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1997-12-09 第141回国会 衆議院 予算委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年十二月九日(火曜日)     午前九時開議     ————————————— 出席委員   委員長 松永  光君    理事 伊藤 公介君 理事 石川 要三君    理事 西田  司君 理事 深谷 隆司君    理事 山本 有二君 理事 田中 慶秋君    理事 藤井 裕久君 理事 五島 正規君    理事 木島日出夫君       相沢 英之君    浅野 勝人君       臼井日出男君    江藤 隆美君       遠藤 利明君    小澤  潔君       越智 通雄君    大原 一三君       河村 建夫君    栗原 博久君       小林 多門君    佐藤  勉君       阪上 善秀君    桜井  新君       砂田 圭佑君    関谷 勝嗣君       武部  勤君    中川 昭一君       中山 正暉君    根本  匠君       能勢 和子君    野中 広務君       葉梨 信行君    松本 和那君       村山 達雄君    綿貫 民輔君       池坊 保子君    北側 一雄君       佐々木洋平君    佐藤 茂樹君       中井  洽君    中村 鋭一君       西  博義君    西川 知雄君       西田  猛君    西野  陽君       西村 眞悟君    平田 米男君       松浪健四郎君    山本 孝史君       海江田万里君    小林  守君       藤田 幸久君    山花 貞夫君       佐々木憲昭君    平賀 高成君       松本 善明君    上原 康助君       北沢 清功君    中川 智子君       岩國 哲人君  委員外出席者         参  考  人         (山一證券株式         会社代表取締         役会長)    行平 次雄君         参  考  人         (株式会社北海         道拓殖銀行前取         締役頭取)   河谷 禎昌君         予算委員会調査         室長      大西  勉君     ————————————— 委員の異動 十二月九日  辞任         補欠選任   相沢 英之君     小林 多門君   臼井日出男君     砂田 圭佑君   遠藤 利明君     佐藤  勉君   越智 通雄君     阪上 善秀君   大原 一三君     松本 和那君   河村 建夫君     能勢 和子君   佐藤 茂樹君     西  博義君   松浪健四郎君     佐々木洋平君   志位 和夫君     佐々木憲昭君   不破 哲三君     松本 善明君   北沢 清功君     中川 智子君 同日  辞任         補欠選任   小林 多門君     浅野 勝人君   佐藤  勉君     遠藤 利明君   阪上 善秀君     越智 通雄君   砂田 圭佑君     臼井日出男君   能勢 和子君     河村 建夫君   松本 和那君     大原 一三君   佐々木洋平君     松浪健四郎君   西  博義君     佐藤 茂樹君   佐々木憲昭君     志位 和夫君   松本 善明君     平賀 高成君   中川 智子君     北沢 清功君 同日  辞任         補欠選任   浅野 勝人君     相沢 英之君   平賀 高成君     不破 哲三君     ————————————— 本日の会議に付した案件  予算実施状況に関する件(銀行及び証券問題  等)      ————◇—————
  2. 松永光

    松永委員長 これより会議を開きます。  予算実施状況に関する件について調査を進めます。  本日は、本件調査のため、銀行及び証券問題等について、参考人に対して質疑を行います。  ただいま御出席をいただいております参考人は、山一證券株式会社代表取締役会長行平次雄君であります。行平参考人には、銀行及び証券問題等について、そのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、委員質疑時間は限られておりますので、お答えはできるだけ簡潔、明瞭にお願いいたします。念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を受けることになっております。また、衆議院規則の規定により、参考人委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  これより行平参考人に対する質疑に入ります。質疑の申し出がありますので、順次これを許します。伊藤公介君。
  3. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 参考人、きょうは大変御苦労さんでございます。既に参議院参考人はいろいろな質疑をやっておられますので、きょうはさらに少し具体的に、多少失礼を省みず、率直にお伺いをさせていただきたいと思います。  いずれはさまざまな形で真相は明らかになると思いますが、私たちは、国民を代表するこの予算委員会で、これまで行われてきた証券業界の実態というものを明らかにして、それは、同時にまた、私たちが、今金融ビッグバンなど国際的な社会日本が対応できる、あるいはまた私たちのこの産業界でいわゆる市場、マーケットというものが成熟をして、そして株式市場というものが広く国民皆さんに理解をされ、また定着をし、我が国のいわゆる市場経済というものが本格的な成熟した社会に向かっていく、そうした大きな転機になっていただければというふうに考えております。  我が国の伝統ある四大証券の一つであります山一証券の時に社長さんであり、また会長であられ、極めて重要な役割を果たしてこられた参考人か赤裸々にこれまでの真相を明らかにし、また私たちは、これからの将来に対してもしっかりした証券業界というものを我々自身も構築していかなければならない、こういう立場に立って御質問をさせていただきたいと思います。  まず冒頭に、けさの朝刊でありますが、私は、今申し上げたように、もちろん、参考人を初め山一証券だけでなく、日本証券業界にさまざまあったいろいろな問題、こういうことは厳しく批判をされなければならないと思いますけれども、同時にまた、そうした証券業界を指揮監督してきた大蔵省役割はどうであったろうか。私たちはこれから、大蔵省のあり方というものも、一府十二省など省庁再編の中でしっかりと位置づけてい かなければならないと思います。  大蔵省の問題については大蔵省から聞くのは当然でありますけれども、私は、証券会社トップリーダーとして、きょうの新聞にございますけれども一連のいわゆる飛ばしなどの事実について、大蔵省は六年前からこの事実を承知していたというふうに報じられております。特に、飛ばしの処理大蔵省の指導で行っていたとも山一証券の幹部が証言をしているというふうに報じられています。ペーパーカンパニーを使ったいわゆる簿外処理についても、大蔵省は既に知っていたのではないかというふうにも報じられております。  これらの真相について、まず、現在どのような心境にいるのか、また、今申し上げた一連大蔵省との関係についてどのような事実であったのかを伺わせていただきたいと思います。
  4. 行平次雄

    行平参考人 行平でございます。  初めに、伊藤先生その他先生方のお許しをいただきまして、一言おわびの言葉を心から申し上げたいと思います。  このたびの件につきまして、大変、国民皆様また立法府の先生方に御迷惑をおかけいたしまして、まことに申しわけなく思っております。それから政府あるいは日銀の関係者皆様方、また特に深い信頼をお寄せくださった株主の皆様方、また長年お取引をいただきました投資家皆様方、多数の方々に御迷惑をおかけいたしまして、まことに申しわけありません。  それから、私の立場であるいは出過ぎたことかもしれませんけれども、約九千何百名の社員並びにその家族等々につきましては、本当に申しわけないと思っております。こういう場で私が言うのは出過ぎたことかもしれませんが、今後の再雇用につきまして、先生方のまた御支援をぜひお願いしたいと思います。  それでは、ただいまの伊藤先生の御質問でございますけれども、まず、大蔵省と私どものかかわり合いは、証券取引法に基づいて私どもは免許をちょうだいし、そして営業を行う、その間に検査があるというようなことであろうか、大ざっぱに言いますとそういうことかと思います。特に、平成三年に損失補てん問題が出てからは、もう懇談会というようなことも一切やめまして、本当に必要な話を必要なときに伺うという間柄でございます。  それから、けさ新聞というお話でございますが、大蔵省山一証券の飛ばしについて前から知っていたということについては、私は、これはちょっとわかりません。(発言する者あり)いや、それは本当でございまして、大蔵省サイドから見てどうかわかりませんが、私どもは、大蔵省が知っていたかどうかということについて、わからないわけでございます。
  5. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 それでは、もう一つ具体的に伺いたいと思います。  私、株式のことを必ずしも詳細知っているわけではありませんけれども、いわゆる現先取引有価証券担保資金を借りて、後で利息を乗せた金額を返却する、そして担保証券を取り戻すといういわゆる現先取引などについても、既にこのことは山二証券大蔵省にそのやり方を報告している。そのことについては、証券会社のそうした釈明を大蔵省はそのまま、言ってみれば、見逃していたといいますか、大蔵省自身もそのことを知っていたのではないかというふうに言われていますが、いかがでしょうか。
  6. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  平成三年、その前に、平成元年でしたか、二年でしたか、大蔵省の方から、いわゆる営業特金、一任勘定的な営業特金はやめなさい、そういう指示があったと思います。と同時に、そのころから株価は下落を始めました。それで、現在いろいろ言われております、AからB、BからCと行く、転々とする、いわゆる飛ばしがあったと思います。  つまり、簿価で、時価が下がっているにかかわらず簿価で動かす、そういうことによって損が累積していく。その中に、場合によっては損失を補てんしたりという問題が出まして、その辺の総決算で、大蔵の指示で全部それを洗い出し、たしか平成三年九月に私も証人喚問を受けましたけれども、そのとき、平成三年九月のところで申し上げた数字は三百幾らだったと思いますが、後、追加分がありまして、たしか六百ぐらいの最終的な数字になったかと思います。  そして、そういう過程で、いわゆる営業特金その他、そういった預かりをずっと減らしてまいりまして、それで、最後、どうにも行き場がなくなったのを、現在問題になっております、今先生が御指摘ペーパーカンパニーに入れたわけでございます。  そういう次第でございますので、その入れたということはもちろん私ども経営判断で、これを出したら会社はつぶれる。現在は、今先生おっしゃったビッグバン、いろいろな自分の形に合った経営をすればよろしいじゃないか、そういうことでございますけれども、当時は、やはり四社競り合いの状況の中で、特に、支店も頑張ってくれましたけれども法人営業も頑張っている。特に法人の収益に依存するところも当時の山一証券としては非常に大きかったものですから、それを公表することによって信用が一挙に失墜し、会社危殆に瀕する、そういう判断でやったわけでございます。  お答えしました。
  7. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 もう一点、伺っておきたいと思います。  こういう一連の飛ばしのことについて、実は、既に参考人証券取引等監視委員会事情聴取を受けているようであります。その中で、いわゆる飛ばしについて、九一年の夏、初夏、都内ホテルにおいて、社長であった、参考人が当時社長であったわけでありますが、三木社長さんを初めその他の副社長二人など九人の方々で、これらの問題について会議を持たれたというふうに述べられたと伺っておりますが、それはまた事実でしょうか。そして、もしあったとすれば、そこではどのようなことが打ち合わされたのかを明らかにしていただきたいと思います。
  8. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  ただいま伊藤先生お話は、都内ホテル平成三年夏ごろそういう会議を持ったんではないかというお話でございました。私の今記憶している範囲では、確かにそういうことはございました。それで、当時みんな忙しかったので、全員会えるのは日曜じゃないか、休みじゃないかということで集まったということだったと思います。  それで、私がSECに話した話じゃございませんけれども、今のお話は。むしろ向こうさんから、こういうことがあったんじゃないかと。ちょっと私も忘れていたような話ではございました。しかし、確かにそれはやりました。  というのは、平成四年一月一日から新法が施行されますから、それに基づいて、先ほど申し上げた、お客様にお願いをし、御納得いただきながらおさめてまいりましたけれども、夏ごろに至って、あと半年じゃないか、あと全体どうなっているんだということを把握せぬといかぬという問題と、それから、できたら、それをどのようにおさめていったらいいんだろうか、そういう趣旨じゃなかったかと思います。  ただ、どういうふうにおさめていいかという話は、具体的にはやや方法論はなくて、ともかくお客に誠心誠意御納得いただく、下がっているけれども何とか引き取ってください、そういう話でいくよりしようがないんじゃないかというような感じで終わったと思います。  以上、お答え申し上げました。
  9. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 端的に、その会議に参加した方は何人で、だれだったかだけ明らかにしてください。
  10. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  本当に申しわけありませんが、私の記憶は非常に薄らいでおりまして、私、それから前社長三木、具体的な名前ですね。あと役職名ということになりますが、故人になりまして、副会長まで やりました方ですね。あと法人担当関係あと商品関係、こういった面々だったと思います。それで、合計九名というのは、正直言って、全然覚えておりませんでした。
  11. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 飛ばしを続けた結果、最後にみずから株式を引き取る。株式取引損失を引き受ければ、場合によっては損失補てんに当たることになるわけですが、いわゆる簿外債務の引き受けは平成三年の末までに行われておりまして、証取法の改正で損失補てんが禁止されるようになったのは平成四年。平成四年の一月一日以降は行われていなかったのかを確認させていただきたいと思います。
  12. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  平成三年十二月末まで、基本的な話し合い処理は全部終わっていたと思います。ただ、実行といいますか、受け渡し的にはちょっと四年に入ったかもしれませんが、基本的には、全部平成三年十二月末で終了したはずでございます。
  13. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 時間が限られておりますので、重要なことだけ伺っていきたいと思いますが、海外現地子会社が、含み損を抱えた外債を実際よりも高値で引き受けさせた際に、現地子会社にそのような資金力がないので、いわゆる山一証券が実質的に資金を提供する形でやってきたというふうに思うんですけれども、その仕組みで資金の面倒を見ていたのかどうか、事実関係を教えてください。
  14. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  海外でファイナンスといいますか、今先生指摘のことが始まりました前後というのは、もう私は会長になっておりまして、その直前ぐらいか、あるいは直後ぐらいにその端緒みたいなのは始まったように思います。したがいまして、資金の動きとか、どういう形で考えたかということは、ちょっと私の記憶にございません。  ただ、結論的に約一千億円評価損が、つまり、今先生指摘の、簿価よりも時価が安いのに簿価で動かしているということは聞いております。
  15. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 これだけいわゆる多額の顧客の株式取引損失などを引き受けて、簿外債務として、言ってみれば隠ぺいするといいますか、そういうことでありますから、当然、取締役会やあるいは実質的に正式な社内の会議で話し合われ、はっきりとした意思決定がされたのであるかどうか。だれが、この簿外債務のことを知っていて、これらのことに関与していったのか。いつどこで決められたのかも明らかにしていただきたいと思います。
  16. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  取締役会その他、正式な意思決定機関では決定しておりません。  それから、知っていた人間は、大きくは、私と亡くなった故人と、それから直前まで社長でありました三木と、この三人かと思います。その他の人々は、ある意味ではプランナーであり、ある意味では技術者であり、全貌を知っていたのではないというふうに私は理解しております。  お答えしました。
  17. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 いわゆる一般的には山一簿外債務は二千六百億ではとまらないのではないかというふうにも現在言われています。本当にこれ以上今参考人が知っていることはないのか。つまり、山一が今言われている、巷間言われていること以外に、いわゆる隠しているものはないのか。今後、山一証券解散手続にもこれはかかわる話でありまして、これらのことはいずれ監視委員会あるいは司法の手によっても私は明らかにされていくと思いますけれども参考人が今ここで話せる範囲内で、できるだけ明らかにしていただきたいと思います。
  18. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  私が概括的に知っておりますのは、先生今御指摘の二千数百億でございます。あとは私はないと考えております。  ただ、この五年間社長をやっておりませんから、絶対ということは言えませんけれども、私の知っている範囲では、その二千数百億でございます。  お答えします。
  19. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 いわゆる飛ばしを繰り返した結果に、引受先がなくても、山一証券で抱え込んでいる限り、株式含み損として処理しておけばいいことで、どうしてそういう処理ができなかったのか。それは、現物としての株式があるいはなかったからではないかとも私は考えるのです。つまり、架空売買を行っていたのではないかというふうに私も考えてもみるのですけれども、事実関係を明らかにしていただきたいと思います。
  20. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  ただいま御指摘お話は、物がないのに架空売買があり得たんじゃないかという御質問でございますが、これは私はなかったと思います。  ただ、先ほど申し上げたように、簿価時価が離れてしまう、それも若干ならまたいろいろとという手もあるのかもしれませんが、これは離れ過ぎていて、それで山一証券本体で引き取れない、そういう金額時価簿価の乖離であったのではないかというふうに思います。  以上でございます。
  21. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 それでは、参考人は当時その立場にいたので明らかにできると思いますが、九一年当時、帳簿でどのくらいの損失があったのか。そして、その帳簿は実際に保管されていると思いますけれども、もしその帳簿があれば、私はできるだけ早く公にしていただきたいと思います。この九一年当時の帳簿を提出することはできるでしょうか。
  22. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  私は、今度の総会屋への利益供与事件で、八月に会長を辞しまして、それから十一月二十四日に、それまで顧問でございましたが、これも実質解任されたわけでございます。それで、現在、御承知のように、会社清算状態でございますので、ちょっと私、全然会社と正直言ってノータッチでございますが、私の現在の立場ではちょっと指揮命令できませんので、まことに申しわけございませんが、その辺は現執行部にお命じいただければありがたいと思います。  以上でございます。
  23. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 その九一年当時の帳簿はあるんですか。あると思うんですか。あると考えられますか。
  24. 行平次雄

    行平参考人 まことに申しわけありません。九一年当時の帳簿というのは、九一年末とかの財務書類でございましょうか。
  25. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 はっきり申し上げれば、裏帳簿です。一連のことをやってこられたわけですから、そのときの帳簿があるはずです。これはもういずれ明らかになりますよ。  ですから、私は、その当時の責任ある立場にいたわけですから、参考人は、これだけ大きな社会的な問題であり、日本金融業界、世界に対して日本は大変な信用を失墜した、やはり私は非常に大きな責任があると思いますよ。そのときの帳簿がないはずないですから、ぜひその帳簿責任ある立場で私は公にしていただきたいと思います。
  26. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  私は、冒頭申し上げたように、会社をつぶさないため、会社危殆に瀕さないためということで一筋に考えたつもりではございますけれども、結果、こういうことになって、重大な経営責任は感じております。  それから、裏帳簿につきましては、私は、その存在その他全く存じません。
  27. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 これは、これから監視委員会でも当然事情聴取されると思いますし、明らかにされていくと思いますが、責任ある立場でその帳簿があるかないかを会社指示して、可能な限りこれは明らかにしていただきたいと思いますが、その努力をしていただきたいと思いますが、いかがでしょう。
  28. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  ただいまの件につきまして、現在野沢という社長でございますが、社長に十分伝えまして、できるだけその辺調べるように申し伝えます。
  29. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 この帳簿はぜひ明らかにしていただきたいと思いますので、委員長のもとで、この委員会をもって、正式に、参考人それから山一証券にこの帳簿を出すように指示をしていただきたい。委員長お願いをいたします。
  30. 松永光

    松永委員長 これは後で理事会で協議いたします。
  31. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 参考人参議院質疑において、経営破綻直前本人名義で保有していた自社株を売却したかということについて、全面的にこれを否定されましたけれども、間違いがないかどうかを確認させていただきたいと思います。  そして、現在もその株は保有をしているのかどうか。また、もしその株を保有していたとしても、この株を担保してお金を借りたり、大変恐縮でありますが、御自宅資金等にそれを活用されたというような事実はないかどうかを明らかにしてください。
  32. 行平次雄

    行平参考人 私は平成九年三月末の名義で十一万三千株持っております。そして、そのうち九万六千株が手元にございます。それから一万七千株は会社担保に入っております。これは、たしか株を買い増したときに、役員とか社員に融資いたします。それで、役員に融資した役員融資分で、私もたしか十万株にしようと思って買った。それが、一万七千が担保として現在会社にございます。合計十一万三千。そのほか、役員持ち株会として毎月積み立てていたわけですが、それがたしか一二千八百ぐらい、役員持ち株会名義であるのだそうでございます。一株も売っておりません。  それから、自宅の云々にも全然役立てておりません。  以上、お答え申し上げます。
  33. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 時間が参りましたので、まとめの質問をさせていただきますが、参考人はことしの八月に会長を退任しているわけであります。きょうの冒頭にも、一万人に近い社員皆さんに対する参考人の考え方が述べられました。  実は、たまたま私、議員会館秘書事情があってやめることになりまして、いろいろな社会的な状況があるということもありまして、自分も知りたいということもありまして、五校の大学に議員会館秘書募集をいたしました。募集をして掲示をしていただきましたら、その日すぐに応募がありました。全く絵にかいたように、その一人は山一証券に来年就職が決まった女子学生でございました。  新入社員だけではなくて、九千人の社員皆さん、御家族皆さん、大変な思いをされていると思います。船が沈没をしたときには、その船長は自分が命がけで、乗っている乗組員を守るわけであります。私は、人生の先輩にこういう場で聞くのは大変恐縮ではあるかと思いますが、さまざまなそうしたことを、また参考人が述べられたことを考えながら、参考人は御自分の退職金などはまだ支払われていないと思いますが、それらのことを含めて、どのように身を処せられるのかをお伺いさせていただきたいと思います。
  34. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  ただいま伊藤先生の御指摘、本当に胸に痛いほど感ずるわけでございますが、今後、その問題につきましては、自分なりによく考えて、善処したいと考えております。  以上でございます。
  35. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 天下の山一トップリーダーとしてどのような結論を出していくかは、私は、社員皆さんも、誇りを持って山一に働いていた人たちは注目をしていると思います。  今、私たちがこの日本株式市場を振り返りますときに、日本証券業界からさまざまな人たちが、個人株主もいるわけでありますけれども、私は配当利回りを見ましたら、日本はわずかに〇・八五%です。ところが、アメリカは二・三二%、イギリスは四・〇三%です。配当に大きな差があります。  個人株主、実は私の、半年ほど宿をともにしたアメリカの友人がたまたま今日本大使館のナンバーツー、政治部長になっている。ニール・シルバーというのですが、ちょうどたまたま最近ホームパーティーがありまして、そこで三十人ほどアメリカの大使館員が集まっていたわけですけれども、女性の大使館員にまで含めていろいろ聞きますと、ほとんど株を持っているのですね。個人個人がボーナスをもらうと、あるいは給料をもらうと、みんな株を持っている。アメリカのいわゆる個人投資家は四七・数%、約五〇%です。ところが、日本はわずかに二三・六%、しかもその個人株主は、日本の場合にはさらに非常に限られた個人だと思います。  私は、日本証券業界というものは非常に未成熟だ、そしてある意味では、リーダーの人たちがさまざまな努力を怠ってきたのではないかというふうに思います。多くの国民皆さんが大切なお金を投資する、そしてそれによって企業がさまざまな生産活動をする、そして利益が上がれば当然国に税収が上がる、その税収で国民皆さんの福祉や将来に対する投資をする。私は、今日本は大変大事なところに差しかかっていると思います。  責任ある立場で、今参考人は、日本証券業界に対して、御自分の経験を振り返りながら、どう考えているかを端的にお話しいただきたいと思います。
  36. 行平次雄

    行平参考人 結論だけ申し上げます。  やはり資本主義の原点といいますか、株式売買が、例えば孫子の代まで株をやるなとか、そういうことでなくて、例えば中学校、高校時代から株式の教育をやる、そういうような本当の意味の、もちろん日本は資本主義でございますけれども、そういったところから始める必要もあるかというふうに思います。  それで、今度のビッグバンは、私は大変な試練だと思いますが、グローバルスタンダードに通ずる問題として、ぜひ進めていくべき問題であろうかと思う次第でございます。  大変僭越でございました。
  37. 伊藤公介

    伊藤(公)委員 ありがとうございました。
  38. 松永光

    松永委員長 これにて伊藤君の質疑は終了いたしました。  次に、北側一雄君。
  39. 北側一雄

    ○北側委員 新進党の北側一雄でございます。  きょうは御苦労さまでございます。  参議院の方でも質疑がなされておりますので、私もできるだけ具体的な事実関係をお聞きしたいと思っておりますので、ぜひとも率直にお答えを願いたいと思います。  それで、まずお聞きをしたいことは、九一年の証券不祥事の問題がございました。当時も参考人社長でいらっしゃいました。ですから、この証券不祥事のことはよく御記憶であると思いますが、このときは損失補てんというのが大きな問題となりました。  その際、この九一年また九二年当時、大蔵省から、当然この証券不祥事を受けて検査が入っておると思いますが、いかがでしょうか。
  40. 行平次雄

    行平参考人 お答えいたします。  正直のところ、ちょっと覚えておりません、検査が入ったかどうか。
  41. 北側一雄

    ○北側委員 証券不祥事が明らかとなって、損失補てん等の事件が明らかとなって、その後に大蔵省が検査に入ったということはなかったですか。ないわけないでしょう。
  42. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  いや、大蔵検査が入るというのは、これは調べればわかることなので、決して隠しておりませんが、正直、ちょっと、いつ入ったか、まあ、多分入ったかもしれませんし、証券不祥事の後ですから。ちょっとはっきり覚えておりません。
  43. 北側一雄

    ○北側委員 八九年の末に営業特金、先ほども話が出ておりました営業特金が禁止をされました。営業特金が通達で禁止をされました。当時、山一の場合は、営業特金による預かり金、取引先からの預かり金というのはどの程度あったのですか。
  44. 行平次雄

    行平参考人 お答えいたします。  八九年、これは全く、全体の金額合計というのは、当時何百、何千とありましたから、もとも とその当時も正確な把握がなかったと思いますが、八九年末ですと、ちょうど相場が一番高いときですね。ですから、一兆円、兆円台であることは間違いないと思います。例えば二兆円とか、そのぐらいあったんじゃないでしょうか。
  45. 北側一雄

    ○北側委員 私も二兆円だというふうに聞いておるんですね、約二兆円。  それで、九一年、損失補てんで、証券不祥事で大きな社会的問題になりました。この九一年の暮れころですか、九一年の証券不祥事のころ、このころは、この約二兆円の営業特金としてお預かりをしているお金、これはどの程度運用で損失を全体としては生じておりましたか。
  46. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  これは、正直なところ、ちょっと金額的にはわかりません。  ただ、最後ぎりぎり詰めていって、もちろんお客様にいろいろ御無理も言い、引き取っていただいたりしまして、もうほとんどそういうことで進めたわけでございますが、先ほどから申し上げていますように、A、B、C、D、Eと転々として、そのうちいわゆる本籍不明みたいなのが出まして、その後集約して、これはもうしょうがないというのが先般申し上げました額面約二千億円ということでございます。そのときの評価損は、これもちょっと資料がございませんので、五百から一千億近く評価損としてあったと思います。  以上でございます。
  47. 北側一雄

    ○北側委員 参考人、結局、こういう飛ばしをしなければいけなかった。飛ばしをすることによって損失補てんを徐々にしていった。これは、営業特金というものが八九年末に禁止された、そしてこの営業特金について解消していかないといけない、ところが、一方は株価が下がってくる、そういう中で、飛ばしをすることによって損失補てんを徐々に徐々にしながら、損失を減らしながらやっていったわけでしょう。結局残ったものが、九一年末に、参考人おっしゃったように、額面約二千億のものが残ってしまったということなんですね。  ですから、私が申し上げたいのは、この証券不祥事が明らかになった際に、この営業特金による預かり金の運用、ここでも損金が相当生じている。それが、最終的に残ったのが二千億だというお話なんでしょう。そういうことですね。その途中までに飛ばし等の行為によって損失補てんを徐々に徐々に取引先との関係でやっていった、こういうことでしょう。それで二千億簿価としては残ったんだというお話ですね。
  48. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  プロセスとしては、大ざっぱに言いますと、先生指摘のとおりだと思いますが、故人となりました、副会長まで行った人、この人は一括していろいろ取り仕切ってくれておりました。それで、その方は亡くなりましたけれども、この方でもちょっと数字そのものは、時々刻々と変わっていましたから、ちょっと把握不可能だったと思いますが。  以上でございます。
  49. 北側一雄

    ○北側委員 参考人、結局、この九一年の証券不祥事の後、大蔵省から検査が入って、大蔵省は、営業特金の運用による損失というのが全体像として山一でどの程度あるのか、どういう件数があるのか、どの程度あるのか、これは当然大蔵省としては掌握をしているはずなんですよ。この営業特金による運用で損失が残っている分がまだこれぐらいあるぞ、額面二千億ぐらいあるぞということは大蔵省は当時知っておったんじゃないのですか。
  50. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  ただいま先生指摘の点は、大蔵省は知っていたかどうかということでありますけれども、私は、大蔵省は知っていたかどうか、それは先ほどお答え申し上げましたように、これはわかりません。  以上でございます。
  51. 北側一雄

    ○北側委員 時間がないので次の質問に移りますが、それでは、このペーパーカンパニー簿外債務処理するためにペーパーカンパニーを設立したのは平成三年の十月ごろ、これに間違いないですか。
  52. 行平次雄

    行平参考人 正確に聞いておりませんが、十月とか十一月ごろではないかと思います。
  53. 北側一雄

    ○北側委員 結局、国内での簿外債務処理の問題でございますが、この簿外債務処理をするとの判断というのは、要するに、表に出さないで簿外で債務処理をするという判断はだれがしたのか。当時の役員でだれがその判断に関与をしたのか、それを明確におっしゃってください。
  54. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  それは、もちろん何回か幹部会議その他開いたと思いますが、私が社長でございました、もちろん。それで、先ほど申し上げたように、故人となった方が非常に有能で、いろいろ取りまとめをずっとやってくれておりました。それで、最終的にその男が全般含めて私と相談をいたしました。それで、いずれにしてもこれは引き取らざるを得ないなというような相談を受けました。私も、それについては、やむを得ない、それでいきましょう、そういうことを話したわけでございます。  したがって、全体で、どうしよう、こうしよう、困ったなという話は確かにありましたけれども、だれとだれが正式に加わって関与したという感じではなかったと思います。  以上でございます。
  55. 北側一雄

    ○北側委員 簿外で処理するというものは、これは法律違反でしょう。法律違反ですよね。その法律違反の行為をしようというふうに判断をしたとき、当然参考人はそのお一人であると思いますけれども、それ以外にどなたがいらっしゃったのか、だれとだれとはこの判断に関与しておったということをお聞きしておるのです。
  56. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  そういう意味では、先ほど申し上げました故人と、それから事情は、前社長であった三木、この三人であると思います。
  57. 北側一雄

    ○北側委員 これは、飛ばしでA、B、C、D、Eと行ったものを最終的に山一のものとして引き取らざるを得なかった。参議院の方では、つまり一種の借金の形になっておりましたというふうにおっしゃっているのですね。これを時価よりも高い額で山一側が引き取っておるわけでございますが、これは要するに利回り保証もしくは損失補てんですね。
  58. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  今先生がおっしゃったように、ということになると思います。おっしゃるとおりです。  以上でございます。
  59. 北側一雄

    ○北側委員 どういうことですって。明確に言ってください。
  60. 行平次雄

    行平参考人 要するに、時価よりも高い簿価で引き取るわけですから、そういう意味の補てんといいますか、あるいは利回り保証ということですか、そういうことになると思います。
  61. 北側一雄

    ○北側委員 その際、額面約二千億の引き取りをしたということですか。相手先の取引先、何社ぐらいあるのかわかりますか。大体で結構です。
  62. 行平次雄

    行平参考人 これは全く概略で、よく覚えておりませんけれども、例えば十社ぐらいで額面二千億、そういう感じだと思います。
  63. 北側一雄

    ○北側委員 約十社で額面二千億、その十社の名前をおっしゃってください。
  64. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  この御社名については、お取引先の問題もございますし、相手様もあることですので、何とか御勘弁をいただきたいと思います。
  65. 北側一雄

    ○北側委員 参考人、九一年の証券不祥事のときは、損失補てんの相手先は全部出たのですよ、公開されたのですよ。だから、別に、その当時にやっている話ですから、明らかにしても問題ないでしょう。どうぞ十社、名前出してください。
  66. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  これは、正直、私、その一つ一つ細かい社名もはっきり覚えておりませんし、それに、要するに転々流通して、もう借金の形でございますので、山一が悪い、こちらに問題あり、そういうものを 引き取ったわけでございますので、ちょっとはっきり覚えていないという点もあり、また相手様もあることでございますので、何とぞお許しをいただきたいと思います。
  67. 北側一雄

    ○北側委員 いいとか悪いとかいう話をしているわけではなくて、事実関係を明らかにしたいと思っているわけなんですね。あの当時も、損失補てんを受けた企業名は、すべての証券会社、明らかになったわけなんですよ、ある一定金額以上は。ですから、今ここで明らかにしても、何ら私は問題ないと思います。  委員長、この際、この会社名、約十社とおっしゃっていますけれども、利回り保証、損失補てんを受けた十社、これがどこの会社なのかぜひ明らかにしていただくようこの委員会として求めていただきたいと思います。
  68. 松永光

    松永委員長 もう一回、では答えてください。
  69. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  それは、本当にはっきり記憶しておりませんから、現執行部に御要求いただけませんでしょうか。(北側委員「当時の社長はあなたですよ」と呼ぶ)ええ、私ですけれども、実際、全部覚えていないのです。申しわけありません。
  70. 北側一雄

    ○北側委員 これは委員会として、ぜひ参考人もしくは山一証券に対して、この会社名を明らかにするよう要求をしていただきたいと思います。委員長の御判断お願いします。
  71. 松永光

    松永委員長 これは理事会で協議をせなならぬと思うけれども理事会で協議します。
  72. 北側一雄

    ○北側委員 それで、参考人は、この損失について、国内の簿外債務処理損失について、一千億あるいは五百億とか、非常にあいまいなお話を、一千億と五百億ではえらい違うのですけれども、これは参考人参議院での質疑から少したちましたのでまたお調べになったと思いますけれども、額面約二千億、この損失はどの程度あったのですか。
  73. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  額面二千億のうちどうかというのは、例えばワラントとか、あるいは値がはっきりしない、要するに公開市場で値段がついていないものもあると思いますので、それで、そのとき本当に幾らになるのかということについて、五百ないし一千億と申し上げたわけで、これはもう調べれば、当時の時価をはっきり調べればわかると思います。  それで、先ほど時間が、確かに時間がたちましたけれども、家にそういう資料もありませんし、それから、会社ともさっき申し上げたように切れていますので、ちょっとその辺は調べておりません。申しわけありません。
  74. 北側一雄

    ○北側委員 これは、国内での簿外債務処理、五社のペーパーカンパニーで一千五百八十三億ですか、現在なっておるということですね。一千五百八十三億の簿外債務処理、このペーパーカンパニー五社を通じてやっておる。五百億から一千億というと、この一千五百八十三億と大分数字が違うわけでございますが、どうしてこういう数字が違うのでしょうか。
  75. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  五百ないし一千、確かに数字は、では今何で一五八三なんだと。これは当然時価だと思いますが、その当時は本当に幾らだったかしっかり覚えていないわけでございまして、大変申しわけないと思います。
  76. 北側一雄

    ○北側委員 参考人は、ついこの間まで代表取締役会長でおられたわけです。本当にこの十年間ぐらい、社長ないし会長として山一のリーダーであったわけで、今のようなお答えというのは非常に不誠実なお答えだと私は言わざるを得ないと思います。  海外での現地法人を利用しての簿外債務処理の問題でございますが、これが約一千億余りあるわけですね。このような海外の現地法人を使った簿外債務処理をすることについて、そういう判断をなされたのは、先ほどと同じようなお答えでよろしいですか。参考人自身と、亡くなられた故人役員の方と、そして前の社長さんですか、この三名でよろしいでしょうか。
  77. 行平次雄

    行平参考人 済みません。ちょっと初めのところ、申しわけありません、聞き漏らしました。海外でございますね。(北側委員山一オーストラリア」と呼ぶ)山一オーストラリアの件は、私はちょっと聞いておりませんでした。  ただ、要するに、債券本部というのがございまして、そこで為替その他、いろいろ当時は自由でございましたから、取引をやっていたわけです。それで為替損が出た。ただ、それはいろいろ為替運用の結果、またいろいろな運用でカバーしょうということでずっと推移してきていて、それで私が会長に引く以前ぐらいに海外に少し出た、こういうふうに聞いております。ですから、その当時から今の規模で動いたということではございません。
  78. 北側一雄

    ○北側委員 ですから、山一本体の為替損等の運用の失敗ですね。損失海外山一オーストラリアという現地法人を使って簿外債務処理していくというふうにしてもいいという判断は、やはり参考人がなされたということですか。
  79. 行平次雄

    行平参考人 先ほどの国内のペーパーカンパニーにつきましては、確かに私も聞いて、了承いたしました。  ただ、海外の分は、まだ少額でございましたでしょうから、はっきり申し入れがあって、そうかという状況ではございませんでした。これは全く、そういった正直なところであります。ただ、私の時代に端緒は始まったということだと思います。
  80. 北側一雄

    ○北側委員 じゃ、どなたが判断をしたのでしょうか。
  81. 行平次雄

    行平参考人 それは、運用を担当していた役員が基本的には判断したと思います。
  82. 北側一雄

    ○北側委員 いや、よくわからないですね。  そうしたら、オーストラリア山一以外にも、簿外債務処理に使っている海外の現地法人はほかにもあるのではないんですか。これだけですか。
  83. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  私の知っている範囲では、オーストラリアだけでございます。参議院ではケイマンとか出ましたけれども、ちょっと私、記憶にございません。
  84. 北側一雄

    ○北側委員 平成三年の暮れに、国内の方の場合でいいです、簿外債務処理を、五つの孫会社ペーパーカンパニーを使って簿外処理をしたわけですね。当時は、もしかしたらまた株が上がるかもしれないな、債券が上がるかもしれないな、そうしたら、収益が出たら補てんをしていこうというふうに多分お考えであったのでしょう。  ただ、その平成三年からもう六年間たっているわけですね。経済情勢はもうどんどん落ち込んでいっている。そういう経済情勢です。この巨額の損失からして、これはもう利益で償却なんかできない、取り返しなんかはできないという判断をせられた時期があったと思うのです。そうでしょう。  まさか、今でも、債券、株式が高くなって、その売却益で取り返せるなんていう判断はお持ちでないと思います。どこかの時期で、巨額なお金ですから、損失ですから、これはどこかの時期で、取り返せないというふうに判断した時期があったと思いますけれども、どうですか。
  85. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  先ほど議員御指摘のように、平成三年当時は、まだ右肩上がり、日本経済はすぐ回復する、そういう考えでございました。  その後、手前ども社員もよく頑張ってくれましたけれども、私どもトップのリードも悪かったか、いずれにしても、なかなか経営成績が上がらなかった。それで、私としては、気持ちの上では、この一年ないし二年、極めて厳しいな、無理だなという感じは持っておりました。  それから、特に、いわゆる格付会社が出まして、いろいろな企業の見方が一変したわけでございます。特に去年あたりからそれが厳しくなった。直接一番大きな契機はそういうことであったかと思います。  以上でございます。
  86. 北側一雄

    ○北側委員 では、参考人、これはもう厳しいな と思った時点で、当然当局にきちんと事実を報告するのは当たり前の話でして、一部の人間はその事実を知っているわけなんですから、それをすぐに当局にきちんと報告するのは、私は、そういう証券会社のリーダーとして当然の義務であると思うんですね。市場の仲介者としてもう当然の義務だと思うんですが、つい最近を除いて、これまで当局には、この簿外債務処理の問題について、報告もしくは相談したことはなかったんですか。
  87. 行平次雄

    行平参考人 お答えいたします。  ございませんでした。
  88. 北側一雄

    ○北側委員 では最後に、総会屋利益供与事件について少しお聞きいたしますが、小池隆一被告は御存じでしたか。三十万株も山一証券の株を保有しているわけですから、当時の社長のあなたが知らないというのは考えられません。当然、小池隆一被告というのは御存じだったと思いますし、面識があったと思いますが、いかがですか。
  89. 行平次雄

    行平参考人 お答えいたします。  その当時、小池という者が三十万株買いましたということは報告を受けました。それから、面識はございません。
  90. 北側一雄

    ○北側委員 利益供与を会社がしていたということもお知りにならなかったとおっしゃるわけですか。
  91. 行平次雄

    行平参考人 利益供与をしていたという事実は知りませんでした。
  92. 北側一雄

    ○北側委員 最後に、もう一度簿外債務処理の問題についてお聞きしますが、この簿外債務処理の全容について知らなくても、国内分も国外分も含めて、社内でかかわっていた部局というのがあるはずです。でなきゃできませんから、処理が。このような簿外債務処理についてかかわっていた社内の部局はどこか、挙げてください。
  93. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  一つは、企画室に関連会社を担当する部局がございますから、それが一つだと思います。  それから海外の方は、債券その他の運用に関する事項でございますので、債券本部ということになると思います。  以上でございます。
  94. 北側一雄

    ○北側委員 九一年、平成三年当時、参議院でもおっしゃっているんですけれども、不良資産を出してしまうと会社が存続し得ないというふうにおっしゃっています。そのように判断した理由は一体何だったんですか。
  95. 行平次雄

    行平参考人 新法も施行されることですし、一応全部決着がついたはずなのに大きな金額が出てくるということは、もちろんうちは個人営業もよく頑張ってくれましたけれども、やはり法人山一とも言われておりまして、法人に与える影響は非常に大きい、信用は低下するという非常に経営上の危機感からでございます。  以上でございます。
  96. 北側一雄

    ○北側委員 今回の山一の破綻の問題は、山一の破綻そのものについて私たちがどうこうというふうに言っているわけじゃございません。それよりも、一つは、この飛ばしも含めた、飛ばしによる巨額の簿外債務処理をしていたという事実、そしてまた総会屋に巨額の利益供与をしていた、こういう不正に対して私どもは怒りを持っているわけでございます。私は、やはりその当時からの一貫した中心者であった、会社トップリーダーであったあなたの責任というのは極めて重いと言わざるを得ません。  最後にもう一度、あなたの責任をどうとっていくのか明らかにしていただいて、私の質疑を終わりたいと思います。
  97. 行平次雄

    行平参考人 繰り返しで申しわけありませんが、私なりにしっかり考えていきたいと思っております。よろしくお願いします。
  98. 松永光

    松永委員長 これにて北側君の質疑は終了いたしました。  次に、五島正規君。
  99. 五島正規

    ○五島委員 民主党の五島でございます。  行平参考人には御苦労さまでございます。  大変国民が不安のどん底と言ってもいい状況の一つの突破口をおつくりになった事件でございますので、失礼でございますが、お聞きしていきたいことがたくさんございます。  まず、今回問題になっておりますいわゆる簿外債務の発生状況からお伺いしたいと思います。  八九年の損失補てんの禁止、営業特全廃止通達以後、九〇年、九一年、いわゆる損失補てんが表面化して、大きな証券スキャンダルになりました。今回問題になっておりますこの簿外債務というのは、その当時山一証券が行ってきたいわゆる損失補てんを全面的に明らかにせずに結局隠された、そういうふうなものが転がってきている分というのはかなりあるのではないかということも言われているわけでございます。  まずその点、一体そもそもどういうふうなところから、こうした簿外債務処理しなければいけないようなものが発生したのか、それが転がっていく過程の中でふえてきたのかということについてお伺いしたいと思います。
  100. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  先ほどお話出ましたけれども、一兆五千億とか二兆円とか、大きな営業特金がございました。先ほど御指摘のように、一任勘定の特金はだめだよという話になって、それをずっと外していかなきゃいかぬ。つまり、縮めてやっていかなきゃいかぬ。そういう過程のところへ、相場が下がってきたということで、結局、先ほどからお話に出た飛ばし、A、BがAに戻らなくて、A、B、C、D、Eというような形の部分がかなりふえてきたわけでございます。  それで、大部分はお客様に御説明して、御納得いただいたと思いますけれども、ずっとそういうふうにA、B、C、D、Eと転がした分が結局山一のものじゃないかということで、うちは懐を貸しただけだという格好になって、それで、どうしようもない、新法施行だというので、先ほど御説明した格好に、つまり十二月末に埋め込んだ、そういうことでございます。  それから、海外の方は、初め、為替損、これは湾岸戦争前後を契機として為替損が出た。ただ、この為替損は、売り建てとか買い建てとかいろいろあるという話で、それで何とか取り戻そうとやったのですが、なかなかうまくいかない。それから為替が動かなくなって、それを取り返すためにディーリングその他も一生懸命やった。ところが、なかなかうまくいかない。それで、先ほど申し上げたように、平成四年ごろに何か海外に一部逃避が始まった。そういうことだと思います。  以上の説明でよろしゅうございましょうか。
  101. 五島正規

    ○五島委員 九一年当時の損失補てんリストでは、山一は、株式を使った補てんは全くないというふうなお話でございました。しかし、その当時から、山一損失補てんリストについては疑問の声が数多くございましたし、各新聞でもかなりこのことについて書かれたということは記憶にあるところでございます。  そういう意味において、今回発覚した飛ばしというのが、当時のリストで山一が明らかにしなかった補てん分が含まれているのではないのかということ。その中には、取引先への利回り保証やあるいは損失補てんというものがその後も入っていったのではないか。  また、オーストラリアの現地法人を使った一千六十五億円ですか、この欠損でございますが、これも、新聞によりますと、七割までは山一自身のいわゆるディーリング損ということであるようですが、しかし、三割までは外債取引に失敗した顧客の損失を補てんしたものではないかというふうに書かれているわけでございますが、その点については、いかがなんでしょうか。
  102. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  海外七割、三割というのは、私は詳しく存じません。それは最近の数字でございまして、決して逃げるわけじゃなくて、会長の仕事というのは、現業面というよりも、業界とかあるいはいろいろなところのあいさつ回りとか、そういうところが主軸でございますので、直近のそういった動きはわかりかねるところでございます。  以上でございます。
  103. 五島正規

    ○五島委員 さきに質問いたしました、九一年当時、株式を使った補てんというのは全くなかったとあの当時はお答えになったのですが、それはどうだったんですか。
  104. 行平次雄

    行平参考人 正直言って、大分前のことなのではっきり覚えていませんが、新株をそこへ持っていくような補てん行為がなかった、そういう意味ではないかと思うんですが。  たしか、そのとき、よろしゅうございますか、有価証券報告書を見るとないぞという御質問があったように思います。それで、これは、たしか新株を使った補てんがなかったというふうに私は今考えますと理解するのでございますが。ちょっとこの辺ははっきりしておりません。
  105. 五島正規

    ○五島委員 当時、非常に大きな問題になって、そして、四大証券の中で他の三つの証券会社役員の交代がございまして、そうした中で、山一証券はそういうことにならずに、結果においてあなたが証券取引所の理事長に就任というふうなこともございました。それだけにその当時の状況というのはよく覚えておられると思うわけですが、この時点において、山一損失補てんリストというのは非常に隠されているのではないか、正直には報告されなかったのではないかということがうわさされました。  結局、そこのところで隠ぺいした部分がそもそも今回の飛ばしをしていかざるを得なかったようなものの出発点になっているのではないかというふうにも疑われるわけでございますが、その点いかがですか。
  106. 行平次雄

    行平参考人 その当時、隠ぺいということではなくて、精いっぱい出したと思いますが、今先生指摘のところは、まだ補てん的な動きはなかったのじゃないかと思います。
  107. 五島正規

    ○五島委員 それで、飛ばしの実態に入っていきたいと思うのですが、飛ばしという方法をおとりになるわけですが、もちろんその前からあるわけですけれども、九二年の四月あるいはその前の九二年の二月に、大蔵省の方からも、飛ばし問題について通達やあるいは各証券会社に対する指示が出ています。九二年の二月には、当時の松野証券局長から、この飛ばし問題について、これの実態解明のための調査というものが指示が出ておりますし、証券会社自身に対してもこの解明の要求が出されたというふうに報じられております。また、九二年の四月にもこの飛ばし問題について、これは当時大和証券の問題で大きな問題になったわけですが、飛ばしの実態をいわゆる有価証券報告書の中で明らかにする、ディスクローズの徹底というものの通達が出ているわけでございますが、山一さんの場合は、その状況の中において、さまざまな方法で子会社に転嫁する形の飛ばしを本格的にやられるわけでございます。  そういうふうなものの一つとして、先ほども質問がございましたけれども山一オーストラリアだけでなくて、海外に幾つかのべーパーカンパニーをおつくりになったのではないか。おつくりになって、そこで処理をしてきたといったような報道もあるわけでございます。  先ほど、この点については非常にあいまいなお答えでございましたが、ケイマンあるいはロンドン、オーストラリアというところに簿外処理のためのペーパーカンパニーをおつくりになったことはございますか。中身、どういうあれがあったかは別として、おつくりになったという事実は記憶にございますか。
  108. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  正直、私は、シドニーに行っているというのは聞きましたけれども海外ペーパーカンパニー、こういったもの、こういったものということは具体的には聞いておりません。  以上でございます。
  109. 五島正規

    ○五島委員 知らないということは、もし、ケイマンにぺーパーカンパニーがつくられ、そしてロンドンやあるいはオランダでそうしたペーパーカンパニーがつくられて、そこで簿外処理処理をしてきたということになりますと、言いかえれば、山一総体として、社長会長が知らない中で、そういう企業の、非常にある意味では世間に知られては困る、まして大蔵省に知られては困る重要な機密行為が部下の手によってつくられているということになるわけですが、そういうものと考えていいわけですか。
  110. 行平次雄

    行平参考人 その海外ペーパーカンパニーの件は、正直、私、先ほどお答えしたとおりでございますが、この数年間会長でございましたので、その間、例えば今御指摘のロンドンとかそういったところを使った動きはあるいはあったかもしれませんが、ちょっと私現在お答えできる状況にございません。
  111. 五島正規

    ○五島委員 さらにもう一つ、もとへ戻ってお伺いしますが、簿外債務の中には山一自身の自己勘定取引で生じた含み損も含めているわけですね。
  112. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  含まっていると思います。含まってます。
  113. 五島正規

    ○五島委員 こうした大きな損失部分を簿外処理して、そして粉飾してきたと。なぜ、明らかになればそのこと自身の方がはるかに大きなそういう社会に対する被害を与えていく、企業の存続にとっても極めて危険なそういう処理をしてきたのかということが当然の疑問になるわけでございますが、こういう飛ばし、簿外債務をしなければならなかった最大の理由は何だとお考えですか。
  114. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  ちょっと繰り返しになりますけれども、支店、法人それから国際営業と、大体営業面というのは三つに分かれておりまして、それぞれ頑張ってくれておりましたけれども山一証券、長年の伝統がございまして、それで特に法人の幹事が多い。こういうことで、その遺産で法人さんからの収入は多かったという実情は確かでございます。  そういったところに大きな損を出して、会社がつぶれるんではないかと、四社の一角から脱落して信用を失い、脱落するんではないかという最終判断をいたしまして、そういうふうにいたしました。大変、その結果において、もちろん判断も甘かったわけですが、重大な責任を感じております。申しわけございません。
  115. 五島正規

    ○五島委員 損失が大きくなって顧客の信用を失い、そして企業経営が危うくなる心配があったということでされたということですが、同時に、このような処理をしたことがどこかではいずればれるわけですから、ばれたときには、今回のように、全く企業として存続できなくなるということもわかったはずです。もしこの債務が仮にディスクローズされたとしても、そのことによって一定顧客の減少があったとしても、処理できる範囲であるならば、常識的に考えて、こういうふうな処理はしないんじゃないかと思われるわけです。  むしろ、こういうふうなことまでやられたということは、実質的な債務超過状態に既に山一証券はなっておられたんじゃないか。債務超過状態になっていたために、こういう処理をされたんじゃないか。言いかえれば、今日廃業のあれをされたわけですが、実質的にはもう債務超過の状態にあるんではないか、そういう疑いをまず持つわけでございますが、その点についてはいかがですか。
  116. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  平成三年当時は、債務超過ということは絶対ございませんでした。
  117. 五島正規

    ○五島委員 この問題はさらにいろいろな形で明らかになっていくと思います。  もう二つばかり質問させていただきますが、一つは、行平参考人、あなたは、社長会長を含めまして非常に長い間山一証券の取締役として仕事をしてこられたわけですが、退職金はまだ出てないんですか。山一証券の場合、役員の退職規程というのはどのようになっているか、お伝えください。
  118. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  まず私自身に関して申し上げますと、一度ロンドンの現法の会長に出るときに、当時専務でございまして、それで退職するときに、正式に一度出ましたので、退職慰労金をちょうだいしております。それから、もちろん現在いただいておりません。  それから、会社役員の退職慰労金規程というのは、取締役会で決めまして、ちょっと細かい数字は忘れましたけれども、毎月の月給に幾らかを乗じて、それに何年役員をやっていたか、そういう掛け方をたしかしたと思います。  以上でございます。
  119. 五島正規

    ○五島委員 もう少し金額もお聞きしたいところですが、時間がありませんので、最後に一つだけ聞かせていただきます。  この過程の中で大蔵省のさまざまな調査や監査、このような飛ばしの方法でもって、山一証券大蔵省に報告するまで大蔵省はチェックできなかったということになっているわけでございますが、実際上、そういうことはあり得るのかどうか。もしそういうふうにあり得るとしたら、恐らく、大蔵省の監査を避けるためにいろいろなつぼがあるのだろう。一体、どういうところが大蔵省の監査で甘いからこういうふうなことでできたのか、その点ひとつお答えいただきまして、質問を終わりたいと思います。
  120. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  これはちょっと私もわかりかねます、正直。もうまことに、まことに申しわけありません。
  121. 五島正規

    ○五島委員 終わります。
  122. 松永光

    松永委員長 これにて五島君の質疑は終了いたしました。  次に、木島日出夫君。
  123. 木島日出夫

    ○木島委員 日本共産党の木島日出夫でございます。  あなたは、十一月二十七日の参議院予算委員会におきまして、自分責任をどうするのか問われまして、留保するとおっしゃいましたが、山一証券が一九六五年、昭和四十年に経営破綻を来して、日銀特融を受けて会社の再建を図ったそのときに、当時の会社役員が個人資産を会社のために提供して責任をとったということを、入社十一年目であったあなたは当然知っていますね。
  124. 行平次雄

    行平参考人 私財を提供されたということは聞いております。
  125. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたは、ことし二月、世田谷区下馬四丁目の百九十二・八〇平方メートルの土地を買い受け、木造鉄筋コンクリートづくりの三階建ての住宅をこの九月二十五日に新築、完成させておりますが、事実でございますか。
  126. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  事実でございます。
  127. 木島日出夫

    ○木島委員 登記簿謄本を見ますと、抵当権が全くついておりません。全く借金なしで取得したのでしょうか。土地建物の取得に大体幾らかかったのでしょうか。
  128. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  総額で一億九千万ぐらいではないでしょうか。
  129. 木島日出夫

    ○木島委員 山一証券でともに働いていると千五百人の職員のことを考えますと、廃業届け出の二カ月前に、その原因をつくった当時の最高責任者が住宅を新築しているというのは、到底納得できるものではないのではないかと私は思うのですが、あなたはどう考えますか。
  130. 行平次雄

    行平参考人 お答えを申し上げます。  実は、子供と二世帯で住もうということで前から話が家内であったようです。それで、私は吉祥寺に家を持っておりました。それで、大半はその売却代金で賄っております。それからあと、子供の方も若干出した。それから、御承知のように、二十年か十年か以上の家内というのは、連れ添った配偶者は一五%ですか、何%か持てるわけですが、そういった格好で、私が出しました金額は、その家売却、それから……(木島委員「簡潔に」と呼ぶ)はい。ただ、間違ったらいけませんので。大体一億二、三千万だと思います、家の売却代金を入れまして。
  131. 木島日出夫

    ○木島委員 時間がないから、次に移ります。  あなたは、一九九一年、平成三年でありますが、七月二十九日、四大証券会社がそろって九〇年三月期の損失補てんリストを公表したとき、山一証券代表取締社長として、東京証券取引所でマスコミに対して、損失補てんリストの内容説明を行っております。あなたにとって、生涯忘れることの絶対できない出来事だったと思いますが、覚えていますね。九一年七月二十九日、覚えていますね。
  132. 行平次雄

    行平参考人 はい。
  133. 木島日出夫

    ○木島委員 公表された損失補てん総額は、四大証券の中でも山一証券が最も大きく、四百五十六億二千百万円でございました。  実は、その当時既に、公表できない簿外債務があったということでございますね。金額は、先ほどの御答弁によりますと、平成三年末までにいろいろ詰めていって額面二千億円ぐらいだ、評価損が一千億円ぐらいだったということをあなたは述べております。また、あとは、本当に幾らだったかは定かではないとも言っておりますが、まあ四けたに上る簿外債務があったということは事実なんですね。
  134. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  七月に発表したとき、そういった金額でございますが、その当時まだ簿外になっておりませんから、お客の間を転々流通しておったわけでございますから、当時まだ簿外債務には形式的になっておりません。
  135. 木島日出夫

    ○木島委員 それなら、一九九一年、平成三年でありますが、六月二十八日に、あなたは山一証券代表取締社長として、有価証券報告書を作成し、大蔵大臣に提出しております。これには、今ここで問題になっている簿外債務ですか、これは全く記載がない。それは間違いないですね。
  136. 行平次雄

    行平参考人 それは、簿外債務は載ってないと思います。
  137. 木島日出夫

    ○木島委員 そういう債務を載せなかったことは、正しい報告ではない、虚偽の報告になるという認識は当然持っておりましたね。
  138. 行平次雄

    行平参考人 有価証券報告書というのは、もちろん大事なものですけれども、実際経理その他の実務でやりますので、細かい、有価証券報告書云々と、おまえどうだと言われても、そこまでは認識がないですし……一木島委員「そんなこと聞いてないですよ」と呼ぶ)いや、要するに、結論としては、そのとき簿外債務有価証券報告書には載っておりません。
  139. 木島日出夫

    ○木島委員 載っていないということを認識して提出したとお伺いいたします。  あなたは、翌年一九九二年、平成四年でありますが、六月以降は代表取締役会長になり、三木淳夫さんが取締役社長に就任するわけでありますが、引き続き、簿外債務を記載しない有価証券報告書が作成、提出され続けてきたわけでありますが、このことに対して、代表取締役会長であったあなたに対しても当然三木社長から相談はあったわけですね。
  140. 行平次雄

    行平参考人 これは、社長以下で実務は取り仕切りますので、毎回はございません、その都度は。  以上です。
  141. 木島日出夫

    ○木島委員 何回あったのですか。
  142. 行平次雄

    行平参考人 そういう意味では、一回もございません、会長になってからは。
  143. 木島日出夫

    ○木島委員 全く信じられないことですね。代表権を持った会長でしょう。有価証券報告書にも、株主総会の下に会長という名前が、会長と書いてありますよ、会長社長と。そんなこと、全く信じられないですね。  時間が来ますから、次の質問に移ります。  あなたは、資金株式の現物がなくても株を買ったり売ったりすることができるという仕組み、証券業界では空買い、空売りと言っているようでありますが、こういう信用取引制度があることは当然知っていますね。
  144. 行平次雄

    行平参考人 知っております。
  145. 木島日出夫

    ○木島委員 信用取引のやり方の一つに、証券金融会社から資金や株を借りて六カ月以内に決済する貸借取引制度というのがあるわけでありますが、当然あなたは知っていますね。
  146. 行平次雄

    行平参考人 知っております。
  147. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたは、ことしになってから、あなた名義かあるいは他人名義かで山一証券株について空売りを建て、後に買い戻し決済をしたとい う、そういう事実はありませんか。
  148. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  絶対にありません。  それで、むしろ私は、この際、しかるべく御当局で徹底的に全部御調査をいただきたい、そういうふうに考えております。
  149. 木島日出夫

    ○木島委員 否定されますので、最後に一点、次の質問をします。  九一年に公表された損失補てんリストの上位三社は、阪和興業にかかわるジェー・シー・パール、二番手が学習研究社、三番手が山一ファイナンスでございました。今、簿外債務の存否をめぐって学習研究社とは係争中とのことでありますが、ほかに係争中のところはあるんですか。係争金額は幾らになりますか。
  150. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  会長をやめる直前に、ホテルニューオータニさんとという話は聞いたことございます。(木島委員「総額幾らになるんですか、全部で」と呼ぶ)ちょっと細かい話は聞いておりません。
  151. 木島日出夫

    ○木島委員 最後に、時間になりますから終わりますけれども、今問題になっている損失補てん、あなたの数字ですと二千六百四十八億円ということですが、せめて上位三社の名前と金額ぐらい言ってください。それで終わります。
  152. 行平次雄

    行平参考人 先ほど申し上げたように、ひとつ現執行部の方で、これはもう必ず出るはずでございますから、よろしくお願いしたいと思います。
  153. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたが責任者のときにつくり出した問題を現執行部のせいにするというのは、本当に私は許せないと思うのです。  改めて、この名簿を予算委員会に提出することを私からも求めて、質問を終わります。
  154. 松永光

    松永委員長 先ほどと同じように、理事会で協議いたします。  これにて木島君の質疑は終了いたしました。  次に、上原康助君。
  155. 上原康助

    ○上原委員 社民党の上原です。  先ほどからの参考人の答弁を聞いて、また私は参議院におけるあなたの御答弁も会議録を読ましていただいたんだが、肝心のことにはお答えになりませんね。本当に責任をお感じになっているかどうか、大変疑問を持っているということを冒頭申し上げて、まず、山一証券会社の人事体制についてお尋ねします。  企業は人なりとよく言われます。参考人経営トップであった時期に行ったいわゆる側近経営による人材の流出が今回の破綻に結びついたのではないかという声が強いですね、ちまたでは。創業百年にもなる名門企業のトップであった者として、この事態をどう見ておられるのか、あなたが本当に公平で公正な人事をやって企業経営をしてきたのか、良心に基づいてお答えを願いたいと思います。
  156. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  社長時代と会長時代で違いますが、社長時代には、ただいまお言葉を返すようですけれども、本当に公平にやったつもりでございます。ただ、例えば社外に出なきゃいかぬ人とか、それぞれ不満もあったかと思いますけれども山一全体の効率を上げるための一点で人事をやったつもりでございます。
  157. 上原康助

    ○上原委員 植谷元社長あるいは元相談役、その方は、あなたの人事行政について注文をつけたり、あるいはいろいろ拒否したという事例はなかったですか。
  158. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  私の方から一、二、相談申し上げたことはあると思いますけれども、植谷さんの方からああしろ、こうしろということは、私に関しては一切ありませんでした。
  159. 上原康助

    ○上原委員 それも実際の経過とは違うような気がいたします。  次に、顧客資産の返却状況がどうだったのか。企業トップであった者として、当然顧客のことが一番御心配になる面があると思うのですね。その意味で、いろいろ情報を集めたり、そして顧客に対して返却状況はどうであるのか、今後どのようにして返却していこうとするのか。役職をやめたとはいえ、責任は重大だと思うのですね。この点については、今どういう努力をしておられるのですか、あなた御自身
  160. 行平次雄

    行平参考人 今御質問でございますが、山一証券の全国営業部店でお客様と接触しながら御返却申し上げている段階でございます。  それで、これは決して逃げるわけじゃなくて、私は、今はもう指揮命令できる関係にございませんので、ちょっと現在の状況は把握しておりませんが、半分弱ぐらいに、営業資産、今までお預かりしていたものがなったのではないかというふうに聞いております。
  161. 上原康助

    ○上原委員 指揮命令する立場にないとはいえ、あなたが社長会長時代に起きた事件なんですね、これはすべて。  次に移ります。  九一年の証券不祥事の当時社長であった参考人は、損失補てん行為、いわゆる飛ばしは違法であるということは身にしみて知っているはずだった。なぜそのような行為を繰り返すことになってしまったのか。八八年にあなたが社長に御就任なさるときに若干の飛ばしはあったということは、あなたは証言しておられる。なぜこういう事態になったのか。経営に対する甘さがあったのじゃないのか。それが問題なんですね。その点、いかがですか。
  162. 行平次雄

    行平参考人 ただいま御指摘のように、私が社長になりましたとき、既にA、B、Cというような、まだ相場は上がり調子ではありましたけれども、もう既にそういう状況があるのではないかということも若干耳にしておりましたので、すぐ当時副社長であった人に委員会をつくってもらって、全体像のできるだけの把握をやるべく努力いたしました。  ただ、今先生指摘のように、結果論として、要するにおまえのところは経営が甘かったと言われれば、これは一言もございません。それから、結局そこに相場の暴落が、これは各社とも同じでございますから、この点は一言の弁解もできないと思っております。
  163. 上原康助

    ○上原委員 時間がありませんので、今の御答弁も若干疑問がありますが、次に、先ほど来ありますように、最近といいますか、銀行証券会社等で大蔵省を担当するセクションがあることは御存じですね、言われているMOF担。山一証券の場合もこのMOF担は、配置というか、おられたと思うのですが、おったならば、何人でどういう具体的なお仕事をしておったのか。  さらに、参考人自身は、先ほど、大蔵省とはそうつき合いはなかったというようなことをおっしゃっておりましたが、実際にどの程度、いろいろこういう経営状況とかあるいは飛ばしの状況とか、まあ飛ばしとは言わぬでしょうが、報告しておったのか、もう少し簡潔にお答えください。
  164. 行平次雄

    行平参考人 まず、MOF担の状況ですけれども、手前どもに企画室という組織がございます。それで、企画室長を中心に二、三名の者が、事務処理も含め、それから、上の方に問題点の相談といいますか、も含めながら、出入りさせていただいているわけです。それで、長い歴史があると思いますが、私も若いとき、七、八年、全く新兵のときに出入りさせていただきました。  そういうことで、ただ、この数年間は、特に証券不祥事以来、いわゆる、よく言われているような癒着的な関係は私は一切なかったと思います。  以上でございます。
  165. 上原康助

    ○上原委員 これも次第にまた明らかになっていくでしょう。  最後に、先ほど来、退職慰労金の件のお尋ねがございました。改めてお尋ねしますが、同時に、ロンドンの総支店長に配属がえになるときに、一時の退職金をもらったとあなたはおっしゃっている。そのもらった額は幾らなのか。額については一切触れませんね。  本当にこの事態をあなたが責任をお感じになるというのであれば、先ほど御答弁のあった、私財の問題を含めて、私財をなげうって責任を明確に するということが、なぜこの期においても、あなた、言えないんですか、この場で。一万人の社員皆さん家族を含めた数万名のこれからの生活設計ということを考えられ、あるいは仕事ということを考えるならば、もう少し責任の所在というのは明確にしてしかるべきじゃないですか。これだけ山一証券に君臨をしたあなたがへ退職手当、私財をなげうってこの事態を少しでも改善していく、解決していくというあなたの決断を伺いたい、私は。
  166. 行平次雄

    行平参考人 お答え申し上げます。  今回は、もちろん退職慰労金は、当たり前のことでありますが、出ておりません。前回は数千万円であったと思います。  以上でございます。
  167. 上原康助

    ○上原委員 ですから、私財をなげうって責任をとる御決意があるかどうかを明らかにしていただきたいと思います。  それと、委員長に、行平社長が一九八八年に社長になって以降の山一の役職員の退職手当等について資料を出すように、ぜひお願いをしたいと思います。
  168. 松永光

    松永委員長 その点は理事会で協議いたしますが、行平参考人、答えてください。
  169. 行平次雄

    行平参考人 これは、繰り返しで申しわけありませんが、よく考えて、私なりに結論を出したいと思います。これでお許しいただきたいと思います。
  170. 上原康助

    ○上原委員 委員長、先ほどの資料の件については、ぜひお取り計らいお願いします。
  171. 松永光

    松永委員長 はい。
  172. 上原康助

    ○上原委員 終わります。
  173. 松永光

    松永委員長 これにて上原君の質疑は終了いたしました。  次に、岩國哲人君。
  174. 岩國哲人

    ○岩國委員 太陽党を代表して、行平参考人質問させていただきます。  私は、昭和三十四年、一九五九年に大学を卒業し、日興証券に入社いたしました。海外を含め、経済を見る知識と経験を得させていただいたことを今でも感謝しております。  現在では業界の地位は変わっておりますけれども、当時は、東の山一、日興、西の野村、大和と言われ、業界全体の地位では、行平参考人山一証券をトップにし、山一、日興、野村、大和、当時の業界ランキングはこうだったと思います。当時の業界のトップ会社であり、また、いわゆる商業銀行とは違って、最も証券会社的な特徴を有して活躍しておられた山一証券を、私は今でもよく覚えております。  それは、当時よく対比されたのは、イギリスのクリアリングバンクに対するマーチャントバンク、フランスのバンクデポに対するバンクダフエール、それらに近い存在を目指され、そして遠い視野には、アメリカのコマーシャルバンクに対抗するインベストメントバンクを志向しておられて、そして、行平参考人はそのリーダーの一人であったということも記憶しております。  時には、私たち山一証券と競争し、そしてモルガン、メリル・リンチ時代には協調もいたしました。そして、東京証券取引所を外国に開放しようというときには、私はメリル・リンチの代表として、山一証券グループと交渉させていただき、紆余曲折はありましたけれども、それが結果的には、日本市場の開放につながっていったということも鮮明に覚えております。  今こうしてここでお会いし、複雑な思いがございますけれども、以下、簡潔に質問させていただきますので、御答弁をお願いしたいと思います。  まず最初に、飛ばしという言葉、これは私がおりましたころには聞いておりませんでしたけれども山一の社内では飛ばしという言葉が使われ始めたのはいつからだったか、簡潔にお答えいただけますか。
  175. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  この飛ばしという言葉は、要するに株が下がり始めてからじゃないかと思います。(岩國委員「ですから、何年ごろだったか、何回も下がったから」と呼ぶ)八九年ですから、九〇年から下がったのですかね。ですから、九〇年とかその辺の前後じゃないかと思います。
  176. 岩國哲人

    ○岩國委員 それでは、九二年四月に三木社長に交代されました。そのときに飛ばしのうわさについて聞かれて、記者会見で、参考人は、山一に関しては絶対にありませんということを記者会見でおっしゃいました。それは今でも事実だったのですか。それとも、やむを得ずそう返事をされたのですか。
  177. 行平次雄

    行平参考人 ちょっと先生、申しわけありませんが、いつの記者会見でございましたか。(岩國委員平成四年になりますか、九二年の四月、今から五年前ですから、これは社長を交代されたときの」と呼ぶ)社長交代のときですね。失礼しました。四月十五日に社長交代を発表いたしましたので、その記者会見のときだと思います。  そのときは、知りつつ、やむを得ないと思って申し上げました。
  178. 岩國哲人

    ○岩國委員 ということは、三木社長には真実を引き継がれた、飛ばしの実態を含めて。しかし、記者会見では、そういう飛ばしは絶対にない、このようにおっしゃったということですね。御確認いただきたいと思います。
  179. 行平次雄

    行平参考人 お答えします。  そうでございます。
  180. 岩國哲人

    ○岩國委員 粉飾決算をしているという認識はいつから持たれたのですか。社長から会長に交代されたときには、既に粉飾決算をしているのだという認識を持っておられたのですね。  有価証券報告書に虚偽を記載すれば、これは証取法違反になります。これは、証券会社皆さんが上場される会社に対して一番最初におっしゃるのは、このことであったはずです。この虚偽記載が証取法違反である、自分はそうした法律違反を犯しているという意識をそのときは持っておられたのかどうか。欠損であるのに利益を計上し、配当するということは、商法四百八十九条の三で違反配当罪になり、これは特別背任の罪を犯しておられることになります。  そういう罪の意識を持っておられたのかどうか、既に会長に就任されたときには。新社長にはそういうことも含めて引き継がれたのか。
  181. 行平次雄

    行平参考人 確かに、有価証券に書かないというのはよくない、もうこれはわかっていることでございますが、現実にその辺の知識が疎いというか、そういうことで、毎回毎回そういう認識は一々思い出さなかった。ただ、二千数百あるなということは常に概括的に考えておりました。
  182. 岩國哲人

    ○岩國委員 長野証券局長は、十一月二十四日の記者会見で、平成五年、九三年、調査をしたときには山一簿外債務はなかった、このように十一月二十四日の記者会見で長野証券局長は語っております。これは、行平参考人の理解と合致しておりますか、どうですか。簡潔にお答えをお願いします。
  183. 行平次雄

    行平参考人 これは、御存じなかったのではないでしょうか。
  184. 岩國哲人

    ○岩國委員 同じく大蔵省は、六月二十日に山一証券から大蔵省証券局に報告したとされる、その報告の内容を私は入手しておりますけれども山一証券より、六月二十日の巨額飛ばしの報道が行われたときに、東急百貨店の当社の取引口座を通じた有価証券売買において報道されたような取引は存在しない、しかしながら、証券会社自身が承知していない簿外で行われる飛ばし取引の性格から、現在事実関係を社内で調査中である、これは六月二十日現在であります、山一証券はこのように大蔵省に報告しております。  それから既にもう五カ月を経過しておりますけれども、その五カ月間、その調査結果を大蔵省に報告されたのですか、されてないのですか。今でも調査中ですか。
  185. 行平次雄

    行平参考人 申しわけありません。大蔵に報告したかどうか、ちょっとその結果は聞いておりません。
  186. 岩國哲人

    ○岩國委員 恐らくそうした、会長を退任されるといったような激変の中で、そのような記憶を喪 失されたのかもしれませんけれども、六月二十日にそのような報告を大蔵省証券局にされて、直ちに大蔵省証券局は調査に入りましたかどうか、そのことだけでもお答えいただきたいと思います。
  187. 行平次雄

    行平参考人 これは、少なくとも私の耳には入っておりません。もし入っているとして、企画、さっき申し上げたMOF担ですね、それから場合によっては社長はあるいは聞いているかもしれない、そういうことでございます。
  188. 岩國哲人

    ○岩國委員 山一証券及び山一証券グループの簿外債務についてはいろいろと調査が進められているようでありますけれども、例えば、役員の個人的資産を含めて、あるいは海外支店の資産を含めて、簿外資産についての調査大蔵省からされたことはありますか。簿外債務ではなくて、資産隠しと言われるそのようなことも、いろいろな頭のいい方がそろっておられれば、これは当然できるわけです。簿外資産についての調査を受けた記憶はありますか。
  189. 行平次雄

    行平参考人 少なくとも、私が社長時代はございません。ただ、会長になってからあったかどうかははっきりいたしませんが。
  190. 岩國哲人

    ○岩國委員 私の持ち時間が終了いたしましたので、質問を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  191. 松永光

    松永委員長 これにて岩國君の質疑は終了いたしました。  以上で行平参考人に対する質疑は終了いたしました。  行平参考人には御退席いただきまして結構でございます。     —————————————
  192. 松永光

    松永委員長 引き続き、銀行及び証券問題等について、参考人に対して質疑を行います。  ただいま御出席をいただいております参考人は、株式会社北海道拓殖銀行前取締役頭取河谷禎昌君であります。  河谷参考人には、銀行及び証券問題等について、そのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、委員質疑時間は限られておりますので、お答えはできるだけ簡潔、明瞭にお願いいたします。  念のために申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を受けることになっております。また、衆議院規則の規定により、参考人委員に対して質疑することはできないことになっております。あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  これより河谷参考人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。石川要三君。
  193. 石川要三

    ○石川委員 自由民主党の石川要三でございます。参考人、御苦労さまです。  今委員長から言われたように、短時間でございますからできるだけ簡潔にお願いしたいと思いますが、その前にまずあなたに求めたいのは、正直に答えてください、正直に。  そこで、まず第一問に移りたいと思いますが、物事が壊れるというときには、結果から見ると突然のような感じがしないわけでもございませんけれども、よく見ると、必ずそこには、もうそれ以前から、やはりこれは危ないな、壊れやすいな、ひょっとするとどうかなるかな、必ずあると思うのですね。  そういう点で、四月一日に合併の合意の発表がされておるようでございますが、それ以前に必ずそれは危機があったと思うのですね。それについて、あなたは頭取としてどのように、またいつの時点でそれを感じられたか。
  194. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 お答えする前に、まずもって、今回拓銀、私どもが破綻を来しまして、大変多くの皆様方に多大な御迷惑をおかけいたしました。また、日本の金融システムにも多大な影響も与えました。ひいては私どもの株主、お取引先そして行員の皆さんにも大きな御迷惑をおかけしたことにつきまして、この責任、大変重大と受けとめておりますし、御迷惑をかけたことに対してはまずもって心からおわびを申し上げておきます。  お答えでございますが、いつごろ予感がしたのか。これは私個人のことでございますが、はっきり、これはかなり危険な状態だなというように私が肌に感じてきたのは、やはり本年の一月ぐらいでございます。  これは、本年の一月から金融の株価が非常に低落をいたしました。特に当行の株価も低落をいたしました。それから、いろいろなマスコミの報道がこの一月以降なされてきたわけでございますし、それに伴って資金の流出といいますか、預金の解約等が非常に大きくなってきたわけでございまして、どうもこのままいくと非常に危険な状態になるというのをかなり具体的に認識をいたしましたのは、この一月ごろだということでございます。  以上でございます。
  195. 石川要三

    ○石川委員 若干危機というものを感じたのはことしの一月ごろだ、こういう御返事でございます。  それは確かにマスコミなどでの感触からそういうことを感じられたと思いますが、少なくともあなたが立派な経営者であるとするならば、それ以前にも、もっと何か非常に危機感を感じてもしかるべきではなかったかなと思うのですが、その点はどうですか。
  196. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 お答えいたしますが、今私が申し上げましたのは、極めて具体的に危機を感じたのは本年の一月ごろということでございます。  もちろん、私、頭取に就任いたしましたのは平成六年の六月でございます。その時点で、やはり相当の不良債権があるという認識は当然持っておりましたし、これは相当重い経営課題であるという認識をしておりました。したがって、これをどういうように最善の力を尽くしてうまく持っていけるか、これは念頭から離れたことはございません。  したがって、そういう意味で、当行の経営全体に対する危機感というものを持ったのは、やはり相当前、就任以前からも相当大きな経営課題だなというように認識をいたしておりました。  以上でございます。
  197. 石川要三

    ○石川委員 細かく言えばいろいろとあると思いますが、一口に言って、今回このように、少なくとも都銀の一つであるこんな大きな、巨大な金融機関が破綻したというその根本的な原因というのはどこにあったと思いますか。
  198. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 破綻の根本的な原因というお尋ねでございます。  これはもうすべて突き詰めて言いますと、やはり不良債権そのものだというように思っております。それは派生的にいろいろございますけれども、すべてを突き詰めていくと、やはり不良債権問題に尽きるというように私は思っております。     〔委員長退席、伊藤(公)委員長代理着席〕
  199. 石川要三

    ○石川委員 そこで、いろいろとこの問題について取り組んで、どうしたらいいかということで大変悩まれたと思いますが、まず、そのときに、一番最初にあなたはどなたと相談されたか。この危機を乗り越える、場合によれば破綻する危険性が十分あるということを前提に考えた場合、まず相談した方はどなたですか。
  200. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 これはやはり私が主体的に考えなきゃならぬ問題でございますけれども、これはむしろ外部というよりは、私としましては、私が頭取に就任して以来、例えば副頭取であるとか主要な役員が、やはりこれは一番よく相談して、気持ちを合わせていかなきゃならぬわけでございますので、主要な役員と十分相談もいたしました。
  201. 石川要三

    ○石川委員 そのいろいろと相談された中から合併の道を選択したと私は思うのですけれども、そうでないかもしれませんが、その点はどうだったのかというのが一点。  それから、今回の問題についてのいろいろな道内の新聞や何かの記事を見ますると、かなり北海道の有力な企業の方の中にも、あるいは経済団体の方の意見もございましたが、必ずしも合併でなくてもいいんじゃないか、合併は必ずしも好まし いものではなかったという意見もあるし、その他もろもろあります。その中からあなたが合併という道を選んだのかどうか、その点についてはどうですか。
  202. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 合併がすべての選択肢ではもちろんないわけでございますけれども、一番私としては望ましいと考えたのは、単独でしっかりと生きていける、これがやはり行員にとってもお取引先にとっても一番望ましいわけでございます。  ただ、先ほど申し上げました、本年の一月以降大変な危機に見舞われたわけでございますし、この中で単独で経営を進め、そして問題を解決するよりは、やはり合併で合併効果を出して、強い体質をつくっていくということの方がよいのではないかということで合併を選択した次第でございます。  合併については道内でもそれはいろいろな御意見もございますけれども、私が道内各地を回ってお客様のいろいろお話をお伺いした中では、大方の皆さんはやはり合併というのは決して間違ってはいないという御意見でございましたし、私は、今でも合併の選択は決して間違っていなかったというように考えております。
  203. 石川要三

    ○石川委員 そこで、合併の道を選択したわけでありますが、四月一日ですか、初めて北海道銀行との合併を宣言した、こういうことになったわけでありますが、そうすると、北海道銀行の頭取との会合においては、どちらが先に合併ということじゃなくして、両方とも合併についての意見の合意があった、こういうふうに理解していいのですか。  どちらかが合併しようじゃないかということでなったのじゃなくて、両方とも最初から合併というものについて、いろいろと選択の道はあるけれども、それがベターだということでそうなった、こういう理解でいいのか、こういうことです。
  204. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 今回の四月一日の、合併が準備に入るという合意でございましたけれども、正直申し上げまして、これは拓銀側というか私の方から、合併はどうかというように持ちかけたものでございます。それに対して道銀さんの方から、いやそれもよかろうということで、ですから話を持ちかけたのは私の方からでございます。
  205. 石川要三

    ○石川委員 そこで、いよいよ合併の準備に入るわけでありますが、それが四月一日から始まってわずか二十三、四日、多分四月の二十三日には、道銀とのいろいろな協議の中で、既にもう何か厚い壁にぶつかっているんですね。非常にそれが、この合併というものをこれからやっていくのに一番大きな壁にぶつかっているというような、いろいろいきさつ、経過を見るとこういう感じがするんですね。わずか一カ月足らずですよ。  小さなことだってまとめていくのには大変なことを、ましてをや都市銀行の一角であり、しかも七兆円とも九兆円とも、十兆円近い預金もある、こんな大企業の合併が、これは一年なんというのは簡単にいけないんじゃないかというのが常識的に考えられるんですね。にもかかわらず、じゃ、合併をしょうじゃありませんかという話を始めて準備にかかって、二十三日目のところにはもう大きな壁に突き当たっている。ちょっと我々は、これを見たときに、余りにも何か中身が、軽率というか、何かもうとても考えられない。  これだけの企業家の両者が集まって、そして慎重な会議を開いてやる場合に、もう初めからこんなわかり切ったようなことでつまずくようでは、一体何を考えていたのかと私どもは感ぜざるを得ないんですが、その点はどうですか。
  206. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 確かに、御指摘のとおりの面があったかと思います。  ただ、スタート時点、四月、まあ三月の中ぐらいからその合意に向けての接触が始まっておりますし、それから四月一日から、二十三日というのはたしか第一回の合併委員会の日取りではないかというように思いますけれども、私の感じでは、やはり最初はどちらかというと順調に、いろいろな十幾つの部会も具体的にスタートをいたしまして、かなり詳細な打ち合わせも順調に進んできたというように理解をいたしております。  その中で、一カ月足らずじゃなくて、やはり六月ぐらいから少し、‘先の銀行の、新銀行のあり方だとかあるいは不良債権の認識の問題とか、そういうものが次第にすり合わなくなってきた、こういう経緯でございます。  したがって、滑り出しは、必ずしも最初から非常におかしかったということではございません。
  207. 石川要三

    ○石川委員 確かに四月の二十三日は第一回の会合、そこで完全にもう結婚が破談になったとは私は断言していないわけです。  ただし、少なくとも今回のこの合併は、これはどなたが言い出したか、まさに恋愛結婚だなんというようなハイカラな言葉を使っておりますけれども、そのくらいの何か和気あいあいたる気持ちでこの合併問題が進んだとしたならば、第一回の会合のときに、合併については最も重大な内容であるべきいわゆる不良債権の処理問題、この認識問題、これについてかなりの隔たりがあるなんてことは、まさに、第一回の会合からこの話はぶつつぶれたと言っても間違いではないじゃないですか。  そういうふうに認識しても間違いないと私は思うんですが、その点はいかがですか。もう少し説明してください。
  208. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 不良債権の認識だとか新銀行の将来のあり方というものは、四月中にはまだ固まっていない段階でございました。したがって、第一回のときにそういうものが先鋭的に出てきて、お互いがそこで対立関係にもう入ってしまったということではございません。  ただ、どうしても私どもとしては、恋愛結婚かどうかというのは別にしまして、少なくとも私どもは当事者同士で話し合って合意した合併の準備でございましたし、それは、例えばどこかから紹介されて、あっせんされて合意に入ったという意味ではございません。  したがって、第一回のときから対立関係にあったという認識では私はございませんし、やはり徐々に、六月ぐらいから、そういうものをすり合わせていくうちに何となく、何といいますか、デッドロックに乗り上げたとか、こういう認識を私は持っております。
  209. 石川要三

    ○石川委員 繰り返すようですけれども、確かに、第一回でもう破談ということではないと思います。思いますけれども、これはそれから何回も会合していますから、その中の会合の中身を見ても、いろんな点で議論して、お互いがディスカッションしていることはわかりますけれども。  私は素人ですけれども、とにかく、金融機関が二つが一つになるということの一番根底にある重要な問題というのは、これは債権処理ではないかと思うんですね、今日では。ましてをや、今日のように膨大な、先ほどの山一さんにもありましたけれども、簿外の負債がたくさん、こういう今日の金融社会情勢の中においては、これはもう、この問題の解決、処理をどうするかという合意が私は一番大切な条件ではないかと思うんです。  その問題に相当、まず壁にぶつかっているんですね、第一回のときから。これが九月から十月ごろ出てきて、ああこういう問題が出てきたというのなら、まだしも話はわかります。第一回のときから出てくるんですね。それがずっと尾を引いているんです。  そういうことが私は非常に不可解だ。これがどうも納得できないし、結果論として、そういうことは経営者として余りにも事態の直視が甘いんじゃないか、こう言わざるを得ないと思うんですが、この点についての所見を。
  210. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 当然、この合併の真のねらいは、今先生おっしゃられるように、やはり、お互い力を合わせていい銀行をつくって再建をしていこう、地域に役に立つ銀行をつくっていこうというのが最大のねらいでございます。そのためにやはり一番大事なのが、不良債権をできる限り早期になくしていく、こういう体制に早く持っていこうというのが大きなねらいでございました。  ただ、この辺の不良債権の認識がかなり食い 違ってきたというのは、四月、五月の段階ではございませんで、実際は、例えば審査部会というのもございまして、その中でお互いの資料を交換して進めたのがたしか六月ごろだったかというように思います。そういう中で徐々に、お互いの認識がどうもすり合わない、こういう形でございまして、当初から、最初からそういうようなことでデッドロックに乗り上げたわけではございません。  ただ、その辺のところが、もっと四月一日前にもう少しすり合わせておくべきであったのかな、こういう反省点は確かにございます。そういう面が足りなかったということにつきましては、これは私としては大変遺憾に思いますし、申しわけなかったなというように現在は思っております。
  211. 石川要三

    ○石川委員 確かに、言葉じりをとらえてどうこうするつもりはございませんけれども、その後、結果的に、もう九月には破談なんですね。そして十月、実質的にはですよ。  そういうようなことを考えると、とにかく余りにも何か、最初の二人の結びつきは恋愛結婚だというようなことまで使って記者会見をしたあの言葉から見ると、全く想像できない、考えられない甘さが少しあるのじゃなかろうかな、こう指摘をせざるを得ないわけであります。  次にお尋ねしたいのは、では、そういうふうに合併委員会でいろいろと議論した結果、最終的には今日の結果になったのですけれども、その根本的な原因はどこにあったと思いますか。二つが合併できなかったという一番大きな理由というものは、どういうふうにお考えになっていますか。
  212. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 私は、大きな原因は二つあるのかなというように思っております。  一つは、先ほど申し上げましたように、この不良債権問題、これは新銀行にとって、道銀さんの方としてはかなり負担としては重い、こういう認識をされて、これがやはり最大の問題ではなかろうかというように思います。  あとは、これはお互いの内部の関係でございますので、何ともこれは、私は的確にっかまえているかどうかは別にいたしまして、何といいますか、感情的な問題と言うのはおかしいですけれども、やはり組織としてこの合併に対してどうも消極的であったのではなかろうかな。いや、これは私どもじゃなくて。こういうように私は考えております。
  213. 石川要三

    ○石川委員 いろいろとお話を聞いておりまして、どうしても払拭できない点は、やはりこの拓銀の経営に対する甘さというものは、私にはどうしても消えないのです。  もう言うまでもなく、拓銀さんは、北海道ではもう圧倒的な大きな金融市場を占めているわけでありまして、大体二百有余ある北海道の各自治体の大方の、道庁を初め大きな市町村の指定金融機関ともなっておるわけですね。そういうことから見ると、どうしても経営にやはり甘えがあり、他銀行から見ればいろいろな点でどうしても緩慢になりやすいということは事実だと思うのですね。  例えば、それが一つの証拠に、これは四月ごろだと思いますが、札幌市で三百億の一時借入、借入金の調達、これに対して、今までは指定金融機関であったわけですからおたくの方へぽんぽん行ったわけですけれども、札幌市では、この際ひとつ競争入札制度をやってみたいということで、競争をさせてみた。そうしますと、興銀と第一と北洋は金利〇・五%に対して、拓銀が一・六二%ということを資料では書いてあるのです、私は現実はわかりませんけれども。したがって、市側から見れば、三千万円、今までのやり方に比べればそこにプラスがあった。  今度は逆に、札幌市の土地開発基金というものがありまして、今度は預託をする場合に、三百十二億円、これを他銀よりも高い三二五%の金利でもっておたくの方はそれを納めた。そういうことで、結果的に見れば、市は、もしほかの銀行にそれを預託するということから比べると、そこに一億円のプラスがあった、こういう計算が成り立っているようであります。  これを見ても、私は、何でもかんでも今までの指定金融機関というようなところの感覚的なものが、やはり依然としてある。そういう経営の中の緩慢さというものがすべての点にどうしても浸透してくるのは、これは私はやむを得ないと思うのですね。やはりぜいたくをしたり緩慢なことをやっていれば、企業というものはだんだん厳しさに耐えていけない、これは当たり前のことなんです。そういう傾向が今日まで私はあったと思うのですね。  それを反省しなければいけないと思うのですが、そういうことで見た場合、今度のこの二社の合併のいきさつを見ると、まことに私は、言葉を少しきわめれば、何というかでたらめのような、もっと真剣な、本当に道民を思い、国民を思ってこの厳しい中の経営者としての立場をもっともっと私は考えなきゃいけないんじゃないか。大変私は、その点は緩慢過ぎるという感じがしてならないわけなんですね。  そういうことについて私は厳しく申し上げたのですが、当時の頭取としてどういう感想をお持ちですか。
  214. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 合併の件に関しましては、先ほどから申し上げているとおりでございます。  もちろん、これは相手のあることでございますので、私どもの努力だけでは何ともしがたい面もないわけではございません。ただ、この合併をなし遂げるということが我々としてはやはり生きていく最大の要素だということは、私は強く認識をしておりましたし、行員のみんなもそのとおり認識をしておりました。そういう面では我々としては、しかし自分たちの我ばかり張っていてもこんなものはうまくいくはずがない、できるだけ譲れるものは思い切って譲る、私はそういう覚悟で合併交渉に当たってきたつもりでございます。  ただ、その意図とは反して、破談というよりはまあまだ延期発表でございましたけれども、そういう破談のように受け取られてしまった。大変これは遺憾でございますけれども、私としては、譲るものはかなり譲っても何とかなし遂げたいという意欲とそういう熱意で進めてきたつもりでございます。  それから、一般的にどうも全体に拓銀は甘いんじゃないかという御指摘がございました。それはいろいろな見方もございますけれども、我々としては、最初申し上げましたとおり、大変大きな経営課題を抱えてそういう甘い経営をやっていたら大変なことになるという認識は当初から強く持っておりましたし、そういう意味でやはり相当のリストラも実行をいたしました。  具体的にここで個々に挙げるのは避けますけれども、人員の面も六千五百をかなりのスピードで五千人まで落としましたし、店舗も、海外店舗も全面的に撤退もいたしました。人件費の水準の訂正も行いましたし、ボーナスのカットも二度にわたって実行をいたしました。  そういう意味で、このリストラの面につきましては、私は決して他行さんに比べて負けるとも劣らないぐらいのことをやってきたつもりでございます。したがって、危機意識だとかそれから経営の甘い感じがあったんではないかという御指摘については、我々としては最善の努力を、できる限りの努力をこの間やってきた、こういうように私は思っております。
  215. 石川要三

    ○石川委員 これ以上ここで言い合っても仕方がないかもしれませんが、ただそうはいってもその後の拓銀の、いわゆる今日になって、途中で何とか自力再建をということでいろいろと方策をとられているようでございますが、それもとうとう空中に消えてしまった。これを見ても、非常に私は言葉では言いあらわせない、道民初め関係の企業の方々も非常に残念に思い、怒りを持っていると思うんですね。口では確かに今お話しのようなことを言われましたけれども、じゃこの再建策といえば、これもまた空中にすぐもう消えてしまうような、こういう結果に終わってしまったということを見ても、やはり私はもっともっと反省をしなきゃいけないんじゃないか、こんなふうに思って います。  さてそこで、今回、最終的に北洋さんとああいう形になるわけでありますが、見方によれば大人を子供がしょっているというような見方もありますけれども、そういう今後の道民のこの厳しい経済状態の中で、大変心配していると思いますが、一体、そこらの点についてあなたとしてはどういうふうに考えていらっしゃるか、その点について。
  216. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 今般承継銀行ということで北洋さんにお願いを申し上げて、快く受け入れていただいたことに対しては大変感謝を申し上げておるわけでございます。  やはり一番の大事なことは、私どもの破綻で、地域にも、それからお取引先にも大変な御迷惑をおかけしたわけでございますけれども、少なくともやはり我々としては、北海道の経済にやはり相当、これは十分じゃございませんけれども、相当のウエートを持った銀行でございました。したがって、北海道の経済に多大な影響を与える、大混乱を起こすということは、これは絶対に避けなければならない、こういう感じでございます。  したがって、これからはこの正常なお取引先、正常債権あるいは預金というものをスムーズに北洋さんに継承をして、従来とそんなに大きく変わることのないようなお取引を継続していくということが今一番大事なことではないか、こういうように考えておるわけでございます。
  217. 石川要三

    ○石川委員 もう時間もなくなりましたので、最後質問としたいんですが、とにかく越年を控え、しかも北海道という極寒のあの地域、そして最近は経済的にも活性化がやや鈍っているような、こういう状況もある今日の中で、預金者並びに今までのお客であった企業者、そういう方々が、大変私は路頭に迷う方が多いと思うのですね。これを思うと、私は、これは大変な事件だと言っても差し支えないと思うんですね。  単に国民からの信用を失っただけじゃなくて、国際的にも信用を失った。この大きな問題、これに対してはどんなに反省し、どんなに大きく考えても、責任をとり切れないものがある。まさに私は、万死に値するぐらいのものではないかな、こんなふうに思うのです。  どうぞ、この点をひとつ十二分に肝に銘じて、正直にこれからは全力を尽くしてやっていただきたい、このことを特に要望してやまないわけでございます。  若干時間が余ってはおりますが、以上をもって私の質問を終わります。
  218. 伊藤公介

    伊藤(公)委員長代理 これにて石川君の質疑は終了いたしました。  次に、西川知雄君。
  219. 西川知雄

    ○西川(知)委員 新進党の西川知雄でございます。今、石川先生の方から全般的なお話がございましたが、私は今度はもう少し数字を挙げて、具体的なお答えをはっきりといただきたい、こういうふうに思います。  そこで、ちょっと参考のために、ことし三月現在の公表の不良債権、これは九千三百二十九億円、うち先方が倒産した破綻先の債権というのが千三百九億円ございます。現在これがどうなっているか。  御試算をされているところだと思いますが、これは一兆一千四百九十七億円で、うち破綻先が約四千億円増加いたしまして五千四百十四億円となっていると私は思いますが、まずそれで正しいかどうか、御確認願いたいと思います。
  220. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 先生の御指摘のとおり、それが正しゅうございます。
  221. 西川知雄

    ○西川(知)委員 ところで、貸出残高に対する不良債権の比率というものは、普通のほかの銀行は、二%のところもございますし五%台のところもあるということですが、平均して大体三から五%の不良債権率だ、こういうふうに私は理解をしております。  今の、現在試算の一兆一千四百九十七億円の公表不良債権、これをもとにしまして、いろんな償却をした後の要処理額、これは最低でも四千億円あるというふうに拓銀の場合は言われております。そこで、業務純益は平均して大体三百から四百億円ぐらいと理解しておりますから、これを考えますと、大体処理するのに十年ぐらいかかるということになります。  普通の銀行の場合は、大体一年とか二年とか、多くて三年でこの要処理額を償却することができるということになっております。ところが、今申し上げましたように、拓銀の場合は十年ぐらいかかる、こういうことでございます。これは平成五年のあたりからそうでして、平成五年でも約八年ぐらいかかるであろうという予測がされております。  まず、私は、そういう数字を今申し上げましたが、この現況で正しいかどうか、御認識のほどを確認願いたいと思います。     〔伊藤(公)委員長代理退席、委員長着席〕
  222. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 お答えいたします。  公表不良債権が約一兆一千五百、これは九月というか、現時点ということで御理解いただきたいと思いますが、これで残る要処理額といいますか……(西川(知)委員「いや、正しいかどうかだけ」と呼ぶ)これはまだ、私どものは破綻の場合でございますので、最終的に清算してみないとはっきりした具体的な数字は、これは何とも言えません。
  223. 西川知雄

    ○西川(知)委員 今、十月十三日を基準日としまして大蔵検査が入っております。当然のことながら、その結果を待たないと最終的なことはわからないと思いますが、私の申し上げた数字で大体合っているかどうか、大幅に違うのかどうか。その御認識をまずお聞きしたいと思います。
  224. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 まだ本当に、大蔵省検査が継続中でございます。したがいまして、今、大幅に違うか、あるいはそれに近いのかということについて、今私ここで明確にお答えできる段階ではございません。
  225. 西川知雄

    ○西川(知)委員 前頭取、この問題は極めて重要な問題でございますので、頭取の方もそういう計算を既にされて御認識をされているはずでございますから、ぜひ御自分でお答え願いたい。まあ数字もこのぐらいのことは頭に入っていないといけないと思いますので、まず御自分でお答え願いたいというふうに思います。  そこで、いずれにしろ、ほかの都市銀行と比べて不良債権率が非常に多い、また業務純益も要処理額に比べて非常に低い、これはお認めになるというふうに私は思うのです。  その辺は、まずそういう認識があるということ、これは正しいでしょうか。
  226. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 いや、先生のおっしゃるとおりでございます。
  227. 西川知雄

    ○西川(知)委員 それでは、どうして他行に比べてこんなに不良債権が多いのか、この辺についてのお答えをお願いします。
  228. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 どうして多いのか、こういうことは一言で非常にお答えしにくいわけでございます。これは突き詰めて言いますと、やはりバブル時代に発生した、結果的に不良債権が多発したということに私は尽きるんではないかというように思っております。
  229. 西川知雄

    ○西川(知)委員 バブルのときにいろんな貸し金がたくさんあって、担保もそのときは高い価値を持っていた。しかし、この担保価値が減って、また業績も悪くなったということはほかの銀行でも基本的にあるはずなんですが、拓銀の場合は、私今申し上げましたように、不良債権率が普通の銀行であれば二%から五%なのに、おたくの場合は一三%から、年によっては一九%ぐらい、そんなにある。また、普通の銀行であれば一年か二年で償却できるところを、拓銀の場合は十年ぐらいかかる。これは、バブル期があったから、そういう理由だけでは私はとても説明をし得ないのじゃないかというふうに思います。  さらに、今申し上げました数字は公表の不良債権額でございまして、本当に正常な債権額がどれぐらいあるか、また、実態的に不良債権となっているのはどれぐらいかというのは、私はもっと もっと多いのじゃないかというふうに認識しているのです。  例えば、拓銀はエイペックスという会社に債権を持っておりまして、それの九年九月末現在の残高というのは六百二億円なわけです。  前頭取、これに対する担保、この現在の担保価値は幾らですか。
  230. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 エイペックスという会社、これはリゾートホテルでございますけれども、エイペックス自体に対する担保価値というのは極めて低うございます。先順位に担保が相当ついてございますので、当社に対する担保としては相当低いというように、また、具体的な数字は今ちょっと思い出せませんが低かったというように記憶しております。
  231. 西川知雄

    ○西川(知)委員 私は、その担保価値はゼロであるというふうに解釈しておるのですが、極めてゼロに近い担保価値であるというふうに理解してよろしゅうございますか。
  232. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 極めてゼロに近い担保価値というように私も思っております。
  233. 西川知雄

    ○西川(知)委員 それで、現在、拓銀が貸し出している二十社、これの取引残高は九年の九月末現在で一兆一千三十三億円ぐらいであるというふうに私は把握しておりますが、まず、それでよろしいかどうか、お答えください。
  234. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 そのとおりでございます。
  235. 西川知雄

    ○西川(知)委員 その一兆一千三十三億円中、担保がついているものがほとんどであると思いますが、現在の担保価値というものは幾らぐらいであると把握されておりますか。
  236. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 一千三百四十億円ということでございます。
  237. 西川知雄

    ○西川(知)委員 それは約一二%、すなわち、取引残高一兆一千三十三億円のうちの一二%ぐらいしか担保価値はないということでございます。  この中では、公表不良債権、すなわち破綻債権とか延滞債権とか金利減免債権、そういうもの以外のものもここの中に入っているわけです。今申し上げましたように、例えば先ほど申し上げましたエイペックスの場合は、六百二億円の残高はあるけれども担保価値はゼロであると。  しかも、これはこれからホテルをちゃんと営業させて、そしてお金をもうけていくから、場合によっては六百二億円がそのまま返ってこないということはないとおっしゃるでしょうけれども、聞くところによると、一泊三万円から四万円の洞爺湖の付近のホテルで、これが本当に六百二億円返ってくるかどうか、非常に我々としては不安なわけでございます。  私の申し上げたいのは、公表不良債権というのは一兆一千四百九十七億円でございますけれども、本当は、こういうような担保価値がほとんどないもの、これが大幅に含まれていて、したがって、公表以外の不良債権、例えば金利それから元本を一カ月たっても返してないというような不良債権というのは、もっともっとあると思います。  そこで、お尋ねします。  北海道銀行との合併の話があったときに、当然のことながら、今、不良債権の問題が非常に問題となったというふうに石川委員質問に対して御答弁をされました。そこでお尋ねしますが、公表不良債権というのは当然公表されているわけですからもうわかっていることですが、それ以外の、私が申し上げましたような隠れた、不良債権になるような債権、これの詳細についても北海道銀行に詳しく御報告をされたかどうか、またディスクローズされたかどうかをお尋ねしたいと思います。
  238. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 公表不良債権だけではなくて、これはもう本当に、正常債権も含めた相当幅広い不良債権という意味で、資料交換を行っております。
  239. 西川知雄

    ○西川(知)委員 その場合に、そういう公表された不良債権以外の不良債権が幾らあったというふうに北海道銀行には公表されましたでしょうか。
  240. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 これは、私どもでこれは幾らありますとかという、そういうことではなくて、お互いの認識がどうだったのかという問題でございます。  ただ、不良債権という概念というのは、確かにこれは非常に狭義なもの、それから広義なものがございまして、なかなかとらえにくい。それから、例えば銀行が正常に動いている場合のものと、それから今回私どものように破綻に至ったというときの不良債権といいますか、これもやはり相当違ってくることも事実でございます。  例えば、私どもが支援をしている先がございますけれども、これら支援している先が、もしこの金融機関が破綻に追い込まれて支援の継続が難しくなってきた場合は、生きているときは必ずしも不良債権ではないものも、場合によっては悪化して不良債権化する。こういう意味で、非常にとらえ方が難しい問題でございます。
  241. 西川知雄

    ○西川(知)委員 私はそういうことを聞いているわけじゃなくて、北海道銀行との交渉のときに、今、公表不良債権以外の実態的な、実態を持つ不良債権というものを、その情報を交換されたとおっしゃるから、交換されたときのその情報というものは、拓銀の不良債権というのは大体幾らですと言われたはずですから、その金額をお教え願いたい、こう言っているのです。
  242. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 私の方からは、極めて狭義に言いますと大体四千数百、それからもう少し広義にとらえると六千ぐらいというように、道銀さんの方には申し上げた記憶はございます。
  243. 西川知雄

    ○西川(知)委員 済みません、四千とか六千というのは、例えば九千三百二十九億円という公表不良債権にプラスして四千とか六千とかおっしゃったのですか。ちょっと四千と六千という数字がよくわからないので、お答え願いたいのですが。
  244. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 これは不良債権額ではなくて、要損失、要するに損失額という意味で申し上げたわけでございます。
  245. 西川知雄

    ○西川(知)委員 要損失額というのは何ですか、御説明願いたいと思うのですが。
  246. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 公表不良債権の仕組みですと、例えば十億の延滞債権がある。それで、十億は十億で不良債権。しかし、担保等でカバーされているものが例えば三億あったとしますと、要するに要処理額といいますか、ごめんなさい、要処理額です、これが七億、こういうことでございます。
  247. 西川知雄

    ○西川(知)委員 私がお尋ねしたことはそういうことではなくて、公表不良債権から引当金を引いたその金額というのが要処理額であって、それが四千億とか六千億、これは計算すればわかるのです。  そうじゃなくて、公表されている不良債権というのは、例えば破綻先で、破綻先はこれは簡単なんですが、六カ月以上金利を延滞していないとこの公表不良債権の中には入ってこないのですよ。そういうことだけでは、銀行が例えば合併しようというときに、本当におたくの体力はどんなものがあるのかということがわからないでしょう。  だから今、前頭取は、そういうことに加えて実態はどうなっているのかを既に北海道銀行に御説明になったと言われたから、では、どれぐらいのものが例えば一カ月以上延滞しているんだ、一カ月から五カ月ぐらいまで延滞しているんだ、そういうことを言われたでしょうと。それで、言われたというから、その金額は幾らか、こういうふうに私は聞いているのです。
  248. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 大変申しわけございません。ちょっと御質問の趣旨がよく、もう一度お願いいたします。
  249. 西川知雄

    ○西川(知)委員 ということは、私が質問してもお答えになれないと思いますから、質問をもう一回だけ要約して言いますけれども、公表不良債権というのは、ディスクロージャーのベースがあって、基準があって、全各銀行が破綻先債権とか金利減免債権とか、そういうことを基準にのって公表しないといけないのですね。それで、金利減免の場合とかまたは遅延の延滞債権というのは、例えば六カ月以上利息を払ってないとか、そういう場合に、この利息を払ってない場合に初めてこの公表不良債権の中に入るわけですよ。  ところが、それだけでは実態というものは把握していないのですよ。一カ月おくれているものもあるし、二カ月おくれているものもある。また、さっき言ったように、エイペックスのように担保価値はゼロのものもあるわけですよ。そういう実態をちゃんと北海道銀行に言われたでしょうと私は質問して、そしてそのとおりだというお答えであったので、幾らであるんですかとお尋ねしたところ、その質問がおわかりにならない。そして、その答えも今わからないということなんですよ。  そこで、あと十分しかございませんので、それはおわかりになれない、またはお答えできないということが事実であるということで、次の質問に移ります。  まず、この平成九年の十一月十七日に出された大蔵省の業務改善命令で、多少与信審査体制が強化される、また、されたようですけれども平成二年九月までは業務本部長の青天井の決済権限があったというふうに聞いておりますが、そのとおりでしょうか。
  250. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 私は平成元年の四月から平成二年の九月まで業務本部長、これは北海道の管轄でございましたが、青天井ではございません。たしか三十億までの権限であったというように記憶しております。
  251. 西川知雄

    ○西川(知)委員 私が聞いたところでは、どうも青天井の決済であったようでございますが、その後、平成三年ごろから見直しが出たということで、決済権限というものがいろいろと規制されてきたというふうに私は理解をしております。  そこで、いずれにしろその当時、平成四年より河谷参考人は常務、業務本部長であったわけでございます。そこで、河谷氏を含めた当時の責任者に対して、こういうことになったということに対して幾つかお尋ねします。  まず、そういう当事者に、責任者に対して事情聴取はされましたか。そのとき十分な担保をとつていたのでしょうかとか、決済過程に間違いがなかったでしょうかとか、そういうような事情聴取はされたかどうか。これが一点。  二点目は、平均のその役員の退職金というものは、個々の具体的な金額というのは個人的なことで申し上げませんが、私の理解しているところでは、例えば平成五年では約八千万円、平成六年では約一億四千万円、平成七年では約七千万円というふうに理解をしています。それぞれ受け取った人が、多分このいろいろな不正融資、不正融資というか不良債権を発生せしめた間接的または直接的な当事者だと思います。  これらの方に対して、今北海道の拓殖銀行の五千何百人かの従業員掛ける平均四人としますと約二万人ぐらいの人が、自分の職は一体どうなるんだろう、お父さんの職は、一体新しい職場はどうなるんだろう、こういうふうに考えているところです。そういうときに、例えば平成六年では平均一億四千万円も退職金としてはもらっている。こういう人たちに対して、返金をしてください、今後困っている人のために使いましょうというふうにまず要求をされたことがあるのかどうか。これが二点目。  三点目に、今いろいろと言われていますのは、とにかく日本は民事的、または刑事的にも経営者の責任を追及していかなければならない。そうでなければモラルハザードが起こって、これからの新しい金融界というものが生み出されていかないということでございますが、三点目は、司法当局に対して告発等の手続、そういうものを自発的にとっておられるのかどうか。そして、まとめてどのように過去の経営者の責任を問うつもりなのか。例えば、五人だけやめました、これで経営責任は全部終わりですというものでは、国民は納得しないわけですよ。  それで、過去の経営者の責任を具体的にどういうふうに追及するつもりか、またあなた自身責任というものはどういうふうにおとりになるつもりなのか、それをお答え願いたいと思います。
  252. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 まず第一点は、調査されたかということでございます。私どもは、融資事故調査会議というのが組織的に前からございまして、実損事故と言っておりますが、そういったものが生じた場合は、その取り上げの経緯それから管理といったものについて、すべてそれにかけて調査をしております。  それから、退職金の件でございますけれども、年次別にそれは随分違いますけれども、これは在職年数とかポストによって違うので、一人当たり平均八千万とか一億四千万というのは、必ずしもそれは妥当な数字ではございません。非常に長い人が一人おれば平均的に上がる、こういうことでございます。問題は、過去の、過去といいますか不良債権を発生させた人たち、過去の経営者に対する追及をしてきたか、するのか、こういうことだろうというように思います。  私どもは今先ほど調査をしたというように申し上げましたし、私どもとしては、そういう不良債権が発生する過程の中で、当行としてもきちんとした手続で決めて融資を実行することになっております。そういう手続的にそごがある、あるいは例えばいろいろな意味で法令違反がある、そういったものがあれば銀行としてもそれについて追及するということはこれは、もう当然のことでございます。  ただ、今までの私どもなりのいろいろな調査の中では、そういった明確な法令違反といったものが見当たらない。見当たらなければ、やはり法的な追及がなかなか難しい。大変難しいのです、これは。
  253. 西川知雄

    ○西川(知)委員 反省の弁が見られないと私は思うのですね。法的な責任を聞いているんじゃないんですよ。法的な責任は、それは法律どおりにやったかやらないかでわかるんですよ。  だけれども、私は、経営者として、例えば中小企業に対するおたくの総貸し出しに占める割合、これは中小企業の人が九九%おたくの貸出先なんですね。金額でも七〇%ですよ。そして、二万人の人が路頭に迷おうとしているわけですよ。そこで、法律的に私は責任ありません、そのときはとります、しかしそれ以上のものは知りませんと言うようでは、私は国民が、絶対これを聞いている人は納得しないと思うのですよ。  そして、今おっしゃったのは過去の経営者に対する責任のことを言われましたが、私は質問では、過去の経営者の責任も含めて、あなた自身はどういうふうに責任をとられるのですかと聞いているのですよ。そこをお答えにならないことは私は大変な問題だと思うのですが、もう一度お答え願います。
  254. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 先ほどのお答えはどうも途中でございまして、まず経営責任というのは、例えばこれは法的なものと、それからもう一つ大事なのは、社会的、道義的な責任があるということはもう当然私も理解しておりますし、わかっております。  ただ、具体的に強制力を持って責任を追及できるのは、例えば銀行としてできるのは、これは法的なものがはっきりと明確でない限りなかなか追及しにくい、こういうことを申し上げたわけで、だからといって社会的、道義的な責任が免除されるというものでは決してございません。  したがって、これはやはり、その当時、当時では、その環境のもとでベストジャッジメントをしたというように私は考えておりますけれども、結果的にはこういう大きな不良債権を生じたわけでございますので、この道義的、社会責任というのはかなり重大である、こういうように私は、私も含めてそういうように思っております。
  255. 西川知雄

    ○西川(知)委員 今おっしゃったのは、他人には社会的な責任というものは押しつけられない。これはそういうことかもしれませんが、今答弁されているのは御自身で、今までずっと頭取をされてきた。そして平成元年の四月、そのころからバブル経済が始まって、不良債権はどんどんふえてきた。その当事者である業務本部長であったあなたは、具体的にどういうふうな責任をおとりになるつもりなのか。  これは行員が全員関心を持っていることでございますし、国民も関心を持っていることでございますので、そこは御自分のことだからお答えになれると思うので、よろしくお願いします。
  256. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 この社会的、道義的責任をどのように果たしていくのか。もちろん、ただ単にやめたからそれでいいのだというものではないことも十分承知しております。  ただ、この社会的、道義的責任を、じゃ、具体的にどのような形でとったらいいのか。これは私の気持ちの問題と同時に、やはりたくさんの行員、それからたくさんの株主さん、あるいはお客さん、要するに世の中の人たちが、皆さんが、やはりそういう形が納得できるというものでなければ本来ならないだろうというように思っております。  ただ、この段階で、今具体的にどうこうということはちょっと御答弁を差し控えたいと思いますけれども、やはりそういう意味で、本来的には、社会的にも納得できるようなものであるべきだというように私は思っております。
  257. 西川知雄

    ○西川(知)委員 時間が来ましたのでこれで終わりますが、御自身がずっと経営のトップにおられた、そして今こんな事態になった。そのときに、御自身の、どういうふうな責任をとるかというその方向性も、今こんな時期になって皆さんの前に明確にできないということは、私はとても残念なことであるというふうに言わざるを得ません。  質問を終わります。
  258. 松永光

    松永委員長 これにて西川君の質疑は終了いたしました。  次に、海江田万里君。
  259. 海江田万里

    ○海江田委員 海江田でございます。  持ち時間が二十分と大変限られておりますので、お答えも手短にお願いをしたいと思います。  まず、北拓銀行は四月一日に北海道銀行との合併の話を記者会見をしましたけれども、この合併の話が破綻をした原因は不良債権にあるということは、先ほど参考人お話をしたとおりだと思います。その不良債権の認識が北海道拓殖銀行と北海道銀行との間で食い違いをしてきたのは大体六月ごろだということも、先ほど参考人からお話がございましたけれども、この不良債権の認識が違ってきたということは、一つは、やはり額であろうと思います。  この当時の北拓銀行の不良債権の公表額というのは、前年の九月の中間決算がございますから、これでおよそれ千億円ということでございましたね。これに対して北海道銀行は、どのくらい、これをさらに上回っておるというような意見が出ていたのか。これは、その合併委員会というのが既に機能しておりまして、合併委員会の中ですべて記録をとっておるはずでございますから、それはおわかりだろうと思います。それも踏まえてお答えいただきたいと思います。
  260. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 先生、不良債権額というよりは、我々が詰めていったのは、要するに要処理額、要するにロス額という意味でございます。  これは先ほど私が申し上げたように、我々としては、まずとりあえずは四千数百億を処理すればかなりのところまでいける、できれば六千億ぐらい処理するともうほとんど終了に近い、こういう認識で申し上げたわけでございますが、道銀さんの方はもう少しやはり多目ではないだろうかというようなことで、その辺の認識がかなりすり合わなかったというのが実態でございます。
  261. 海江田万里

    ○海江田委員 どうでしょうか、もう少し多目というのは、倍ぐらいあるんじゃないでしょうかとかいうような話にはなりませんでしたか。
  262. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 倍とかそういうスケールではございませんで、あとやはり千とか千数百とか、そのぐらいの単位の食い違いでございます。  以上でございます。
  263. 海江田万里

    ○海江田委員 そこでやりとりがありまして、第五回か第六回ぐらいの合併委員会だと思いますが、その後、七月十四日でございますけれども、監査法人による共同監査を実施するということを発表いたしましたね。  この監査法人の共同監査の結果は、どういうふうになりましたか。
  264. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 確かに、十四日に両者合意をいたしまして、結局、今までの御説明のとおり、両者の不良債権額がどうもすり合わない、それであれば公正な第三者を入れていこうと。  結局は六月末時点で、今の、あれは何といいましたかな、自己査定制度を仮に進めるということがございました。  したがって、六月末でお互いに自己査定をやって、そしてその結果をお互いの公認会計士、監査法人に、場合によってはクロスしてそこで確認してもらえば、これはすり合うんではないかということで合意したわけでございます。  ただ、そうしているうちに、結局これがなかなか進みませんで、結果としては、この公認会計士の監査が実現できなかったわけでございます。
  265. 海江田万里

    ○海江田委員 せっかく共同監査をやるということを言いながら、それが実現をできなかったということ、これはやはり大変大きな問題だろうと思うのですね。それは御行の側がもっと情報公開、情報開示をすればこれは当然できることでありますから、やはり共同監査をやると言いながら実際にはできなかった、あるいはできない状況に、それだけ情報を秘匿したということが、この合併話を決定的に破綻させる大きな原因ではなかっただろうか、私はそういうような認識をしております。  そこで、この合併はどうも難しいよということを、八月に入りましてから、随分参考人大蔵省に足しげく通いまして、そして報告をしているはずでございます。そのとき、八月に入りまして何回ぐらい大蔵省に通ったか、それから、そのときお会いになった大蔵省の幹部の方はどなたかということをお教えください。
  266. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 正確な回数はちょっとここでは、これは調べればわかると思います。正確な回数はお答えできませんが、八月は、そうですね、やはり三回程度は行ったのかなというように記憶しております。これは間違ったら申しわけございません。  そして、銀行局でございまして、主として中井審議官それから内藤銀行課長というところでございます。
  267. 海江田万里

    ○海江田委員 そこで説明をしましたのは、今私がお話をしたように、これはかなり道銀の側がいろいろ抵抗を示していて難しいよというような御説明でしたね。それでよろしゅうございますね、これは。  ところが、大変奇異なことに、八月の二十六日でございますけれども、大蔵大臣が、この期に及びましてまだ、合併は成功するというような記者発表をしておるのですね。  大蔵大臣が八月の二十六日、これは正確な日付でございますが、八月二十六日ということはおぼつかなくても、大蔵大臣がたしかその時期にそういうような発表をしたということは覚えていらっしゃいますか。覚えていらっしゃるとしたら、そのとき、そういヶ大蔵大臣の発表を聞いて、参考人はどういうふうな感想をお持ちになりましたか。
  268. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 大蔵大臣がそう言ったことは承知をいたしております。  もちろん我々としても、合併、これは私どもの努力だけではできないこともさることながら、しかし交渉事でございますので、相当譲るものは大幅に譲ってでも、この合併を進めたいという気持ちは当時も強く持っておりました。  したがって、この段階で、我々として、この合併についてはもう絶望的であるとあきらめてしまうというような段階ではございませんで、何とか譲るものは譲ってもなし遂げたいなという気持ちは強く持っていたというように思っております。
  269. 海江田万里

    ○海江田委員 今お答えいただかなかったわけですが、大蔵大臣がそういうふうに発言したことについての感想は、どういうふうにお持ちになったか。  大分自分が言っていることと違うなというよう な御感想ですか。それとも、大蔵省は何としてもこれを成功させたいんだなというようなことをお考えになったのか、そこをお答えください。
  270. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 そういう意味では、大蔵省から、この合併推進についての御支援といいますか、援護射撃をいただいているなという感じでございました。
  271. 海江田万里

    ○海江田委員 あと、九月九日にも大蔵省の幹部の方とお会いしているはずでございますが、そのとき河谷頭取は、何なら、どうしてもこれがうまくいかなければ、もう一回自力でもって、自行だけでリストラをやって、そして再建をすることも考えているというような趣旨の発言をなさったようです。それはそのとおりでしょうか、どうでしょうか。
  272. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 九月九日だったかどうかは、ちょっとここら辺の記憶は定かではございませんけれども、延期の発表が九月の十二日でございました。したがって、そのときにはもう合併の期日延期の発表やむなしというような状況下であったわけでございます。  延期の発表をいたしますと、やはりこれは相当私どもとしては影響を受ける。やはり先々、これは半年になるのか一年になるのかわかりませんけれども、合併延期の間、じゃ、単独でどういうような対応をしていくべきか、この辺を我々としては固めて、それで大蔵省の方と打ち合わせたという時期ではなかったろうかというように思っております。
  273. 海江田万里

    ○海江田委員 これは、九月の上旬の段階で、もう合併は無理だというふうな認識をしておったという認識を私は持っております。  その今お話が出ました九月十二日の合併延期の会見でございますが、この席上、三千五百億円の不良債権の償却と、それから一千五百億円の増資計画を発表しておりますね。  これは、それだけ償却をするということになると自己資本の比率がぐっと低くなりますから、この一千五百億円の増資計画、当然発表しなければいけないわけですが、当時の状況で、一千五百億円の増資計画が果たして本当に実行できるとお考えになっていたのかどうなのか、具体的にどんな手法でもって増資計画をお考えになっていたのか、お話しいただきたいと思います。
  274. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 増資計画の可能性という御質問かと思いますが、我々としましては、当然、この償却に伴った増資は何としてでも、これは単独で一定の時期やっていくためには必要だということで、これは大株主さん、それから金融機関さん、ある程度これを私は内々、夏ぐらいから少し打診は続けてきたわけでございます。  スキームは、あのとき発表をしましたとおり、劣後ローン、それから例えばノンバンクの借り入れ、これを、全額ではございませんがその範囲内で、例えば六〇%なら六〇%を資本金に何とか振りかえていただけないか、こういうお願いでございまして、私どもとしては、これで何とか理解していただけるのではないかということで、これを進めたものでございます。
  275. 海江田万里

    ○海江田委員 その自己資本の増資計画でございますが、これは九月の上旬から、先ほど私がお話をした九月の九日という、大蔵省の幹部に対して自行でも場合によってはやるよというようなころから、ほとんど話としてはそれは進めていたわけですね。  それで、特に九月の五日ごろから、大株主に対して劣後ローンの株式転換ということをお願いをしていた事実があると思うのですが、株主の答えはどうでしたか。
  276. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 これはやはり区々でございまして、全面的に理解を示していただいたところもございますし、もう少し、何といいますか、当然あの当時は大蔵省検査が間近に来るということも皆さんよくわかっておりましたので、その結果を見て態度を決めようとか、これはいろいろ区々でございました。
  277. 海江田万里

    ○海江田委員 区々だとおっしゃいますが、圧倒的に多いのは、それはだめですよ、この状況ですからそれは無理ですよというお答えではなかったのですか。さっきのお話と同じですけれども、イエスという答えは限りなくゼロに近かったのではないですか。
  278. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 これは、意外に多かったのは、皆さんがある程度足並みがそろえばよろしゅうございますよというお答えが多かったようでございます。  したがって、我々としては、やはりポイントのところの企業がございますし、そういうところを何とか説得してお願いをしていけばそろうのかな、こういう期待は確かにあったわけでございます。
  279. 海江田万里

    ○海江田委員 それはお断りをするときの常套手段でございますから、そう言うことはノーだというふうに理解をしますが。  そこで、この自己資本の比率を高めるという道が閉ざされますと、実は、これは今、国会で大変議論をしておるところでございますが、いわゆる預金保険法の改正でございますね。北海道拓殖銀行と北海道銀行というのは、どちらもそういう意味では大変業績の悪い銀行二つを一緒にしまして、そしてそこに対して預金保険機構からの資金援助ができるようになる。地域的に限られております二つの金融機関の経営が危なくなったとき、この二つを合併させて、そして預金保険機構から支援をするというようなお話が、今預金保険の改正の中で出ておるわけでございます。  そのようなお話を、この九月の段階で大蔵省から聞いていませんか。
  280. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 九月の段階では、具体的には私は聞いておりません。
  281. 海江田万里

    ○海江田委員 では、お聞きになったのはいつの段階ですか。
  282. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 本当に最近でございます。九月の段階では、本当に私は聞いておりません。
  283. 海江田万里

    ○海江田委員 では、最近の段階でどういうふうな聞き方をしましたか。この法案が通れば、これは御行の二つが合併になってもという話ですか。それとも、だって、もう既に九月十二日の段階で合併しませんよという話になっているわけですから、それは一般の情報として聞いたわけですか、ニュースなどで。
  284. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 私としては、一般の情報として、新聞報道とかで聞きましたし、我々の企画部等で大蔵省の担当者などからも聞いたということでございます。
  285. 海江田万里

    ○海江田委員 もちろん、これはもう既に破綻をしてしまったわけですから、そのような制度が利用できるはずもないわけでございますが、私は、やはりこの九月の上旬の段階でいろいろな可能性が探られて、その中の一つの選択肢として、当然のことながらそういう可能性というものも聞いていたというふうに思うわけですけれども、全く聞いていなかったということです。  ここは証人ではございませんから、それは重々承知をしておるのでしょうけれども、いずれまたこの真相もわかってくることだろうと思います。  それからもう一つ、いよいよ十一月に入りまして、これから拓銀の業務の移譲と、それから後清算という過程に入っていくという発表が十一月の十七日。そして、それと同時に日銀の特融が出てまいりましたけれども、この日銀の特融の資金というものを拓殖銀行では、コール市場から資金を借りておりますので、そのコール資金の借り入れに対する返済に充てていませんか、どうですか。
  286. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 日銀特融の使途ということではないかと思いますが、これは、例えばオーバーナイトでコールをとる、これがとれなくなった、当然これは資金的に穴があくわけでございますので、これも当然入っております。  それから、一般の預金の流出が、やはり十七日の発表以来、相当大幅に起きております。したがって、この穴埋めといいますか、調達不足に、預金と貸し出しのアンバランスが起きるわけでございますので、それに埋めております。
  287. 海江田万里

    ○海江田委員 コール市場で調達をした資金、オーバーナイトですから翌日に返さなきゃいけな いわけですけれども、そのためにもやはり使っておるということですか。  これは、若干議論が、これは御行の方に追及する問題じゃありませんで、むしろ日銀でありますとか大蔵の方に話をしなければいけないわけでございますけれども、日銀のこの特融の使い道ということは、大変大きな縛りがあるわけでございますね。預金者の保護のために使うということがやはり大原則でございまして、それでなければ、ここはまさにマーケットでございますから、オーバーナイトのマーケットでございますから、マーケットはこれは貸し手の方にも自己責任という問題がありますから、この問題はやはりこれから問題になってくるわけですね。  もちろん、お金に色はついておりませんから、そういう意味ではどうやったかわからないということですけれども、これまでの、頭取がやはりそういう認識を持っておる、当然のことながら、コール市場への返済にその資金を充てていいものだという認識を持っておるということは、恐らく日銀の方もそういう説明、あるいは大蔵省もそういう説明をしたんだろうと思いますけれども、これは今後大いに問題になっていく話だろうと思います。  それから、あともう一つだけ。  これは私たちの党にも北海道選出の議員もおりますし、それから支持者の中にも北海道で生業を営んでおる人たちもたくさんいるわけでございますけれども、やはりこの間、御行がこういう始末になりまして、そして、優良企業でこれまで何の遅延もなく資金を返済をしていた。中小企業の借り入れの場合、大抵、融資の枠があって、そこを行ったり返したり借りたりということをやっておって、大体おたくの場合は一億円ぐらいの融資の枠ですよとか、おたくの場合は五千万円ぐらいです、そういう枠がある。そういう枠がまだまだ余裕があるのにもかかわらず、新規の融資というものが全く受けられなくなってしまったというような事実があるわけでございますね。  これは、特に我が党の金田誠一議員が地元でございますので、政府に今質問主意書も出しているところでございますけれども、やはりそれに対して、どういうふうな経営といいますか、これまでの貸し出し、本来の、前向きの経営はできませんけれども、そういう形で枠が確保されているところに対する資金の供給を、とりわけこの年末の時期に貸し渋ってしまうということ。これはどういうふうな方針で臨んでおられるのか、お聞かせいただきたいと思います。
  288. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 日銀特融を受けているわけでございまして、それはもう一定の制約があります。それで、十七日付で業務改善命令をちょうだいしております。しかしこれは、いわゆる正常な御融資先については、結局、従来どおりやはり融資は行ってもよろしいという、いろいろございますけれども、原則的にはそういうことでございます。  ただ、今先生から御指摘があった、一部、十七日から一週間程度の間のところで、確かに営業店も混乱いたしました、支店の窓口も混乱いたしました。そして、まだ日銀特融あるいはそういう制度がどういうものかというのが、本部も営業店もかなり混乱をいたしまして、この趣旨が徹底できなかった時期の間に若干そういうケースがあったということは、これは大変申しわけないですけれども、ございました。  ただ、今はきちっとそういう趣旨を徹底して、要するに、従来の枠の中で必要な手形の決済資金あるいは賞与資金、必要な資金、これは従来どおり供給してよろしいということでございますので、その方向できちんと、御不便をかけないように今徹底してやっているところでございます。
  289. 海江田万里

    ○海江田委員 どうもありがとうございました。  ただ、それはぜひ周知徹底をお願いしたいと思います。
  290. 松永光

    松永委員長 これにて海江田君の質疑は終了いたしました。  次に、佐々木憲昭君。
  291. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。  参考人は、先ほど、破綻の原因は突き詰めていくと不良債権だと答弁されましたが、問題は、なぜそれがつくられたかということでございます。  まず、確認したいのですが、九二年二月一日に拓銀が審査体制を強化して新しい体制をつくられましたが、そのときに河谷参考人は、常務取締役として審査第一部北海道担当を引き続き担当され、新たに第三部も担当し、常務取締役として問題債権の審査の責任者となっているわけですが、これは間違いありませんか。
  292. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 そのとおり間違いございません。
  293. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 審査第一部の担当者として引き続きカブトデコム関係の問題を見ていたと思いますが、カブトデコムに対しては支援を打ち切る一方で、エイペックス、リッチフィールドを拓銀の傘下にしていったわけですけれども、その後、この二社が拓銀の重荷に事実上なっていくわけですね。どうしてこの段階できれいに清算できなかったのかというのが疑問になるわけです。  拓銀保証つき会員権、あるいはリッチフィールドを通じたカブトデコムに対する迂回融資というもののかかわりがあるのではないかと思いますが、この点はいかがですか。
  294. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 一点、ちょっと先生の御質問、違ったところは、審査第一部、審査第三部というのは、例えばカブトデコムだとかというのが担当先ではございません。これは、当時の組織の改編で、総合開発部というところが所管しておりまして、私の担当外でございました。(佐々木(憲)委員「審査は」と呼ぶ)審査第一部、三部、そして、ちょっと御説明申し上げますと、それまでは業務本部といいまして、審査もしますし、要するに預金も集めるといいますか、営業もやるという一緒の組織だったのです。これはやはりいかぬと。  要するに、営業に引っ張られて審査が甘くなるとか、問題があるということで、たしか平成二年の十月から、これは審査と預金推進、業務推進というのは分けたわけでございます。したがって、そのときの審査第一部というのが北海道全般を持ち、審査第一二部というのがどちらかというと不良債権の整理回収という意味合いを持って、それを私が担当した、こういうことでございます。
  295. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 第一部、第三部を担当された。第一部は北海道担当で、第三部が不良債権の処理と。  たくぎん抵当証券に対する融資の問題をお聞きしますが、ことしの三月の融資残高は九百八十四億円、これが破産時には千二百十二億円、二百二十八億円ふえております。さらに、最近破綻したたくぎんファイナンス、三月の状況は、六百億円、三月と比べますと融資がふえております。  ことしの四月以後、こういう融資増加というのがありましたね。これは、四月以後、道銀との合併話が進んでいる最中に、極めて破綻の危険が迫っている二つの会社に追加融資をしたということになると思いますが、この点は事実でしょうか。
  296. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 三月時点の問題は、これは本当に融資だけでございます。  今先生がおっしゃられた最新時点のものは、これは融資だけじゃなくて、その他の負債も私どもが、要するに破綻したわけでございます、たくぎん抵当証券は。したがって、それを肩がわったといいますか、そういうことで授信がふえたわけで、一般的な授信をどんどんふやしたという性格のものではございません。
  297. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 追加融資あるいは他の金融機関からの融資の肩がわり、つまりほかの金融機関はたくぎんファイナンスでは融資が減っているわけですね。それに対して拓銀はふえている、こういう関係にあったわけです。そういう意味では、不良債権をふやすという結果を招いたことは事実だと思います。  次に、時間がありませんからお伺いしますが、あわじ商会、タイム、もりに商事、ローレイ、ミッテル、こういう会社は拓銀がつくった会社と 言われていますが、これは事実でしょうか。また、この会社は何をしている会社でしょうか。
  298. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 定かに一つ一つはわかりませんけれども、従来存在してきた会社もございますし、あるいは拓銀がつくったというか、最近できたのか、これはちょっと調べてみないとわかりません。従来から存在した会社も中にはあるということは事実でございます。  これは主として不動産の管理会社、例えばあわじ商会、もりに商事等は不動産を、要するに賃貸ビルといいますか、それの管理会社、こういう仕事をやっております。
  299. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 報道によりますと、表向き不良債権の扱いにはなっていないけれども、実際には、延滞債権、金利減免債など、焦げついた不良債権を移すペーパーカンパニーだというふうに言われておりまして、このペーパーカンパニーは三十社近くある、こう言われています。  一社平均二百億、三百億、こういう債権を移動させていたという報道もありますけれども、これは事実でしょうか。総額でこういうペーパーカンパニーに幾ら移動させたのか、その事実をお答えいただきたいと思います。
  300. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 それは全部が全部ペーパーカンパニーということじゃなくて、例えば先ほど具体的におっしゃられた、もりに商事だとかあわじ商会とかタイム、これはすべて、賃貸ビルあるいはホテル、そういったものが営業しているものを管理している。ですから、これはちゃんと、十分な金利、確かに実際の具体的な賃貸収入等が入っておるわけでございます。
  301. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 ペーパーカンパニーも中には含まれているということは確認できますね。  それで、九二年の十二月に、営業実績がほとんどなかった事実上のペーパーカンパニー、これが、カブトデコムなどが所有していたビル購入資金として計二回、総額約百五十二億円の融資を行っていたということも報道されているところであります。こういうことが、表の不良債権以外に隠れた不良債権をさらにふやしていったということ、その要因になっているということが私は指摘できると思うのです。  次に、拓銀がメーンバンクの一つになっている北海道振興というのがあります。ここは、三回にわたって総会屋に利益供与を行い、商法違反で有罪になっております。この事実は知っておられますか。
  302. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 私は、余り詳しくは存じ上げておりません。申しわけございません。(佐々木(憲)委員「少しは知っている」と呼ぶ)聞いたことがあるか、しかし、本当に具体的なことは、申しわけございませんが、私は聞いたことはございません。
  303. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 これは拓銀が主要な株主になっている会社で、かつ有力な融資先であります。
  304. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 北海道振興さんは、私どもはメーンでございません。そして、いわゆるプロジェクトでのおつき合いという関係でございます。
  305. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 報道によりますと、あなたが頭取に就任をしました九四年六月、このころに、三月中旬ごろから大物総会屋が拓銀本店に頻繁に出入りしていたと報道されています。  あなたは、総会屋に会ったことはありますか。また、拓銀が総会屋に利益供与を行ったという事実はありませんか。
  306. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 私は、総会屋とは一度も会ったことはございません。  それから、いろいろなそういう問題が生じておりましたので、総務部関係調査を命じました。融資だとか便宜供与だとか、そういうのがあるのか、これは全くないというように私は断言してよろしいかと思っております。
  307. 佐々木憲昭

    ○佐々木(憲)委員 徹底した調査を行い、かつそれに基づいて今回の経営破綻の責任、それから関係者による負担、このことを最後に求めまして、時間が参りましたので、質問を終わります。
  308. 松永光

    松永委員長 これにて佐々木君の質疑は終了いたしました。  次に、上原康助君。
  309. 上原康助

    ○上原委員 社民党の上原です。  もう既に各委員からいろいろ御質問がありましたので、重複する点もあるかと思うんですが、時間の範囲でお尋ねさせていただきたいと思います。  まず、参考人は、拓銀の破綻原因として、バブル時代の不良債権を抱え込んでその消化がうまくいかなかったからだ。それはそうでしょう。それと、ことし一月ごろから危機というか非常に危険を感じたと言うが、経営状態が思わしくないということはかなり以前から知っておられたと。だのに、その再建工作がうまくいかなかった原因の背景をもう少し知りたいわけです。  要するに、拓銀の経営姿勢というのが不動産、レジャー開発投資に非常にのめり込んだ結果、大手行で最もバブルの傷痕が大きかったことに、御答弁でもあったわけで、そのとおりかと思いますね。  もう一つは、北海道あたりで一般的に指摘されていることは、行員の多くが非常にエリート意識が高くてというか持ち過ぎて、銀行の発表されたリストラ策に危機意識が欠けて、経営に甘い認識があったのじゃないかという指摘がなされております。  そのことについては参考人はどのようにお考えなのか、お聞かせ願いたいと存じます。
  310. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 行員がエリート意識を持って気位が高くて、リストラ等についても余り協力的ではない。これは先生、そういうことは私は決してないというように思っております。  私どものリストラ策は、先ほども御説明申し上げましたとおり、決してよその銀行に比べて劣ることはなかったというように断言しておいてよろしいんじゃないかと私は思っております。
  311. 上原康助

    ○上原委員 ですから、そのリストラ策はよその銀行に比べて劣ってはいなかったが、それが実行できなかったから破綻したわけでしょう。それはなぜかと言うんだ。  どうしてそのことを指摘するかといいますと、常勤役職員が、拓殖銀行は五千五百三十九人ですよね。今度、合併というかその業務を継承する北洋銀行は、常勤役職員千七百八十六人、約三分の一弱ですよ。大きいのが小さいのをのみ込むというのはわかるが、小さい方にあなた方は継承されていく。そこに根本的な経営の姿勢に問題があったのじゃないかという指摘があることについて、どうお考えかということを聞いているんです。資本金も同じ。
  312. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 小さいところが大きいところを継承するのが無理だ、こういう御指摘でございましょうか。実際上、これは機能を引き継ぐわけでございまして、それから人員も、まあそれは全部が全部行くわけではございませんけれども取引先を含め今までの仕事のファンクション、そういった機能を引き継ぐということでございますので、私は、その辺については特段問題はなかろうというように思っております。
  313. 上原康助

    ○上原委員 どうも御認識が少し違う、隔たりがあるように思います。  次に移ります。  継承されるといっても、破綻をしているんですよね、拓殖銀行は。それともう一点、合併が延期になった、できなかった背景もいろいろ御説明がありましたが、要するに、負債総額について北拓の認識と北海道銀行の間に大きなずれがあったことでしょう、それは。それをあたかも四千億か六千億程度だったということでやろうとしたところに、そもそもの大きなつまずきがあったと思うんですね。  例えば東海興業の倒産等について、一体あなた方の認識と北海道銀行の御認識はどうだったのですか。
  314. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 当然、東海興業さんの問題についても、資料としては提供をしております。  それから、東海興業さんの、これは一種の金融支援を数年間にわたって実行してきたわけで、私 どもだけではなくて、これは主力四行の体制で支援をしてきた先でございますので、金融界にいる人ならそういうことはもう十分わかっているはずでございまして、これが突如出てきたとか、そういうものではございません。しかし、当然、交換の中にもその東海興業さんの問題は入ってございました。
  315. 上原康助

    ○上原委員 そうしますと、もし北海道銀行との合併が成功しておったら、この危機は乗り切れたという御認識なのか。それとも、もう方策尽きた、そういう状況で合併も不調に終わった、こういう御認識ですか。
  316. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 道銀さんとの合併がうまくいっておれば、しかしこれは、ればたらの世界ですから、結果としては何ともこれは予測しがたいわけですが、こういう事態は避け得たのかなというようには思います。
  317. 上原康助

    ○上原委員 最後に、大蔵省の関与についてお尋ねをしておきたいわけですが、今度の、自主再建、来年、北洋銀行への営業譲渡という処理スキームの決定経緯について、大蔵省がどういう指導助言をしたのかというのが一点。  また、十月十四日に大蔵省の検査が拓銀に入ったようでありますが、それ以前に、不良債権の額など拓銀の経営状態について、大蔵省にはどういう御報告をなさったのか。そういう関係について御説明を願いたいと存じます。
  318. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 要するに、十一月の十七日が発表でございましたけれども、その前の、受け皿を、どういう助言があったかということでございますが、これはやはり、北海道の営業を主として引き継ぐということになりますと、道内に本拠を置いた銀行でなければ本来的にはならないわけでございますので、道銀さんと北洋さんの二行、ある程度の規模ということになりますと、この二行しかない。この中のどちらがいいかということで、アドバイスは当局からはいただきました。  私どもとしては、北洋さんの武井頭取さん以下、全面的に協力するという心証を我々としてはいただいたわけでございますので、北洋さんにお願いするというように申し上げたわけでございます。
  319. 上原康助

    ○上原委員 ちょっと十分ではありませんが、時間がありません。  あと最後に、従業員の雇用対策問題について、ぜひしっかり御努力をお願いしたいということです。  北拓は、北海道経済、金融関係、六割のシェアを占めておった。ほとんどが中小企業、いわゆる北海道のある面では金融界の王道を歩いておったと言っても言い過ぎではないでしょう。しかし、それが破綻をしたということになれば、北海道経済に与える影響、特に年末年始の中小企業、あるいは五千名以上と言われている雇用対策というのは深刻だと思うのですね。  これに対して、参考人はどうこれからやっていかれようとするのか。責任の所在問題を含めて、お聞かせを願いたいと存じます。
  320. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 先生のおっしゃるとおり、私としても、雇用問題というのがやはり非常に大きな、念頭から離れない大きな問題でございます。一つ受け皿として北洋銀行さんがございまして、ただ、この三月末で五千人強ぐらいの人員になると思いますが、これは全部が全部、北洋さんに移行するわけではございません。  したがって、やはりそのほかの面で雇用の場を極力拡大していくということが、私としても大きなこれは責務だというように思っております。そういう責任は、やはり果たすものはきちんと果たしていくことが大切なことだというように思っております。  雇用については、全力を挙げて進めたいと思います。何とかひとつ先生方の御理解もぜひちょうだいしたい、こういうように思っております。
  321. 上原康助

    ○上原委員 時間ですから、終わります。
  322. 松永光

    松永委員長 これにて上原君の質疑は終了いたしました。  次に、岩國哲人君。
  323. 岩國哲人

    ○岩國委員 参考人にお伺いしたい趣旨は、今後の銀行合併、その中には、今、国会で審議中の預金保険法改正、それに絡んで、その中で対象としようかという救済合併、あるいは弱者同士の弱弱合併の必要性や正当性について、今回の拓銀そして道銀のケースは大変重要な参考例となると思われるからであります。  特に情報開示を中心にしてお伺いしたいと思いますけれども自分の健康診断書を持たないで結婚する普通の男女の場合と異なりまして、自分自身の正確な情報を持たないで合併を決意したり、あるいは合併を交渉したり、そして破談となるということは、今、上原委員質問されましたように、北海道全域の経済に対する道域責任のみならず、経営責任者としての道義責任、またそれにとどまらず、株主、あるいはそれ以上に、東京都民の多くの預金者を含む多くの預金者に対する影響からいって、これは重要な問題であると思います。  十分な情報に基づいてそのような決意をされたのか、あるいは交渉が行われておったのか。合併交渉中に銀行局から支援されておったと先ほど御発言がありましたけれども、その支援しておった銀行局から、不良債権の扱いについての指導や助言はなかったのですか。この点についてお伺いしたいと思います。
  324. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 不良債権問題については、具体的に銀行局から、ああしろこうしろというものはございませんでした。その当時では、自己査定に基づいて、第三者の公平な査定をしてすり合わせるということでございましたので、それによるのが一番ベターだということでございましたので、特段のことはございませんでした。
  325. 岩國哲人

    ○岩國委員 そうした監督官庁である銀行局、しかもこの合併を支援しておった銀行局から、不良債権の問題について具体的な助言指導がなかったとは、とても考えられないわけです。  現に、頭取は、この合併が破綻したとき、九月十二日に、全行員に対して詳しくその理由を説明しておられます。その中でこのようにおっしゃっています。  この延期をせざるを得なかった理由は、次の三点に集約できる。その三点の最初は、不良債権。合併協議が難航している第一の要因は不良債権の問題です、全行員にこう説明されました。その内容としては、不良債権の額がどのくらいか、及び、二として、それをどう処理していくかの二点に集約されます。このように、ここまではっきりと、それが一番の問題だったということを行員に説明されながら、指導監督の銀行局から具体的な指導が全くなかったとは、私はとても思えません。  再度、御答弁をお願いします。
  326. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 もちろん、具体的に不良債権をどういうように始末しろとか、それから、どういう格好で処理しろというようなことではございません。やはり合併を実現した暁には、お互いにできるだけ早く合併効果を出して、償却原資をふやして、ある程度の時間は要するけれども、そういう形で処理をしていくことが望ましいというアドバイスは受けております。  ただ、余りにも長い、十年とか二十年とかというんじゃこれはお話になりませんけれども、適当な、五年程度の時間をかけて、その間にどれだけ合併効果で償却財源が両行の努力で出るのか、そういうことで組み立てていったらどうかというような御指導はいただいたというように思っております。
  327. 岩國哲人

    ○岩國委員 それでは、質問を変えます。  大蔵省からおいでになっている藤野副会長、この藤野副会長とは、不良債権の処理の問題、それから合併交渉の具体的な問題について、常に相談をしておられましたか。
  328. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 副会長でございますので、細かいことまで詰めてはございませんけれども、やはり要所要所では当然報告もしましたし、それからアドバイスもいただきました。
  329. 岩國哲人

    ○岩國委員 頭取が直接ということではなくて、藤野副会長大蔵省と頻繁に連絡をとり、あるいは大蔵の意向というものを頭取に伝えておられたということはありましたか。
  330. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 必ずしも頻繁ということではございません。余り細部にわたることは藤野副会長はされなかったわけでございますが、やはりポイントポイントでは、大蔵省の情報といいますか、考え方というようなものは伝えていただいた、こういうように思っております。
  331. 岩國哲人

    ○岩國委員 道銀との合併交渉の席上、いろいろな資料を提示されたと思います。しかし、道銀側が、そうした拓銀の資料が不十分であるといったようなことが恐らくあったのではないかと思います。そういった不良債権の問題、あるいは、十分な資料は開示されたけれども処理をめぐっての意見の対立があったかもしれません。  しかし、そうしたときに、一般株主及び投資家に対しての一番大事なものは有価証券報告書でありますけれども、この中で、センチュリー監査法人は、「経営成績を適正に表示している」、このように監査報告を出しておられます。公認会計士が適正に表示しているもので、それでもなお不十分だったんですか。あるいは適正に表示されていなかったからでしょうか。  道銀側が具体的にこの資料以外に要求したもの、一つ、二つを挙げていただきたいと思います。
  332. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 有価証券報告書というものは、これは御存じのとおり、その期その期の、その時点での決算が適正であったかどうかということでございます。  合併交渉はむしろ、現状と同時に先々の問題のウエートも相当高いわけでございますので、必ずしもその有価証券報告書、これは静態的に見る有価証券報告書だけでは十分ではない。したがって、例えば大口融資先のリストだとか、いろんなものが、かなり多数のものを提出したというように記憶しております。
  333. 岩國哲人

    ○岩國委員 大蔵省は、平成六年八月に検査をし、それ以後、合併交渉までは検査をしていない。日銀は、平成七年七月に検査をし、それ以後、合併交渉までは、検査をしたという報告は我々は受け取ってはおりません。  これは事実ですか。それとも、合併交渉の直前、特別な検査など行われましたか。
  334. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 大蔵省検査は、今先生おっしゃったとおり、これは三年サイクルで、この十月がちょうど、約三年サイクルでございました。日銀さんの考査も平成七年でございますので、これも三年サイクルでございますので、予定どおりいけば十年ということで、合併の中で特別の検査というものはございませんでした。
  335. 岩國哲人

    ○岩國委員 今参考人お話ですと、そうした指導監督、検査をすべき日銀も大蔵も、定期的な三年ごとのインターバルの検査しかしないで、そしてこのように世間の注目を引き、経済に影響を与え、そして場合によっては国民の公的な資金にまで影響する、そのような合併交渉の直前に、何ら、再度の検査もしなかったということは驚きであります。  また、これは「たくぎんレポート」、ことしの九月に発行しておられます。頭取のお写真も入って、そして日付も九月。この中で何と書いておられるか。「現段階で予測不能な損失が将来発生するとしても、新銀行にとって」つまり新しい銀行にとって「大きな負担は回避できるものと考えております。」これは九月のことです。  九月に、既にもう破談の方向に大きくいっているときに、一般の投資家あるいは預金者に対して、同じ月に、負担にならないと。なぜ負担にならないものが破談になってしまうのでしょうか、御答弁をお願いします。
  336. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 ちょっと申しわけございませんけれども、その「たくぎんレポート」というのは、具体的に私は見ておりませんでした。申しわけございません。
  337. 岩國哲人

    ○岩國委員 私は、これは虚偽記載ではないかと思います。大事な投資家に対するこのような立派なパンフレットに、しかもカラー写真で立派なお顔を載せられて、そして堂々と頭取の言葉として、経営者の確信を持ってこのように書いておられる。  これは、まさに虚偽の情報を流布されていることにならないのですか、御意見を伺います。
  338. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 九月時点でそういうことがもしあったとしたら遺憾なことでございますけれども、私としては、すべての文書に全部目が通るわけでも本当はございません。したがって、そういうことでございます。
  339. 岩國哲人

    ○岩國委員 こういうことが日本の、しかも都市銀行と言われる銀行によって、小さな銀行ではなくて、しかも海外に支店まで持っておられる、そのような銀行が救済合併。しかも、その経営者がこのようにいいかげんな形で、自分の言葉を、自分の写真を、しかも平成九年九月と日付も入っている。  合併途中であり、しかもその合併が壊れるかもしれないというときは、なおさら自分の言葉には慎重でなくちゃならないのじゃないでしょうか。しかも、これは印刷しても、急速ストップしなきゃならぬものじゃないでしょうか。
  340. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 その時点で、合併が白紙撤回とか破談になったわけではございません。あくまでも、来年の四月一日が来年の十月一日へ延期という段階でございました。したがって、延期という中では、当然これからのすり合わせ、いろいろなものがございますし、そういう表現になったものというように思っております。
  341. 岩國哲人

    ○岩國委員 もう私の質問時間、終わりましたけれども、これは大変大切な問題でありますので、正確にお調べいただいて、九月十二日、破談を発表された以降もこれが配布されておったかどうか、それは銀行としての道義的な責任もあるのじゃないでしょうか。  こういう虚偽の情報を流布して預金をさせるということ、世間ではこれを詐欺と言います。それが詐欺ではないということをはっきりさせる意味でも、いつまでこれが配布されておったかということをお調べいただきたいと思います。  以上、終わります。
  342. 松永光

    松永委員長 何か、答えありますか。いつまで配布しておったかと。
  343. 河谷禎昌

    ○河谷参考人 今、破談ということではございませんで、あくまでもこれは延期でございまして、これは破談になったという認識ではございません。その辺だけは御理解をいただきたいというように思います。
  344. 松永光

    松永委員長 これにて岩國君の質疑は終了いたしました。  以上で河谷参考人に対する質疑は終了いたしました。  次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時五十八分散会