとりましても、四万人の
介護ケアマネジャーをどこから調達するかということでいえば、大変大きな
課題を抱えていることも事実でございます。
医療・看護研究に比べて
福祉の実践的な研究は、現実の豊かな
経験を
制度に反映するための技術開発、科学的な理論研究等大幅におくれております。これは、単なる人材の不足ではなくて、
介護基盤の基盤が不足をしているということを物語っているわけでございますし、あるいは
地域の
福祉サービス、いわゆる
ケアマネジメントと言われていますが、
福祉サービスシステムのマネジメントの能力もある意味では大変劣っております。これは、
市町村の
福祉、保健の政策当事者の能力の問題、これは現在の人事システムのもとでは一般職でございますのでなかなか
経験が蓄積されていないという、そういう現実がございます。
そういう意味では、私はあえて申し上げれば、
介護基盤の基盤をどう
整備するかということもぜひ視野に置きながら、この
介護保険の円滑な運営と、これは五年後に見直されるということにな?ておりますが、その見直しの期間の中にさまざまな議論が起こることを期待いたしまして、やや権利
保障あるいは幾つかの点で、予防
サービスの重要性等について言及することはできませんでしたが、私の公述は終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。