○石田美栄君 大学レベルでもそういう講座は開かれているんですが、大きく違いますのは、女性学は学際的な学問なんですが、アメリカで始まったんですけれ
ども、これは学問体系としては日本ではまだ全く位置づけられておりません。幾つかの科目として教えられているだけでございます。アメリカではこれがアカデミックにきちっと学部としてあり、大学院までございます。
そうしたことが社会一般、学校教育にもだんだん浸透していくということですが、実はこれは国際婦人年と
関係してくるんですけれ
ども、一九七五年の国際婦人年、そしてその後の国連婦人の十年の中で世界的に女性の
権利意識が高まった中で、日本もそうですが、こういう動きの中でお隣の韓国でも梨花女子大学に女性学部というのができております。日本ではこれを学問として取り組むということでは非常にまだおくれております。ですから、全体的にそうした研究者はかなり育っていますが、教育の場面にまでそれが浸透していくというのにはまだまだおくれているというふうに思います。
私も今までウイメンズスタディーズ、女性学という言葉を何度も使ってきたのですが、ここでは学問分野での、これは先ほどから価値観の話も出ていますが、価値観の変革を図るということにつながる話でして、ちょっとこの時間でお話しする時間がありません。私もそれに関するこういう本も出していまして、そこを読み上げて聞いていただける時間があればと思ったんですが、割愛させていただいて、またいっか皆さんにこういったものをお目通しいただければというふうに思います。
ですから、女性史とか女性解放史といったものも女性学の一部なのでございます。
私は、実は議員になる前、英文学、女性学を専門としておりましたから、短大とか大学とか社会教育でこういった女性史あるいは女性のライフスタイル、男女の違い、ジェンダーといった講義をしたり講演をしておりました。
社会教育の中で公民館等々女性の集会などでこうした話をしますと、もう既に結婚した、あるいは子供を持った、そういう人たちが多いわけですけれ
ども、私たちというのはやっぱりそういう歴史の流れの中の存在だったのか、だからいろんな問題を、私たちそれぞれは時代の流れ、歴史的な産物でありまして、歴史を外れた生き方というのはできません。そういう
意味で、そういう主婦の人たちですけれ
ども、もっと早くそういった歴史あるいは流れの、
権利のことについてもきちっと体系的に知っていたら、もっと自分を見詰めてもっといい形の生き方ができたのではないかというふうにいつも言われ、意見を聞いておりました。
また、大学でも、実は地元の国立大学で男性論、女性論という一般教養の講座がありました。これは一般の人にも開放されていた科目でしたが、男性の方が多いんです。男子学生の方が六対四か七対三くらいでしたけれ
ども、そこで女性学概論という講義をしておりました。本当にわずかの時間ですけれ
ども講義をしますと、むしろ男子学生が寄ってきまして、今の女の人たちが強いのはそういう流れの中だったのか、でも、そういうことを知ればもっと理解して話し合えるというふうな感想も聞いておりました。
ちょっと話が長くなりますが、アメリカの高等学校では、これもたまたま自分が教科書を訳しているのでここに持ってきたんですが、古い方は覚えていらっしゃるかもしれません。この本は実は、アメリカでスペースシャトルに普通の人を乗せようというので、女性宇宙飛行士第一号のマッコーリフさんという高等学校の先生が乗りました。実際にはシャトルが爆発して亡くなったわけですけれ
ども、あの方なんかも普通の女性ということで、でも、最初の女性宇宙飛行士といっても子供は二人いました。
このときに、多分日本で河野洋平さん、そのとき何大臣でしたか、科技ですか、国会で弔慰金をお集めになりましたね。それで、贈られましたでしょう。あれが相当の額になったので、ニューハンプシャーの教育
委員会がこの貴重なお金をーマッコーリフさんは女性学の先生だったんですね。アメリカの高等学校では社会科の中にこういう女性学というものが位置づけられていて、州によって必須だったり必須でなかったりですけれ
ども、男女ともに選択します。
それで、ニューハンプシャーの教育
委員会が、そんなマッコーリフさんの弔慰金ですから、それならこの
機会に日本の人に来ていただいて日本の女性史の講座を教えてもらおうということで、応募したのが私の友達だったので、その人が教えに行っている間に向こうのこういう教科書を持って帰られまして、私も一緒に訳しまして、私は実はこれを短大の教科書に使っておりました。これを理由に、専門が英文学、英米の社会文化史というふうなことでしたから、こういうのを教えると同時に、日本の女性史もそこに入れて教えていたのです。
こういうぐあいに、高等学校でこうした立派な教科書、これは高等学校の女性の先生お二人でつくったものですけれ
ども、こうした授業の中に、教育の中に女性学あるいは女性史、アメリカはアメリカの女性史です、こういうものがきちっと位置づけられているのです。
私たち日本でもこうしたことを、先ほ
ども文部大臣からそうしたことを参考にというふうなお言葉もいただきましたけれ
ども、日本女性の歴史といったものが、あるいは女性学といったものがきちっと学問的に位置づけられていくことで、そうしたことがきちっと教えられる人、男女で論じていけるような教育的な背景というものが非常に重要だというふうに私は思います。
ちょっと一人でしゃべり過ぎましたが、今のような私の話につきまして、ここでちょっと官房長官そして文部大臣に御感想を
伺いたいと思います。