○北澤俊美君 ここで民族の論議をするつもりはないのでありまして、
総理の見解をお聞きして、私は
沖縄の心を、ずっと衆議院の
審議を聞いても、きょうの
審議でも盛んに皆さん言っておられる。私は、
沖縄の心を正しく理解するためには
沖縄の歴史の中にそのかぎを見出すべきだと、こういうふうに思っておるのであります。
固有の民族かどうかということは、過去の歴史の中で幾つか指摘をされながら、
沖縄の処分、そしてまた圧政、そういうものが行われたわけであります。我々
日本が
沖縄にしてきたことは大きく分けますと二つ、近代国家としてスタートした明治政府がやったことについては、もう御案内のように、琉球王朝を、先ほど
総理も言われましたように、薩摩藩の支配の中から廃藩置県によって併合していったわけでありますけれ
ども、ほぼ旧来の法制を温存しながら、そのことによって三十年おくれたというふうに言われておるんですね。
このことを、時間がありませんから細かくは申し上げませんけれ
ども、いずれにしても明治政府は
沖縄が嫌がるのに土地を強制的に取り上げ、そこに軍を置き、さらにはまた強制的に取り上げて演習場をつくった、このことを
沖縄は覚えておるわけであります。戦後同じことを今度は
米軍がやり、それを
日本が引き継いでおるわけであります。
しかも、これは大田知事が
政治家になる前、学者の時代に大変に研究をされた中で明らかにされたことであります。一九四一年に太平洋
戦争が始まったんですが、もうその半年後にコロンビア大学に
沖縄研究チームというのをつくって
沖縄の処分についても研究されておるんですね。それは
日本から切り離す、細かいこと言うとびっくりするようなことを研究しているんです。その結果としてマッカーサー元帥が、
沖縄人は
日本人ではない、
沖縄の
人々は
日本から切り離されても長年にわたる
日本の圧政から解放されたとしてむしろ喜ぶだろうということを公に言っておるわけです。
それを裏づけるものとしては、一九四五年に太平洋司令官ニミッツ元帥が軍政府の布告第一号として北緯三十度以南の南西諸島を
日本から切り離すと、こういう布告を出したわけであります。これは何に基づくかというと、先ほどの研究をもとにして、これは大田知事が米国へ渡ってこの証言を見出してきたわけでありますけれ
ども、アチソン国務長官は議会証言で、
アメリカが北緯三十度を分離の
境界線としたのはそこが
日本民族と琉球民族の境目と
考えたからであるというふうに証言しておるんです。
したがって、我々は
沖縄の同胞は異民族ではない、こういうふうに
総理も
思いたいとおっしゃるし、これは文化そのものからするといろいろ意見があろうかというふうに
思いますが、
アメリカは少なくともそういうふうに見た上で
沖縄の処分をしてきた。そういう
沖縄の歴史というものを私たちはまず見なければいけない。
沖縄出身の歴史家で東恩納寛惇教授はこういうことを言っておるんですね。
人間の歴史はここに弱き者の生きるための苦しみを
沖縄の渉外史に発見し、文明の名において深き反省を要求されねばならないであろうと、こういうふうに言っておるんです。これはけだし名言で、今このときにもこの教授の言葉はそのまま通用するというふうに思うのであります。私はこの感想も
総理に求めようと思ったんですが、もう時間がありません。
そこで、私たちは今度のこの
審議を通じて何を一番大切にしなきゃならぬかということは、
沖縄の人たちの犠牲に対する
思いを我々はできるだけ共有しなきゃならぬわけでありますけれ
ども、
政治がやらなきゃならぬことは、この後の
沖縄の振興策をどれほど我々が真剣になって実現していくかということだと私は思うのであります。
そこで、これは
官房長官にお聞きをいたしますが、
沖縄政策協議会は昨年十月に発足をして、八十八あった事業を三十四に絞って十のプロジェクトで今やっておられる。その中には、現在目玉のように言われております一国二制度、そういうものもあるようでありますけれ
ども、私は総体的に、例えばフリー・トレード・ゾーンの全島化あるいはノービザ、こういうものもみんな総論では賛成を言っておるけれ
ども、フリーゾーンでは大蔵省が反対しているとか、ノービザでは法務省が反対しているとかということを
報道で盛んに言っている。
しかし、
官房長官はそのぐらいの
思い切ったことをやらなかったらだめだというふうに積極的に発言されておられるわけでありますけれ
ども、こういうことをきちんとまとめていくということを
沖縄の人たちに改めて
官房長官の口から御答弁をいただきたいというふうに思うわけであります。