○大森礼子君 非常にお答えしにくい
質問だということはわかって聞いていて申しわけないと思うんですけれども。ちょっとふっと考えました。臓器移植法案の中山案、これはもう
社会的合意ができていて、それを確認した
規定なんだと、これは既にある程度
社会の中に規範があるということを前提にしてそれを確認した
規定なんだという言い方なんだと思います。
そうだとすると、もし民事法の場合で、いやまだこっちの方では
社会通念上違うとなりますと、どちらの
法律も
立法府が制定したということになりますと、
立法府の
意思としてちょっとそごを生ずるのかなというふうに思いました。
次に、刑事局の方にお尋ねいたします。
実は本当は民事局の方に
社会通念ということはお尋ねすればよかったのかもしれませんが、刑事局の方はそれに関する見解というのがありますので、それに基づいて
質問させていただきたいと思います。
死というのはもちろん刑事法にも影響してくるわけです。死の定義というものがどうなるかによっていろんな実務も変わってくると思います。
昭和六十三年一月十二日に日本医師会生命倫理懇談会が「脳死および臓器移植についての最終報告」というのを出しております。こういうことがあったためかもしれませんけれども、脳死をめぐる論議というのが盛んになった時期があるんだろうと思います。
日本医事新報という雑誌がございまして、昭和六十三年十一月二十六日号なんですが、この中に臓器移植
立法に関する
法務省の見解というものが記されているわけなんです。「臓器移植
立法に関する
意見(
法務省刑事局)」として出してあるんです。
要するに、人の死と認められるかどうかについては、
医学的知見を尊重すべきものであることはいう
までもないが、死についての
社会通念を無視し
てこれを決することはできないものと考える。
したがって、医学界において、脳死を人の死
と理解すること、脳死の定義及びその
判定基準
について基本的合意が形成され、かつ、これを
社会通念が支持しているという
状況にあるので
あれば、脳死の
状態にある者から治療目的の移
植のために臓器を摘出することは許されるもの
と解され、これに関する確認的
立法を行うこと
は何らの差し支えもないことと考える。こういう御
意見があるんです。このとおりだと思うんです。これが中山案がよって立つ
考え方かなと思います。
それから、終わりの方なんですけれども、医師会、医学界の基本的合意とか、それから
社会通念が支持している、こういう
状態に達しなくても、臓器摘出を可能とする移植
立法を行うことの是非について直ちに不相当な
立法とは言えないと。ただしかし、その
立法によって承諾殺人罪の違法性を阻却するとすることが相当であるかどうかについて十分な
検討を要すると。
これは猪熊案がよって立つ立場だと思います。まさに猪熊案も、あの法令に
規定する条件を満たせば承諾殺人罪の違法性が阻却すると、それによって法令による
行為として違法性を阻却して犯罪は成立しないんだと考えるわけです。まさに承諾殺人という、
保護法益としての生命を犯す犯罪について、そういう法令に
規定したからといって違法性阻却を認めていいかと、ここのまず相当性が十分な
検討が要るという形で、実際の審議の場もそのようになっております。
そこで、今、特別
委員会の方でも、要するに中山案について、
社会的合意があるのかないのかというところで非常に
意見が分かれております。それで、各世論
調査の数値とかも出たんですけれども、何かそれが動くたびに変わっていくようでもおかしいと思うわけなんです。
それで、
法務省の方の見解で、医学界において脳死について基本的合意が形成され、「これを
社会通念が支持しているという
状況」というふうに書いてある。
社会通念というのはわかっているようで、よくわかっていない。「
社会通念が支持しているという
状況」というのは、例えば大体こんなことを言うんですよという何か具体例を挙げていただけますと、これからの審議の参考になると思うんです。