○佐藤道夫君 最初に、例によりまして三点ほど
感想を述べさせていただきたいと思います。
第一は、
前回の
質疑の際にさる同僚
議員から、この
法律は関係者の善意を前提としてつくられているように思うがそのように考えてよろしいか、こういう御
質問に対しまして、
提案者の方から、まさにそのとおりである、提供者の善意、家族の善意、あるいはまた
医者の善意、そういう人
たちのヒューマニズムに支えられて
臓器移植を今後推進していきたい、その手がかりになる
法律だという趣旨の御答弁があったように伺っております。
大変美しい
言葉で結構なことだとは思いますけれ
ども、
法律というものは少しくまた違うのではないかという気もいたすわけであります。世の中、善意の人だけでしたら
法律は要らないわけでありまして、いろんな人がおるわけですから、紛争が起きる、それはもう防ぎようもない、その場合にどうするか。人々は
法律に手がかりを求めますけれ
ども、
法律はそれで何も書いていないと一体これは何だと、こういうことにもなりかねないわけです。
これから問題にしようと思いますけれ
ども、家族のことをこの
法律は何も範囲を指定していないわけでありますから、集まってきた人
たちにどうかと聞いたら、皆結構ですよと言うので、家族の
同意を得たと思っておりましたら、後から二人、三人出てきまして、おれ
たちは知らなかったと、よってもってこれは
殺人だ、こういう話にもなりかねないわけであります。その辺を一体どう考えたらよろしいのか、これは大事な問題だろうと思います。それから、
医者の善意もやはり前提にしておるようでありますけれ
ども、お
医者さんにもいろんな人がいるわけであって、百人おれば九十五人ぐらい立派なお
医者さんだと思いますけれ
ども、五人ぐらいは変な人がいる。国会
議員にも一人、二大変な人がいるわけですから、必ずしも全員が全員立派ではないわけであります。そうして、利欲に駆られてこういうことをやる、あるいはまた功名心に駆られまして科学者としてどうしてもやってみたい、おれが一番乗りしたいということで、
脳死判定を多少おろそかにして
臓器移植に突入しちゃうということもないわけじゃないんですね。こういうことをどうやって防ごうか、この
法律はこれで十分なんだろうかということも我々は考えていく必要があろうかと思います。
それからもう一つ大事なことは、我々は
法律を今つくっているわけであって解釈をやっているわけじゃないんです。
中山案の第六条のいつも問題になっております「死体(
脳死体を含む。)」、これは法制局の解釈によると確認
規定である、こう言っております。私はそうじゃない、創設
規定だろうと思うんです。
この前、我々は
日本医科大学に視察に行きまして、
脳死の御婦人が
生命維持装置につながれておりましたが、あれは我々の考えでは現在生きている人です。死体とは言いません。ところが、この
法律が施行されると同時にあのお方は死体になるんでしょう、恐らく。これは確認か創設か、やっぱり創設だろうと思います。今まで生きていた人を死体とするんですから創設だろうと思います。確認ですよといったら、じゃいつから確認していたんだということにもなりかねないわけですからね。よってもって、我々は今
法律をつくっている。ですから、確認か創設か争いがあればきちっと
法律で書けばいい、それだけのことなんです。私は結論はどちらでもいいと思っているんです、本当は。
それから最後に、三点目は、けさほどの朝日の投書で、ごらんになった方も多かろうと思います。ちょっと要旨だけ読み上げてみますけれ
ども、表題が「妻の”奇跡”で
脳死に疑問が」と。こういうことで、一昨年妻を脳出血で亡くした、病院に運び込まれたらレントゲン写真
判定によって脳幹部出血であることが判明した、担当
医師からこれはもう
脳死状態だと言われた。自分もあきらめて覚悟を決めておったけれ
ども、三週間ぐらいたったころから少しずつ何かよくなってきたような気がして、一カ月後ごろには多少反応するようにもなってきた。この方は結局亡くなっておるんですけれ
ども、別の病気で。そこでもって、自分は
脳死に多大な疑問を持っておると。
私が思うには、恐らく
脳死であることの
判定のミスだろうと思うんですよ、最初の。しかし、そんなことは抜きにして、これは
脳死だから
臓器摘出しますよといって手術をしたら、一体どういうことになるのか。我々、もう少し慎重に、そういう事態のないようにあらかじめこの
法律で対応を考えておくべきではなかろうかと、こう思うわけであります。そう簡単には物事進まないだろうと。
そこで、最初に
中山案についてお尋ねいたします。
先ほ
ども取り上げましたけれ
ども、「死体(
脳死体を含む。)」というこの
言葉の解釈なんです。この前、私は説明の便宜で、本当は適切な例じゃないんですけれ
ども、「人(猿を含む。)」という
法律ができたとします、ある特殊な分野でね。後法は先法を排斥する、優位するということで、あらゆる
法律で人と書いてあればそれは猿を含むことになるのかと。そんなことはないんです。特殊な分野だけなんです、猿を含んで解釈する、含むということは。それとこれと全く同じことなんで、今度は
臓器移植という分野での
法律ですから、これが一般にまで拡大していきまして、
脳死は人の死だと、そういうふうに本当になるんだろうか。
刑法、民法は基本法でありまして、これには人の死について
定義はしておりませんけれ
ども、過去五十年、百年の間で、人の死は三徴候死によるということで確定した考え、解釈があるわけで、これはもう言うなれば慣習法だと言ってもいい、基本法であります。
先ほど後法は先法を排斥すると言いましたけれ
ども、また
法律の考えには、上位法と
下位法という考えもあるように偉い
法律は偉いんですよ。末端の偉くない
法律が何か
言葉を変えてみましても、偉い方の
法律は全然びくともしないわけです。これは当たり前、基本法でありますから。
死についての刑事に関する基本的な考え方は刑法です。それから民事に関しては民法ですから、相続なんかはすべて従来の解釈どおりで私はいくんだろうと思います。いや、ここにこういう
規定があるから、今後相続についてはすべて
脳死も含むんだと言いましても、
法律家はなかなか疑い深い人種ですから、はいとは言いません。
特に裁判官は、いやそんなことはない、我々は従来どおり三徴候説でいくんだ、こういう
脳死と、聞いたこともないような
法律で我々の伝統的な解釈が変わるとは夢思えないと、こう言うと思います。でも、注意深い裁判官は、じゃちょっと立法議事録を取り寄せてみようかと、こう言って取り寄せますと、何か知らぬけれ
ども、今後はもう
脳死が一般だということをしきりにおっしゃっておる。それならそれでそれらしい書き方をしてほしいと、解釈に疑義の生ずる余地のないように。
どう書くかといえば、基本的に人の死は今後は
脳死も含むんだということを第一条か何かで、あるいはまた別な
法律で人の死に関する基本法でもつくりまして、そういうことをうたいとげる。そうしましたら、さすが頑迷固陋な裁判官も従わざるを得ない、なるほど、これからはこれでいこうと。ただ、これだけのことで、
条文の中でちょっと「死体一
脳死体を含む。)」とつぶやいているぐらいで、従来の伝統的なあの考え方、解釈を変える力は私はないと思いますよ、率直に言いまして。
そういたしますと、何のことはない、自民党が今しきりに
修正案を出そうとしているあれと同じことになるのか。要するに、
臓器移植という限られた分野でだけ
脳死は人の死だと、こういうことになる。相続あるいは死体損壊罪、伝統的な刑法の考え方は私はこれには影響されないと思いますよ。
先ほど法務省の若い官僚が、
社会通念と維持
基準によるんだと、何か要領を得ないようなことを言っておりましたけれ
ども、
社会通念というのは、世の中の人
たちの百人中九十九人までが
脳死は人の死だと認めて初めて
社会通念と言えるんですよ。今のところ五〇%を超えるか超えないかでありまして、こういう事態をとらえて
社会通念という
言葉は使えません、明らかに。
ですから、基本的にもう
脳死は
臓器移植に関する
法律の枠内で人の死と認める、それしかないんだろうと私は思います。自民党の
修正案と結論において同じことになるのかなという気もしておりますけれ
ども、ちょっとその点につきまして、簡単で結構ですけれ
ども、
提案者のコメントをいただければと思います。