○
公述人(
玉置勲君)
玉置でございます。
私は
日本移植コーディネイター協議会の会長をさせていただいておりまして、この
臓器移植にかかわったきっかけは、
昭和五十五年に東京農大の大学院を出たときに、豚のリンパ球の研究をやっておりました。その後、豚の心臓弁を使った弁の置換
移植手術というところで、豚の弁が二十年前に使われておりまして、そのあたりの、異種の動物との適合性の問題、
提供された同種間の、同じ動物同士の、人なら人、豚なら豚ですけれども、人同士の同種間の
移植という研究に入りました。その後、その
提供された
臓器の研究に入っておりまして、
平成七年四月に発足しました
日本腎臓
移植ネットワークという社団法人の方で今は勤務をさせていただいております。
私は、
移植コーディネーターと呼ばれる仕事に今ついていることになっておるんですが、当初は
移植の研究者というようなプライドがあったんですが、実は、
提供がない限り、その研究をしていても臨床的には
患者さんを救えないという第三極的な、要するに医師と
患者の二極構造の
医療から、
提供者が発生しないと
移植ができないというこの三極構造の中で、どういった
提供が求められるかというところで
移植のコーディネーターという分野をいろいろ御指導いただきながら発掘したわけです。
近々
移植法が成立するやもしれないという情報をいただいておりますが、ここまで長い間の道のりを経てまいったわけです。私も、
平成五年に中間報告を出しました
臓器移植ネットワークのあり方等に関する検討会と
臓器の
提供に関するワーキンググループに
委員として招かれ、前回、
臓器移植の
そんたく、
家族の
そんたくによる
提供という
法律案の
厚生省のたたき台の
委員をもさせていただきました。その中で私が主張させてもらったのは、
臓器提供は
本人の
意思も重要なんだけれども、残された
家族の
意思というものを尊重していただきたいということは繰り返し発言させていただきました。しかし、
家族がその
本人の
意思を
そんたくしてという、最終的にはそういった
法案で
平成五年の
臓器移植法案は衆議院の解散により廃案になってしまったわけです。
今回、またその修正がかかりまして、
提供者の
本人意思がなければいけないというところで
臓器提供がかなり狭まってきたというところで大変危惧はしておりますが、先ほどの御発言等々ありますとおり、今の我が国の
臓器移植医療の分野におきまして、
提供者が発生する可能性の高い救命救急
施設、こちらの
先生方の要するに告発事件等を考えますと、法で何とか、死体、
脳死体を含む死体というような形で
法律で定義されていない限り一歩も前へ進まないという現状を見てまいりまして、本日ここで私の腎臓
移植の経験とさらに今度の二
法案についての
意見を述べさせていただきたいと思います。
まず、腎臓
移植の現状についてお話しさせていただきます。
腎臓
移植の
一つには親兄弟から
提供いただく、これは
生体腎
移植と申します。ここで多分に誤解があるんですが、
脳死からの
提供も、
脳死は生きているんだからこれは
生体腎
移植だというように誤解されているところが多々あります。これは
脳死体ではあっても、死体腎
移植ということに含まれております。
そして、腎臓
移植ネットワークで勤務する我々が行っている業務は、
提供者、要するにこれは私は悲嘆
家族と申しますが、
脳死と
判定されたお身内の
家族に対して、腎臓
提供という選択肢があるというようなことを話をさせていただくようになりました。これはどうしてかといいますと、
ドナーカードを持っている
方々をずっと待ってはいたんですが、なかなか
ドナーカードを持っていらっしゃる方がいなかった。臨床的にどうしても
移植が必要なときに、
家族の
意思によって
提供されることが当時普通でございました。
そこで、
厚生省の地方腎
移植センターの拝命のもとに、東京医科大学八王子
医療センターでは、悲嘆
家族に、まず
本人がどういう
考え方であったか、または御
家族がどういう考えであるかというようなことを聞くようなシステムをつくったわけです。
そのときに白羽の矢が当たりまして、私は悲嘆に暮れる
家族に接するようになったわけですが、今言われているような
移植コーディネーターはブローカーとかそういうものではございません。私自身も相手の悲嘆を十分
認識しながら、相手の行動、顔色、反応を見つつ
移植の話を進めていくわけでございますが、この中で一から十の話を全部しなきゃいけないということで、その席に着きますと、悲嘆
家族、御
家族に大変御迷惑、心労を加えるわけです。
そういう
意味で、
臓器提供の御説明をする上で一番重要なところ、相手の心情を十分酌んでこちらはあくまでも情報
提供に徹するというやり方を考え始めたわけです。そうしますと、こちらが積極的に、説得はしませんけれども、説得に近い話で
家族を圧迫するよりも、こちらがリラックスしてこういった話があるんですよという話をすることによって、一時期六〇%の
提供率をいただきました。これは
提供率の競い合いではございませんので、私は余りこういう話はしたくはないんですが、
日本の
国民も腎臓
提供、これはあくまでも
心停止後の
移植ということで限らせていただきますが、
心停止後の
移植でありましたらかなり御協力いただける。
しかし、その後の
家族のフォローというのがこれまた重要でございます。これを救命救急のお
医者様方がその
家族のところへお伺いして
移植後の状況等を説明することは困難でございます。そういった代役をさせていただくのが
移植コーディネーターの任務だ、業務だと私は考えております。
そういうことで、
臓器提供というのは、
臓器提供を受けて健康を取り戻し救命された
患者さんのみならず、
提供をした
家族の中にも、私の書いた論文がお手元にあるかと思いますが、これは悲嘆の軽減、カーブがあるわけですね、
臓器提供をした
家族、しない
家族というところで。そのした
家族、しなかった
家族のポイントを計算しております。これは心臓停止を十点といたしまして、個々の
家族に、病気になったときから
臓器提供した後の報告を受けるまで、そういった項目をつけまして点数をつけてもらいました。
そうしますと、病気が発生したり事故が発生したときに病院に駆けつけたときの悲嘆というのは、その
心停止のもう十倍から二十倍の数値になります。しかし、
心停止を十点にした場合、
移植を
提供した後のポイントを見ますと四点前後に下がっております。これは何かといいますと、やはり
提供したことによってある程度だれかの役に立った、または身内のどこかの
提供した一部がどこかで生きているということに喜びといいますか、悲嘆の軽減になっていることがわかったわけですね。
そういう
意味で、
移植コーディネーターはだれかの
臓器をとってくるとかそんなことは考えておりません、あくまでも救命されればいいと願っているわけです。そういう感性を持ち合わせております。しかし、それでも、
脳死判定をされて
脳死となった人から一例たりとも生き返った方はいらっしゃらない、息を吹き返した方はいらっしゃらないという厳然たる事実がある上で
臓器提供の説明をさせていただき、あくまでも現行法でやっています
心停止の後の
摘出ということでお話をさせていただければ、
提供する
家族は結構多いということをまずお話をさせていただきました。
あと、コーディネーターの役目といいますと、話が前に戻りますが、救命センターなどで
家族が腎臓の
提供を申し出た場合、本来ならば救命の
先生が話をしていただいてその後我々が専門的な話をさせてもらうというのが筋でございますが、中には、呼吸器関係の病状によりほとんどもう助かる見込みがない、そういった
方々から
提供があったことも過去にございます。これは
心停止後の腎臓
提供となりますと、
脳死を経ない
提供もそういった
提供したいという人がいた場合に可能になってくるというところで、腎臓の
提供の中には
脳死を経ない
提供者もいるという現実もあるわけでございます。
そのほかに、腎臓
提供の説明をするときに、例えばこれは経験から話をさせてもらいますと、悲嘆に暮れてお嬢ちゃまが号泣されておりました。我々の
施設、当時の東京医科大学八王子
医療センターでは、すべての
脳死判定をされた方に腎臓
提供の
意思があったかどうかということを確認しようという
一つの方針がございました。私はその号泣されたお嬢ちゃまに、大変申しわけないけれどももう
脳死判定をされた、今後のことは皆さんがどうするかと考えなきゃいけません、その中に
一つの選択肢として腎臓
提供というのがございますという話をしましたら、そのお嬢ちゃまはぱっと泣きやみました。お嬢ちゃまといいますか奥さんなんですけれども、何が
提供できるんですかということで、
移植ということをお母さまが知っていらっしゃったということもございまして、私に聞かれたんです。私は、心臓停止後でいいから腎臓
提供というのがあります、もし
提供いただけるんでしたらそのことに対しては我々が協力をさせてもらうということでお話をさせていただきました。その後、
心停止を迎えて腎臓
提供になりましたが、我々は腎臓
移植がどうなったかということを御
家族のところに報告に参りました。するとお嬢ちゃまは、手をたたかんばかりに、腎臓の
提供をしてよかったというようなお話を我々にされました。
そういうことで、腎臓
提供は、あくまでも
移植を待っている
患者さんのみならず、
提供した
家族にも、多少ではありますが悲嘆の軽減になっているというところをまず御理解いただきたいと思います。
次に、この
法律のもとで行われている腎臓
移植のデータでございます。そこにお配りしておりますが、
平成七年四月から、当腎臓
移植ネットワークにおきまして六百二十件の情報件数、これは
提供するしないにかかわらず情報があった件数です。そのうち、
ドナーカードを保有していたのが五十四件。結構多いかと思いますが、そのうち
提供に至ったのは十五件なんです。といいますのは、
ドナーカードを保持されていても、
心停止前に連絡がいただけず
心停止後の連絡になっているというところに、
ドナーカードがまだまだ
普及していないという現状が明らかにされていると思います。
そういった
意味で、十五件の
提供が多いのか少ないのかといいますと、私は十年前に比べますと少しはふえてきたかなということで理解はしておりますが、先ほどの
公述人の御
意見のとおり、
ドナーカードの
普及というのは今後全
国民を挙げて行わなきゃいけないのじゃないか、そういうふうに思うわけでございます。
次に、
中山案と
猪熊案に対する
考え方を述べさせていただきます。
私のコーディネーターとしての経験を通じて、今
国会で審議されている
二つの
法案について考えますと、ぜひとも
中山案を成立させていただきたいと考えます。
脳死は人の死かについては、これまで十年間に約三百人の
脳死体、
脳死者を私は見てまいりました。ただの一人として息を吹き返したような
症例はありませんでした。もちろん
医学的に見て
脳死が死でありますからこう言えるのですが、そうした科学的なもの以上に、私の経験の中で
脳死は人の死であるということがさらに確信されてきたわけでございます。
本来、
臓器移植は
法律が必要ない状況で始まるべきだと思います。私も、十年前でしたらこういったねじれ現象、要するに救命救急医が訴えられる、検案ができないというようなことで
臓器移植法が必要だということは理解しておりますが、そういった
法律がない状況でまずは始められるべきだっただろうなと今は思います。しかし、
法律がないということで
臓器提供ができないという救命側の話を聞きますと、やはり
臓器移植法が必要だろうと繰り返し考えるわけでございます。そこで、我が国の
移植医療はこの
法律なしにはできないものであると私は考えておるわけです。大勢の
患者のことを考えるに、
中山案の一刻も早い成立を望んでおります。
一方、
猪熊案では、
脳死を人の死と定めないで
臓器移植の道を開こうとしています。亡くなっていない人から
臓器の
提供を受けるということは、
患者の救命に命をかけている救命医には受け入れがたいものがあるということです。救急救命医は、
患者が生きている限り最善の救命の治療を続けるわけですから、生きている人からの
臓器の
摘出ということは考えられない。この
考え方は
救急医療全般に混乱を招くものと考えます。
さらに、ここ数日、マスコミで
臓器移植法案は
中山案の修正案がクローズアップされております。
臓器提供するときに限って
脳死を人の死とするというようなことですが、これでは
脳死と心臓死という
二つの死を許すことになりはしないでしょうか高じ
脳死と
判定義た人が
臓器提供をするかしないかということで一方では死、もう一方では生きているというのでは死の客観性が失われることになると考えます。
医療の
現場では、
脳死あるいは
脳死判定と
臓器移植は切り離すべきであるという
考え方があります。これは
移植医療と救命
医療を切り離すといったことに言いかえてもいいと思います。修正案では、
一般的な
脳死判定と
臓器移植のための
脳死判定に分かれ、後者、つまり
臓器移植のために
脳死判定をするのでは、
脳死判定と
臓器移植を切り離せなくなって誤解を生じてしまいます。これも
猪熊案と同じように、
医療の
現場に混乱を招き入れるものではないかと考えます。
脳死判定の
意思も
書面にしておかなければならないということで、これまで私的ネットワークや
患者団体などが配った、
脳死後での
提供をうたった
ドナーカードも無効になると聞いております。これでは、いつになったら条件の整った
提供者があらわれるのでしょうか。
移植患者さんはさらに待たされるということです。
最後に、私は
中山案の成立を強く望むと申し上げましたが、私が本当に
臓器移植が少しでも可能となる
法律としては、三年前に初めて
国会に提出された
臓器移植法案が一番もっともな
法律だと考えております。つまり、
家族の
そんたくで
臓器の
摘出ができたらいいなと。これは私個人の考えでございますが、その
法律が
臓器移植を一歩でも二歩でも前進させる
法律だろうと、そういうふうに考えておるわけでございます。
臓器移植に道を開く
法律を考えていただけるのであれば、昨年修正した前の
法案でやるべきだと考えます。少なくとも、二度の修正を加えて
臓器移植への道を狭めるような
法律にだけはしていただきたくないなと切に望んでおります。
以上、ありがとうございました。