○斎藤文夫君 自民党の斎藤文夫でございます。梶山官房長官を中心に御
質問をさせていただきたいと存じます。
既にいろいろ我が党の議員あるいはまた各党の委員の方から、
持ち株会社の
解禁問題についてはいろいろと御
質問を重ねてきたところでございます。したがいまして、重複をするようなことが当然出てまいりますが、やはり総責任者の官房長官に
お尋ねをするということをひとつお許し賜りたいと存じます。
まず、今回の
持ち株会社の
解禁というのは、まことに日本経済にとりましてはかってなかった大きな出来事である、このように私は位置づけておるところでございます。
それも思えば、戦後のいわゆる昭和二十年、米軍に占領されて以降、米軍の占領政策の中でとられた政策が、御承知のように軍国主義を、封建主義を排して民主主義政策を日本に植えつける、農地解放によって地主階級を追放する、あるいは崩壊させる、同時に軍部と結託したと称される財閥を解体させる、これが戦後の米軍占領下における大きな経済政策あるいは思想政策であったと、このように私は認識をしておるところでございます。
したがいまして、戦後の財閥解体あるいは焦土と化した日本で経済力、工業力、日本全国のいわゆる当時の工業地帯というものは爆撃によって壊滅的な打撃をこうむりましたから、まさに裸の中から日本は出発したということが申せるわけであります。
資源を持たない日本にとりましては、原材料を輸入してきて、そしてそれに付加価値を高める生産をして外国に売る、言うならば貿易に活路を求めたのが戦後の日本の方向でございました。その結果、今日世界でも有数たる経済大国に発展をし得たことは、日本国民の知恵と力、努力のなせるところと、このように認識をいたしております。そのバックグラウンドは、
考えてみれば、財閥が解体されて、本当にドングリの背比べのような時代もございまして、そういう中からかえって活発な自由
競争が積極的に行われた、その集大成が今日の日本である、このように
考えておるところでございます。
戦後間もないときに財閥解体をされたわけでありますから、
過度経済力
集中排除法が制定をされる、あるいはまた独禁法が制定をされる、今日までこういう経過を経たところでございまして、
持ち株会社の
解禁は、言うならば財閥再編成につながる、こういう
観点において、とりわけ終戦直後は厳しく監視されたところでございました。独禁法は、
私的独占とか、あるいはカルテル、
企業結合、独占
状態等々を
禁止して不公平な取引を是正する、こういう
目的でつくられたわけでありまして、それなりの立派な効果を生んできたことはよく承知をさせていただいておるところでございます。
しかしながら、その後の世界的な国際化ということ、これは即日本も世界の大きな産業と伍して国際
競争場裏の中で海外へどんどん進出をしていく、あるいはより生産性を高めるために海外へ現地生産という形のものでどんどんと進出をしていく、こういうような
状況になりますと、当然我が国の
事業持ち株会社は飛躍的に増大をいたしました。
詳しい数字を今持ち合わせておりませんが、昭和六十年と平成六年、約十年の間の対比は、実に三倍の
規模に膨れ上がった。それだけ
事業関連会社というものが日本の大手
企業の中でどんどんと増加をしていった。こうなってきますと、好むと好まざるとにかかわらず
持ち株会社を
解禁せざるを得ない客観情勢が整ってきた。ましてやこういう国際化、自由化、グローバル化、ハーモナイゼーション、こういうような
状況下でございますから、どうしてもアメリカやあるいはヨーロッパ各国がそれぞれ
国内において最初から
持ち株会社というものを
認めている、そういうような
状況で来たところでございますから、今五十年にしてこれだけの経済力を持った日本、そこに
持ち株会社禁止の条項がいつまでもあるということは、やはり日本は海外から見ると異質なのかな、こういう
感じすら抱かせかねない情勢をつくりつつあったところでございます。
こういうことを
考えてまいりますと、私は今回の
純粋持ち株会社の
解禁あるいは来年四月自由になります外為法、この外為法だって、戦後の日本の経済を文字どおり、ある
意味においては大きな柱となって日本の経済を支えてきた大変機能した
法律だ、その外為法をここで思い切って自由化していくということは、日本経済が完全に異質な体質をこれからっくり上げていかなければならない、そのように私は大きく
考えておるわけでございます。
さらに、二十一世紀の初頭には、金融
持ち株会社が
認められ、銀行、保険、証券の垣根が本当に相互乗り入れてなくなる、俗に日本版ビッグバンとでも申しますが、こういう今大きな大改革が行われている。まさに隔世の感があるところでございます。
冒頭申し上げましたように、例えば財閥解体というようなところから出発した独禁法、そういうものが今五十年余にして新たな段階へ発展をしていくということは、戦後のその当時をいささか知る一人として、国民として本当に感無量の思いがいたすわけであります。特に、長官は同じ世代の大先輩であられます。いろいろと戦後を振り返られて、今の日本、そしてこれから二十一世紀へ日本が選択をしていかなければならない、通らなければならない道というものをお
考えになられたときに、いろいろと感慨がおありになると拝察をいたしておるところでございまして、ぜひ御意見を拝聴させていただきたいと存じます。