○吉岡
吉典君 五十五年ぶりの
全面改正ということで、
法案も新
日銀法案という形で出されております。こういう機会に私は、
日銀の過去、現在そしてこれからの
日銀という目で、五十五年ぶりに新しい
日銀法をつくろうというなら見ていく必要があるだろうと思います。
そこで最初に、もうさんざん
衆議院でもここでも論議になりました
現行日銀法です。これはもう戦時立法だということでいろいろ論議になりました。一体どういう目的でつくられたのか、私も改めて当時の会議録を読み直してみました。そして、
昭和十七年の
委員会での提案理由
説明を賀屋
大蔵大臣がやっておられますけれ
ども、これを見て、片仮名だとかその内容よりももっと驚きました。
大臣はごらんになったことがあるかどうか知りませんが、参考までにちょっと長いけれ
ども、その一部分を紹介してみます。
大東亜戦争ヲ完遂シ高度国防国家体制ヲ完成シ、進ンデ大東亜共栄圏ヲ確立スルト共ニ、将来久シキニ亙ツテ是が維持発展ヲ期シマス為ニハ、我が国
金融竝ニ
経済ヲ愈々総合的ニ且ツ計画的ニ
運営スルノ体制ヲ確立スルコトが極メテ緊要デアリマス、是が為ニハ先ヅ以テ中央発券銀行タル
日本銀行が我が国通貨
金融制度ノ中核トシマシテ、
政府ト一体的関係ニ立チ、国策ノ嚮フ所ニ即シテ通貨ノ調節、
金融ノ調整及ビ信用
制度ノ保持育成ノ責ニ任ジ、進ンデハ大東亜共栄圏全体ノ
金融ノ
中心機関タルベキ任務ヲ果シ得ルヤウ其ノ体制ヲ整備スル
ために、この
日銀法を制定するのだというのが制定に当たっての提案理由
説明であります。
それで、論議になりました一部
改正も戦後行われました。そして、現実対応をしたという先ほど
答弁もありました。しかし、
基本はこの
日銀法をもって戦後五十年貫いてきたんですね。その目的は、大東亜戦争の完遂、大東亜共栄圏の
金融のセンターとしての
日銀だと。
こういう目的でつくった銀行法のもとでの
総裁として、
総裁、いろいろ国際舞台にもお出かけになったわけですが、少々体裁が悪いという感じを持たれたことはなかったのかどうなのかということを含めて、一体なぜこれが五十年も続いたのか。本当にこれをやめなきゃならないということを考えた者が
大蔵省にも
日銀にもなかったのか。.いろいろ経過は知っていますよ、
改正の経過があったことは。しかし、こんな
法律ではこれはもう格好つかぬというのでやろうというほどの人がなかったから今に至ったと私は思います。
私は、一九九〇年六月二十六日の
内閣委員会で、ほかの
法律も調べてみたら、例えば東条総理が大東亜戦争完遂のためにという目的で提案理由
説明をやった
法律がこれ以外にもあったんです。それで、こういう
法律は、本来戦後直ちに、少なくとも憲法制定時に廃止し、抜本
改正をやっておくべきものではなかったのかと。それがいまだにあるのはこれはどうにもならない、直ちにこういうのを改めるべきだと提案しましたら、海部総理が賛成だといってその翌年に許可認可等臨時
措置法という
法律は廃止されました。だから、そういう問題意識を持てばやれたんですね。
この
日銀法は、なぜ戦後五十年も生き続けたのか私は不思議ですが、
総裁、お答え願います。