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中桐委員 その場合には前提
条件があると思うのです。つまり、現在の
職場の中で、その
状態を想定しながら六十五歳まで画一的に引き上げるということが非常に無理があるのではないか。まあそれはこの後の
質問のところでも述べる予定なのですが、時間が余りありませんから、関連しますので、そういうところも触れながらいきたいと思います。
今まで
日本の
社会を大きく規定してきたいわゆる
開発主導型、つまり
経済成長というものに追いかけられるというか、そこを、低成長になったらピンチだという形で、昨年よりはことしはこれだけ成長する、しかし、パイはどんどん大きくなっているわけですから、一九七〇年代の成長と同じパーセントであっても巨大な成長をしているわけで、そこらあたりをいわばそろそろ転換しないといけないのではないかというふうに思うのですね。
そうなった場合に、いわゆる
企業が
社会の中に位置しているこれまでのあり方、あるいは別の言葉で言うと働き方というか、そういうふうなものをやはり二十一世紀、成熟
社会への転換をするために変えなければいけないのではないかと私は思うのですね。そのときに、今のいわゆる
企業が
社会に位置している、別の言葉で言うと
社会的な機能を果たしている、その中に例えば家族の崩壊みたいなものもあるし、
労働時間、これは鋭意
努力をされて時短が進んではきておりますけれども、まだまだ不況になってくると時短はそっちのけでというふうな話になってくる。
そういう
意味でいくと、もちろん私は
経済成長をするなとか
雇用はどうなってもいいとか言っているわけじゃないのです。つまりワークシェアリングをするなりいろいろなことをやって、いわゆる
企業の持っている
社会的な位置というのは非常に大きいからその
社会的な機能を変えないと、これから少子・高齢化の中で、例えば子育ての問題にしたって
高齢者のケアにしたって、そういう問題にもう十分対応できる、それを全部何か商品で買っていくとかサービスで全部買っていく、そういうものからもうちょっと
社会的な、ともに支え合うというか、そういうゆとりの中でやっていかなければいけないし、それから、いろいろな
国民の個性を多様に生かしながらコミュニティーというものをつくっていかなければいけない。
そういうふうに考えたときに、今の
職場のあり方をそのままにしながら六十五歳というのは、やはり余りにも無理が生じてくるのではないか。だから私は、
労働省は、相当強力ないわゆる就業の場を確保し、そして、いわば
年金をもらったりあるいは
福祉サービスを十分充実していただければもう
雇用に吸収されなくてもいいというふうな
状態ではなくて、つまり、
年金を早くもらいたい、今まで一生懸命働いてきたのだから後はもう
年金生活に移行したいというふうなところへインセンティブが働くのではなくて、むしろ、
高齢者は
高齢者の個性を持った、
高齢者が自立した
社会参加をずっと続けていって、生きがいもあり、それなりの所得、プラスアルファの所得があって、そこから
社会保険料も出したり堂々と
社会の一員として
参加していく、そういうことが
日本はまだできると思うのですね、これはキリスト教文化のところでは随分シフトが難しいところがあると思いますけれども。しかし、大量消費
社会にあって、今の若い人が果たしてどういう選択をするかというのはこれはまた未知数のものがありますが、少なくとも今の
高齢者はそういうことを受け入れ可能な考え方というものを持っているのじゃないか。
そういう
意味で、私は、今そういう新しい二十一世紀の
高齢者の生き方というものをつくるに当たっては、やはり新しい
雇用の場を確保しながら、
年金システムに全部依存しないでいけるような、そういう活力あるというか明るいというか自立しているというか、そういうものを目指したらいいのじゃないかというふうに思っているわけなのです。そういう
意味でいうと少し検討が必要だと思いますので、六十歳と六十五歳でどう違うかというふうなことについてもぜひ
労働省の方でも検討をしてもらえればというふうに思います。
そこで、ちょっと関連しての話なのですが、今さっき、
企業のあり方が
社会の中でどのように変わらなければいけないのかということで、問題をそちらの方に移したいと思うのですが、その中で私が非常に問題にしたいのは、今、
労働法体系でいきますと、いわゆる基準法というものを
基本にして、
職場の憲法ともいうべき基準法というのがあって、それ以外は大体労使自治で運営していくという形がシステムとしてあるわけですね。
ところが、そのシステムからカバーされない
職場というのが相当出てくる。つまり、例えばパートでいえば、
労働組合に入っているパーセンテージは、
労働省の
調査によれば四%ぐらいしかない。全体の
労働者でも四人に一人を切っているわけであって、そういうことからいうと、個別的な
労働問題にどう対処していくか。できるだけ、ほとんどすべての
労働者をカバーできる、例えば紛争処理にしてもそうだし、それからもう
一つ、もっと積極的にいえば、今までの基準局、監督署を
基本にする
労働基準行政から、もう少し
企業に
社会的なルールを持ち込めるシステム、つまり第三者が入った行政
委員会方式の、紛争処理だとかあるいは
社会的ルールを
企業は守ってくださいと。
つまり、
労働時間を短縮するという
数値目標をルール化したらそれをちゃんと守ってくださいというときに、いわば
労働基準行政を
基本とするものの中に、それと関連性を持たせて、つまり、第三者、
企業社会に生きている人ではない人もそこに入ってもらって、あなた、こんなことじゃ
社会は成り立ちませんよと。つまり、子育てや
高齢者の
介護やいろいろなものをコミュニティーとしてやらなければいけない、そのときに
企業は、
自分の利潤追求、
企業存続のためのことばかり考えてもらっては困るよと。それから、例えば
環境の問題にしても、コミュニティーどころか、いわば地球的な規模で問題になるような価値観を導入してもらわなければ困るよと。
そういう個別的な紛争処理にしろ、
社会的ルールとして決めたそのルールを、これは
社会的に必要なルールなのだから、
企業社会の労使の中だけで話し合っているだけではだめですよ、それはもちろん重要なのだけれどもだめですよというふうな
意味で、私は、そこに第三者的な、第三者を入れた
社会的な価値観をもって
企業を見る、そういう仕組みというのが要るのじゃないかと思うのですが、その点いかがでしょうか。