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参考人(島田晴雄君) 御紹介賜りました島田でございます。私の所見を申し上げたいと思います。
駐留
軍用地の
特別措置法の
改正といった事態にならざるを得なくなったことは、私はまことに残念なことだというふうに
考えておりますが、今日の時点での諸般の状況を考慮すればやむを得ない措置であったというふうに思います。
特別措置法の
改正の決断というものは、現状の困難を打開する最小限の措置であるというふうに理解をいたします。したがって、これは正しい
判断であったのではないかというふうに評価をいたします。
なぜならば、
日米安全保障条約に基づく安全保障
体制は
日本が国家として選択している基本
政策でございますが、米駐留軍に
基地用地の使用を保障することは同盟国としての最低限の約束でございます。その約束を守ることは
日本としての最低限の義務でございます。国が失権状態に陥ることはその約束を守れない、義務を果たせないということであって、同盟国としての信用を失墜することでもあり、国家としての信頼性も問われることになるというふうに思います。そうした事態を避けるために最低限の措置であったというふうに評価をいたします。
この
特措法の
改正が
基地の固定化につながるのではないか、こういう御
議論がございますが、私は
特措法の
改正と
基地の将来の整理、縮小というこの
二つの問題は全く別次元の問題と
考えるべきだと思います。
特措法の
改正は国の失権状態を回避する現時点での最低限の法的な措置であるというふうに理解しておりますが、
基地は将来に向けて整理、統合、縮小すべきであると思います。昨年四月、
普天間基地の返還方針が発表されたこと、また十二月にSACO、特別行動
委員会が報告を行ったこと、これらの一連の努力はその方向へ向かっての努力であるというふうに
考えておりますが、さらにこうした努力を進めて、将来、軍縮その他国際協力を一層進めて、また技術進歩等により国際環境の変化も、みずから
責任を持って積極的な役割を果たすことによって
基地の整理、縮小に向けていくべきだというふうに思います。
大変重要なことは、この
特措法の
改正を行ったということは決して問題の本質的な解決ではないということでございます。この
改正は国家の失権というあってはならない事態を避けるためにあくまで現時点での最小限の措置でございまして、このことによっていわゆる
沖縄問題が解決をされたというふうに理解をするとすれば、これはとんでもない間違いでございます。
最大の
沖縄問題はお金ではない、
最大の
沖縄問題はこういうことで問題が片づいたというふうに思ってはならないということでございます。
なぜならば、
沖縄問題の本質は、私は、
日米安保体制の
もとにおける重圧を
沖縄の人々が集中的に担っているというこの重い現実があるということです。そして、この問題を
日本、特に
日本本土の
国民が理解をするということが基本的に重要なことでございます。したがって、この問題を解決するという方向があるとすれば、この重い現実を本土の
日本国民がよく理解をして、お金ではなく、お金も重要かもしれませんが、その痛みを共有し、そしてその負担を
日本国民全体として受け入れるという状態を実現することだというふうに
考えます。何よりも、
沖縄県民を初めとして
日本国民が互いに理解をし合って、信頼をし合って、
日本国民としての誇りの持てる状態を実現することが根本的な解決だということでございます。
以下、やや具体的な話を、なぜそういうことを私は
考えるかについて申し上げたいと思います。
沖縄には
日本全土の
米軍基地の約七五%が集中的に存在しております。本土に比べますと、
米軍基地の所在は人口一人当たり三百三十倍、
土地面積当たり五百六十倍にもなろうということでございます。これに対して、本土も自衛隊並びに
米軍基地はたくさんあるのでございまして、その負担は十分にしておるんだという
議論がございます。
沖縄の負担というものを過大視すべきではないという
議論がありますが、
沖縄と本土の
米軍基地の負担の仕方は私は非常に大きな違いがあると言わざるを得ないと思います。
なぜならば、
沖縄の
基地は大半が民有地でございました。そして、第二次
世界大戦後、いわゆる銃剣とブルドーザーで立ち退きをさせられたというようなことも含めまして民有地が
基地に取ってかわられた。そして、最も使いやすい平たんな一等地でございます。これが軍事
目的最優先で占拠をされているという事態でございます。したがって、生活あるいは経済の生態系が分断をされております。都市計画もままならない状態でございます。
そして、
騒音というようなことも大変なことでございます。例えば、空軍
基地を抱えております
嘉手納の町ではF15戦闘機が一年間に約八万回も離着陸をするというふうに言われておりますが、この使用密度というのは自衛隊の
基地に比べると数倍というふうに言われております。金武町では例の県道一〇四号越え実弾訓練が行われておったわけでございまして、この手のことは随分ございます。
また、犯罪もございます。一昨年九月の痛ましい少女暴行事件、実はこの種の犯罪はたくさんあるわけです。
そして、交通事故などでも、事故が一たん起きるとフォローアップ態勢が必ずしも強くない。したがって、住民はかなり不安な日常生活を送らざるを得ない状態がございます。
沖縄を歩きますればすぐわかりますが、
米軍のトラックにはナンバープレートがついておりません。ですから、だれがやったのかわからないんですね。本当に追っかけないとわからない。後ほど申し上げますが、私どもは
米軍に要望を出しましたけれども、なかなかフォローアップ態勢がしっかりしておらぬというようなことがありまして、住民から見ますと大変な重圧、そしてやりきれない閉塞感があるということは
日本の
国民はすべからく理解しなくてはならないことだと思います。
さて、根はもっと深いのでございまして、歴史的経緯ということがございますが、御案内のように、
沖縄は
太平洋戦争最後の段階で唯一の
日本の地上戦の惨禍をこうむったところでございます。当時の県民六十万の約三人に一人が命を失われたと言われておりますが、残られた方も、けが、病気、家族を失い、家を失い、大変な惨禍だったわけでございます。
そして、戦後、米国の施政下に入り
米軍の支配を受けたわけでございます。私見でございますけれども、今日、
沖縄の経済が自立していないと言われる
一つの理由は、終戦直後、ドル経済だったわけですね。戦前の交換レートは一ドル二円程度でございましたが、これに対して本土の場合には、焦土と化しましたので、一ドル三百六十円というのがブレトンウッズ
協定で決められて、ワンダラーブラウスなんというのがありましたけれども、このような非常に安い為替レートでつくったものを米国に売ればただみたいな値段をつけられる。しかし、
沖縄が焦土と化していて
基地中心の消費経済であるときに、ここでブラウスをつくって売ったらどのぐらいのものになるだろうか。生産性も低いわけですから、恐らく二十ドルぐらいにはなったんじゃないかと思うんですね。そうすれば、国際競争力などというものはできるはずがない。ですから、産業は育たなかったはずでございます。
返還後、もちろんこの問題を
日本政府の当局あるいは
政策関係者は非常に憂慮をいたしまして、何とかして
沖縄の経済発展の基盤をつくらねばならないということでいろいろ計画が出されました。民間の大企業も
沖縄に進出するという計画が多々あったわけでございますが、大変運の悪いことに、石油危機で大きなショックが参りましてほとんどの計画が立ち消えになって、結局
沖縄の開発の努力というのは
沖縄開発庁を
中心に十年ごとの長期振興計画を繰り返す、それを基軸として補助金をつぎ込んでいくという姿になったわけでございます。今日までのところ約五兆円の補助金がつぎ込まれたと言われておりますが、それでも自立発展に結びつかなかったという評価が専らでございます。
その
一つの理由は、公共工事が大半でございました。箱物が残念ながら大半でございました。箱物は補助金でやれますけれども、運営費が出ない。また、
沖縄の建設産業もかかわりましたけれども、本土のゼネコンもたくさんかかわっておったわけでございまして、この利益は実は
沖縄にとどまらずに大半が本土に還流をした。そして、人材も育たず技術も育たず、しかも運営費が出ない。こういう状態で、再び補助金依存ということになる悪循環を繰り返してきた結果、遂に自立が今日まで十分にできなかったということがあると思います。
所得水準は、御案内のように、
日本で最低でございまして、
日本の平均値の約七割、失業率は約二倍、そしてとりわけ若年者の失業率が多いということが将来を
考えるときに極めてゆゆしき問題でございます。
さて、その
沖縄の中に目を凝らしますと、とりわけ
基地の重圧を集中的に受けている市町村がございます。
沖縄には五十四の市町村がございますが、
米軍基地並びに
施設が所在するのは二十五市町村でございます。しかし、その中で幾つかの市町村がとりわけ大きな重圧を受けております。
嘉手納町を例にとれば、八三%が
嘉手納空軍
基地、
嘉手納弾薬庫でとられております。金武町をとれば六〇%がキャンプ・ハンセンでございます。北谷町は五七%が
嘉手納飛行場、キャンプ瑞慶覧。宜野座村は五二%がキャンプ・ハンセン。読谷村は四七%。
沖縄市は三六%。伊江村三五%。名護市は広い町でございますが、一一%でございますけれども、キャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブ、さまざまな問題を抱えております。
象徴的なのは
嘉手納町の実情でございますが、八三%を
基地に占拠され、大変な
騒音公害の
もとで皆さん暮らしていらっしゃるわけです。一七%の狭い
土地で皆さん生活をしております。産業立地の余地はもうだれが見てもございません。何かしなくてはならない、そういう中で生きていこうとしている方々がどれだけの閉塞感にさいなまれながら、将来への希望を持てない状態で暮らしておられるのかということに思いをいたさないわけにまいりません。
今日、
日本政府と
沖縄県庁の間で閣僚レベルの
政策協議会がつくられて、そして
沖縄県が前々から温めておられた国際都市形成構想、特別の規制緩和措置をも含む
沖縄発展計画あるいはその支援計画というものを策定中だというふうに理解しております。私もたまたま多少この問題に関するお手伝いを外からさせていただきました。内閣官房長官の諮問
委員会である
沖縄米軍基地所在市町村に関する懇談会の座長をさせていただきました。特に、この懇談会は、とりわけ大きな重圧を受けている市町村に焦点を絞って、現地を何度も訪れまして市町村の方々の
意見を聞きながら、この方々の将来への自立発展への努力を支援するためのプロジェクトを提案させていただいたわけでございます。
基地の整理、縮小という長期的な展望をも踏まえた上での計画を提案させていただいたわけでございますが、例えば
嘉手納の町には
嘉手納タウンセンターというものをつくってはどうか。金武町には将来とも高齢化の進む
日本の
一つの心のふるさとになるような健康保養ゾーンをつくってはどうか。
沖縄市の子供未来館というのは大変重要な企画だと思いますが、これは
沖縄県の
委員の方々が大変熱心に推奨されたんです。
よく子供は親の背中を見て育つと言いますが、
沖縄県では過去半世紀、少なくとも
沖縄に多大の付加価値をもたらすような製造業は育たなかったわけでございます。したがって、親の背中を見ても製造業が見えないわけです。
つい最近までNHKでやっておりました「ふたりっ子」、あの麗子ちゃんが、こんな話をして恐縮でございますが、お父さん嫌いだ嫌いだと言っていながら豆腐ビジネスをつくったというのは、やっぱり子供は親の背中を見ているわけですね。そういう種が
沖縄にないわけです。
ですから、今から鉄鋼業や石油化学といったって無理なので、二十一世紀の産業の技術の種になるものを子供たちに、ただガラス越しに見学させるのではなくて、これは情報技術であるかもしれない、バイオケミストリーであるかもしれませんが、実際にその種を手で握って、そして親しむということでないと自立の芽が育たないということを
考えまして、そういうものを提案させていただいております。
あるいは、名護市には人材育成センターというようなことでございまして、私ども祈るような気持ちで、今後何年かかっても、箱物をつくっていくということじゃなくて、箱物よりも将来の自立発展の種になるものを一緒につくっていくという心がけで一緒に仕事をさせていただきたい、本当にそういうふうに思っておるわけでございます。
こうした実情を本土の
日本国民がどれだけ理解をしておるかということが
最大の私は問題だと思います。安全保障というのは国の基本
政策でございます。
国民の命と財産を守るというのは国の
国民に対する責務でございます。その負担は当然
国民全体が担うべきものでございます。しかし、私ども
日本国民、とりわけ本土の
国民に果たしてどれだけその心がけがあるか。
ですから、
特措法は私はやむを得ない措置だ、この
判断は正しかった、
改正は正しかったとは思います。しかし、これを通した後に、のど元過ぎれば熱さ忘れる、この問題は片づいたじゃないかなどと我々が思うようであったら、これはとんでもない間違いでございまして、
最大の問題は、
沖縄の問題というものの現実を本土の
日本国民全員が理解をし、その痛みを理解するように努力をし、そして負担は共通に引き受ける、こういうことを続けてまいりませんと私は
沖縄問題の解決はないというふうに思います。
補助金を出せばいいじゃないか、
国民として負担をしているではないかという
議論があるいはあり得るかもしれませんが、補助金を出せば済むというような問題では全くない。問題はお金よりもむしろ心の問題だというふうに私は思います。今日の状況は、きょうあるいはあす急に変えられるものではないかもしれません。
国際政治状況、軍事的要因、技術的な要因、制度的な要因、さまざまなものに制約されておりますから、きょういきなり現実の事態をすぐ変えろといっても無理であるかもしれません。
しかし、重要なことは、この
沖縄の人々が
安保体制の重い負担、重圧を集中的に受けているというこの現実を
国民全体で理解して、その負担を物心両面で受けとめようとしていく努力、これをどのようにして永続させるかということであろうと思います。そして、将来に向けては、あらゆる
可能性をとらえて国際協力を推し進めて、軍縮を推し進めて、そしてやがて
基地のない
世界をつくるという方向を目指して努力していくことが重要だと思います。
私は、安全保障というものは、武器、弾薬も重要かもしれません。しかし、本質はそこにはない。安全保障の本質というのは人々の信頼だというふうに思います。
沖縄の人々を含む
日本国民全体が互いに信頼し合って、
日本を守るために互いに信頼し合って支え合っていくという状態がなければ、どれだけ武器、弾薬を積んでも安全保障は機能しないというふうに思います。
そしてまた、同じことは
アメリカと
日本、
日本国民と
アメリカ国民がこの問題を理解しなければ、
アメリカに抑止力という、
日本ではとても負担し得ないし、してはならないものによって
日本を守ってもらっているわけです。もちろん
日本も応分の負担をいろいろしておりますが、
日米両国に心の信頼がなければ安全保障
体制なんというのは機能するはずがありません。
そして、実を言うと、
日米が基軸になって確固たる
日米安保体制を持っているということが、実は近隣諸国、
世界にとっても、
日本が独自に何かをしようということに比べればはるかに透明度が高い、
専門用語で言う信頼醸成に近い事態なんですね。ですから、これは三重の
意味で信頼が必要だ。
日本国民同士の信頼、
日米の信頼、そのことがあることが
世界に不当な、不要な
軍備拡張を起こさせないで済むということでございまして、そういう
意味で最も重要なことは、とりわけ
日本本土の
日本国民がこの
沖縄の問題を真剣に
考えて忘れない、忘れないためにどうするかということでございます。
先生方にも大いに頑張っていただきたいんですが、私どもも一
国民として、何年かかっても
沖縄問題を忘れてはならぬということでやっていきたいと思います。私も教師の端くれですから、教える立場で必ずそれは声を大にして叫び続けていきたいというふうに思っていますが、
特措法については今日の時点でやむを得なかったというふうに
判断をいたしております。
どうもありがとうございました。(拍手)