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1997-05-19 第140回国会 参議院 本会議 第26号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成九年五月十九日(月曜日)    午後一時一分開議     ━━━━━━━━━━━━━議事日程 第二十六号     —————————————   平成九年五月十九日    午後一時 本会議     —————————————  第一 臓器移植に関する法律案(第百三十九   回国会衆第一二号)及び臓器移植に関する   法律案(参第三号)(趣旨説明)     ━━━━━━━━━━━━━ ○本日の会議に付した案件  議事日程のとおり      —————・—————
  2. 斎藤十朗

    ○議長(斎藤十朗君) これより会議を開きます。  日程第一 臓器移植に関する法律案(第百三十九回国会衆第一二号)及び臓器移植に関する法律案(参第三号)(趣旨説明)  両案について、発議者から順次趣旨説明を求めます。衆議院議員中山太郎君。    〔衆議院議員中山太郎登壇拍手
  3. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) ただいま議題となりました臓器移植に関する法律案について、提出者を代表いたしまして、その趣旨を御説明申し上げます。  欧米諸国では、既に脳死をもって人の死とすることが認められ、脳死体からの臓器移植は日常的な医療として完全に定着しており、年間九千件を超える心臓肝臓移植が行われております。その移植成績も、新しい免疫抑制剤開発などにより年々向上しており、多くの患者がこの医療の恩恵を受けております。  アジア地域におきましても、一九八九年から一九九五年までの間に、心臓移植につきましては、韓国で四十八例、シンガポールで十四例、タイで七十七例、台湾で九十四例が行われたところであります。  一方、我が国におきましては、脳死は人の死か、脳死体からの臓器移植は認められるのかについて議論があり、臓器移植以外では助からない多くの患者は、迫りくる死の影におびえつつ、移植を受けることができる日を一日千秋思いで待ちわびながら無念の涙をのんで死を待っておられるのが現状であります。  ごく一部の方は移植を受けるためにやむを得ず海外に渡航しておられますが、海外におきましても多くの患者移植を待っており、外国人である我が国患者に対する門戸も徐々に狭まってきていると聞いております。こうしたことから、患者やその家族からは、我が国においても脳死体からの心臓肝臓などの臓器移植の道を開いていくことが強く求められておるところであります。  この問題につきましては、日本医師会生命倫理懇談会が、昭和六十三年一月、「死の定義」について、「従来の心臓死のほかに、脳の不可逆的機能喪失をもって人間個体死と認めてよい」との報告をいたしております。  この報告書におきましては、   脳の死については、厚生省研究班判定基準必要最小限基準として大学病院等倫理委員会において基本的事項を定め、これによって疑義を残さないように、慎重かつ確実に判定を行うべきであること、   脳の死による死の判定は、患者本人またはその家族意思を尊重し、その同意を得て行うのが、現状では適当であること、   脳の死による死の判定は、それが日本医師会等一般的に認められるとともに、患者側同意を得て、適切な方法で、医師によって確実になされるのであれば、それを社会的及び法的に正当なものと認めてよいと考えられること、   脳死判定による死亡時刻としては、初めの脳死判定時と、その後六時間ないしはそれ以上たってからの脳死確認時とが考えられ、死亡診断書死亡時刻はそのいずれによってもよいが、死後の相続の問題に備えて、もう一方の時刻診療録記録するものとすること、   臓器移植は、臓器提供者及び受容者本人、またはそれらの家族が十分な説明を受け、自由な意思で承認した場合に、日本移植学会の定める指針に従って行うものとすること、  以上の内容が盛り込まれているところであります。  その後、平成四年一月、臨時脳死及び臓器移植調査会が、脳死を人の死とすることについてはおおむね社会的に受容され合意されていると言ってよいとした上で、一定の要件のもとに脳死体からの臓器移植を認めることを内容とする答申を提出しましたことは、皆様承知のとおりでございます。  これを受けて、超党派の生命倫理研究議員連盟各党会派代表者から成る脳死及び臓器移植に関する各党協議会の場で検討協議が重ねられ、平成六年四月には、臓器移植に関する法律案衆議院に提出されました。その後、厚生委員会における参考人意見聴取や、いわゆる地方公聴会の開催が名古屋市、仙台市、福岡市の三カ所で行われたものの、必ずしも十分な審議が行われたとは言えない状況でございました。このため、昨年六月には、審議を促進し一日も早い法制化実現を図るとともに、移植医療が広く国民に受け入れられ浸透することを期待し、提出者からは修正案が提出されましたが、昨年秋の衆議院解散に伴い、残念ながらこの法律案は廃案となるに至りました。  しかしながら、人工臓器開発がまだ不十分で、我が国におきましても、心臓肝臓等移植医療国民の理解を得つつ適正な形で定着させ、人種、国籍を問わず人道的見地に立って、移植を待つ患者を一人でも多く救済できるようにしていくことは、一刻の猶予も許されない緊急の課題となっております。  我が国におきましても、角膜及び腎臓につきましては既に移植が行われており、医療としても定着していることは、皆様も御承知のとおりであります。  重度の腎臓障害により人工透析を受けている患者は、毎年約一万人ずつ増加してきており、現在では十五万人を超えるに至っております。これらの患者方々は、人生を終えるまで人工透析を毎週受け続けるという大変不自由な生活を強いられておられますが、腎臓移植を受けた方々生活の質が格段に改善され、多くの方が社会復帰を果たされているのであります。  このように、腎臓障害患者の方の生活を大きく改善させる腎臓移植でありますが、残念なことに、近年、その件数は減少傾向をたどっております。この背景には、脳死臓器移植問題の影響があるのではないかと指摘する声もあり、腎臓移植を含めた我が国移植医療全体をさらに推進していくためにも、早期に脳死臓器移植問題の解決を図っていかなければならないものと考えております。  このため、脳死体から臓器摘出できることを明確にするとともに、臓器提供承諾を初めとする臓器移植に関する手続臓器売買の禁止などを盛り込んだ包括的な臓器移植立法の一日も早い成立がぜひとも必要と考えております。  このような見地に立って、平成六年四月に提出された法律案内容に、昨年六月に提出された修正案内容を加え、臓器移植に関する法律案を再度提出した次第であります。  以下、この法律案の主な内容につきまして御説明を申し上げます。  まず第一に、この法律は、移植医療の適正な実施に資することを目的とすることとしております。  第二に、臓器提供に関する本人意思は尊重されるべきこと、臓器提供は任意にされたものでなければならないことなどの臓器移植基本的理念を定めております。  第三に、医師は、臓器提供についての承諾がある場合には、移植術に使用するため、脳死体を含む死体から臓器摘出することができることとしております。ここで、脳死体とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された死体をいい、その判定は、一般に認められた医学的知見に基づき厚生省令で定めるところにより行うこととしております。  第四に、臓器提供承諾についてでありますが、平成六年四月に提出された法律案では、本人意思不明等の場合においても、遺族書面により承諾しているときは臓器摘出ができることとされておりましたが、この法律案では、その部分を削除し、御本人が生前に臓器提供意思書面により表示しており、かつ遺族が拒まない場合または遺族がないときにのみ臓器摘出ができることとしております。ただし、当分の間の経過措置として、角膜及び腎臓については、本人意思不明等の場合で、遺族書面により承諾したときは、脳死体以外の死体からの摘出も行うことができることといたしております。  第五に、臓器移植に関する記録作成及び保存義務並びにその閲覧について定めております。  第六に、臓器売買及び臓器有償あっせんについては、これを禁止することとしております。  第七に、業として臓器あっせんをしようとする者は、厚生大臣の許可を受けなければならないこととしております。  第八に、平成六年四月に提出されました法律案においては、法律施行後五年を目途として検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべき旨が規定されておりましたが、本法律案では、この法律施行後三年を目途として検討が加えられることといたしております。  このほか、必要な罰則規定等を定めるとともに、この法律制定に伴い現行角膜及び腎臓移植に関する法律は廃止することとしております。  なお、この法律施行期日は、公布の日から起算して三月を経過した日といたしております。  以上が、この法律案趣旨でございます。  何とぞ、本院におかれましても、慎重かつ十分御審議の上、速やかに御可決くださいますようお願いを申し上げます。(拍手)     —————————————
  4. 斎藤十朗

    ○議長(斎藤十朗君) 猪熊重二君。    〔猪熊重二登壇拍手
  5. 猪熊重二

    猪熊重二君 ただいま議題となりました臓器移植に関する法律案につきまして、提出者を代表して、その趣旨を御説明申し上げます。  現在、世界各国において、脳死状態にある者から臓器摘出移植する手術が数多く行われておりますが、このような諸外国における移植医療の発展は、ほとんどが医学界自己責任による移植手術の実績の積み重ねの結果であります。  しかるに、我が国においては、昭和四十三年のいわゆる和思臓移植手術以降現在まで脳死状態からの心臓摘出及びこれの移植手術が全く行われておりません。その理由がどこにあるのかの議論はともかくとして、善意臓器提供者及び臓器移植を待つ人々双方にとって、我が国移植医療現状は適切に対応していないと言わざるを得ません。  このような立法事実を目前にして、私たちは、臓器提供者善意を生かし、かつ臓器移植を待つ人々の願望にこたえるために、関係するすべての人の生命尊厳を保障する適切な法制度を早急に整備すべきであります。  ところで、脳死状態にある者からの臓器摘出移植に関する法の制定に関し、現在二つの大きな見解の対立があります。  まず第一の立場は、脳死状態法律で一律に死として、医学的な意味にとどまらず、法的、社会的にも死と宣言し、この者からの臓器摘出死体からの臓器摘出とする立場であります。  しかし、この見解は、以下の理由により妥当性を欠くと言わざるを得ません。  まず、我が国において、脳死を人の死と認める社会的合意はいまだ成立していると認めることはできません。そもそも、多くの人々脳死状態にある者と植物人間と言われる状態にある者との区分を十分に理解し得ていない段階において、脳死を人の死として認めるか否かについての正当な判断を導き出すことは不可能と言うべきであります。かかる状況において、脳死を人の死と認める社会的合意存在を肯定することは相当でないと考えます。  次に、平成六年の一年間死亡者は約八十八万人ですが、このうち心臓死の前に脳死状態に陥ったと推定される者は一%以下、どんなに多くても八千人と言われています。これらの脳死状態に陥った者のうち、何人が臓器すなわち心臓等摘出対象者となり得るのかは、全くの仮定にすぎませんが、仮に一割と見たところで多くて八百人であります。この数値は、年間の全死亡者に対しわずか〇・一%以下にすぎないのであります。  このように、全死亡者の〇・一%以下の脳死状態にある者を死者と取り扱う必要性のために、全死亡者、さらには全国民に全く新しい死の概念である脳死状態イコール死の承認を強制することは著しく社会的妥当性を欠くと言わざるを得ません。  次に、いわゆる三徴候による死の判定は何びとの目にも死が認識し得るところでありますが、脳死イコール死立場においては、脳死状態有無、換言すれば死者であるか生者であるかの区別は専ら医師判定に依存することになります。その結果として、脳死状態にあっても、医師による脳死判定がなされない限り脳死者イコール死者はいつまでも生者であり続けることとなり、その限度において脳死状態にある者の生死の境界は専ら脳死判定する医師判断に一任されていると言えるのであります。  しかし、近代国家における至高の存在である個人生命医師判定有無によって存在したり消滅したりすることは、あり得べからざる背理であり、生命尊厳、人格の尊重を否定するものと言わざるを得ません。  以上のほか、脳死者イコール死者と普遍化することによる法体系混乱、例えば相続人の順位や相続開始時点の確定、殺人罪死体損壊罪の成否などに多大の法的混乱が生ずることが予想されます。  以上の諸点から、第一の立場にくみすることはできないのであります。  次に、第二の立場は、脳死状態にある者を死者と認めない立場に立ちつつ、なお脳死状態にある者からの臓器摘出社会的相当行為と認める立場であります。  まず、近代法のもとにおいて、個人自由意思自己決定権は、最大限に尊重されるべき自由の一内容であります。したがって、個人がその正当な意思能力を保持している状況において自己脳死状態にあると適正に判定された場合、自己臓器提供したいとする意思表示は、個人自由意思自己決定権に基づく行為として、法律の上においても最大限に尊重されるべきものであります  ところで、以上のように、死が不可避で死期が迫っている状況のもとにおいて自己決定権に基づく臓器摘出を相当と考えた場合であっても、このような行為社会的に真に許容されると言えるためには、法は次の諸要件を厳密に規定する必要があります。  すなわち、  一、適正な手続脳死状態に陥ったと判定された場合、自己臓器提供する意思表示書面脳死状態になる前に作成されていること  二、その者の家族が、当該個人意思実現、すなわち脳死状態からの臓器摘出を拒まないこと、または家族がいないこと  三、当該摘出が、臓器移植目的のもとに、その用に供するものとして摘出されるものであること の三要件を充足する場合に限定して脳死状態にある者からの臓器摘出を法的に許容、承認することとすべきであります。  そして、このような要件を充足する医師による摘出行為は、それによって当該個人の死を招来することとなっても、刑法第三十五条の法令または正当な業務による行為として違法性を阻却し、刑事上何らの責任を生じないものとすることができるのであります。  このような第二の立場が、臓器提供する善意個人臓器移植を待つ病める個人との双方の希望を充足し、かつ社会的混乱を起こすことなく社会全体に受け入れられる医療行為であると考えるものであります。  本法律案は、この第二の立場に立って提案されております。  以下、この法律案の主な内容につき御説明申し上げます。  第一に、この法律は、臓器死体または脳死状態にある者の身体からの摘出が、移植術に使用されるために提供する本人意思に基づいて行われることを目的の中に定めております。  第二に、脳死を人の死とせず、脳死状態にある人も、死体ではなく、人権享有主体であることを前提にしております。したがって、脳死状態判定後の身体も、死体ではなく、生きている者として健康保険法など医療給付関係各法の適用を受けることは従来と変わりません。したがって、いわゆる中山案法律名が同じでありますのでこのように呼ばせていただきたいと思いますが、いわゆる中山案附則第十一条のような、「脳死体への処置」を「当分の間」各法に基づく「医療給付としてされたものとみなす」との規定は不要であるため置いておりません。  第三に、脳死状態判定は、これを的確に行うに必要な知識と経験を有する二人以上の医師移植医を除く)が、一般に認められている医学的知見に基づいて厚生省令で定めるところにより行い、その判断の一致によって行われるものとしております。  第四に、脳死状態にある者の身体からの臓器摘出要件として、提供者本人提供意思が署名及び作成年月日の記載とともに書面で表示されている場合に限り脳死状態にある者の身体からの臓器移植を容認し、さらに提供者家族臓器摘出を拒まないとき、または家族がないときを要件としています。  以上に規定する各要件が厳重に遵守される限り、臓器摘出する行為は、社会的に許容される法令または正当な業務による行為とするものであります。  第五に、従来の三徴候死により判定された死体、いわゆる心臓死からの臓器移植要件については、提供者本人提供意思書面で表示されている場合で、遺族が拒まないとき、または遺族がないときとしています。しかし、角膜及び腎臓移植については、従来の角膜及び腎臓移植に関する法律と同様に、附則で、提供に関する本人意思が表示されていない場合に遺族承諾による移植も認められるものとしております。  第六に、脳死状態身体からの臓器移植犯罪捜査手続刑事訴訟法第二百二十九条一項の検視など犯罪や死因の解明を妨げることのないように、医師捜査機関に対する通知を義務づけるとともに、臓器摘出に関する捜査機関異議権を認める規定を設けています。  第七に、臓器摘出に関する記録作成保存について定め、関係者による閲覧に加え、謄写を認めています。  第八に、血管、皮膚その他の組織の移植について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるものとしています。  このほか、必要な罰則規定等を定めるとともに、この法律制定に伴い、現行角膜及び腎臓移植に関する法律は廃止することといたしております。  なお、この法律施行期日は、公布の日から起算して三月を経過した日としております。  以上が、この法律案の主な内容であります。  最後に、いわゆる中山案との基本的な相違を申し上げておきます。  中山案は、脳死をもって人の死とするものでありまして、これは臓器移植を行うために法律で人の死を定めようとするものであります。いまだ心臓が鼓動し、人工的にせよ呼吸が続き、触れると温かい、出産さえも可能である人間死者として受け入れることはできないという多くの国民意思法律で否定しようとするものであります。  その上、日本医療現場で弱い立場に置かれている患者立場を考えると、これらの人々人権が守られる保障が存在していないことも厳然たる事実であります。こうした現実をかんがみろと、やはり脳死を人の死とする中山案はとるべきではないのであります。  これに対し、本法律案は、法律脳死を人の死と規定する立場をとらず、個人自由意思自己決定権に基づく行為として、慎重に臓器移植が行われるようにすべきであるという法案であります。  本法律案は、多様な考え方を尊重するという立場から、臓器移植問題を解決するものであり、救急救命措置が徹底的に尽くされることはもとより、脳死判定の着手やその方法においても関係者により慎重な対応を迫るメリットがあることは言うまでもありません。  いずれにせよ、大切なことは、いずれの法案が日本人死生観宗教観に沿うものであるのか、また、いずれの法案我が国医療に対する国民信頼度に見合ったものであるのかということであります。  何とぞ、慎重かつ十分な御審議の上、速やかに本法律案を御可決くださいますようお願い申し上げます。  どうもありがとうございました。(拍手)     —————————————
  6. 斎藤十朗

    ○議長(斎藤十朗君) ただいまの趣旨説明に対し、質疑の通告がございます。順次発言を許します。関根則之君。    〔関根則之登壇拍手
  7. 関根則之

    関根則之君 私は、ただいま議題となりました臓器移植に関する法律案、いわゆる中山案及び猪熊案両案につきまして、両発議者並びに厚生大臣に対して質問をいたします。  生きとし生けるもの、死は避けることのできない厳粛な運命であり、それだけに人の死の問題につきましては、医学的、生物学的のみならず、社会学的、法的、さらには哲学、宗教にかかわる問題として慎重に検討され、個々人死生観生命倫理観により最終的に判断されるべき事柄であります。  このため、臓器移植に関する法律案につきましては、一部の党を除き各会派とも党議拘束を外し、衆議院会議において採決が行われ、圧倒的賛成多数により中山案が通過し、参議院において猪熊案とともに本日審議の運びとなりました。  本院におきましては、良識の府としての名に恥じないよう、議員個々人良識、信条に基づき、十分な論議を積み重ねていくべきであることをまず強調しておきたいと思います。  他方、一日千秋思い臓器移植を待ち望んでいらっしゃる患者家族方々思いをいたしますと、何とか早く臓器移植を可能にする法制度の整備を行わなければならないという思いに駆られるのであります。  世界臓器移植状況を見ますと、国連加盟国の中でいまだ臓器移植が行われていない国は、パキスタン、ルーマニア、そして日本の三カ国のみであります。  これらの点を踏まえつつ、どのようなあり方が最善なのか、また、第三の道がないのかも含めまして審議を進めていくべきだと考えます。  五年前に、いわゆる脳死臨調が脳死を容認し、これに賛同しない立場意見も付して最終答申を出しましてから、国民の間にさまざまな論議がなされてまいりました。しかし、基本的な問題は、臓器移植を可能にするために脳死を人の死としてよいのかという問題であります。人類の長い歴史の中で定着してきた心臓死のほかに、新しく脳死という考え方を導入してよいのかどうか。判断に迷い、ジレンマに陥っている方々もかなり多いものと思われます。  そこで、両法案発議者及び厚生大臣にお伺いいたしますが、この問題で、この五年間国民世論の動向がどのように変化し、現在いかなる状況になっているのか、御答弁を願いたいと存じます。  中山案猪熊案の本質的な違いは、脳死を人の死と認めるか否かについてであると私は理解しております。  このことに関し、まず猪熊案についてお伺いいたします。  脳死は人の死ではなく、脳死状態にある人は生きているのだという猪熊案考え方に立てば、摘出すれば死に至る心臓を取り出すという行為殺人罪に当たるのではないかとの指摘があります。そして、この場合、現場医師立場といたしましては、一つの命を救うために他の命を犠牲にするわけですから、二つの命のとうときに差を設けるということになり、モラルとして許せないとの意見もございます。また、臓器提供を受ける側にとりましても、他人を死に至らしめてまで生き長らえてよいのかとの疑問も出てまいりましょう。  これらの指摘に対してどのようにお考えなのか、猪熊案発議者にお伺いいたします。  次に、この件に関して、中山案についてお伺いいたします。  中山案は、脳死は人の死であるとの前提に立っているのではないかと思います。  全脳の不可逆的な機能停止をもって人の死と考えており、この考え方臓器提供意思を有する人に適用されるだけでなく、臓器提供意思もなく、脳死を人の死として受け入れることに疑問を感じている人にも一律に適用されることになっております。なぜこのように臓器移植関係のない人に対してまで脳死概念を導入する必要があるのですか。  この法律案臓器移植に関する法律案ですから、臓器提供意思を有する人に対してのみ脳死を適用すれば足りるのであって、その範囲を広げて脳死一般規定することは臓器移植法案守備範囲を超えることとなるのではないかと思います。これでは臓器移植法ではなくて脳死法になってしまっているのではないかと思います。  次に、脳死判定の信頼性についてお伺いいたします。  心臓死は、長い歴史の積み重ねの中で一般的にも認められてきたものであります。これは外見的にも遺族にわかりやすいものであるのに対しまして、脳死遺族にとっては公正に判定されたものであるのかどうか不安に思うこともあると考えるのであります。このことについては、医療に対する国民の信頼性の問題が根底に横たわっているものと思います。  脳低体温療法によって蘇生限界点が延びてきた今日、望ましい臓器を確保するために救急医療が途中で打ち切られるおそれがあるのではないか、蘇生の可能性のある患者が助からなくなるのではないかとの指摘もございます。  現在、竹内基準世界的に最も信頼できる基準であると言われていますが、蘇生限界点は医学の進歩によって今後とも延びていくものであると思います。脳死を人の死とすることにより、本来助かる可能性のある人の命が奪われることになりはしないかとの心配は全く起きないのか、そして、その心配を払拭させるためにどのような施策を講じるお考えなのか、中山案及び猪熊案の両発議者にお伺いいたします。  次に、移植実施に向けての体制整備の問題についてお伺いします。  日本における臓器移植、特に心臓移植の技術は世界に比べて一体どのくらいの水準にあるのか、このことは意見の分かれるところでもあると思います。個々の医師がおのおのの施設で臓器移植を行っても、よい成果が上がらないのではないかと思います。我が国における臓器移植を定着させていくためにも、当分の間は国内の移植を行う施設を限定する必要があるのではないかと思うのであります。この考えにつきまして、両案の発議者及び厚生大臣にお聞きします。  次に、医の倫理の確立についてお伺いいたします。  脳死を人の死と認めるか否かは別として、二十九年前の和思臓移植以来、臓器移植問題に対する国民の不信感は相当根強いものがあると思われます。臓器提供者及び家族承諾なしに他の臓器等も摘出してしまい、そのことが後になって判明し問題視されたことがございます。医療側と患者家族側との間に受けとめ方の違いがあるように思われます。しかし、個人考え方の違いはあるにいたしましても、人間身体はその人自身の歴史が刻み込まれており、家族や友人等にとってはその人そのものをあらわすものであり、かつ精神の宿っていたものなのであります。このような問題が今後も起き続ける限り、臓器提供者の増加も期待できないのではないかと思われます。  臓器提供者意思表示に当たっては、臓器提供範囲を明確にできるようにする等、本人意思が明確にわかるようにして、かつそれが尊重されるシステム、例えば運転免許証に組み込まれたドナーカード等を構築することが必要であると思います。そして、臓器摘出に当たっての厳格な倫理規定の確立が何よりも求められるのではないかと思うのであります。この件に関し、中山案及び猪熊案発議者に対してお伺いをいたします。  そして、国民臓器移植に対する不透明感に、臓器移植基準の明確化と情報公開を積極的に行っていくことも大切であると思います。このこともあわせて両案の発議者にお伺いいたします。  最後に、脳死を人の死とするかどうかについて、死生観生命倫理観が多様である現状にかんがみ、特別委員会におきましては、識者や関係者等の意見を十分拝聴するとともに、脳死段階における臓器移植は、死を迎える我が身を他者の命を長らえるためにささげるという人間の崇高な意思に基づいてのみ行われるという基本的立場に立って、脳死を人の死とすることを一般化しない方策や、脳死判定を拒否できる権利等について十分論議を深めていくべきであることを強調いたしまして、私の臓器移植に関する両法律案に対する質問を終わります。(拍手)    〔衆議院議員中山太郎登壇拍手
  8. 中山太郎

    衆議院議員中山太郎君) 関根議員のお尋ねにお答えをさせていただきたいと思います。  まず第一問、脳死臓器移植の問題についてこの五年間国民世論の動向がどのように変化し、現在いかなる状況になっていると認識されているかという御質問でございました。  現在、脳死臓器移植の問題につきましては、これまでの世論の動向の変化と現状は、当初と比べて脳死臓器移植に対する国民の理解が相当進んできていると認識をいたしております。いろんな世論調査を見ましても、国民の約過半数を超える方々がこの問題についての認識を深められていると思います。  第二のお尋ねでありますが、脳死を人の死と受け入れることに疑問を感じている人たちに対する配慮として、個人が死の判定方法を選択することができないか、こういうお尋ねでございました。  御案内のように、個人が死の判定方法を選択することができないかという問題では、既に患者は瀕死の状態にあるわけでございまして、その患者自身が自分が脳死を選ぶか心臓死を選ぶかということは現実の問題として困難であろうと思います。ここにこの問題のポイントが一つあるのではないか。  しかしながら、実際の脳死判定に当たりましては、まず一般患者もそうでございますけれども、危篤状態が近づいてくるといったことについては、その担当の医師、また特に救急医療現場では、一人の医師ではなくチーム医療によって、救急の患者の救命のために医師並びに看護婦がチームを組んで全力を挙げてやってしるわけでございますから、一人の判断で物が決定されるわけではございません。また、御家族が突然の事故で大変驚かれて、その救急医療現場に来られたときに、御家族に対して患者状態がどのような状態かということを説明することは当然の医師責任であろうと思いますし、このことこそがインフォームド・コンセントの一番のポイントであろうと思います。  そこで、御本人が生存中に明確に文書によって自分が脳死状態になったときに臓器提供を行ってもよいと記録をされている場合、この場合以外は一切この臓器移植は行えないということが原則でございますし、御本人にそういう御意思があっても御家族方々が反対された場合には、これは行うことはできないということでございます。  御案内のように、だれもがこの脳死判定を受けるのじゃないかという不安があるという御質問でございましたけれども、一般に救急医療現場脳死による死亡者というものは、先ほどの猪熊議員の御発言でもございましたように、全死亡者の一%、脳死状態では〇・一%でございます。  そういう状態の中で脳死判定を行うかどうかということ、これはもちろん御本人自身は決定する能力はもはやございませんから、御家族が反対された場合、また御本人が生存中に脳死判定を受けないという意思を明確に文書に残されている場合は一切脳死判定は行わない、そして自然死に至るまで治療を続けていくということが私どもの提案の趣旨であるということを御理解いただきたいと思います。  また、第三に、脳死を人の死とすることで助かる可能性がある人の命が奪われるのではないかということは、今申し上げた御答弁で御理解がいただけると思います。  日本における臓器移植の技術は世界と比べてどのくらいの水準にあるかということについては、世界のいろんな移植の施設で研究のために移植手術を現実に経験されたたくさんのドクターが既に日本に帰国をしておられます。そういうことで、現在、私どもの国家にある最先端の医療施設を持った施設及びそこで勤務をする移植に関する経験を持った医師たちの水準は世界的水準にあるものと信じております。  第五の御質問でございましたが、臓器提供者となるに当たって、提供臓器範囲を含め本人意思が明確にわかり、それが尊重されるシステムの構築、また厳格な倫理規定の確立が求められると思いますがどうかというお尋ねでございました。  臓器提供者となる本人意思確認のシステムについてのお尋ねは、本法律案におきまして本人臓器提供意思書面によって明確に表示されていることが基本的条件でございます。  第二に、臓器提供意思を確認する書面についてはドナーカードなどが挙げられますが、提出者といたしましては、国民の理解を得つつ適正な形で臓器移植が普及していくように、ドナーカードの普及啓発に全力を挙げていかなければならないと考えております。  次に、厳格な倫理規定の確立が必要でございます。  私ども提案者といたしましても、医学の進歩に伴っていろいろとこれから医の倫理の確立ということが今日ほど求められる時代はなかったと思います。私ども、改めて現場医師たちに、医の倫理の確立こそが国民の医に対する信頼の回復の最大の要点であるということも強く主張をいたしております。  特に臓器移植の分野につきましては、移植関係する学会で構成される移植関係学会合同委員会におきまして臓器移植に関する指針が作成されておりまして、今後とも倫理面を含めた移植医療そのもののあり方についてルールをつくることが必要でございますし、大学等におきます教育におきましてもこの倫理の徹底した教育がこれから必要になってくるものと信じております。  国民臓器移植に対する不透明感を払拭させるために臓器移植基準の明確化及び情報公開が大切であると。これに対する御答弁を申し上げる次第でございますが、国民臓器移植に対する不透明感の払拭のための方策は、移植医療の分野におきまして国民の信頼の確保と理解が特にこれは欠かせない問題でございます。不信感の払拭のためには、移植医療に関する医師等あるいは看護婦、こういった医療スタッフの倫理観が確立されること、これが基本の原理であると考えております。  また、臓器移植の機会の公平公正性の担保という観点から臓器移植ネットワークの整備を早急に行わなければならない。また、全国的に統一した基準によって客観的に移植患者が選定される仕組みを構築することが不可欠であると考えております。  つまり、人間愛に基づいて提供された臓器、この貴重な人間愛のたまものというものが公正公平に配分されるということが極めて移植医療を行っていく上での条件であろうと思いますが、ここの問題につきましては、さらに私どもはネットワーク整備の管理というものについて十分検討を深めていくことが必要であろうと思います。  また、情報公開という問題がございます。この情報公開につきましても、さきの衆議院審議におきましていろいろございました。  一つは、提供者であるドナーの方々の氏名、これを一切公表しないことが原則であります。いろいろな欧米諸国移植現場あるいは組織を見て検討いたしました結果に基づきましても、提供されるドナーの方のお名前、またドナーの御好意を受けられるレシピエント、移植を受けられる方のお名前も絶対に公表してはならないということでありまして、医療に関する関係者は、この問題につきましては、刑法の定めるところによって厳しくこの秘密性を守ることが何よりも社会の公平性を確保する上で必要なものであると考えております。  以上、御答弁を申し上げます。(拍手)    〔猪熊重二登壇拍手
  9. 猪熊重二

    猪熊重二君 関根議員の御質問にお答え申し上げます。  最初の御質問は、脳死に関する世論の動向についてのお尋ねであります。  脳死を人の死と認めるか否かについての世論調査は、昭和六十年以降、政府、脳死臨調、各種マスコミ等により数多く実施されており、脳死臨調答申後のこの五年間においても各種マスコミにおいて実施されてきております。  その細かい数値は申し上げませんが、概説すれば、これを肯定する数値は五割ないし六割近く、これを否定する数値は二割ないし三割程度と認識しております。  これらの世論調査の結果を見た場合、肯定・否定の数値は、時間的経過に並行して上昇もしくは下降することなく、そのときそのときの調査で不規則に変動しているという事実が認められるのであります。このことは、この五年間をとってみても、国民脳死肯定・否定のいずれとも決しかね、思い悩んでいる姿の反映であると私は考えます。  ところで、脳死臨調は平成四年一月二十二日の答申において、臨調自体の世論調査の結果、すなわち一九九一年九月の、脳死肯定四四・六%、脳死否定二四・五%の結果にもかかわらず、委員の多数意見をもって、脳死を人の死とすることについては、「概ね社会的に受容され合意されているといってよい」と結論づけていますが、この五年間の世論調査の結果は、右の脳死臨調の多数意見の結論が全く正当性を持っていないことを明らかにしていると言えるのではないかと考えるところであります。  次の御質問は、私たちの法案、すなわち脳死状態にある者をいまだ生者とし、この者からの臓器摘出を認める法案妥当性に関するお尋ねであります。  まず私たちは、厳格にすべての要件を充足して判定された脳死状態にある者を生者とし、この生者からの臓器摘出行為は、殺人罪ないし承諾殺人罪違法性を阻却し、何ら犯罪となるものではないという立場に立っております。  その理由の第一は、特定の個人が健全な意思を有している段階において、将来、自己脳死状態に陥ったときはその判定を受認すること、さらに脳死状態判定された場合には臓器摘出して有益に移植することを承諾する旨の書面作成している場合、当該個人自己生命尊厳に対する決定権は最大限に尊重されるべきであると考えるからであります。  さらに、このような本人自己決定権に基づき医師臓器摘出することにより死に至ったとしても、当該医師行為移植目的のためのものであって、単に死を結果することを目的とする承諾殺人行為などと法的評価において全く異なるものであって、同罪の違法性がいささかも認められないと考えるからであります。  なお、私たちは提供者と受領者との間の生命の価値に差を認めるものではありません。すべての人間生命尊厳、価値、不可侵性は同一であります。そして、違法性阻却とは、当該行為が国家社会の秩序維持、公共の福祉の観点から正当な行為として許容されるか否かの問題であります。したがって私どもは、脳死状態にある者からの臓器摘出行為は、医師のモラル、倫理と何らかかわるものではない社会的正当行為であると考えております。  次の御質問は、脳死判定基準判定方法の確実性及び蘇生限界点の問題についてのお尋ねであります。  まず、脳低体温療法によって脳の蘇生限界点が延びてきていることは事実と認められるべきであり、医学の進歩、研究、発展に敬意を表するところであります。しかし、脳死状態とは全脳の機能が不可逆的に停止することでありますので、蘇生の可能性がある者、すなわち蘇生限界点がどのように延びてきた場合であっても、蘇生の可能性のある者が脳死状態判定されることは本来的にあり得ないことであります。  しかし、実際の脳死状態判定において、蘇生限界点内にある者を脳死状態にあると誤認する可能性は、関根議員御指摘のとおり常に内包している危険性であります。それゆえ私たちは、法案において、脳死判定を行う者を移植と無関係な専門医師二名以上とし、その二名以上の医師判断の一致によって判定することとし、判定の正確性を期しております。さらに、判定の細部については厚生省令において同省と医師専門家組織との慎重な協議によって厳格に規定されるべきものと考えております。  また、判定基準の変更についてでありますが、医学を中心とする科学技術の進歩により、今後判定基準がさらに厳格に変更されることも十分に予想されるところであります。それゆえにこそ私たちは、現行判定基準を納得し、承認し、正常な意思のもとにおいて脳死状態判定をみずから受認した個人に対してのみ脳死状態判定を行うこととしております。将来変更する可能性を持っている判定基準によって国家が脳死イコール死国民に強要することなど、個人尊厳を基調とする日本国憲法のもとにおいて認められるべきではないと信じているからであります。  次の御質問は、移植実施の体制に関するお尋ねであります。  移植実施に向けての脳死状態判定医師の資格や判定実施機関の選定、ドナーやレシピエントの情報把握に関するネットワークの整備、移植実施医師移植実施機関の選定等について、法案では厚生省令の定めるところとしております。これらの事項は法案に具体的に規定することが不適当な内容であること、それ以上に、これらについては保健・医療行政の担当省庁である厚生省とプロフェッショナル組織たる医学界との協議決定に委任することが妥当と考えた結果であります。御了承を賜りたいと思います。  なお、関根議員御指摘のとおり、移植施設を限定すべきとの御意見は、心臓等移植の実績のない現在の我が国状況のもとにおいてはまことに相当な御意見と存じます。  次の御質問は、臓器提供者意思の尊重並びに医の倫理確立についてのお尋ねであります。  臓器提供者提供臓器範囲の限定に関する意思が尊重さるべきは当然のことであります。法案第二条の基本理念にその旨を明記したところであります。また、私たちは、法案第六条、第七条において、臓器移植術に使用されるため提供する意思を表示した書面という場合の「臓器」とは、本人が具体的に指定した臓器を指すものであり、臓器一般とか全臓器とかを意味するものとは考えておりません。また、本人意思確認のためのドナーカードの具体的内容・形態については厚生省令の定めるところとしております。  また、議員御指摘臓器摘出に当たっての厳格な倫理規定の確立についても全く同意見でありまして、法案では第九条に摘出に際しての礼意の保持を規定しておりますが、この点を含め、厚生省、プロフェッショナル組織としての各大学医学部、医学関係学会・諸団体において適切な倫理規定作成、遵守されるよう期待しているところであります。  最後の御質問は、臓器移植に関する国民への情報公開についてのお尋ねであります。  私たちは、臓器移植に関する諸事情、例えば脳死状態とは何か、判定基準判定機関の信頼性や公平性、移植ネットワークの必要性、公平性、開放性、我が国の実情と諸外国との比較等々の諸事情につきすべて国民に開示されるべきは当然であり、必要なことと考えております。このために、国の機関としての厚生省が、専門医師組織のみに頼らず、みずから積極的に情報を開示することが必要と考えております。  以上で答弁を終わります。(拍手)    〔国務大臣小泉純一郎君登壇拍手
  10. 小泉純一郎

    ○国務大臣(小泉純一郎君) 関根議員にお答えいたします。  脳死についての世論の状況についてでありますが、最近の新聞報道によりますと、調査の中には若干異なる結果のものもありますが、各種の世論調査等の結果を見ますと、脳死はいわゆる人の死である、脳死状況からいかなる治療を施しても生き返ることはないということの国民の理解は増加しておりまして、私は大方の理解を得ているものと認識しております。  移植施設の限定についてですが、厚生省としても、臓器提供が必ずしも多く期待できない当初の段階におきましては、移植を実施する施設を限定しておくことが移植医療の技術の向上や国民の安心感を高める観点からも適切なことと考えております。  以上でございます。(拍手)     —————————————
  11. 斎藤十朗

    ○議長(斎藤十朗君) 水島裕君。    〔水島裕君登壇拍手
  12. 水島裕

    ○水島裕君 私は、中山案に賛成の立場から提案者、厚生大臣に質問いたしますが、この法案は多くの問題点を含んでおります。ずっと医学界にいた私としましては、この問題点をわかりやすく整理したいと思います。  私が望むことは、参議院で中山案の賛成者が一人でもふえるということはもちろんでございますが、それと同時に、議員の皆様脳死臓器移植というものを十分理解され、自分の判断でもってなるべく早く自分の意思を決していただきたいことであります。宗教とか死生観などから本法案に反対される方がいらっしゃるのもむしろ納得ができることでございます。  まず、脳死が人の死であるか否かですが、竹内基準で正確に判定された脳死は医学的には人の死と断言してよろしいのではないかと思います。しかし、人の死という重大な問題に関しまして医学界判断国民に押しつけるというのは問題でありまして、社会的合意が必要であります。  実は先日、仕事の関係もあって脳死患者を見てまいりました。そうしましたら、心臓も動いておりますし、体温も正常であります。また、外見的にはすやすやと寝ているようでございます。このような人が死んでいるというふうに十分の国民的合意を得るためには、脳死の知識の普及あるいは脳死についての啓発ということがもう少し必要ではないかと思っております。  なお、先ほど猪熊議員から脳死心臓死がかなり異なるというようなお話がございましたけれども、私ども九八、九%はこれからも心臓死で死亡を判定するわけでございますけれども、その意味は、そのときは既に脳死、あるいはそれから数分後は、あるいはどんなことがあっても三十分後は脳死になるという、これは医学的な一般的な見解に基づいているものでございますので、そう違ったことではないということを御理解いただきたいと思います。  さて、それでは何ゆえ今回中山案に私が賛成するかと申しますと、この法案ではドナー本人の署名による同意が必要となっているからでございます。その意味は、ドナーの方が脳死は人の死であるという医学的な認識に同意され、しかも臓器提供することを意思表示されたものであり、社会的に見ても十分受け入れられることでございます。本人の署名が脳死を認めているということを含んでいるかどうか、これは大切なことでございますので、提案者にぜひ御意見をお伺いし、確認をしていきたいと思っております。  ここで、対案の猪熊案について私の意見を述べさせていただきます。  猪熊案作成の気持ちというのは大変私もよくわかります。問題点は、先ほどからありましたように、医学的にほぼ合意されている脳死は人の死であるということを法律で否定していることになることが第一。それから第二は、生きている人から心臓などを摘出することであります。仮に私がそのときの死亡診断書を書けということを言われましたら、死亡の原因は心臓摘出と書くことになると思います。このようなことは、臓器提供を受ける患者さんも、あるいは臓器摘出するお医者さんも受け入れにくいことだというふうに思います。提案者にそのことを御質問したいと思います。  次に、脳死臓器移植法律で定めるべきか否かの問題に移ります。  確かに私どもは現在法律で死を判定しているわけではありませんし、また、例えば英国では、ドイツもそうですけれども、臓器移植法制化してはおりません。しかし、現在は国民も国会で何らかの決定を下すことを期待しているので、法制化は国会の義務だと思います。  なお、最近聞いた話では、衆議院移植法案が通ったので、現在、外国へ行って移植を受けようと計画を立てていた人が、これは日本でも受けられるということで日本で待っている患者さんがいるそうであります。今会期中にこの法案が通らなかった場合、移植を待つ患者さんへの影響が極めて大きいと思いますので、私は、ぜひ今会期中に成立を希望しておりますが、そうでなかったときの患者さんあるいは医学界についての影響について提案者にお尋ねいたします。  さて、今回の移植法案審議においても医師医療に対する不信がしばしば唱えられました。それでなくても、臓器移植は倫理的に行わなければなりません。特に脳死判定が重要で、そのためには脳死判定法と脳死判定者の資質ということが問われます。公正確実な脳死判定者の資格は省令ないし学会レベルで決めることであるかもしれませんけれども、さらに検討する必要があると思いますが、厚生大臣、いかがでございましょうか、お伺いいたしたいと思います。  脳死判定で仮に一例でも疑惑が生じることがあれば、今後の日本における脳死体からの臓器移植医療というものは壊滅すると私は思っております。  なお、衆議院脳死判定の拒否権に関する議論が行われておりましたけれども、私の考えは極めて簡単でございます。改定医療法でも議論されておりますように、脳死判定の際に必須の無呼吸テストという、こういう重要な試験というのは、現在でもそうですけれども、当然患者説明して同意を得ることにしております。すなわち、インフォームド・コンセントをとるべきであります。ですから、現在でも家族は実質的に脳死判定の拒否権を持っているということになると思います。  本法案の運用については、さらに幾つかの問題があります。  移植を行う施設を、先ほども話がありましたように少数に限るべきではないか。これは、技術的な面からも倫理的な面から見てもその方がよいと思います。  次が、訓練された移植チームを早急に確立すること、あるいはその移植の準備体制を常に備えておくことです。ドナーカードの普及、ネットワークづくり、移植後の感染対策なども大切です。移植において移植医が行う手術というのは、移植医療のごく一部であるということをぜひわかっていただきたいと思います。  このように、本移植法案の成立も重要ですが、成立後の運用がこの法律の価値を大きく左右いたします。法律ができても、後がうまくいかないでは困るわけでございます。我々は、その運用が正しく行われることを前提にこの法案に賛成しておりますので、厚生大臣の高い見識あるいは判断力、実行力を期待したいと思いますが、いかがでございましょうか。  先日も報道されましたように、八歳の女の子が言葉も通じない外国移植待機中に亡くなったということがありました。このような患者さんが外国ではなく日本で安心して移植医療が受けられるよう、また移植医がこれまでのように殺人罪で訴えられることのないよう、中山案が一日も早く多数の賛成を得て成立することを切望し、私の質問を終わらせていただきます。(拍手)    〔衆議院議員矢上雅義君登壇拍手
  13. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) 水島議員より臓器提供意思表示についてのお尋ねですが、御存じのように、中山案におきましては、本人意思を、つまりドナーの意思最大限に尊重することを基本理念といたしております。当然、臓器提供本人意思書面により確認することとなっております。  さらに、御指摘のとおり、脳死後に臓器提供してくださるという意思書面で表示しておられる方については、多くの場合、脳死を人の死と認めておられる方ではないかと考えております。  次に、今国会中の成立を望むとの御指摘ですが、現在、心臓移植の適応となる患者さんは最高で約六百人ほど、また肝臓移植の適応となる患者さんは約三千人いらっしゃいます。その多くの方々が、一日も早く中山案が成立し、我が国移植が行えるようになるのを待ち望んでいると聞いております。  また、先生御指摘のように、八歳の女の子が言葉も通じない外国移植待機中に亡くなりました。せっかく日本国内にも善意提供者がいて、移植水準も高いにもかかわらず、一億円近い多額のお金を親御さんが用意して外国に渡らねばならないのが今の日本の実情でございます。お金のある親であればともかく、普通の親御さんが一億円近いお金をどうやって集めることができるのか、また、非常に体が弱っている移植を待つ患者さんが十何時間も時間をかけて米国等に渡航して、そして何日も待機して、果たして健全な移植医療が行われるのか、非常に私は疑問に思っております。  どうか、せっかくの機会でございますので、このような状況を考えまして、参議院においても慎重な御審議の結果、一刻も早くこの法案を成立させていただきたいと考えております。  以上、答弁を申し上げます。(拍手)    〔朝日俊弘君登壇拍手
  14. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 水島議員にお答えいたします。  私どもに対する御質問は二点あったと思います。まず第一点、医学的にほぼ合意されている脳死は人の死であるということを法律で否定していることになるのではないかという御質問でございます。  私どもが提出させていただいております法律案では、脳死は人の死であるということを法律で定めることについては明確に否定をしております。しかし、医学的見地から見て脳死が人の死であるかどうか、医学界内部における合意形成のあり方やその到達点については否定も肯定もいたしておりません。  この際、御指摘の、ほぼ医学的に合意されていることが現段階では必ずしも社会的にも国民的にもいまだ十分には合意されていないのではないかという点が問題であります。私は、常々、医学・医療はもう少し謙虚であるべきだというふうに感じております。改めて申し上げるまでもなく、人の死は、その確認の仕方から死の受容のあり方まで、宗教的、文化的な違いや個々人の価値観や人生観の違いなど、いわば死の文化の違いが存在することを私どもはお互いに承認せざるを得ないのではないでしょうか。そういう現実を踏まえて、私どもは今回の法律案作成させていただいた次第でございます。  第二点に、生きている人から心臓肝臓提供を受けるということは、患者医師も受け入れにくいという御指摘がございました。  御指摘の点は、確かに雰囲気としてはわからないわけではございませんが、ここで前提として確認しておきたいことは、今、問題とされております脳死あるいは脳死状態と言われている状態は、客観的な事実は一つあるいは同じであるということでございます。  その客観的な事実は一つであるけれども、その状態を一方の案、つまり中山案では人の死と定め、他方私どもは、不可逆的に死に至る状態として、ぎりぎりのところで人の生を認めております。その上で、私どもは、法的に厳正な手順を踏んでいる場合に限って、適正な医療の関与のもとで本人自己決定を実現するということを認めようとしているわけでございます。  この点は、今後、極力情緒的な議論にならないようにお互いに注意深く避けながら、これからの審議をさらに深めていく必要があるのではないかというふうに考えております。  以上でございます。(拍手)    〔国務大臣小泉純一郎君登壇拍手
  15. 小泉純一郎

    ○国務大臣(小泉純一郎君) 水島議員にお答えいたします。  脳死判定を行う者の資格についての御質問ですが、脳死判定基準として考えております竹内基準におきましては、脳死判定を行う医師については、移植関係がなく、かつ脳死判定に十分な経験を持つ医師が二名以上で行うこととなっております。具体的には、脳神経外科、救急等の分野の専門医または学会認定医の資格を持ち、しかも経験の豊富な者とされているところであり、厚生省としては妥当なものと考えております。  法案成立後の運用が重要ではないかとのお尋ねですが、御指摘のとおりだと思います。法案成立後、実際の臓器移植が円滑に行われるよう厚生省としても努力していきたいと考えております。  以上であります。(拍手)     —————————————
  16. 斎藤十朗

    ○議長(斎藤十朗君) 山崎順子君。    〔山崎順子君登壇拍手
  17. 山崎順子

    ○山崎順子君 平成会の山崎順子です。私は猪熊案に賛成の立場で質問をいたします。  今回の脳死移植問題は、医学的・法学的側面だけでなく、文化的、哲学的、宗教的、社会的側面を持ち、人類の社会に対して後世にまで重大な影響を及ぼすものだと思います。だからこそ、脳死を人の死と認めての臓器移植が適当かということについて多くの人々がためらいや疑問を感じるのであって、私は、医師や弁護士といった専門家ではありませんが、普通の人々のそうした思いを代弁するつもりで質問をさせていただきます。  まず、私がお聞きしたいことは、我が国において脳死移植を行うには新たな法律制定が本当に不可欠なのかということです。  中山案衆議院で可決された背景には、移植医の先生方の学会が法律なしでも脳死移植を行おうとしたことが後押しとなったとも言われており、法律がなくても脳死移植はできるとおっしゃる有識者の方々もおられます。また、諸外国における移植医療の発展は、ほとんどが医学界自己責任による移植手術の実績の積み重ねの結果です。なぜ脳死移植実施のために新たに法律をつくる必要があるのか、両案の提出者に伺います。  次に、たとえ新たな法律制定、改正が不可欠であるとしても、脳死は人の死であると認めないとする人たちが相当数存在する現在、脳死体を含む死体という規定は人の死を定義したことになりはしないか、そのような死生観の押しつけを法律がしていいのかという問題です。そのことについて中山案提出者に伺いたいと思います。  今回の中山案のもととなった脳死臨調の答申には、「臓器移植の推進を目標に脳死が「人の死」かどうかを議論することは適当ではない」と書かれています。しかしながら、現実には、脳死は人の死か、脳死体からの臓器移植はどのような条件のもとに認められるのかという二つの課題を中心に脳死臨調の審議は行われてきました。  このように、初めに移植ありきで、日本人の死の定義、文化さえ変えようというのは、人々のためらいどころか反発さえ生みかねず、そうした目的のために手段としての法をつくろうという態度は、臓器移植をひたすら待っている人々にとっても、また善意臓器提供しようという人々にも禍根を残すことになりはしないでしょうか。  さて、中山案は、法的安定性・公平性を優先する余り、脳死を一律に死として扱うという選択をし、これにより、脳死を死と認めたくない人まで脳死を宣告され、治療の打ち切り等の脳死者側の人権侵害が起こる可能性が強まってしまいました。  胆道閉鎖症の子供を守る会がこの三月に百家族を対象に実施したアンケートでは、移植法案成立を九八%の人が期待しながら、脳死体からの移植が実施されるようになった場合、「それを選ぶ」が五一%、「生体肝移植を選ぶ」が四一%と、それほど大きな開きがなかったそうです。これについて守る会の代表者は、脳死を人の死とすることに対しまだ十分確信が持てず不安と戸惑いを持っている姿が浮かび上がっていると分析しておられます。  移植を待望する家族方々でさん不安を持っておられるのです。脳死を死と認める中山案では、ドナーの人権、治療権はどうなるのか。脳死状態の人が十分な治療を受けられないことになるのではないか。治療を打ち切らないでほしいという家族の願いは入れられるのか。また、死体となると、その医療費・保険の適用はどうなるのか。以上について、中山案提出者及び厚生大臣にお答えいただきたいと思います。  さらに、脳死判定の問題があります。  脳低体温療法など、脳死を死とする法律がなかった日本だからこそ格段に治療法が進歩したのであって、今後ますます脳の医学は進歩するでしょう。法的に死を定めれば医学の進歩を阻害することになりはしないでしょうか。脳死判定基準の信頼性と見直しの必要も含め、中山案提出者及び厚生大臣にお答えいただきたいと思います。  再び中山案提出者に伺います。  なぜ脳死を一律に死と扱うような規定にしたのでしょうか。すべての脳死患者死者として扱う必然性があるのでしょうか。脳死と宣告されながら出産をした妊婦の例がアメリカに一例、日本にも一例あると聞いております。  また、私は、移植を希望しておられる方々移植医方々社会の幅広い支持を受けるためにも、臓器提供を希望しない脳死者の方には影響が及ばないような法律、例えば任憲法にするなり家族脳死判定拒否権を保障する規定を設けたりする方がよいと考えております。  デンマークは、脳死制定後、家族脳死を受け入れられない場合は厳格に適用する必要はないという通達を出しておりますし、米国のニュージャージー州は、宗教的信条を理由とする脳死判定拒否権を認めております。このようなことは考えられないでしょうか。  脳死を死としない猪熊案に対しては、生きている人から臓器摘出するなんて耐えられないとの強い批判があります。しかし、中山案猪熊案では、臓器摘出する物理的な作業、客観的事実は全く同じです。同じ脳死状態です。それを法律で死と規定しているかどうかの違いです。  猪熊案は、脳死状態になった場合にはみずからの臓器提供したいというドナーの善意と、臓器移植でしか助からない患者さんたちを何とか助けたいという移植医の熱意をむだにしないために、厳しい条件下での脳死者からの臓器移植社会相当行為と認め、その場合の医師による摘出行為は、刑法第三十五条の「正当な業務による行為」として違法性が阻却されるという論理をとっています。そして、臓器摘出に関する記録作成保存義務を定め、関係者による閲覧、謄写ができることとして透明性を確保し、犯罪等の防止に努めております。このよりに、脳死を一律に死と認めなくても十分に臓器移植はできるのではないかと思います。  良識の府と自認する参議院では、中山案猪熊案の両案を謙虚に審議し、国民のコンセンサスが得られるまで十分な修正を行うべきではないでしょうか。そのことを両案の提出者にお尋ねし、私の質問を終わります。(拍手)    〔衆議院議員矢上雅義君登壇拍手
  18. 矢上雅義

    衆議院議員(矢上雅義君) ただいま山崎議員より臓器移植に関する立法必要性に関するお尋ねがございました。  脳死臨調の答申におきましては、「脳死をもって「人の死」とすることについては概ね社会的に受容され合意されているといってよい」とした上で、一定の要件のもとに脳死体からの臓器移植を認める答申を取りまとめ、内閣総理大臣に提出しました。しかしながら、その答申後においても脳死体からの臓器移植は実施されていない状況が続いております。  その結果、我が国においては、善意臓器提供意思にこたえることができないとともに、移植を受けないと助からない患者さんは、外国移植を受けたごく一部の方を除き、我が国移植を受けることができる日が一日も早く来ることを待ちわびているという状況にあります。  このような現状にかんがみ、脳死体からの臓器移植を含む移植医療国民の理解を得つつ適正な形で実施できるようにするためには、臓器移植について、臓器摘出要件臓器移植に関する記録作成及び保存、また臓器売買の禁止、臓器あっせん機関に対する規制等、移植医療に必要な法的な枠組みや諸条件を整備する必要があると考え、本法案を提出した次第であります。  次に、法律で死の定義を行う必要があるかとのお尋ねでありますが、この法律案は、臓器移植に関するものであり、人の死を統一的に定義する法律ではないことを御認識いただきたいと考えます。  この法律案においては、脳死は人の死であるということ、つまり、社会的合意があることを前提として脳死体死体であることを確認的に規定しております。  脳死が人の死であることについては、脳死臨調の答申においても「概ね社会的に受容され合意されているといってよい」とされており、また、近年の各種の世論調査等を見ても、国民脳死についての理解は確実に深まってきているものと認識しており、私ども提案者としましても、このような考え方に立ってこの法律案を提出したものでございます。  次に、脳死臨調は初めに移植ありきで審議を進めたのではないかとのお尋ねもございましたが、脳死臨調においても同様の懸念があったことから、まず脳死をめぐる問題を中心に検討し、その結果を中間意見として取りまとめて公表し、しかる後に臓器移植の問題について検討するという慎重な手順で調査、審議が進められたものと承知しております。  また、私たちの法案は、脳死臨調などで示されているとおり、脳死が人の死であるとの社会的合意があることを前提脳死体を含む死体からの臓器摘出要件等について規定しており、臓器移植の条件整備のために死の定義や文化まで変えようとしているとの御指摘は当たらないものと考えております。  続きまして、中山案によるとドナーの人権、治療を受ける権利、家族の治療継続の希望、脳死後の医療費・保険適用はどうなるのかとのお尋ねでございます。  中山案にもございますように、ドナーの人権本人意思を尊重する、これが基本理念となっております。また、脳死判定後にどのような対応をとるかについては、本人の権利を尊重するという基本理念に基づき、さらに医療現場における家族医師との話し合いの上で決まってくるものと考えていますが、本法律案においては、脳死判定後は保険の給付が打ち切られるのではないかとの家族の声に配慮して家族の治療継続の希望等によって健康保険法等の規定に基づく医療給付に継続して脳死体への処置がされた場合には、当分の間、当該処置は当該医療給付としてされたものとみなすこととしております。  次に、脳死を人の死とすることで医学の進歩が阻害されるのではないかとの御質問でございますが、そもそも脳死とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止する状態を言います。いわゆるポイント・オブ・ノー・リターン、既に蘇生限界点を超えて二度と生き返ることがない状態を指します。それに対しまして、医学・医療は蘇生限界点の拡大を追求し、患者の命を救うことが使命であります。そのような立場に立てば、脳死を人の死とすることで医学の進歩が阻害されるとはないと考えております。  次に、竹内基準の信頼性と見直しの必要性についてでありますが、我が国脳死判定基準とされているいわゆる竹内基準は、世界的にも厳格なものであるとの評価が医学界では一般的であり、現在でも妥当なものと考えておりますが、もとより、脳死判定基準の医学的・科学的見地からの妥当性の検証は今後とも必要と考えております。  次に、脳死を人の死と一律に扱うことについてのお尋ねでありますが、先ほどからの答弁どおり、まず、「脳死をもって「人の死」とすることについては概ね社会的に受容され合意されている」という平成四年の脳死臨調の答申が出ております。  さらに、本法律案においては、このような考え方前提として、脳死体死体であることを確認的に規定しているものであり、御理解をいただきたいと考えております。  次に、臓器提供を希望しない脳死者に配慮して、任憲法とできないか、また脳死判定の拒否権を保障できないかとのお尋ねでございますが、患者家族脳死心臓死かの選択を認めることは、本来客観的事実であるべき死の考え方としては不適当であると基本的に考えております。  しかしながら、実際の脳死判定に当たりましては、家族に対して脳死についての理解が得られるよう説明を行うことが必要と考えており、家族同意が得られない場合には結果として脳死判定が行われないものと考えております。  最後に、国民のコンセンサスが得られるまで十分な修正を行うべきではないかとのお尋ねでありますが、本法案は、国民各層による幅広い議論を行うために設けられたいわゆる脳死臨調、平成二年より脳死臨調の検討が始まっておりますが、平成四年一月に答申が出され、さらに超党派の脳死及び臓器移植に関する各党協議会などにおける議論の積み重ねを集約したものと考えております。  いずれにしましても、修正すべきか否かとの点につきましては、今後の国会審議を十分見守ってまいりたいと考えております。  以上、答弁を申し上げます。(拍手)    〔朝日俊弘君登壇拍手
  19. 朝日俊弘

    ○朝日俊弘君 山崎議員にお答えいたします。  初めに、なぜ新しい法律をつくる必要性があるのか、こういう御質問でございました。  私どもも、我が国移植医療が、和思臓移植を初めとする幾つかの不幸な事件によって国民の信頼を失い、いまだその影を完全に払拭できておらないというふうに認識をしております。  一方、国内においても一刻も早い移植を待ち望んでおられる患者さんやその家族がおられます。そういう状況の中で、しかし我が国においてはいまだ脳死は人の死として受け入れられてはいない、社会的なコンセンサスは十分得られてはいない、そういう今日の状況であるだけに、適切な移植医療を推進していくためには、そのための新たな法律制定が必要である、こういうふうに考えております。  移植医療を待ち望む患者さんやその家族の願いと、脳死状態での臓器提供意思表示しておられる方の思い、その両者の間を適正に橋渡しをしていくための法制度を整備し、適切な移植医療を進めていく、そうした観点から今回法律を提出させていただいているわけでございます。  最後のところで、十分な修正を行うべきではないかという御意見がございました。  もちろん、提案者といたしましては、適切に移植医療が行われるために、私どもが提案をいたしました本法案が現段階ではよりよい法律案であるというふうに考えて提出をさせていただきましたが、今後、本院において新たに設置された臓器移植に関する特別委員会を中心に慎重かつ十分に審議を尽くしていただき、さらに国民の幅広い意見に耳を傾けていく中において、もっとこうした方がよいのではないか、こういう点がございますれば、修正あるいは補強について私どもとしても十分に検討してまいりたいと考えております。  以上でございます。(拍手)    〔国務大臣小泉純一郎君登壇拍手
  20. 小泉純一郎

    ○国務大臣(小泉純一郎君) 山崎議員にお答えをいたします。  脳死後の医療費等はどうなるかでありますが、中山案においては、脳死を人の死と認めることをちゅうちょする人に配慮するという観点から、健康保険法等に基づく医療給付に継続して脳死体へ処置された場合にも、当分の間、医療給付とみなすこととしております。  脳死を人の死とすることと医学の進歩との関係についてですが、医学・医療患者の命を救うことが使命であるということにかんがみれば、脳死を人の死とすることで医学の進歩が阻害されるとは考えておりません。  また、竹内基準については妥当なものと考えていますが、今後も医学的見地からの検証は必要と考えております。  以上であります。(拍手)     —————————————
  21. 斎藤十朗

    ○議長(斎藤十朗君) 谷本巍君。    〔谷本巍君登壇拍手
  22. 谷本巍

    ○谷本巍君 私は、社会民主党・護憲連合を代表し、臓器移植に関する二つ法律案提出者及び関係大臣に質問をいたします。  なお、便宜上、衆議院送付案を中山案、本院の議員提出法案猪熊案と呼ばせていただくことについてお許しをいただきたいと存じます。  去る四月二十七日の読売新聞全国世論調査によりますと、脳死容認派は前回調査よりも一〇ポイント近く減少しまして半数を切ったことが明らかにされております。衆議院脳死を人の死とする中山案が可決された直後に報道されたこの調査結果を、中山案提出者はどのように受けとめられておるでありましょうか。この結果をもって脳死を人の死とすることについて社会的合意ができていると言えるのかどうか、まずお伺いいたしたいのであります。  また、中山案では、脳死者の保険適用について当分の間存続させることとしております。ここで言う「当分の間」とはいつまでのことなのか。さらに、自賠責や民間医療保険における取り扱いについてどのようにお考えになっておるか、お聞かせいただきたいのであります。  次に、猪熊案についてお伺いいたします。  猪熊案では、脳死を人の死とせずに脳死状態の人からの臓器移植を可能としております。    〔議長退席、副議長着席〕  そこで伺いたいのは、生きている人から臓器摘出することは本来なら殺人罪に該当いたします。これを違法性阻却で説明することが果たして可能なのでありましょうか。また、刑法における同意殺人の取り扱いや、判例が求める安楽死の要件との均衡についてどのようにお考えになっておるか、お聞かせいただきたいと思います。  また、猪熊案は、究極の自己決定権理由に、生きている脳死状態にある者からの臓器移植を認めているにもかかわらず、臓器摘出要件家族承諾を加え、家族承諾しなければ本人意思にかかわらず臓器摘出を認めないこととしております。このことは、自己決定権の尊重という観点からいたしますというと矛盾しかねませんが、その点どうお考えになっておるか、お伺いいたします。  一方、中山案猪熊案いずれの立場もとらず、脳死状態臓器移植を希望する人については脳死を人の死として認め、それ以外の場合には従来の三徴候説をとる、いわゆる個別死を主張する第三の声があることを私どもは承知いたしております。このいわゆる個別死の考え方について、両案の提出者はそれぞれどのようにお考えになっておるでありましょうか。  以下、中山、猪熊両案についてお伺いいたします。  脳死を人の死とすることにためらいを見せる人たちの理由の一つに、脳死判定基準、いわゆる竹内基準への不安があるように思われます。脳死判定基準は竹内基準で必要十分であるとお考えでありましょうか。  この竹内基準脳死判定について、日本医師会の生命倫理懇談会の最終報告は、できれば主治医と複数の専門医師による三人以上の医師の関与があることが望ましいとしておりますが、この点についての御所見をお伺いいたします。  なお、脳死判定基準については、大学病院等において竹内基準に幾つかの要件を付加した基準等が複数存在しております。このうち最もポピュラーなのが観察時間の延長であります。中山案は、竹内基準の六時間という観察時間は必要十分な時間とお考えでありましょうか、御見解をお伺いいたします。  次に、本人意思及び家族承諾に関連して両案の提出者にお尋ねいたします。  まず、本人同意という観点から、臓器摘出が可能な年齢について両案の提出者はどのようにお考えでありましょうか。また、知的障害者がドナーあるいはレシピエントになる可能性及びその要件についてもお伺いいたしたいと思います。  同時に、この問題及び竹内基準で六歳未満の小児を除外していることに関して、仮に法案が通っても子供の臓器移植は現実問題として難しいのではないかとの指摘がなされていることについての御所見と、移植に際してその承諾を必要とする遺族あるいは家族範囲についてお示しいただきたいと存じます。  さらに、両案に設けられました見直し規定でありますが、それぞれ三年後もしくは五年後とされた根拠及び想定される見直しの主眼点について御説明いただきたいのであります。  次に、臓器移植を円滑に推進するためのネットワークの整備、ドナーカードの普及方策並びに移植コーディネーターの資格、要件及びその養成策について中山案提出者の御所見をお伺いいたします。  最後に、臓器移植は本来的には過渡的医療であるという立場から、人工臓器開発を初めとする医療の充実についてお尋ねをいたしたいと存じます。  今日、臓器移植によってのみ助かる命が多数あるということについては私どもも十分承知いたしております。しかし、臓器移植はあくまで他人が脳死状態に陥ることを前提にして成立するものであり、また、移植を受けた人にしましても、生涯免疫抑制剤を飲み続けなければならないなどの根本的な問題を有しております。その意味では、我々はいつまでも臓器移植に頼るべきではありません。人工臓器開発医療技術の進展と、これに基づく医療の充実にこそ全力を注ぐべきであると思います。この点について、厚生大臣の取り組みをお伺いしたいと思います。  冒頭に申し上げました世論調査の結果は、脳死臓器移植に対する複雑な思いが交錯する国民感情を如実に示したものと言わなければなりません。その意味からも、本院における精力的かつ慎重な審議により、脳死及び臓器移植について国民的世論の喚起がなされることを念願いたしまして、私の質問を終わります。  ありがとうございました。(拍手)    〔衆議院議員横光克彦君登壇拍手
  23. 横光克彦

    衆議院議員(横光克彦君) 谷本議員にお答えいたします。  脳死を人の死とするとの回答が半数を切ったとの世論調査に対する受けとめ方についてのお尋ねでございます。  御指摘の調査におきましては、四月十九日と二十日が調査日であり、中山案衆議院での可決日、四月二十四日より前に行われたものでございますが、これによれば、脳死を人の死としてもよいとする回答の割合が、前回調査時に比べ減少し、半数を少し下回る結果が出たことは承知しております。  しかしながら、国民世論の動向につきましては、各種の世論調査を見ますと、脳死を人の死と認める人の割合は全体としては増加傾向にあると承知しており、また、御指摘の調査におきましても、臓器提供については過半数の方が肯定的な回答をするなど、国民脳死臓器移植に対する理解は確実に深まってきているものと認識いたしております。次に、脳死者の医療について当分の間、健康保険を適用することとされているが、「当分の間」とはいつまでなのかとのお尋ねでございます。  御質問の「当分の間」につきましては、具体的な期限を念頭に置いたものではありません。しかし、いずれにいたしましても、今後の我が国移植医療をめぐる現場状況あるいは国民の理解を勘案した上で判断されるべき問題ではないかと考えております。  次に、自賠責や民間医療保険における取り扱いについてのお尋ねでございますが、私ども提案者といたしましては、自賠責や民間の医療保険につきましても、この健康保険の特例措置趣旨を踏まえた取り扱いがなされることを期待する次第であります。  次に、脳死状態での臓器提供を希望する人については脳死を人の死とし、それ以外は従来の三徴候説をとるという考え方についてのお尋ねでございます。  こうした考えについては、脳死臨調においても検討され、脳死心臓死かの選択権を認めることは、本来客観的事実であるべき死の考え方としては不適当であり、大きな問題があるとされてきたものと承知しております。  ただし、脳死判定がされた後において初めて死となるものであり、脳死判定がなされない場合には従来の三徴候死によるものと考えております。  なお、先ほどから御説明がございますように、脳死は全死亡例の一%未満程度であると考えております。  次に、本人の事前の意思によって脳死判定を拒否することは可能かとのお尋ねでございますが、先ほど申しましたように、患者脳死心臓死かの選択を認めることは、本来客観的事実であるべき死の考え方としては不適当であると基本的に考えております。  しかしながら、実際の脳死判定に当たりましては、家族に対して、脳死について理解が得られるよう、必要な説明を行うことが必要と考えており、本人の事前の拒否があったことなどにより家族同意が得られない場合には、結果として脳死判定が行われることはあり得ない、このように考えております。  次に、脳死判定基準として竹内基準で必要十分かとのお尋ねでございますが、この竹内基準につきましては、脳死臨調答申の中では、専門委員からの報告や国内外の専門家の意見を総合的に判断した結果、竹内基準は現在の医学的水準から見る限り妥当なものとの結論が出ているとともに、厚生省に設けられました専門家によるワーキンググループにおきましても竹内基準は妥当であるとの結論が出されております。  もとより、医学的・科学的見地からの妥当性の検証は今後とも必要と考えておりますが、現在の医学的知見に照らしても竹内基準は妥当なものと考えております。  次に、脳死判定について、できれば主治医と複数の専門医師による三人以上の医師の関与があることが望ましいのではないかとのお尋ねであります。  竹内基準におきましても、脳死判定に十分な経験を持ち、移植と無関係医師が二人以上で判定するとしており、複数の専門医師の関与を求めているところであります。  竹内基準の二人以上という点は、脳死判定に当たって必ず満たさなければならない基準を示したものでありますが、より多くの専門家の目を通し、判定結果の客観性を高めるという意味で、できれば三人以上の医師によって判定を行うことが望ましいとの考えも竹内基準とは矛盾しないものと考えております。  次に、脳死判定における観察期間についてのお尋ねでございますが、竹内基準におきましては観察期間を六時間を基本として定めておりますが、年齢や原疾患、経過、検査所見などを考慮しつつ、さらに長期間観察すべきであるとしております。また、特に二次性脳障害、例えば溺死や窒息死などの場合ですね、こういった二次性脳障害や六歳以上の小児を判定する際には観察期間を六時間以上置くこととしているところであります。  この竹内基準につきましては、脳死臨調での検討や厚生省に設けられた専門家のワーキンググループの検討におきましても、医学的に見て妥当な基準とされているところであり、提出者といたしましても、観察期間を含めて竹内基準で妥当であると理解しております。  次に、現在、各大学病院等におきまして独自の判定基準を策定しており、その観察時間が異なっていることから、死亡時刻混乱が生じないのかとのお尋ねでございます。  確かに、現在、大学病院で定められている脳死判定基準の観察時間につきまして多くの施設が竹内基準に準拠しておりますが、一部ではさらに長時間の観察時間を定めている施設があることも承知しております。  法案の成立後は、脳死判定基準は「厚生省令で定めるところにより、行うもの」とされており、観察時間についても竹内基準に準拠して定めることになるものと考えておりますので、死亡時刻混乱は生じないものと理解いたしております。  次に、臓器提供意思表示臓器移植についての理解に関するお尋ねでございます。  臓器提供意思につきましては、基本的に尊重されるべきものであり、その前提といたしましては、臓器提供及び臓器移植に対する正しい知識と理解が前提となるものであります。これを理解し、臓器提供に関する意思表示の効果を理解した上で、主体的に判断する能力、すなわち意思能力を備えていれば有効に意思表示をすることができるものと考えております。  お尋ねの有効な臓器提供意思表示につきましては、年齢等により画一的に意思能力有無を決定することは難しいと考えておりますが、特に年齢の低い者については有効な意思表示であると認めることについては慎重であるべきと考えております。  また、いわゆる知的障害者の方につきましては、その意思表示を一律に無効とすることは適当ではないと考えますが、意思の確認等その取り扱いにつきましては十分に慎重に行われるべきものと考えております。  レシピエントにつきましては、知的障害者の方がそのためにレシピエントになり得ないということはないと考えております。  次に、竹内基準におきましては六歳未満の小児を除外しており、法案が通っても小児の臓器移植は難しいのではないかとのお尋ねでございます。  竹内基準では、小児の脳死判定については六歳未満の小児を判定対象から除外しているところであり、その結果、臓器提供者となれないものと考えております。  したがいまして、肝臓につきましては提供された成人の肝臓を小児の大きさに分割して移植を行う方法があるものの、心臓につきましては残念ながら小児への臓器移植は見込めないと考えております。  また、遺族範囲についての御質問でございます。  遺族とは、死亡した者の近親者の中から個々の事案に即し慣習や家族構成に応じて定まるものと考えておりまして、類型的、一義的に決まるものではありません。通常は、喪主ないしは祭祀主宰者が遺族の総意を取りまとめることになるものと考えております。  なお、現行角膜腎臓移植法、献体法等におきましても遺族規定されているところでありますが、適正な運用がなされていると承知いたしております。  また、この法案附則第二条における検討規定についてのお尋ねでございます。  御承知のように、平成六年四月に提出されました旧法案は、臓器移植について一般的に定めた初めての法律案であり、制定段階においても考えられ得る事項については十分配慮するものの、実際に制度として動き出して初めて改善すべき点が明らかになることも考えられ、五年を目途として検討が加えられる旨規定していたところであります。  その後、昨年十二月に今回の法案を提出するに至るまで既に三年近くが経過し、その間、国会における参考人意見聴取、いわゆる地方公聴会の開催、マスコミによる報道などを通じてこの問題に対する国民の理解は確実に深まっているものと考え、今回提出させていただきました法案におきましては、この検討期間を三年としているところであります。  この検討規定は、この法律施行後に明らかになる改善すべき点に対応するための規定であり、現段階におきまして何を主眼に見直しを行うべきかについて想定することは困難でありますが、その時点での臓器移植の実施状況移植医療を取り巻く環境の変化等を踏まえ、さまざまな角度から臓器移植全般について検討がされるべきものと考えております。  最後に、ネットワークの整備、ドナーカードの普及、移植コーディネーターの資格等についての御質問でございますが、これらの検討については、厚生省に設置された臓器移植ネットワーク準備委員会において検討が行われているものと承知しております。  既に腎臓移植については腎臓移植ネットワークが設置されておりまして、また一方で自由配布制のドナーカードの普及等の取り組みも行われていると聞いており、これらを基盤として今後必要な体制を整備していくことが求められているものと考えております。  以上でございます。(拍手)    〔竹村泰子君登壇拍手
  24. 竹村泰子

    ○竹村泰子君 谷本議員にお答えをいたします。  脳死状態を生きている人とするならば、臓器摘出殺人罪に当たるのではないかという御質問ですが、私どもの法案違法性阻却について、刑法では、みずからの命を絶つことは処罰対象とはなっておらず、それを助けることは処罰の対象となります。私どもの法案は、本人承諾医師による適正な手続のもとに行われることを条件に行為違法性阻却を法令によって認めようというものでございます。他人の命を救うために自己臓器提供したいという究極的、根源的な自己決定と、他人、つまり医師生命の短縮にかかわることの社会的影響を慎重に考慮した上で臓器提供を認めたものでございます。  また、同意殺人や安楽死の裁判例においても、他人、つまり医師が人の生命を短縮することが認められるためには、最大限に厳密かつ厳格な要件が用いられるべきであり、この点においては、当然のことながら私どもの法案との要件の均衡がとれていると考えております。  次に、家族承諾をも必要としていることについてですが、多くの場合、家族本人に最も近しい存在として本人と苦楽をともにしてきており、移植医療国民の多数の合意のもとで適正に実施するためには、家族承諾抜きでは考えられないこと、また、将来的に遺体管理者としての家族の意向は最大限に尊重されなければならないものと考えます。愛する肉親の体を脳死状態で傷つけ、死を早めることに家族が反対であれば、臓器摘出を行ってはならないと考えます。  次に、いわゆる個別死という考え方についてでございますが、私どもの考え方では、死が不可避で死期が迫っており、かつ他人の命を救うために究極的な自己決定がされているとき、すなわち脳死状態にある者のうち、臓器移植術に使用されるために脳死状態において提供する意思を表示している者に対象を限定しており、脳死を死と考えなくてもよしとしております。個別死につきましては今後十分に検討するべきと考えております。  脳死判定基準、竹内基準について必要十分かという御質問でございますが、私どもは脳死臨調が指摘する脳幹聴性誘発電位の測定及び脳血流の測定を追加するべきと考えておりますが、この法案を提出するに際しましての判定基準としては、現時点では竹内基準を現時点で到達し得る一つの基準として採用したものでございます。  また、判定する医師の人数ですが、何人ならばよしとするのか判断の難しいところですが、私どもは、臓器摘出したり移植したりする以外の必要な知識及び経験を有する二人以上の医師判定を必要要件としたものでございます。  次に、家族遺族範囲についてでございますが、家族については特に定義規定を置いておりませんが、その範囲は親、兄弟等、本人との近しさ等からおのずから決まってくると考えられます。法令で何親等以内の親族というふうに限定し、画一的に範囲を決めますことは、かえってそれぞれの実態を無視した硬直的な結果を生むのではないかと考えます。  遺族につきましても家族と同様と考えますが、通常は、先ほどもお答えがございましたとおり、喪主ないし祭祀主宰者が遺族の総意を取りまとめて承諾することになると思います。  次に、臓器摘出が可能な年齢と知的障害のある人の場合についてでございますけれども、移植医療のための臓器摘出に当たりましては、脳死状態にある人本人書面、瑕疵のない真正な臓器提供意思表示があることが第一の要件であり、究極の自己決定であることからいえば、その要件を満たすためには一定の年齢に達することが必要と考えます。知的障害のある人、精神障害の人については、より厳密な基準、ルールが必要であるというふうに考えます。  子供の臓器移植の可能性につきましては、同じ理由により、現状難しいと言わざるを得ないと思います。  次に、見直し規定の根拠及び見直しの主眼点についてでございますが、今回の法案は、死体及び脳死状態からの臓器移植について一般的に定めた初の法律でございます。この法律制定されました後、今回の法律が果たして妥当なものであったのかどうか、真に適正な移植医療実現されたかどうかについて検討判断するためには、ある程度まとまった数の移植術の症例の積み重ねが必要であると考えられます。したがいまして、このための検討期間として一応五年を目途とするのが適当であると思われます。  何をどのように見直すべきかにつきましての主眼点につきましては、この法律施行され、事例を見て十分に検討し改革すべきと考えます。(拍手)    〔国務大臣小泉純一郎君登壇拍手
  25. 小泉純一郎

    ○国務大臣(小泉純一郎君) 谷本議員にお答えします。  人工臓器開発についてのお尋ねですが、厚生省としては、今後とも積極的に研究開発の推進等に努めていきたいと思います。(拍手
  26. 松尾官平

    ○副議長(松尾官平君) 一井淳治君。    〔一井淳治君登壇拍手
  27. 一井淳治

    ○一井淳治君 民主党の一井でございます。  両法律案につきまして、それぞれの提案者及び政府に対し質問させていただきます。両案について、便宜、中山案猪熊案と呼ばせていただきます。  両案ともに、臓器移植を行うための法的環境を整備しようとされている点は同じであります。根本的な相違点は、脳死状態にある者を法律によって死体と見ることと定めるか否かにあります。そこで、まずこの点を中心に両案の提案者にお考えを伺い、最後に政府に対しても環境整備などについてお伺いしたいと思います。  欧米などでは、心臓肝臓移植など既にそれぞれ数千例の移植が実施されており、また、日本人が高額の支払いのもとに外国外国人臓器移植を受けて非難される事態も起きております。しかし、我が国では、脳死を人の死とする法律がまことに長い間検討にさらされるという経過をたどりました。脳死を人の死と法律で定めることに対して、国民は現実に不安や割り切れなさを持っています。このよりなことがどのよりなところから起こってくるとお考えなのか、猪熊案提案者にお伺いいたします。  次に、中山案提案者に対し、以下幾つかお伺いいたします。  多くの国民は、脳死を人の死と見ることに戸惑いを感じているのではないでしまうか。これまでの世論調査において、確かに脳死を人の死と見ることに肯定的な意見が多いわけでありますけれども、しかし、せいぜい六割近くのことであって、到底国民的合意ができているとは思われないのであります。衆議院の採決後には肯定的意見が上昇するはずでありますのに、ある世論調査では逆に低下しているようであります。したがって、私は脳死を人の死と法律の力で決めることは現段階では時期尚早と考えます。  我が国では、心臓停止など三徴候から死の判定をすることが古くから自然の道理として確立いたしております。心臓が鼓動し、温かく顔色があり、医療保険の支給も受けて、これまで家族が必死の思いで治療に当たってきた脳死該当者を一つの法律死者にしてしまうことは、社会通念上無理があるのではないでしょうか。  次に、衆議院審議において、臓器提供の手順の中で、患者側の了解なしにでも医師脳死判定を行う旨政府委員が答弁され、不安が加わりましたが、国民の間に疑問や戸惑いのある状況下においては、猪熊案のように、脳死を人の死としないで移植医療の道が開かれるのならば、脳死を人の死とすることにこだわる必要はないのではないでしょうか。外国考え方に追随することはないと思いますが、いかがでございましょうか。  次に、脳死を人の死としないと医師移植医療をやりにくいとか、患者移植を受けにくいとかお考えなのでございましょうか。しかし、それでは本末転倒であります。移植医療関係者の気持ちをおもんばかる余り、脳死を人の死とすることはできません。中山案においても、脳死体を通常の死体と区別しているのであります。端的な例が健康保険の適用であります。死体なら治療の必要がないのに、法律案では、当分の間適用するとされております。脳死を人の死としないで移植医療の道を開く方が素直であるし、現状を大幅に変更しないで済み、国民にも受け入れやすいのではないでしょうか。  次に、中山案は当初案を修正されて、脳死者の生前の書面による意思表示要件とされています。これは、脳死状態の者からの移植医療に不安があり、これを解消するためにとられた措置ではないでしょうか。また、当面これでいくが、移植医療状況によってはもとの案に戻せばよいとお考えなのでしょうか。本音をお伺いしたいと思います。  次に、我が国移植に関する医療水準は、先進国に比較して著しくおくれており、本格的な移植手術を実施できる状況にはないとの指摘もあるとのことであります。脳死を人の死とすることを急ぐ必要はないのではないでしょうか。  また、医療過誤が現実に起こるなど、我が国医師医療に対する不信には相当根深いものがあります。そこで、移植要件要件確認方法などを相当厳重に整備し、カルテの公開など情報公開による公正の担保を図らねばならないと考えますが、どのように対処されるのでしょうか。  次に、猪熊案提案者にお尋ねいたします。  猪熊案は、脳死を人の死としないで移植医療の道を開こうとするものだと理解しております。そして、医師の行う移植医療は正当業務として違法性が阻却されるのだとお聞きしていますが、我が国では刑法に嘱託殺人罪規定されているところ、どのような法理で正当化されるのでしょうか、まずお伺いしたいと思います。  また、脳死は人の死であると法律で明確に定めないと、医師移植手術をためらうようになるとか、患者移植を受けにくいという議論があります。この点についても御所見をお伺いしたいと思います。  次に、移植医療要件などは、国民に不安を感じさせない、批判に十分たえられる厳重なものでなければなりません。中山案とはどのような違いがあるのでしょうか。移植要件、正当業務となる要件脳死判定方法、カルテの公開など、医療の透明性の確保について、医療不信の根深い中で、どのような内容を予定されているのでしょうか。  最後に、政府に対し質問をいたします。  まず、移植医療に関する現状についてお伺いいたします。臓器移植に関しては、さまざまな疑問が提起されていますが、海外における移植医療現状はどうなっているのか、日本医療水準は臓器移植が実施できる状況にあるのか、政府の認識と見解を求めます。  次に、政府は、臓器移植ネットワークの整備等幾つかの環境整備を行う必要があります。特に、ドナーカードの普及、公平公正なレシピェントの選択システム、コーディネーターの養成確保が不可欠であります。脳死判定を行うについての家族同意を得るシステムについても同様であります。これらについてどのように考え、準備を進めてまいるのか、お伺いいたします。  最後に、臓器移植に関する法律案審議に当たって、党議拘束が解かれ、会派でなく各議員のそれぞれの判断責任による論議が始まろうとしています。特別委員会の皆様には大変御苦労いただきますが、そこでの新たな形の自由な議論が全議員のものに広がり、さらにこれが国民の間に浸透していくこと、そして、参議院の性格にかんがみ、党議拘束を解いて議論した経験が参議院改革の前進のために生かされていくことを祈念いたしまして、私の質問を終わります。(拍手)    〔衆議院議員五島正規君登壇拍手
  28. 五島正規

    衆議院議員(五島正規君) 一井議員の御質問にお答えいたします。  まず、議員の御質問の第一は、脳死を人の死とするよう変更することについては国民的合意ができてはいないのではないかとのお尋ねでございました。  この点につきましては、既に答弁がされているところでございますが、まず、この法律案は、脳死が人の死であるという社会的合意があることを前提として、脳死体死体であることを確認的に規定しているものであり、人の死についての新たな定義を行うような性質のものでないことを御理解いただきたいと思います。  また、脳死をもって人の死とすることにつきましては、国会において決定され設置されました脳死臨調の答申が国会に対して出されました。その中においても「概ね社会的に受容され合意されているといってよいものと思われる」とされているところであり、私ども提案者としてもそのように考えているところでございます。  また、脳死を人の死としなくとも臓器移植に道を開くことができるのではないかとのお尋ねでございます。  猪熊案のように、第七条の第二項にございますように、脳死状態は生ある状態であると明確に定義し、そこからの臓器摘出を認めるという考え方に立てば、その方から生命維持に必須の臓器である心臓肝臓摘出する行為は、当然殺人罪あるいは承諾殺人罪に当たることになり、これらを許容するような立法は、事柄の重大性にかんがみれば到底受け入れることはできないと考えます。  また、レシピェントの生命を救うためであれば、脳死状態とはいえ、生きている者から心臓肝臓摘出してその生命を奪うことも許されるという考え方は、本来平等であるべき生命の価値に軽重をつけることとなります。  さらに、このような考え方をとった場合、医師立場に立っても、生きている者から臓器摘出することを意味することになり、医のモラルから見て到底認められないとの批判もございます。  また、移植を待ち望む患者方々も、法的、社会的に生きていると認められている人から臓器をいただくことはできないとの考えもあると伺っております。  ちなみに、御指摘のような考え方に立った立法が諸外国にあるとは聞いてはおりません。  また、これに関連いたしまして、脳死判定医師が全く本人の了解なしに行っていいかどうかということについて御質問がございました。  既に御本人はその状態においてみずからの御意見意思の表明ができる状態ではございません。したがいまして、その状態における判断としては、御家族同意ということになるかと思います。先ほどからのお答えの中にもございますように、脳死判定というのは無呼吸テスト等の措置が必要でございます。それについてはインフォームド・コンセントが必要であるという考え方に立っており、そのことについて事前に御本人意思を表明している場合、あるいは御家族がその検査を拒否された場合、そのような形で脳死判定はできないものと考えております。  脳死を人の死としないと医師移植を実施しにくい、臓器移植をより行いやすくするためにこの法案をつくったのではないか、本末転倒だというお考えでございます。  脳死をもって人の死とすることにつきましては、先ほども申しましたように、脳死臨調の答申において「概ね社会的に受容され合意されているといってよいものと思われる」とされており、また、近年の各種の世論調査などを見ても、国民脳死についての理解は逐次確実に深まっているものと認識しております。  私ども提案者といたしましても、このような社会的合意があることを前提としてこの法律案を提案しているものであり、これが結果として現在の医療現場移植を受ける患者方々の心情等に合致しているものであると理解しております。  このようなことから、臓器移植のために脳死を押しつけるということは決してないと考えております。  また、臓器提供要件本人書面による意思表示のある場合に限定した理由等についてのお尋ねでございます。  平成六年四月に衆議院に提出されましたいわゆる旧法案におきましては、本人意思が不明な場合にも遺族承諾があれば臓器摘出を認めていたところでございます。しかし、この点につきましては、本人書面による意思表示がある場合に限定して臓器摘出を認めるべきではないかなどのさまざまな御意見が出され、この点が旧法案審議が進まない理由の一つになったと考えております。  こうした経緯を踏まえ、一日も早い臓器移植の開始を望む患者さんの切なる願いにこたえて、国民の理解を得ながら移植医療を推進していくという観点から、今回の法律案は、臓器提供承諾要件本人書面による意思表示に限定したところでございます。  今後につきましては、中山案附則には、施行後に明らかになる改善すべき点に対応するため検討規定が設けられております。現時点において、具体的にどのような検討を行うかをお答えすることは困難でございますが、いずれにしても制度全般にわたる検討が行われるものと考えております。  また、移植手術は限られるので法案審議は急ぐ必要はないとの御指摘ですが、我が国においても少なからぬ患者さんが一日も早く臓器移植ができるよう待ち望んでおられます。また、我が国においても欧米諸国と遜色のない移植技術を有しているものと考えております。このような状況を考慮すれば、一日も早く法案が成立し、我が国でも移植が行われる道が開かれることを期待いたしているわけでございます。  また、移植医療に関する国民の不信感の払拭のための方策についてのお尋ねでございます。  移植医療の分野におきましては、国民の信頼の確保と理解が特に重要であり、国民の不信感の払拭のために努力していくことが必要であると考えております。この法案におきましても、そのための規定を置いているところでございます。  まず、本人意思の確認につきましては、臓器提供に当たっては本人の生前の文書による意思表示が必要である旨規定しているところでございます。また、カルテ等の公開につきましては、移植にかかわる医師に対し、脳死判定臓器摘出及び臓器移植に関する記録作成保存の義務を課し、その記録をドナーの遺族等が閲覧できることが規定しているところでございます。  なお、その際、刑法百三十四条秘密漏えい罪との関連におきまして、個人のプライバシーが守られるべきことを十分に配慮していかなければならないことは当然でございます。  また、移植要件につきましては、法案におきまして医師の責務として、移植術を受ける者またはその家族に対し必要な説明を行い、その理解を得るよう努めることとしております。  また、公平かつ適正な移植医療の推進の観点から、臓器移植ネットワークの整備により、統一的なレシピエントの選択基準により移植患者が選定される仕組みを構築することが不可欠であると考えております。  なお、心臓肝臓等についてのレシピエントの選択基準につきましては、厚生省に設置された日本臓器移植ネットワーク準備委員会におきまして、既に基準作成され、公表されていると承知いたしております。  以上でございます。    〔大脇雅子君登壇拍手
  29. 大脇雅子

    ○大脇雅子君 一井議員の御質問にお答えいたします。  第一は、国民脳死を人の死とする中山案に対する不安と割り切れなさはどこにあるかという点であります。  これまで人間は、長命を願い、死をできるだけ遅くすることを求めてきて、開かれた儀式としての死を社会的に受容してきました。心臓死を中心とする認定の方法は、この人々考え方と一致し、法的にも死の定義となってきました。  近代医学の進歩とともに死のプロセスの一時期である脳死状態を死とすることは、見えない神儀としての死を人々に迫ることになります。脳死を死とする中山案は、脳死者は死体、物体となり、それに伴い起こると予測される人権の侵害、他の法律との整合性の混乱医療の不透明性と不信感等がその不安と割り切れなさの原因と考えます。  第二に、医師による移植医療が正当業務として違法性が阻却される理由は何かという点であります。  脳死状態にある者が臓器移植のためにみずからの臓器提供することは、死が不可避とはいえ、生きている者が他人の命を救うために、自己生命を維持するために必要不可欠な臓器提供することにほかなりません。この行為は、人格的生存を全うするために自分の生存を絶つという、まさに根源的、究極の、個人生命尊厳に対する自己決定であります。  本案の移植手術は、この意思を尊重した上で、医師によって移植目的でのみ最大限厳格な要件のもとで行われるもので、国民に受け入れられる社会的に相当な行為と言えます。これらの要件を備えてこそ、臓器移植手術が正当業務として違法性を阻却されると考えるものです。明確に基準が決定されれば、医師のためらいは生まれないと思います。  第三に、中山案と比較して、本案における移植医療が正当業務となるための厳格な要件とは何かというお尋ねであります。  中山案における要件は、臓器摘出について、「生存中に臓器移植術に使用されるために提供する意思書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器摘出を拒まないとき又は遺族がないとき」としています。  これに対して猪熊案は、次の四つの要件を課してより厳格にしております。  第一は、ドナーの意思を尊重することから、死亡後において提供する意思脳死状態において提供する意思とを第二条一項において書き分けており、摘出要件としても、本人書面による意思表示は、瑕疵のない真正な意思表示でなければならず、かつ真実性を獲得するため、本人の署名と作成年月日の記載を必要としております。  第二は、二項において、この意思をさらに十分な調査を行い、慎重に確かめなければならないとしています。この調査、確認を行う義務は、医師臓器あっせん機関、家族、すべての関係者に課せられます  第三に、遺族または家族承諾要件としています。中山案においては、インフォームド・コンセントについてはレシピェント側に対するものについてのみ規定していますが、本案においてはこれに加え、死体脳死の両方について臓器摘出に当たっての必要な説明と理解という観点から、ドナー側に対しても必要としております。  第四に、脳死判定は、脳死判定に関して必要な知識と経験を有する二名以上の医師を必要要件とし、かつ二名以上の一致した判定に基づきます。この場合、移植医は含まれていないことになります。  なお、二十三条において罰金刑三十万円を五十万円に引き上げています。これは、医師の適正な記録作成保存義務を担保するためであります。  以上であります。(拍手)    〔国務大臣小泉純一郎君登壇拍手
  30. 小泉純一郎

    ○国務大臣(小泉純一郎君) 一井議員にお答えいたします。  海外移植医療現状及び日本移植医療水準についてですが、脳死体からの臓器移植は、欧米豪で、一年間心臓移植は約三千六百件、肝臓移植は約六千二百件の移植が行われており、既に一般医療として定着しているものと理解しております。東南アジア諸国においても行われているところであります。我が国においても、一定の施設においては十分に移植医療を実施していくことのできる水準にあるものと考えております。  臓器移植ネットワークの整備等の件ですが、臓器移植の公平公正を確保し、国民の理解を得つつ移植医療を推進するためには、実際に家族への説明等を行うコーディネーターの配置とともに、全国的に統一された基準患者を選ぶ仕組みである臓器移植ネットワークの整備が不可欠であると考えております。  以上です。(拍手)     —————————————
  31. 松尾官平

    ○副議長(松尾官平君) 西山登紀子君。    〔西山登紀子君登壇拍手
  32. 西山登紀子

    ○西山登紀子君 私は、日本共産党を代表して、臓器移植に関する法律案について、衆議院から送付された中山太郎議員外十三名提出によるもの及び参議院で提出された猪熊重二議員外四名提出による両案について、提出者に質問いたします。  そもそも脳死をめぐる問題は、人間尊厳とその生と死にかかわる極めて重大な問題であります。  この問題の中心である脳死をもって人の死と扱うか否かという問題は、医学上、法律上の問題であると同時に、国民的な合意を不可欠とするすぐれて人道的、社会的な問題であり、今日まだ国民的合意は形成されておりません。このことは、最近、日本世論調査会が実施した調査で、臓器移植法案の「成立を急ぐべきだ」が四七・九%、「急ぐべきでない」が四五・三%と、国民意見は二分していることを見ても明らかです。  日本共産党は、現在の我が国において、脳死臓器移植問題についてはさまざまな意見や疑問があり、これを無視して性急な立法化を行うべきではないと考えています。  それに加え、人の死にかかわる重大問題を扱うこの法案は、多くの政党が政党としての態度を決めておらず、この問題を専門に審議してきた衆議院厚生委員会でも委員会としての判断が示せないまま衆議院会議で採決が強行されました。  このことは国会のあり方として極めて異常です。政党の中でもさまざまな意見があり、態度を決められないままに人の死を多数決で国民に強制することは、議会制民主主義の立場からいっても決して容認できません。しかも、総理自身が棄権し、三分の一の議員が反対しています。これはまさに国民的合意ができていないことの証明ではありませんか。性急な立法化を行うべきでないと考えますが、御意見を伺います。  次に、法案について具体的に伺います。  重大なことは、四月八日の衆議院厚生委員会参考人聴取で、脳死臓器移植問題について貴重な意見が表明されているにもかかわらず、法案には何らの参酌もされていないことです。  その中心的なものが脳死判定の問題です。脳死臓器移植問題について国民的合意が形成されない根本に、今日の日本の医学・医療のもとで脳死判定がどこまで厳密かつ公正に行われ得るかという重要な基本問題があります。  参考人聴取で林成之教授は、この十年間の脳の蘇生法の進歩を踏まえて、「医学の進歩とともに脳死も細胞レベルの点まで含めて考える時代に入ってきた」と指摘されました。さらに、脳幹の神経細胞死と考えられていた瞳孔散大、対光反射消失、除脳硬直患者でも、低体温療法によって回復していった例を紹介しながら「このことは、脳幹の神経細胞膜の機能が消失した症例であって、細胞自体が死滅していた患者ではない」と述べています。これは極めて重大な指摘です。  この点について、提出者はどのように認識しておられますか、お聞かせください。  この指摘は、厚生省の竹内基準による脳死判定に重大な疑問を投げかけるものです。竹内基準はあくまで脳の機能の停止いかんを判定するもので、その機能が停止していれば脳の細胞壊死または壊死必至であることを想定したものですが、この林教授の指摘は、脳細胞が死んでいなければ蘇生の可能性があることを意味しています。  竹内一夫教授自身も参考人聴取で、第一回目の脳死判定と六時間後の第二回目の脳死判定の間に「実線ではないけれども点線ぐらいであらわされる回復の可能性というものはまだあるというふうに理解できる」と述べています。これは、脳死判定について、脳の機能停止とあわせて細胞死についても検討する必要性を示唆するものです。したがって、脳血流のより正確な測定のために陽電子を利用した測定法なども十分検討されなければなりません。  脳死臨調以降五年たった今日、この間の医学の長足の進歩を考慮すれば、脳死判定基準について改めて厳密に検討することは当然ではないでしょうか。明確にお答えください。  また、竹内基準の必須の判定項目である無呼吸テストの実施が逆に患者の蘇生の可能性を奪いかねないという指摘も極めて重大です。ノンフィクション作家として低体温療法を見てきた柳田邦男参考人も、「私が非常に大きくジレンマを感じ、またお医者さんたちが感じているのは、脳死判定の中における無呼吸テストの問題なんです」と述べています。  この点についても、改めて検討し直す必要があるのではないでしょうか、お伺いいたします。  今日、脳低温療法の前進で、脳の蘇生限界を先へ延ばす可能性が広がっています。にもかかわらず、竹内基準によって脳死をもって人の死と扱うこの法案では、脳死にならないための治療がすべて行われる前に移植のための治療に切りかえられるのではないか、法律で決めた以上、人工呼吸器も外されるのか、脳死判定を拒否する権限は家族にあるのかなとの不安が生まれてくるのは当然です。  また、移植医療の公平性、公正性も重大な問題です。臓器提供者が圧倒的に不足する中で、受容者の経済的・社会的地位によって差別が生じないか、結局経済的に有利な者に移植が優先されるのではないかという不安も寄せられています。  このような国民の不安を解消する具体的な施策をどのように検討されているか、お尋ねいたします。  最後に、猪熊案についてです。  本案は、衆議院の金田案と同様に、脳死という言葉を避けるだけで、内容中山案とほとんど変わりはありません。猪熊案は、現在の条件のもとでは人の死とは認定しない、すなわち生きている状態と認める人から臓器摘出し死に導くことになります。ほかの人の命を救う目的であっても、結果として人の命に軽重をつける重大な矛盾に陥るのではないでしょうか。提案者のお考えをお聞かせください。  日本共産党は、今回の法案検討に当たって、以上のような問題点を解明するために、医学・医療関係者法律家などを初め広く国民各階層の意見を聞き、医療現場の視察を含め慎重な審議を尽くすことが重要であると考えます。このことがこの問題に関する国民合意を形成する上で不可欠であることを強調して、質問を終わります。(拍手)    〔衆議院議員山口俊一君登壇拍手
  33. 山口俊一

    衆議院議員(山口俊一君) ただいま御質問いただきました西山議員の御質問にお答えをさせていただきます。  まず、先般来の世論調査の結果あるいは衆議院における質疑等々を踏まえられて、脳死を人の死とすることに国民の合意がなく、性急な立法化を行うべきでないというふうなお尋ねでございました。  ただ、先生も御指摘のとおり、実はこの問題に関しましては、人間尊厳であるとかあるいは死生観宗教観等に複雑に絡んできておる問題でありまして、そうした中で恐らく各党、皆さん方、党議拘束を外され、議員みずからの御判断によって決定をされたもの、恐らく採決に至るまで個々人いろいろ悩み悩まれて決定を、責任を持って御自身で決断をなされた結果であろうと私どもは判断をいたしておるわけでございます。  また、脳死をもって人の死とするということにつきましては、これも先ほど来幾たびか答弁がございましたように、脳死臨調におきましても、おおむね社会的に受容されておるんではないかというふうなことでもありますし、また、近年の各種の世論調査等を見ておりましても、確かに多少の増減、振幅というものはありますけれども、おおむね脳死に対する御理解というのは逐次確実に深まってきておると認識をいたしております。  また、国会議員間における脳死臓器移植問題についての検討議論につきましては、実は昭和六十三年における脳死臨調設置法案の議員提出を含めて、既に十年近くも続けられてきておりまして、決して性急に立法化をしようとしているものとは認識をいたしておりません。  また、議員お尋ねの件でありますが、脳の蘇生法の進歩を踏まえて、脳死判定においても細胞自体の死滅を考慮すべきではないかというふうなお話でありますが、脳死につきましては、一般に脳幹を含む全脳の不可逆的機能停止というふうに定義をされておりまして、この考え方世界的にも広く認められておるところであります。  実際問題といたしましても、脳死状態で病理学的検査を通しての細胞の状態をつぶさに観察するといったことは許されず、脳細胞の死を臨床的に確認するといったことは不可能と考えられます。  また、心臓死におきましても、心停止という機能に実は着目をしておるのであって、心筋の細胞までの死の確認というのは行っておりません。  いずれにしましても、脳の機能が不可逆的に失われた状態、いわゆる機能死をもって脳死とする立場世界的にも認められておると理解をいたしております。  また、竹内基準に関してでありますが、脳死判定基準妥当性について、いわゆる竹内基準脳死臨調の答申の中でも、いろんな専門委員の方々からの報告や国内外の専門家の意見等を総合的に判断した結果、現在の医学水準から見る限り妥当であるとの結論が出されておりました。また、その後厚生省に設けられたこれまた専門家によるワーキンググループにおきましても、竹内基準は現時点での医学的水準から見て妥当であると結論が出されております。  もとより、医学的・科学的見地からの妥当性の検証というのは、今後ともにこれは是が非とも必要であると考えておりますが、ただ、これまでの状況から見て、現時点におきましては竹内基準医学的知見に照らしても妥当であると考えております。  それから、無呼吸テストの実施等いわゆる蘇生の可能性云々というふうな御質問でございました。  これにつきましても、竹内基準によりますと、脳死判定の対象となる症例につきましては、現在行い得るすべての適切な治療手段をもってしても回復の可能性が全くないと判断をされる症例について行うこととされておりまして、現在の医療技術において蘇生の可能性がわずかでもあり得る症例に対しましては脳死判定は行わないというふうなこととされております。  そして無呼吸テスト、これにつきましては、竹内基準で定める他の検査、いろいろありますが、他の検査の実施によって既に脳機能の回復の可能性がないと判断をされる症例に対して行われるというふうなものと考えておりまして、適正に実施をされる限り、これによって脳蘇生の可能性を断ち切ってしまうといったことにはならないものと考えております。  最後に、いろいろな施策についての御質問でございました。  まず、脳死にならない治療が十分なされるのかというふうな御心配でございますが、救急医療につきましては、医師の持てる知識と技能及び医療資源を最大限に利用して生命の危機にある救急患者の命を救うということを目的とするものでありまして、救急医療に従事をしておる医師にとってこのことは当然のことであり、むしろ、そうしたことがあるがゆえに少しでも脳死にならないように、いわゆる蘇生限界点を少しでも広げるべくさらなる御努力をしていただけるものと確信をいたしております。  次に、脳死判定を拒否する権限があるのかというふうな点につきましては、基本的には患者あるいは家族方々脳死心臓死かの選択を認めるといったことは法的にも不適当かと思っておりますが、ただ、これも幾度となく御答弁を申し上げておりますように、実際の判定に当たりましては、家族の理解を得つつ判定を行うインフォームド・コンセントでありますが、そうしたことが必要であり、家族同意が得られない場合には、結果として脳死判定は行われないと考えております。  また、臓器提供者の不足の中で、経済的・社会的地位による差別は起きないのかというふうな点につきましては、公平公正な臓器移植の実施のためには、全国統一基準で公平に移植患者に対して臓器を配分する臓器移植ネットワークの整備を行うということが極めて重要と考えております。  そうしたことのためにも是が非ともこの法律が必要であるというふうに考えておりますので、御理解のほどお願い申し上げます。  以上でございます。(拍手)    〔堂本暁子君登壇拍手
  34. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 西山議員の質問にお答えいたします。  お答えする中で、中山案猪熊案は決定的に違うということも御理解いただきたい、そう思っております。  まず、脳死をもって人の死とする国民的合意はあるか、さらに、性急な法制化が必要なのかという御質問ですが、私どもは、脳死をもって人の死とする国民的合意は確立されていないという前提に立っております。にもかかわらず臓器移植法案を提出する理由は、脳死をもって人の死としない立場に立っても、臓器移植を必要とする立法事実があるからであります。  中山案のように脳死をもって人の死とする立場に立ちますと、臓器摘出と無関係な大多数の人々、すべての日本人脳死状態になりますと例外なく死を迎えることになります。脳死判定を受けた以後はすべて死体として扱われることになります。その場合、医療現場においてもあるいは社会的・経済的場面においても混乱が起きる可能性があります。さまざまな形で権利の侵害を受けるであろうことが容易に想像されます。脳死状態にある者がこのような形で基本的人権を侵害されることなくしかも移植医療の適正な実施を図るために本案を提出させていただきました。  次の御質問ですが、衆議院厚生委員会における林参考人の御発言についてですが、林参考人は、脳の低体温療法などで脳の蘇生限界点が延びているということを発言されました。しかし、脳死状態とは、脳のすべての部分の機能が、つまり全脳が不可逆的に停止することであります。したがって、蘇生の可能性のある患者さんが脳死状態判定されることは本来あり得ないことでありますし、あってはならないことです。  次に、竹内基準の見直しについての御質問です。  医療の技術が進歩する中で、医学界を中心にして検討すべきことはもちろんでございますが、同時に、この参議院で今後行われます特別委員会の場におきましても、広く御意見を伺い、そしてこの点についても十分に検証すべきものであると考えております。  それから、無呼吸テストの侵襲性、つまり、無呼吸テストを行うことによって患者さんの体に影響が出るのではないかという御質問ですが、この点についても十分に認識しております。竹内基準でもこの点については慎重な配慮をしておりますし、それから医療現場においては、無呼吸テストを実施する場合、慎重かつ厳密に行われなければならないというふうに考えております。  五番目の御質問は、救急医療現場で十分な治療が行われない可能性があるのではないかとのことでございます。  救急医療現場は可能な限りの治療を行うのは当然のことです。一人でも多くの患者さんの命が救われるために救急医療は行われなければなりませんし、その体制の充実整備を推進しなければならないと考えております。  次に、脳死判定を拒否する権利はあるかという御質問です。  当然の権利だと考えております。脳死判定を拒否する権限はあると考えております。  次に、臓器不足の現状についての御質問です。  欧米の例をまつまでもなく、待機する患者さんの数に比べて臓器が不足することは明白でございます。であればこそ、臓器提供者とそして受ける方の側、レシピエントを結ぶ臓器移植ネットワークは、経済的・社会的差別が起こらないように整備されなければいけないと考えています。  最後に、私どもに対しての御質問は、生きている者から臓器摘出することを認めることは殺人になるのではないかということ、さらにドナーを死に導くことになるのではないかとのお尋ねです。  ここで中山案と本案が同じなのではないかというふうな御質問をいただきましたが、そのことが明確に違うということを二点申し上げたいと思います。  私どもは、臓器提供摘出という医師の側から見た行為としてとらえるのではなく、あくまでもドナーが臓器提供したいという意思に基づいて臓器提供するという点に立脚しております。  第二番目に、人間尊厳、特に個人尊厳を徹底的に重視した立場に立っております。そこで明確な意思表示がなければ実際に臓器提供はできないわけでございまして、その点で私どもはこの法律を提案させていただきました。  以上でございます。(拍手
  35. 松尾官平

    ○副議長(松尾官平君) これにて質疑は終了いたしました。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時五十八分散会