○堂本暁子君 ありがとうございます。大変いい機会を与えていただいたと思っております。
私は、二十一
世紀に向けての
社会資本、特に
公共事業の
あり方について、
環境と
福祉の視点から考察を加えてみたいと思っております。
参考人として出席された上智大学の山崎教授のおっしゃっておりますことに、
公共事業はどういうものかということの分析で、マクロ政策としての景気対策、それからミクロ政策としての
資源配分の
効率性と公正ということをおっしゃっているわけですが、山崎教授のお書きになった中に、「現在の景気の状態を深刻なものと認識する限り、仮に
公共投資が望ましくない副作用を伴うとしても、景気対策としての必要性は否定できないように思われる。」というふうに発言されております。
この副作用でございますけれども、短期的に見て確かに景気を刺激するということで
公共投資が必要だという考え方があることは確かですが、この副作用が重なっていった場合に、十年後あるいは二十年後、一
世紀後に
公共事業が日本の社会にとってどういうような
影響を与えていくのかという視点から、
環境と
福祉から考えてみたいということです。
私のレジュメの二番目に入りますけれども、あえて「
公共事業と生物多様性」と書かせていただきました。
リオの地球サミットで
二つの条約が採択されました。
一つは生物多様性であり、そしてもう
一つは気候変動枠組み条約という温暖化についての条約です。この
二つの条約は、
一つは地球を囲んでいる大気の問題であり、生物多様性の方は地球上の生態系を扱ったものです。
日本の生態系というのは、意外に意識されておりませんけれども、植物で申しますと野生植物の六種に一種が今は絶滅の方向に向かっています。これは非常に危機的な状況でございます。地球全部で言いますと、六千五百万年前に恐竜が絶滅したそのときのスピードよりもさらに大規模に今は地球上の生物が崩壊しているというふうに客観的にデータが出ています。
そういった中で、今日本で行われている
公共事業は、非常に生態系に対しての、副作用という言葉を山崎先生の言葉から拝借して使いますならば、その生態系の破壊につながっているという事態があります。これを守るために日本もすぐに生物多様性条約は批准しましたけれども、国内法を変えることはしませんでした。さらに、地球サミットの一年前に種の保存法という種を保存するための法律も日本はつくりまして成立しましたけれども、しかしその法律がなぜ
公共事業をつくるときに
機能しないかと申しますと、例えば河川法、それから土地改良法などがすべて例外というふうに記載されています。
したがって、実際に、例えばイリオモテヤマネコというのは日本の絶滅種として種の保存法が制定されてから一番最初に指定された種ですが、そのイリオモテヤマネコのいる西表島でさえどんどんイリオモテヤマネコがすんでいるところを開発して、そこが今や農地になろうとしています。そんなことが西表島であるはずがないと皆様お思いになるかもしれませんが、実は、これは昭和二十四年施行の法律ですが、種の保存法よりも優先するという日本の考え方で、その法律に基づいて強制的にそこは開発されているわけです。何も今、世界から注目される、その種がいるところを開発する必要はないのではないかというふうにだれもが思うんですが、今日本の法体系はそのようになっています。
しかし、自然
環境保全審議会は、事前にその報告の中で次のように言っています。
野生生物の世界は、多様な構成要素により成り立っている。そこには生態系、生物群集、個体群、種、遺伝子等様々なレベルがあり、それぞれの段階での多様性こそが自然の根源であり、野生生物を
保護するには、この各レベルでの多様性を
保護する必要があるとともに、そのような多様性の
基盤である生物の生存する
環境の保持に注意を払わねばならない。
この中で種は生物相・生態系を構成する
基本単位であり、野生生物の
保護を進めるには、生態系の
保護とともに種の
保護の観点でも個別対策を進めることが効果的であり、かつ重要である。
申しますのは、ここに書いてあります遺伝子の場合は、二十一
世紀は多分バイオの時代、遺伝子工学あるいは生物産業の時代に入っていきます。そういったときに、日本は非常に遺伝子のレベルで貧困な国になりかねない。
次に、生物種も同じでありまして、今は緑がたくさんあるようですが、種が減っていくと、ある段階まで行ったときに急激に減っていきます。今、トキとかそういうものだけと思っていますが、実は私たちが名前も知らないような生物種がもう毎日のようになくなっていっている。そして、生態系も、今諌早の話も出ましたけれども、そういった形で
公共事業の中でどんどん破壊されていっている。海岸線も破壊されています。それから、貴重な山村やそういったところの雑木林も破壊されています。
すべてを破壊してはいけないということを今申し上げているのではありません。
公共事業がそういったものと共生できるようなつくり方に変革しなければいけない。今のようにセメントだけで固めるような形ではいけないのであって、例えば、もう今は諏訪湖の湖畔のセメントを崩してそこにアシを植えるように諏訪湖でもやり始めましたけれども、四万十川でも同じようなことをやっています。これからの
公共事業の質の
あり方を問わない限りこの副作用が大きくなって、日本は二十一
世紀には大変自然の貧困な国になってしまうというそのことをまず指摘したい。そういった意味で、これから二十一
世紀の
公共事業をどのような内容の質の
公共事業にしていくのか、そのことを考えなければならないというふうに思います。
二番目に、「
高齢化社会における
福祉環境」というふうに書きました。今、私は医療の方の協議の抜本改革ということに携わっておりますけれども、先日、有岡
参考人からも指摘があったように、二十一
世紀に入りますとたちまち日本では
高齢者のカップルの世帯あるいは女性一人の世帯が大変な数を占める、三分の一を占めるという指摘が先日もございました。その場合に、一々地方へ移るというようなそういった今のような
施設収容は
高齢者にとってもよくないし、それからどんどん都会も空洞化していくという意味で、居住
環境を、今まで居住していたところに在宅
福祉を充実していく必要があると思います。
そういった場合に、それから次のことも申し上げれば、
少子化ということが言われていますけれども、
子供を育てる
環境としての
都市あるいは都会においても、
保育園や養護
施設のようなところだけではなくて、私たちが住むその
環境の中に生態系の豊かさが必要になってくる。今のようにビルや高層ビルの中だけで
生活してまいりますと、その中で人間も生物もともに非常に精神的にも大変
影響を受けてくる、隣に精神科のお医者様がいらっしゃいますからそれは専門家に任せますけれども、やはりビルの中だけで生きていられるようなことは人間でも生物でもできない。そういったときに、単に道をつくればいい、下水道があればいいというだけではなくて、
生活環境の中にいかに自然と共生していけるようなこれからの
公共事業の
あり方を模索していくかということが二十一
世紀の課題ではないかというふうに思います。
次に申し上げたいのは、単に
公共事業があるということが、道が整い、
道路が、新幹線が走り、下水のあるということが豊かな国なのかといえば決してそうではない。そこには多様な
文化、歴史的な
文化、地理的な
文化、そして個性豊かな
文化があって初めて豊かな国だということが言えるのだというふうに思います。
先日、ベルギーに参りましたけれども、三百年前の
都市、家、その形を大変大事にしていて、新しく家を建てる場合に三百年前の家の色と形を模したものを近代的に建てるということで、建物の高さなども全く均一にして、その
都市としての美を豊かにしていました。そしてそこでは、もちろん水そして樹木、そういった自然との調和をとっている。それは、例えばパリのような町でも同じようなことが言えると思います。バンクーバーは町の四分の一が自然の
公園で、そこに生物が多くすんでいます。
そのような形で、これからの
公共事業というのは、ハードなインフラストラクチャーを
整備するだけが住みやすい私たちの
環境なのではなくて、二十一
世紀の
公共事業というのは、人間が生きやすく豊かに
生活できる、そういった
環境づくり、そしてそれは生態系との共存であるということから見ますと、今緊急に
公共事業の
あり方を見直す必要があるのではないか、そのように思っております。
ありがとうございました。